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13話 私が保育士を目指した理由(1)

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「いや、大した意味はありませんよ。……私が療育園で働き始めたキッカケは、誰に何を言われてもニコニコ笑っている中学生の子をこの道で見かけたことでした」 遠い目をした小林先生が向けた先には中学校の校舎が見え、道路の左端より歩いてくるのは紺色のセーラー服に身を包んだ女子中学生三人。前方には女子二人が横並びに歩いていて大笑いしながら手をパチパチと叩き、後ろに付いて歩く子はどこか引き攣った笑顔を浮かべていた。
退勤時間が同じ私達と、部活帰りと思われる中学生達の帰宅時間は大体同じ。よくすれ違う、女子中学生三人だった。


小林先生は足を止めて振り返り、すれ違った三人の背中に視線を向ける。そこには、後方でノソノソと歩いていく女の子の丸めた背中があった。
あの三人の関係性は部外者でも分かる。後方の子、無理してるなって。
いつも同じ子二人が前で、それに付いていくように一人で歩いている。わざとゆっくり歩いて、距離を取るように。
だけど離れると遅いと言われて、近くにいても話には入れなくて。たまに関係ある話になっても自分の失敗を晒されるようなことを言われて、笑う二人に合わせてあの子も笑うしかなくて。
話の内容なんて聞かなくても、三人の表情や仕草でなんとなく察する。……見下されているのだろうと。


「無理して笑っているその子を見かける度に、辛くなりました。だから当時、新設されたひだまり療育園が保育士を募集していていると知り、以前勤めていた幼稚園から転職しました」
「え?」
初めて聞く小林先生の身の上話に、それ以上の言葉が出てこない。どうして、そんな見知らぬ中学生に感化されたのかも。


「その子は友達に嫌なことを押し付けられていて、その時に『〇〇ちゃんは優しいね。やっぱり良い子だね』と言われていました。周囲の大人や友達から見たら、その子は『良い子』だったと思います。でも私は、その言葉が嫌いです。結局それは優しい子をその言葉で縛り付けて言いなりにさせ、『周りにとって都合の良い子』にしただけです」
初めて聞く口調の強さ、「嫌い」という強い言葉に、私の心が冷えていく。私は、こんな優しい人まで怒らせてしまったのかと。


「あ、違いますよ! 佐伯先生に何か言いたいわけでなく、世間話です」
私は、よほど酷い顔をしていたのだろう。小林先生は両手を横に振り、否定する言葉を並べてくれる。
……良かった。この人にまで自分を否定されてしまったら、私はどうなってしまうか本気で分からない。


一瞬過った本音に自分に対する気持ち悪さが増し、唇をキュッと噛み締めていた。


だけど、これだけは分かる。小林先生は早期療育の大切さに気付き、この道に進んだのだと。
今すれ違った子やその中学生みたいに、嫌なことを否定や拒否出来ない人は多く存在する。
日本人は周りの顔色を伺う国民性であることからその傾向の人は多いとされているけど、あまりに極端だとそれは「自閉スペクトラム症の受動型」ではないかと指摘する精神科医が居る。


自閉スペクトラム症のタイプは三つあるとされていて、一つは孤立型。その特徴は凛ちゃんみたいな子で、人に関心がない、興味の幅が狭い、相手の気持ちに共感しにくいなどが大きな特性として見られている。
二つ目は積極奇異型。パンダ組はゆっくりさんのクラスだから居ないけど、火曜日と木曜日に担当しているコアラ組にそのタイプの子が多い。
積極的に周囲の大人や友達に声をかけ、人懐っこい。
そう聞くと子供らしくて良いと思われそうだけど、何においても程度がある。知らない子にまで友達のように話しかけたり、一方的に好きな話をしていて会話が成立していなかったり、相手が嫌がっているのにそれに気付かず関わりを続けてしまい、結果避けられてしまう。
いわゆる、空気が読めないと言われている行為だ。


そして、三つ目が受動型。自分の考えや意見が上手く話せなかったり、周囲の意見に軽く流されてしまう。側から見ると周りに合わせる良い子とされやすいけど、自己主張出来ない本人はストレスを溜めていたり、良いように利用されやすいという問題点もある。
パンダ組にも居て、凛ちゃんを気にかけていた大人しい女の子。結城まどかちゃん、あの子はその傾向にあると心配されている。
まどかちゃんは、生まれた時から大人しい子だったらしい。それは保育園に通っても続き、二歳頃にそれは顕著に現れた。
おもちゃを取られても、叩かれても、酷いことを言われても、ただニコニコと笑っていたらしい。先生より話を聞いたお母さんが発達相談に連れて行き、まどかちゃんは困っているからこそ笑っているのだと説明を受けたらしい。
まどかちゃんには発達面での遅れはなく、自分の扱いは酷いことを理解しているし、やめてと言ったり大人に相談することも出来る。
だけど状況を変えようとしないのは、怒ること、逃げること、助けを求めることが出来ないから。それが受動型と呼ばれる人の特性だ。
そうゆう子は、幼少期での対応がより大切とされる。
人だけでなく、自分も大切にする。
人の意見だけでなく、自分の意見も尊重する。
叩かれたらどんな気持ちになるか。何を相手に言うか。
それを教えていかないといけない。


まどかちゃんは週三で療育園に通っているけど、金曜日の午後は集団から抜けて個別療育を受けている。セリフの書いていない絵本を見ながら、登場人物の気持ちを考える。それが傷付いてきた自分の気持ちだと理解してもらい、どうしたら止めてもらえるかを考える。
人と平等な関係を築けるようになる為に。


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「いや、大した意味はありませんよ。……私が療育園で働き始めたキッカケは、誰に何を言われてもニコニコ笑っている中学生の子をこの道で見かけたことでした」 遠い目をした小林先生が向けた先には中学校の校舎が見え、道路の左端より歩いてくるのは紺色のセーラー服に身を包んだ女子中学生三人。前方には女子二人が横並びに歩いていて大笑いしながら手をパチパチと叩き、後ろに付いて歩く子はどこか引き攣った笑顔を浮かべていた。
退勤時間が同じ私達と、部活帰りと思われる中学生達の帰宅時間は大体同じ。よくすれ違う、女子中学生三人だった。
小林先生は足を止めて振り返り、すれ違った三人の背中に視線を向ける。そこには、後方でノソノソと歩いていく女の子の丸めた背中があった。
あの三人の関係性は部外者でも分かる。後方の子、無理してるなって。
いつも同じ子二人が前で、それに付いていくように一人で歩いている。わざとゆっくり歩いて、距離を取るように。
だけど離れると遅いと言われて、近くにいても話には入れなくて。たまに関係ある話になっても自分の失敗を晒されるようなことを言われて、笑う二人に合わせてあの子も笑うしかなくて。
話の内容なんて聞かなくても、三人の表情や仕草でなんとなく察する。……見下されているのだろうと。
「無理して笑っているその子を見かける度に、辛くなりました。だから当時、新設されたひだまり療育園が保育士を募集していていると知り、以前勤めていた幼稚園から転職しました」
「え?」
初めて聞く小林先生の身の上話に、それ以上の言葉が出てこない。どうして、そんな見知らぬ中学生に感化されたのかも。
「その子は友達に嫌なことを押し付けられていて、その時に『〇〇ちゃんは優しいね。やっぱり良い子だね』と言われていました。周囲の大人や友達から見たら、その子は『良い子』だったと思います。でも私は、その言葉が嫌いです。結局それは優しい子をその言葉で縛り付けて言いなりにさせ、『周りにとって都合の良い子』にしただけです」
初めて聞く口調の強さ、「嫌い」という強い言葉に、私の心が冷えていく。私は、こんな優しい人まで怒らせてしまったのかと。
「あ、違いますよ! 佐伯先生に何か言いたいわけでなく、世間話です」
私は、よほど酷い顔をしていたのだろう。小林先生は両手を横に振り、否定する言葉を並べてくれる。
……良かった。この人にまで自分を否定されてしまったら、私はどうなってしまうか本気で分からない。
一瞬過った本音に自分に対する気持ち悪さが増し、唇をキュッと噛み締めていた。
だけど、これだけは分かる。小林先生は早期療育の大切さに気付き、この道に進んだのだと。
今すれ違った子やその中学生みたいに、嫌なことを否定や拒否出来ない人は多く存在する。
日本人は周りの顔色を伺う国民性であることからその傾向の人は多いとされているけど、あまりに極端だとそれは「自閉スペクトラム症の受動型」ではないかと指摘する精神科医が居る。
自閉スペクトラム症のタイプは三つあるとされていて、一つは孤立型。その特徴は凛ちゃんみたいな子で、人に関心がない、興味の幅が狭い、相手の気持ちに共感しにくいなどが大きな特性として見られている。
二つ目は積極奇異型。パンダ組はゆっくりさんのクラスだから居ないけど、火曜日と木曜日に担当しているコアラ組にそのタイプの子が多い。
積極的に周囲の大人や友達に声をかけ、人懐っこい。
そう聞くと子供らしくて良いと思われそうだけど、何においても程度がある。知らない子にまで友達のように話しかけたり、一方的に好きな話をしていて会話が成立していなかったり、相手が嫌がっているのにそれに気付かず関わりを続けてしまい、結果避けられてしまう。
いわゆる、空気が読めないと言われている行為だ。
そして、三つ目が受動型。自分の考えや意見が上手く話せなかったり、周囲の意見に軽く流されてしまう。側から見ると周りに合わせる良い子とされやすいけど、自己主張出来ない本人はストレスを溜めていたり、良いように利用されやすいという問題点もある。
パンダ組にも居て、凛ちゃんを気にかけていた大人しい女の子。結城まどかちゃん、あの子はその傾向にあると心配されている。
まどかちゃんは、生まれた時から大人しい子だったらしい。それは保育園に通っても続き、二歳頃にそれは顕著に現れた。
おもちゃを取られても、叩かれても、酷いことを言われても、ただニコニコと笑っていたらしい。先生より話を聞いたお母さんが発達相談に連れて行き、まどかちゃんは困っているからこそ笑っているのだと説明を受けたらしい。
まどかちゃんには発達面での遅れはなく、自分の扱いは酷いことを理解しているし、やめてと言ったり大人に相談することも出来る。
だけど状況を変えようとしないのは、怒ること、逃げること、助けを求めることが出来ないから。それが受動型と呼ばれる人の特性だ。
そうゆう子は、幼少期での対応がより大切とされる。
人だけでなく、自分も大切にする。
人の意見だけでなく、自分の意見も尊重する。
叩かれたらどんな気持ちになるか。何を相手に言うか。
それを教えていかないといけない。
まどかちゃんは週三で療育園に通っているけど、金曜日の午後は集団から抜けて個別療育を受けている。セリフの書いていない絵本を見ながら、登場人物の気持ちを考える。それが傷付いてきた自分の気持ちだと理解してもらい、どうしたら止めてもらえるかを考える。
人と平等な関係を築けるようになる為に。