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【4】

ー/ー



『Caring Beauty』クリスマス
祥真(しょうま)、卒業公演で何かやりたいことある? 敦紀(あつき)に推薦だけはしてやれるよ。裏方は決めるの俺じゃないから確約はできねえけど」
 十二月公演も無事打ち上げた。
 付き合い始めたばかりの恋人である郁海(いくみ)は、大学生活最後になる二月の卒業公演では脚本と演出を担当するのだ。
 そして舞台監督は、郁海の同期である諸星(もろぼし) 敦紀だった。
「もしできたら、本番で照明やってみたいです。もちろん補助でいいんで。将来的に照明専門になりたいってわけじゃないんですけど」
「ああ、前も言ってたよな。わかった、話しとく。ただ、俺に権力なんかないから期待しすぎんなよ」
 希望を訊かれたから挙げただけで、どうしても照明でないと、というわけではないので構わなかった。
「郁海さんて、サークルでやったことない部門てあります?」
「たぶんない。俺はホントになんでもやってたから。脇だけど舞台に立ったこともあるし、脚本・演出、小道具に大道具、照明に音響、立て看やフライヤー含めた宣伝。あと、メイクと衣装も経験あるよ」
 彼が斜め上に視線を向けながら一つ一つ挙げていく。
「──ああ、デカいのあった。舞台監督(ブタカン)だけはやったことねえな」
「……舞台監督はまず他と兼ねられませんからね。全体の責任者ですし」
 ふと思いついたように付け加えた彼に、咄嗟に感じた通り返した。
「ちょっと特別な位置だよな。『監督』って聞いて普通思い浮かべるのとは、実際には全然違うしさ」
「そうですね。俺も最初は『映画監督』と同じような感じかと思ってましたから。でも、諸星さんがご自分で、映画で言うなら『助監督』とか制作の方だって言われてました」
 これは実際、舞台に興味のない人間にはごく普通にある誤解だと祥真は身をもって知った。
「舞台での『映画監督』に当たるのは演出家かな。つまり二月は俺だけど、普段は祠堂(しどう)さんだな。マネジメントする、って意味では確かに監督なんだよ。──責任は重いし、何より人望ないと絶対務まんねえし、すごく大事な役割なのは間違いないわりに地味だから。敦紀はホントよくやってると思うよ」
「確かに。諸星さんの、なんていうか人心掌握? ってすごいですよね。三河(みかわ)さんが『諸星さんの後ってプレッシャーきつい!』って嘆いてましたもん」
「あいつなら大丈夫だろ。裏方だからこそ、自信持ちすぎより自分のことちゃんとわかってるやつじゃないと。とにかく全体を見るのが仕事だからな」
 四年生である敦紀が卒業したら、後を引き継ぐのは補佐として支えて来た三河 友里奈(ゆりな)だ。
 以前祥真は、郁海とその同期で友人である(みやび)に「舞台監督を目指せ」と言われたことがあった。
 決してやりたくないわけではない。むしろ憧れのポジションでさえある。
 ただ、己には無理だと感じているだけだ。そこまでの力が自分にあるとは到底思えなかった。

 もう何度かこの部屋に呼ばれては、郁海の手料理を出されている。
 お返しとして、という名目ではあるが祥真自身が耐え難いため、部屋を片付けて帰るのがお決まりだった。
 初めて訪れたときの、恋人の部屋に招かれたという高揚や期待が一瞬にして消え失せたほどの脱力感は忘れられるものではない。
 この美しい人が、こんな綺麗とは程遠い空間で平然と暮らしているなんて、と声も出なかった。
 ……一応郁海の名誉のために補足すると、決して『ゴミ屋敷・汚部屋』というようなレベルではない。散らかってはいても、まず有機ゴミはなかった。
 祥真が潔癖寄りだから余計に落差が大きかったのも事実だ。
「祥真、イヴ(二十四日)は予定空いてる? 二人でクリスマスパーティしないか? いや、そんな大層なもんじゃねえけど」
「空いてます! 当然でしょ、他に何があるんですか!」
 祥真の勢いに、郁海は笑いを堪えられない様子だ。
「じゃあ、またいつも通りこの部屋(ココ)でいい? それとも、クリスマスくらい外で豪華な食事したいならそれでもいいよ。所詮、俺のは素人料理だし」
「郁海さんが作ってくれるんなら、絶対家がいいです!」
 問い掛けに間髪入れずに返した祥真に、彼が苦笑している。
「わかった、ありがと。じゃあクリスマスディナー作るか! なんかリクエストある?」
「あの、郁海さん。ローストチキンて難しいですか?」
「いや、全然。ただお前がイメージしてんのが丸鶏だったら、うちのオーブンのサイズ的にもしかしたら無理かも」
 さらりとした口調からも、気を遣っているわけではなさそうだ。
 特に料理に関しては、郁海は容易に『できない』とは答えない気がする。大切な人に負担を掛けたくなかった。
「別に丸ごとじゃなくていいんで、というか二人で一羽全部なんて食べきれなくないすか? もし面倒じゃなければ、郁海さんのローストチキン食べてみたいんです! 買って来たのは子どものころ食べてましたけど、クリスマスに手作りのローストチキンって夢だったんすよね~」
 本心から告げる祥真に、郁海はあっさり頷いた。
「いいよ。丸鶏は詰め物あるけど、でなきゃむしろ料理としては簡単な部類だから、あれ。下拵えしてオーブンで焼くだけ」
「そうなんですか? なんか凝ったメニューって感じですけど」
 おそらく、というより確実に、祥真と彼とでは『簡単』の意味が違う筈だ。料理が得意な人か否か、と言い換えてもいい。
 それでも本当に大変そうではない彼に安心する。
「お前、やっぱレッグの方がいいか?」
 続けて訊かれたが、一瞬質問の意図が掴めなかった。
「え、と。俺、料理のことなんてよくわかんないすけど、レッグってあの、持つとこに飾りついたやつですか?」
「そう、骨付きのモモ肉な。どっちかって言うと、俺は骨なしの方が好きなんだ。食いやすいし。ただ骨付きにはその美味さもあって、何より雰囲気出るからな。お前の好みに合わせるよ。手間は変わんないから」
 どうやら的外れな返答ではなかったらしい。
 ローストチキンといえば祥真は丸ごと一羽かそのレッグしか頭になかったが、他を知らないためかえってこだわりもない。
「俺、店に売ってる持ち手付いたやつしか食べたことないんで。だから、郁海さんの作る別のやつの方がいいです!」
「わかった。じゃあ、骨なしにするか」
 郁海の何気ない返答に、胸が熱くなる。
 今年は始まりで、これからも毎年クリスマスはやって来るのだ。
 それを当然のように『二人で迎える』前提で話す恋人が愛しい。

「郁海さん、あの……。祠堂さんはいいんです、か?」
 今持ち出す話題ではないのは承知の上だが、直前にリュウが割り込んで突き落とされるのは考えただけでも辛過ぎた。簡単に想像できてしまうのがまた恐ろしい。
 まるでリュウの亡霊に怯えているかのような己が滑稽なのもわかっている。
「あの人、今は彼女いるから。クリスマスなんて俺のこと思い出す暇もないんじゃないか?」
 どうしても不安が拭えず口にしてしまった祥真に、彼は笑って首を振った。

 郁海が持っている食器類は、白くてシンプルな同じテイストのものが大半だった。
 キッチンの収納が限られているため、できるだけ少ない数でどんな料理にも合うように、だそうだ。
 ローテーブルに並べられたうちの大きな皿に、祥真の好物である前菜のカルパッチョサラダ。
 野菜の上に白身魚のカルパッチョ、さらに緑の小さな葉(ベビーリーフ)とプチトマトが載っていた。
 一回り小さい皿二つには、普通に売っているのとは違う四角いローストチキンにブロッコリーと細切りの赤いパプリカが添えられている。

 そして深皿に盛られたフランスパン(バゲット)のスライスと、片取っ手付きのスープカップに色からしてかぼちゃのポタージュ。
「うわ、すげえ! ありがとうございます! こんな豪華なクリスマス料理、家で食べられるなんて思いませんでした。いや、買って来ればすぐですけど、こんなの作ってもらえる人そうはいませんよね! 俺、幸せです……」
 感動のあまり涙ぐみそうになる。
「食う前からしんみりしてんじゃねえよ。この程度、豪華でもなんでもない。まあ食後は一応、ケーキもあるからな! 『メリークリスマス』なんだからもっと気分上げろ!」
 辛辣な台詞を吐きながら最後に運んで来たトレイを床に置き、郁海が祥真の向かい側に座った。
 視線を向けると、見た目はワインのような瓶と脚付きの洒落たグラスが二つ。
 しかし彼が、まだ二十歳になっていない祥真にアルコール飲料を出す筈がない。この恋人は表向きの印象と、真の中身に意外な乖離があるのだ。
「これ、雅に教えてもらって買ったんだ。ノンアルのシードルだってさ。食前酒代わりだよ。甘いジュースじゃ合わないだろ?」
見城(けんじょう)さん、あんまりお酒好きじゃないですもんね」
 彼女はアルコールには強い方で、かなり飲もうと言動も顔色もほぼ変わらない。
 だから逆に、なのか「酔わないのに高い酒飲むの、なんかもったいない」と飲み放題でもなければ大抵ノンアルコール飲料を頼んでいた。
 味が嫌いなわけではないので、それこそ食事と一緒に楽しめるそういったものに詳しいそうだ。
「カルパッチョとローストチキンて全然合ってないけど、店じゃないからいいだろ」
「え、そうですか? 俺よくわかんないですけど、どっちもすごく美味しそうですから問題ないっすよ!」
「そりゃどうも。あ、バゲットは好みでこれ塗ってな。ガーリックバターとこっち普通の」
 祥真の返答に頷き、彼が脇に置いた小皿を指し示した。
 チキンとスープは一人分ずつだが、サラダは二人分まとめて盛られている。
 取皿を渡され、祥真は大皿に添えられた大きなスプーンでまずは郁海の分を取り分けた。
 メインのローストチキンはもちろん、前菜もスープもすべてが見た目からして彩りもよく綺麗だ。
「郁海さん、このチキンめちゃめちゃ美味いです! そっか! これ、クリスマスの色なんですね!」
 皿の上の料理が赤と緑のクリスマスカラーを演出しているのだ、と祥真は食べ始めてようやく気付いた。
「まーね。料理は味が一番だとしても、目でも味わうもんだからさ」
 郁海は性格的に、自分からこういうアピールはしない。祥真が気づかなければそのまま何もなかったように流すだろう。
 少し嬉しそうに答えた恋人の想いを汲めたことに内心喜ぶ。
 そして確かに、骨なしのローストチキンはナイフとフォークで食べやすかった。

「運ぶのはあとでいいから。寄せて場所だけ空けて」
 食べ終わった皿を重ねていた祥真に、郁海がそう言い残してキッチンに立つ。
「このケーキも郁海さんが作ったんですか? すごいですね」
 戻って来た彼に目の前に置かれたのは、おそらくはレアチーズケーキだ。底だけが茶色い真っ白な菓子に、赤いソースと小さな緑の葉のコントラストが鮮やかなデザート。
 そして、隣にコーヒーと紅茶を湛えた二人のペアカップが並ぶ。初めて招かれた日に、二人で選んで祥真が買ったガラスのカップ。
「これはすげえ簡単なやつ。タルトじゃなくてビスケットの土台だし。料理が結構ボリュームあるから、ヨーグルト入れた軽めのにしたんだよ。……ミント大丈夫か? 別に食わなくていいから」
「いえ、好きです。生の食べる機会なんてないんで楽しみです。赤いのはジャムですか?」
「うん、苺のな。プレザーブスタイルのをラム酒と水で伸ばした。アルコールは飛んでるから」
 正直半分も理解できなかったが、彼がいろいろ考えて手ずから作ってくれたことに変わりはない。
 食事を終えれば、1Kのこの部屋のすぐ隣のキッチンに食器を運んで洗うのが祥真の役目だ。
 今回もそのつもりでトレイに順に汚れた皿やカップを移していた祥真に、郁海が不意に訊いて来た。
「祥真。今日はこのあと何もないよな?」
「え? はい、ありません。あるわけないでしょ」
 恋人とふたりきりでの、しかも初めてのクリスマス。
 その後に入れる予定など、いったい何があるというのか。
「じゃあさ、今夜は泊まっていかないか? 狭い部屋だけど、よかったら」
 穏やかな低めの声で告げられた台詞が、耳から入って脳に届くまで少し時間が掛かった。
「……ホントにいいんですか?」
 理解した途端、口から零れたのはそんな言葉。
「俺がこういう冗談言うように見えんのか?」
「見えません。──泊めてください。あ、皿洗ったら掃除しますから」
「頼むわ。一晩ゆっくり過ごせるように、すっきりとな」
 おそらく場の空気を読めていない祥真の発言に、郁海は笑いを噛み殺しながら返して来た。

 付き合い始めてまだ一月経たない。
 この部屋に招かれるようになってからは半月ほどだろうか。
 最初の訪問で帰る際、玄関先で触れるだけのキスをされた。
 驚きに固まってしまい、何もできなかった自分を思い出す。今ならいくつも浮かぶのに。キスを返せばよかった。せめて抱き締めれていれば。
「じゃあ、また来いよ」
 笑って送り出してくれた郁海は、それ以来何もしようとはしない。
 本来は祥真の方から行動を起こさなければならなかった。せっかくの恋人の意思表示に、その場で反応できなかったのだから。
 もう少し待とう、と彼に思わせたのだろうことは想像に難くない。
 しかし言い訳させてもらえれば、何をどうしていいのかまったくわからないのだ。
 とはいえ、すべて年上の相手にお任せではあまりにも情けなさ過ぎる。
 結局は、こうして郁海の方から切り出させてしまった。「知らない」ことを恥だとは考えていないが、それに甘えるのはまた別だ。
 まずは今、できることを。
「あの、すごく嬉しいです! 俺、郁海さんのことホントにホントに大好きなんです!」

 知ってるよ、と言いた気な恋人は、もともと整った顔にとびきり綺麗な笑みを浮かべた。

 ~聖夜:END~


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「|祥真《しょうま》、卒業公演で何かやりたいことある? |敦紀《あつき》に推薦だけはしてやれるよ。裏方は決めるの俺じゃないから確約はできねえけど」
 十二月公演も無事打ち上げた。
 付き合い始めたばかりの恋人である|郁海《いくみ》は、大学生活最後になる二月の卒業公演では脚本と演出を担当するのだ。
 そして舞台監督は、郁海の同期である|諸星《もろぼし》 敦紀だった。
「もしできたら、本番で照明やってみたいです。もちろん補助でいいんで。将来的に照明専門になりたいってわけじゃないんですけど」
「ああ、前も言ってたよな。わかった、話しとく。ただ、俺に権力なんかないから期待しすぎんなよ」
 希望を訊かれたから挙げただけで、どうしても照明でないと、というわけではないので構わなかった。
「郁海さんて、サークルでやったことない部門てあります?」
「たぶんない。俺はホントになんでもやってたから。脇だけど舞台に立ったこともあるし、脚本・演出、小道具に大道具、照明に音響、立て看やフライヤー含めた宣伝。あと、メイクと衣装も経験あるよ」
 彼が斜め上に視線を向けながら一つ一つ挙げていく。
「──ああ、デカいのあった。|舞台監督《ブタカン》だけはやったことねえな」
「……舞台監督はまず他と兼ねられませんからね。全体の責任者ですし」
 ふと思いついたように付け加えた彼に、咄嗟に感じた通り返した。
「ちょっと特別な位置だよな。『監督』って聞いて普通思い浮かべるのとは、実際には全然違うしさ」
「そうですね。俺も最初は『映画監督』と同じような感じかと思ってましたから。でも、諸星さんがご自分で、映画で言うなら『助監督』とか制作の方だって言われてました」
 これは実際、舞台に興味のない人間にはごく普通にある誤解だと祥真は身をもって知った。
「舞台での『映画監督』に当たるのは演出家かな。つまり二月は俺だけど、普段は|祠堂《しどう》さんだな。マネジメントする、って意味では確かに監督なんだよ。──責任は重いし、何より人望ないと絶対務まんねえし、すごく大事な役割なのは間違いないわりに地味だから。敦紀はホントよくやってると思うよ」
「確かに。諸星さんの、なんていうか人心掌握? ってすごいですよね。|三河《みかわ》さんが『諸星さんの後ってプレッシャーきつい!』って嘆いてましたもん」
「あいつなら大丈夫だろ。裏方だからこそ、自信持ちすぎより自分のことちゃんとわかってるやつじゃないと。とにかく全体を見るのが仕事だからな」
 四年生である敦紀が卒業したら、後を引き継ぐのは補佐として支えて来た三河 |友里奈《ゆりな》だ。
 以前祥真は、郁海とその同期で友人である|雅《みやび》に「舞台監督を目指せ」と言われたことがあった。
 決してやりたくないわけではない。むしろ憧れのポジションでさえある。
 ただ、己には無理だと感じているだけだ。そこまでの力が自分にあるとは到底思えなかった。
 もう何度かこの部屋に呼ばれては、郁海の手料理を出されている。
 お返しとして、という名目ではあるが祥真自身が耐え難いため、部屋を片付けて帰るのがお決まりだった。
 初めて訪れたときの、恋人の部屋に招かれたという高揚や期待が一瞬にして消え失せたほどの脱力感は忘れられるものではない。
 この美しい人が、こんな綺麗とは程遠い空間で平然と暮らしているなんて、と声も出なかった。
 ……一応郁海の名誉のために補足すると、決して『ゴミ屋敷・汚部屋』というようなレベルではない。散らかってはいても、まず有機ゴミはなかった。
 祥真が潔癖寄りだから余計に落差が大きかったのも事実だ。
「祥真、|イヴ《二十四日》は予定空いてる? 二人でクリスマスパーティしないか? いや、そんな大層なもんじゃねえけど」
「空いてます! 当然でしょ、他に何があるんですか!」
 祥真の勢いに、郁海は笑いを堪えられない様子だ。
「じゃあ、またいつも通り|この部屋《ココ》でいい? それとも、クリスマスくらい外で豪華な食事したいならそれでもいいよ。所詮、俺のは素人料理だし」
「郁海さんが作ってくれるんなら、絶対家がいいです!」
 問い掛けに間髪入れずに返した祥真に、彼が苦笑している。
「わかった、ありがと。じゃあクリスマスディナー作るか! なんかリクエストある?」
「あの、郁海さん。ローストチキンて難しいですか?」
「いや、全然。ただお前がイメージしてんのが丸鶏だったら、うちのオーブンのサイズ的にもしかしたら無理かも」
 さらりとした口調からも、気を遣っているわけではなさそうだ。
 特に料理に関しては、郁海は容易に『できない』とは答えない気がする。大切な人に負担を掛けたくなかった。
「別に丸ごとじゃなくていいんで、というか二人で一羽全部なんて食べきれなくないすか? もし面倒じゃなければ、郁海さんのローストチキン食べてみたいんです! 買って来たのは子どものころ食べてましたけど、クリスマスに手作りのローストチキンって夢だったんすよね~」
 本心から告げる祥真に、郁海はあっさり頷いた。
「いいよ。丸鶏は詰め物あるけど、でなきゃむしろ料理としては簡単な部類だから、あれ。下拵えしてオーブンで焼くだけ」
「そうなんですか? なんか凝ったメニューって感じですけど」
 おそらく、というより確実に、祥真と彼とでは『簡単』の意味が違う筈だ。料理が得意な人か否か、と言い換えてもいい。
 それでも本当に大変そうではない彼に安心する。
「お前、やっぱレッグの方がいいか?」
 続けて訊かれたが、一瞬質問の意図が掴めなかった。
「え、と。俺、料理のことなんてよくわかんないすけど、レッグってあの、持つとこに飾りついたやつですか?」
「そう、骨付きのモモ肉な。どっちかって言うと、俺は骨なしの方が好きなんだ。食いやすいし。ただ骨付きにはその美味さもあって、何より雰囲気出るからな。お前の好みに合わせるよ。手間は変わんないから」
 どうやら的外れな返答ではなかったらしい。
 ローストチキンといえば祥真は丸ごと一羽かそのレッグしか頭になかったが、他を知らないためかえってこだわりもない。
「俺、店に売ってる持ち手付いたやつしか食べたことないんで。だから、郁海さんの作る別のやつの方がいいです!」
「わかった。じゃあ、《《今年は》》骨なしにするか」
 郁海の何気ない返答に、胸が熱くなる。
 今年は始まりで、これからも毎年クリスマスはやって来るのだ。
 それを当然のように『二人で迎える』前提で話す恋人が愛しい。
「郁海さん、あの……。祠堂さんはいいんです、か?」
 今持ち出す話題ではないのは承知の上だが、直前にリュウが割り込んで突き落とされるのは考えただけでも辛過ぎた。簡単に想像できてしまうのがまた恐ろしい。
 まるでリュウの亡霊に怯えているかのような己が滑稽なのもわかっている。
「あの人、今は彼女いるから。クリスマスなんて俺のこと思い出す暇もないんじゃないか?」
 どうしても不安が拭えず口にしてしまった祥真に、彼は笑って首を振った。
 郁海が持っている食器類は、白くてシンプルな同じテイストのものが大半だった。
 キッチンの収納が限られているため、できるだけ少ない数でどんな料理にも合うように、だそうだ。
 ローテーブルに並べられたうちの大きな皿に、祥真の好物である前菜のカルパッチョサラダ。
 野菜の上に白身魚のカルパッチョ、さらに|緑の小さな葉《ベビーリーフ》とプチトマトが載っていた。
 一回り小さい皿二つには、普通に売っているのとは違う四角いローストチキンにブロッコリーと細切りの赤いパプリカが添えられている。
 そして深皿に盛られた|フランスパン《バゲット》のスライスと、片取っ手付きのスープカップに色からしてかぼちゃのポタージュ。
「うわ、すげえ! ありがとうございます! こんな豪華なクリスマス料理、家で食べられるなんて思いませんでした。いや、買って来ればすぐですけど、こんなの作ってもらえる人そうはいませんよね! 俺、幸せです……」
 感動のあまり涙ぐみそうになる。
「食う前からしんみりしてんじゃねえよ。この程度、豪華でもなんでもない。まあ食後は一応、ケーキもあるからな! 『メリークリスマス』なんだからもっと気分上げろ!」
 辛辣な台詞を吐きながら最後に運んで来たトレイを床に置き、郁海が祥真の向かい側に座った。
 視線を向けると、見た目はワインのような瓶と脚付きの洒落たグラスが二つ。
 しかし彼が、まだ二十歳になっていない祥真にアルコール飲料を出す筈がない。この恋人は表向きの印象と、真の中身に意外な乖離があるのだ。
「これ、雅に教えてもらって買ったんだ。ノンアルのシードルだってさ。食前酒代わりだよ。甘いジュースじゃ合わないだろ?」
「|見城《けんじょう》さん、あんまりお酒好きじゃないですもんね」
 彼女はアルコールには強い方で、かなり飲もうと言動も顔色もほぼ変わらない。
 だから逆に、なのか「酔わないのに高い酒飲むの、なんかもったいない」と飲み放題でもなければ大抵ノンアルコール飲料を頼んでいた。
 味が嫌いなわけではないので、それこそ食事と一緒に楽しめるそういったものに詳しいそうだ。
「カルパッチョとローストチキンて全然合ってないけど、店じゃないからいいだろ」
「え、そうですか? 俺よくわかんないですけど、どっちもすごく美味しそうですから問題ないっすよ!」
「そりゃどうも。あ、バゲットは好みでこれ塗ってな。ガーリックバターとこっち普通の」
 祥真の返答に頷き、彼が脇に置いた小皿を指し示した。
 チキンとスープは一人分ずつだが、サラダは二人分まとめて盛られている。
 取皿を渡され、祥真は大皿に添えられた大きなスプーンでまずは郁海の分を取り分けた。
 メインのローストチキンはもちろん、前菜もスープもすべてが見た目からして彩りもよく綺麗だ。
「郁海さん、このチキンめちゃめちゃ美味いです! そっか! これ、クリスマスの色なんですね!」
 皿の上の料理が赤と緑のクリスマスカラーを演出しているのだ、と祥真は食べ始めてようやく気付いた。
「まーね。料理は味が一番だとしても、目でも味わうもんだからさ」
 郁海は性格的に、自分からこういうアピールはしない。祥真が気づかなければそのまま何もなかったように流すだろう。
 少し嬉しそうに答えた恋人の想いを汲めたことに内心喜ぶ。
 そして確かに、骨なしのローストチキンはナイフとフォークで食べやすかった。
「運ぶのはあとでいいから。寄せて場所だけ空けて」
 食べ終わった皿を重ねていた祥真に、郁海がそう言い残してキッチンに立つ。
「このケーキも郁海さんが作ったんですか? すごいですね」
 戻って来た彼に目の前に置かれたのは、おそらくはレアチーズケーキだ。底だけが茶色い真っ白な菓子に、赤いソースと小さな緑の葉のコントラストが鮮やかなデザート。
 そして、隣にコーヒーと紅茶を湛えた二人のペアカップが並ぶ。初めて招かれた日に、二人で選んで祥真が買ったガラスのカップ。
「これはすげえ簡単なやつ。タルトじゃなくてビスケットの土台だし。料理が結構ボリュームあるから、ヨーグルト入れた軽めのにしたんだよ。……ミント大丈夫か? 別に食わなくていいから」
「いえ、好きです。生の食べる機会なんてないんで楽しみです。赤いのはジャムですか?」
「うん、苺のな。プレザーブスタイルのをラム酒と水で伸ばした。アルコールは飛んでるから」
 正直半分も理解できなかったが、彼がいろいろ考えて手ずから作ってくれたことに変わりはない。
 食事を終えれば、1Kのこの部屋のすぐ隣のキッチンに食器を運んで洗うのが祥真の役目だ。
 今回もそのつもりでトレイに順に汚れた皿やカップを移していた祥真に、郁海が不意に訊いて来た。
「祥真。今日はこのあと何もないよな?」
「え? はい、ありません。あるわけないでしょ」
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 その後に入れる予定など、いったい何があるというのか。
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 穏やかな低めの声で告げられた台詞が、耳から入って脳に届くまで少し時間が掛かった。
「……ホントにいいんですか?」
 理解した途端、口から零れたのはそんな言葉。
「俺がこういう冗談言うように見えんのか?」
「見えません。──泊めてください。あ、皿洗ったら掃除しますから」
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 付き合い始めてまだ一月経たない。
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 笑って送り出してくれた郁海は、それ以来何もしようとはしない。
 本来は祥真の方から行動を起こさなければならなかった。せっかくの恋人の意思表示に、その場で反応できなかったのだから。
 もう少し待とう、と彼に思わせたのだろうことは想像に難くない。
 しかし言い訳させてもらえれば、何をどうしていいのかまったくわからないのだ。
 とはいえ、すべて年上の相手にお任せではあまりにも情けなさ過ぎる。
 結局は、こうして郁海の方から切り出させてしまった。「知らない」ことを恥だとは考えていないが、それに甘えるのはまた別だ。
 まずは今、できることを。
「あの、すごく嬉しいです! 俺、郁海さんのことホントにホントに大好きなんです!」
 知ってるよ、と言いた気な恋人は、もともと整った顔にとびきり綺麗な笑みを浮かべた。
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