旅立ち 前編
ー/ー夜の狩人が目を開ける。
獲物を狩るにはまだ早い時間。
寝ぼけ眼でうろから出て、高い木の上にとまった。
「おーい、どこー、どこにいるのー?」
誰かを呼ぶ声が辺りに響いており、夕闇に光る丸い目を、その声のする方へと向ける。
小さな女の子が映る。
スカートを大きくはためかせ、森の奥へと駆けていた。
「もう、どこまで行ったんだよ」
愚痴るその子の顔には、焦りが浮く。
一緒に遊んでいた男の子二人を探していた。
もうすぐ日没だというのに、姿を見せない。
暗くなれば森から出るのは困難となり、一晩中彷徨うことにもなるだろう。
自身もそうなる可能性があり、すると大目玉を食らう可能性も大だ。
「おーい、レトリー! 奥まで行ったらあぶないぞーっ!」
ただその心配は杞憂に終わる。
後ろからその片割れの声が飛んできた。
知らぬ間に追い越してしまっていたことに気が付くと、女の子は振り返る。
その際、傍にいた大きなフクロウを目にすることになり、驚いて一度目をそちらへ戻す。
すぐに飛んでいなくなったが、いた所の地面に目が留まる。
何か落ちている。
一見は、小さな黒い卵。
しかし妙に光沢があり、宝石のようにも見えなくもない。
なんだろう?と思い、そこまで行って、拾い上げた。
「うそ、宝石だよこれ──、綺麗────」
それが出会いであり、これをきっかけに彼女の運命は大きく変わることになる。
戦いの日々に身を投じることになり、やがては世界の命運を握るところまで羽ばたいていくことになるのだが……、
そう仕向けた相手は、いったい誰か。偶然などではない。
──やっと見つけた。私の器────
人知れず笑うその者は、天使か悪魔かそれとも魔女か。
暮らしている孤児院に持って帰ると大騒ぎ。
その声を怪訝に思ったか、奥のキッチンから老齢のシスターが顔を見せた。
「あ、シスター!」
「シスターだ!」
「シスターみてみて!」
ここで暮らす子達にとっては、母も同然の存在だ。
「いったいどうしたと言うのです」
一斉に集い、それを見せに行った。
「レトリが宝石拾った!」
「これだよ、これ。森に落ちてたみたいで」
レトリの手の上に乗るそれ、宝石のような石を一目見たシスターの顔には、動揺といつにない険しさが浮く。
「それは──、核」
「かく?」
拾った当人も戸惑いを浮かべており、気まずそうに尋ねていた。
「もしかして、拾ったらまずいものだった? でも綺麗で」
「どうしてあの森に。誰かが──いえ、そんなはずは」
その時突然、その石が淡い光を放つ。
「うわ、光ったよ!」
皆、驚いた顔をしており、シスターだけがその後にただ一人、神妙な面持ちとなっていた。
(神のお導きなのやもしれませんね──)
心の中で、人知れずもれたその言葉の真意は、あくる日、明かされる。
レトリは、朝早くからシスターに連れ出され、昨日の森まで足を運んでいた。
視線は手元。
うっとりしながらあの石を見ていた。
「はぁ、きれーい」
「レトリ、いけませんよ」
「な、なにが?」
「それは魅入られて良いものでもないのですよ。その秘めたる力にのまれてしまうことになる。裏を返せば、あなたがそれだけ気に入られている証にも思えますが。やはり、昨日のあれは──」
「はぇ? 昨日のあれって?」
「あなたの手のひらの上で光ったことです。資格ありと示したのでしょう。自らを使うに値するかどうか。わたしもこの目で見るのは初めてでしたが、あれが、魂の解放者となることを宿命づけられた者の見る光──」
「しゅ、しゅくめい? 魂のかいほうしゃって、何?」
「ここで全部言っても覚えきれないでしょうから、崇高な使命を神から授けられることになった特別な人間とだけ。わかりますか、あなたは特別で、他の子とは全然違う人生を歩むことになる。これをもし昨日皆の前で話していたなら、皆どんな反応をしたと思います。想像できますか」
「あぁー、それはまあ、なんとなく。レトリだけずるいみたいなのは、昨日言われまくったし。シスターがすごい怖い顔で止めてなかったら、みんなも今日森に来てたと思うし」
「仕方がなかったのです」
そう言うとシスターは顔を俯ける。暗い顔だ。
「その石がもし、誰かが落としたものでないとしたなら──」
何か思い悩んでいる風であり、レトリは笑いかけた。
「大丈夫だよ。何がなのかはわかんないけど」
実際、理解していることは少ないが、励ましの言葉は届いたようで、シスターの顔が持ち上がる。
苦笑するような顔をしていたが。
「苦難の道を歩むことになるのですよ」
「え、そ、それは、やだな」
レトリは反射的に目を逸らす。取り繕うこともできない。
予想だにしない言葉にただただ困惑し、前で唐突にもれるシスターの笑い声を耳にした。
「ふ、ふふ」
「笑わなくたって」
「正直者なのは良いことですよ」
続けて、さあ行きますよと来るが、何か腑に落ちない。何か忘れている。
シスターも同じだったか、止まっていた歩みを戻そうとした足をピタと止め、向き直る。
「レトリ」
屈み込み、肩に手を乗せ、見つめてくる目は、真剣なものだ。
「もしそうなったとして、やれますか?」
「う、うん」
返事と一緒に頷こうともしたのだが、顔が引き攣ってしまい、うまくできず。
手を離して立ち上がるシスターの顔は、良い顔にはとても見えない。
「それでは任せられませんね」
「きゅ、急すぎる! 心の準備とか、あるじゃん」
思わずレトリはそう口にして、深呼吸を挟むやすぐさまこう捲し立てる。
自信ありと胸も張っていた。
「大丈夫。わたしやれるよ。将来はシスターみたいな立派なシスターになるつもりだし、神に授けられた使命はやっぱり全うしたいし、その意思はそ、そそ、そおぉ……?」
考えての言葉ではないので、最後の辺りで詰まることにはなったが。
半端な気持ちでだけは、言ってない。
どうにかそれだけでも伝えたい、のだがその為の言葉も浮いてこず。
「だからその、えーとね?」
「尊重と言いたいのでしょうか」
「はい! そう! そんなやつ!」
「そんなやつとはどんなやつですか。まったく」
表情を見る間に崩し、シスターは笑いだす。
レトリは恥ずかしさのあまり、赤くなった顔を背けていた。
(だって仕方ないじゃん。言葉むずかしかったんだから──)
浮かない顔で、その後に小さくため息もこぼす。
(はあ。結局わたし、何やらされるんだろ──)
それからしばらく経った頃、昨日あの石を拾った辺りで、先に黒い煙が見え、レトリは声を上げた。
「煙上がってる! シスター火事!」
動転しており、早くみんなに知らせないと、加えてそう付け足すのだが、シスターは険しい顔つきをするだけで、その場を動こうとはしない。
修道服の腰の所を摘み引く手が止まる。
様子が変に思う。普通はもっと慌てるものだ。
いまの自分と同じように。
「シスター、シスターってば」
何度も呼びつつ、今度はもっと強く引っ張りもした。
「もうシスター! 何やってるの!」
「見えるのですね。やはり当たりましたか」
「──え?」
シスターは意味不明なことを言ってはいたが、身を翻して来た道を戻り始めてはくれた。
ただ、じれったい。
早足で向かっており、間に合うのだろうか。
どう考えても駆けて行った方が──、何せ、火事だ。悠長にしている時間などない。
しかし、さっきの言葉も頭に引っかかっており、どちらを優先すべきか迷う。
優劣をつけられずにいると、今度は謎な質問を受けた。
「レトリ、とても大きな三角形の形をした建物は見えましたか?」
「あ、えーと。ううん、見てない、よ?」
理解するのに少し手間取ったが、森の隠れ小屋とかの話をしていたのだろうか。
それが燃えて、そんなのあったかと色々頭に浮くが、今はもっと大事なことがある。
そう思った瞬間には、優先順位がついた。
「シスター、それより火事だよ。こんなゆっくり歩いてたら間に合わないって。森が」
シスターは困り顔をする。
「急いでいるつもりではありましたが、あなたには遅く感じられましたか。何せ世界で一番と思うくらいの駆け足ですからね」
「お褒めにあずかり光栄かな、って今はそんな時じゃなくて! わたしが急いで行って知らせてきた方が──」
シスターが足を止める。
何だ、と思った直後にいきなり身を抱き寄せられて、レトリは目を大きく見開いて、白黒させた。
「…………」
さっぱりとわからない言動ではあるものの、言いたいこともそれでもう言えなくなる。
離れたあとに何か辛そうな笑みをしているのが見え、その後、町まで戻る。
自然と調和するように立つ一言で言い表すなら“牧歌的”な所であり、ゆえ人口もそれほど多くなく、住民も顔見知りばかり。
「あ、おじさん! もり、もがっ──」
当然、火事のことは伝えようとしたのだが、その口を塞がれてしまい、そのままはずれの所にある教会まで向かう。
隣に孤児院があるのだが、外で遊んでいた子達も見ているだけで、声すら掛けてはこなかった。
シスターから発せられるただならぬ気配でも感じ取ったか。
傍にいるレトリが一番それを感じ取っており、ここまでされるがままにもされていた。
中で白装束に着替えさせられ、裸足となって、用意されていた盆の上に乗ることになった。
下には水が張ってあり、身を清める為、足を浸すだけでなく頭からも多少被ることになる。
(うひぃ、つめったぁ──!)
もしこれがもう少し前の時期、暖かくなる前だったなら、それだけでガチガチに凍り付いていたことだろう。想像したくもないことだ。
何やら儀式が始まる。事前説明は一切なし。
田舎町ゆえ教区を管理する司教不在はもちろん、いなければならない司祭もいない。
少し前に神の御許へと旅立たれ、後任がまだ来ていない為だ。
代役を務めるシスターは、長年傍でその役目を見てきた年の功を見せ、滞りなく進行させていく。
聖書が読み上げられ、水の入れられた銀杯をレトリは手渡され、石をそこに落とし、祈りの言葉を口にするよう言われてその通りにし、戻す。
すると中の水が独りでに波紋を立て始め、マークのようなものを水面に浮かせた。
レトリは驚いて上げそうになった声を、寸でで呑む。
恐らくは神聖な儀式の最中、それだけはしてはいけないと思った。
シスターも大役果たしたといった顔で、顔に薄っすら浮いた汗を拭う。
「ほぅ──、無事に務まるか不安でしたが、なんとかなりましたか」
「お、終わった?」
「ええ。その石に宿るのは、ヴァンパイアだと神は仰せなようです」
「は?」
突拍子もないことを言われ、レトリは眉を寄せる。
聞き間違いかと思う。聞き返していた。
「ヴァンパイア?」
「いまは、わからないと思いますが」
「いやいや、ほんとに意味わかんないって。これに、ヴァンパイア……、だめだ、理解不能すぎる……」
「これから学んでいくことです。さあ、レトリ。今日からあなたには、あなたが嫌と思うことを嫌という程やってもらいます。やれると確かに聞いておりますので、逃げることは許しませんよ」
顔は笑っていたが、不穏なことを言われて悪寒も走る。
それが勉強であると聞かされた時は、この世の終わりのようにレトリには思えた。
(聞いてない。聞いてない。こんなことになるなんて、わたし聞いてない──!)
頭を動かすことより体を動かすことの方がずっと好き。
そんな生来の勉強嫌いにとっては、地獄のような日が続くことになる。
(もういやだ。もう耐えられない。むりだ……、むりむり)
今日もまた、机の前で避けられない戦いを強いられており、これまでどうにか外にもらさず押し留めていた心の声が、いよいよ溢れ出す。悲鳴となってだ。孤児院中にこだました。
「いぃいいいいやあああああ! もう、むりぃいいいいい!」
外にいた子まで一斉に駆けつけてきて、一時中断となるが、それだけだ。
「レトリ、続けますよ」
「お、鬼か……、シスターの鬼! 悪魔! モンスター!」
「何か、言いましたか?」
「い、いえ、なんでも……」
その日は静かな剣幕に圧倒されて、それ以上の反論は許されず。
しかし日付が変われば、別の手段で対抗しだす。
聞いているフリだけしたり、うたた寝までしてしまったり。
これ以上真面目にやっていたら、精神が崩壊しかねない。
結果、あまり勉強は身につかず。それでも覚えたことはある。
あの石のこと。そして、魂の解放者とは何なのか。
当然ほかの知識も少しは蓄えてはいたが、理解不能なことも多く、やっぱり現地に行かないことには理解が及ばない。
それが本音であったが、不安もある。
一人で行くことになる。
大人達は行くどころか、見ることすら敵わないと知った。
だからシスターは森で火事と思って言ったあの時、おかしなことを言った。
同じ子供なら可能だが、魂の解放者でもないのに行けば、どうなるか。
果敢に挑もうとした男の子がいて、その子はあの煙を吸い込んだだけで高熱にうなされ寝込むことになった。
度胸試しも困りもの、しかしまだ、そこまでの大事には至っていない。
ただいつあの森に漂う煙が、人の身に災い齎す瘴気という名だったそれが町にまで流れ込んでくるかわからない。広がっているとは聞いている。
早く行かないと。
わたしが止めないと、駄目なんだ。
そう思いはしても、中々行く決心というのは、固まらず。
そのことを考えるあまり眠れなくなり、レトリがベッドの上で窓の外を眺めていたある晩のこと。一人の子が来る。
「レトリぃ……」
お化けが喋るようなか細い声で、急に後ろから声を掛けられて、飛び上がりそうにもなったが、その子が震えていることに気が付くと、おいで、と呼んだ。
傍にくるなり腕にしがみつかれた。泣き出すようにその子は話し出す。
「ぼくこわいよ。あのけむりが、町までくるんじゃって」
「うん。わたしもそう思ってる」
「レトリなら、レトリは、あれをやっつけられるタマシイの、カイホウシャなんだよね?」
「うん、まあね。行かなきゃ行かなきゃとは、思ってるんだけどさ。足がちっとも言うこと聞いてくれなくて」
「えぇ、どんなふうに?」
「いくの嫌だって。怖がってるの。わたしはいけっていつも叱りつけてるんだけど」
冗談めかしていったおかげか、笑いがもれる。
「レトリでもコワイことってあるんだ」
「あー、言ったな!」
膨れて見せて、あるの、あるよと言って、指で額をつつく。
するとまた笑いがもれて、二人で笑い合う。
「やるか」
気付けばそう口にしており、その日やっと決心つくのも感じた。
明日の昼には立つとも決めた。
獲物を狩るにはまだ早い時間。
寝ぼけ眼でうろから出て、高い木の上にとまった。
「おーい、どこー、どこにいるのー?」
誰かを呼ぶ声が辺りに響いており、夕闇に光る丸い目を、その声のする方へと向ける。
小さな女の子が映る。
スカートを大きくはためかせ、森の奥へと駆けていた。
「もう、どこまで行ったんだよ」
愚痴るその子の顔には、焦りが浮く。
一緒に遊んでいた男の子二人を探していた。
もうすぐ日没だというのに、姿を見せない。
暗くなれば森から出るのは困難となり、一晩中彷徨うことにもなるだろう。
自身もそうなる可能性があり、すると大目玉を食らう可能性も大だ。
「おーい、レトリー! 奥まで行ったらあぶないぞーっ!」
ただその心配は杞憂に終わる。
後ろからその片割れの声が飛んできた。
知らぬ間に追い越してしまっていたことに気が付くと、女の子は振り返る。
その際、傍にいた大きなフクロウを目にすることになり、驚いて一度目をそちらへ戻す。
すぐに飛んでいなくなったが、いた所の地面に目が留まる。
何か落ちている。
一見は、小さな黒い卵。
しかし妙に光沢があり、宝石のようにも見えなくもない。
なんだろう?と思い、そこまで行って、拾い上げた。
「うそ、宝石だよこれ──、綺麗────」
それが出会いであり、これをきっかけに彼女の運命は大きく変わることになる。
戦いの日々に身を投じることになり、やがては世界の命運を握るところまで羽ばたいていくことになるのだが……、
そう仕向けた相手は、いったい誰か。偶然などではない。
──やっと見つけた。私の器────
人知れず笑うその者は、天使か悪魔かそれとも魔女か。
暮らしている孤児院に持って帰ると大騒ぎ。
その声を怪訝に思ったか、奥のキッチンから老齢のシスターが顔を見せた。
「あ、シスター!」
「シスターだ!」
「シスターみてみて!」
ここで暮らす子達にとっては、母も同然の存在だ。
「いったいどうしたと言うのです」
一斉に集い、それを見せに行った。
「レトリが宝石拾った!」
「これだよ、これ。森に落ちてたみたいで」
レトリの手の上に乗るそれ、宝石のような石を一目見たシスターの顔には、動揺といつにない険しさが浮く。
「それは──、核」
「かく?」
拾った当人も戸惑いを浮かべており、気まずそうに尋ねていた。
「もしかして、拾ったらまずいものだった? でも綺麗で」
「どうしてあの森に。誰かが──いえ、そんなはずは」
その時突然、その石が淡い光を放つ。
「うわ、光ったよ!」
皆、驚いた顔をしており、シスターだけがその後にただ一人、神妙な面持ちとなっていた。
(神のお導きなのやもしれませんね──)
心の中で、人知れずもれたその言葉の真意は、あくる日、明かされる。
レトリは、朝早くからシスターに連れ出され、昨日の森まで足を運んでいた。
視線は手元。
うっとりしながらあの石を見ていた。
「はぁ、きれーい」
「レトリ、いけませんよ」
「な、なにが?」
「それは魅入られて良いものでもないのですよ。その秘めたる力にのまれてしまうことになる。裏を返せば、あなたがそれだけ気に入られている証にも思えますが。やはり、昨日のあれは──」
「はぇ? 昨日のあれって?」
「あなたの手のひらの上で光ったことです。資格ありと示したのでしょう。自らを使うに値するかどうか。わたしもこの目で見るのは初めてでしたが、あれが、魂の解放者となることを宿命づけられた者の見る光──」
「しゅ、しゅくめい? 魂のかいほうしゃって、何?」
「ここで全部言っても覚えきれないでしょうから、崇高な使命を神から授けられることになった特別な人間とだけ。わかりますか、あなたは特別で、他の子とは全然違う人生を歩むことになる。これをもし昨日皆の前で話していたなら、皆どんな反応をしたと思います。想像できますか」
「あぁー、それはまあ、なんとなく。レトリだけずるいみたいなのは、昨日言われまくったし。シスターがすごい怖い顔で止めてなかったら、みんなも今日森に来てたと思うし」
「仕方がなかったのです」
そう言うとシスターは顔を俯ける。暗い顔だ。
「その石がもし、誰かが落としたものでないとしたなら──」
何か思い悩んでいる風であり、レトリは笑いかけた。
「大丈夫だよ。何がなのかはわかんないけど」
実際、理解していることは少ないが、励ましの言葉は届いたようで、シスターの顔が持ち上がる。
苦笑するような顔をしていたが。
「苦難の道を歩むことになるのですよ」
「え、そ、それは、やだな」
レトリは反射的に目を逸らす。取り繕うこともできない。
予想だにしない言葉にただただ困惑し、前で唐突にもれるシスターの笑い声を耳にした。
「ふ、ふふ」
「笑わなくたって」
「正直者なのは良いことですよ」
続けて、さあ行きますよと来るが、何か腑に落ちない。何か忘れている。
シスターも同じだったか、止まっていた歩みを戻そうとした足をピタと止め、向き直る。
「レトリ」
屈み込み、肩に手を乗せ、見つめてくる目は、真剣なものだ。
「もしそうなったとして、やれますか?」
「う、うん」
返事と一緒に頷こうともしたのだが、顔が引き攣ってしまい、うまくできず。
手を離して立ち上がるシスターの顔は、良い顔にはとても見えない。
「それでは任せられませんね」
「きゅ、急すぎる! 心の準備とか、あるじゃん」
思わずレトリはそう口にして、深呼吸を挟むやすぐさまこう捲し立てる。
自信ありと胸も張っていた。
「大丈夫。わたしやれるよ。将来はシスターみたいな立派なシスターになるつもりだし、神に授けられた使命はやっぱり全うしたいし、その意思はそ、そそ、そおぉ……?」
考えての言葉ではないので、最後の辺りで詰まることにはなったが。
半端な気持ちでだけは、言ってない。
どうにかそれだけでも伝えたい、のだがその為の言葉も浮いてこず。
「だからその、えーとね?」
「尊重と言いたいのでしょうか」
「はい! そう! そんなやつ!」
「そんなやつとはどんなやつですか。まったく」
表情を見る間に崩し、シスターは笑いだす。
レトリは恥ずかしさのあまり、赤くなった顔を背けていた。
(だって仕方ないじゃん。言葉むずかしかったんだから──)
浮かない顔で、その後に小さくため息もこぼす。
(はあ。結局わたし、何やらされるんだろ──)
それからしばらく経った頃、昨日あの石を拾った辺りで、先に黒い煙が見え、レトリは声を上げた。
「煙上がってる! シスター火事!」
動転しており、早くみんなに知らせないと、加えてそう付け足すのだが、シスターは険しい顔つきをするだけで、その場を動こうとはしない。
修道服の腰の所を摘み引く手が止まる。
様子が変に思う。普通はもっと慌てるものだ。
いまの自分と同じように。
「シスター、シスターってば」
何度も呼びつつ、今度はもっと強く引っ張りもした。
「もうシスター! 何やってるの!」
「見えるのですね。やはり当たりましたか」
「──え?」
シスターは意味不明なことを言ってはいたが、身を翻して来た道を戻り始めてはくれた。
ただ、じれったい。
早足で向かっており、間に合うのだろうか。
どう考えても駆けて行った方が──、何せ、火事だ。悠長にしている時間などない。
しかし、さっきの言葉も頭に引っかかっており、どちらを優先すべきか迷う。
優劣をつけられずにいると、今度は謎な質問を受けた。
「レトリ、とても大きな三角形の形をした建物は見えましたか?」
「あ、えーと。ううん、見てない、よ?」
理解するのに少し手間取ったが、森の隠れ小屋とかの話をしていたのだろうか。
それが燃えて、そんなのあったかと色々頭に浮くが、今はもっと大事なことがある。
そう思った瞬間には、優先順位がついた。
「シスター、それより火事だよ。こんなゆっくり歩いてたら間に合わないって。森が」
シスターは困り顔をする。
「急いでいるつもりではありましたが、あなたには遅く感じられましたか。何せ世界で一番と思うくらいの駆け足ですからね」
「お褒めにあずかり光栄かな、って今はそんな時じゃなくて! わたしが急いで行って知らせてきた方が──」
シスターが足を止める。
何だ、と思った直後にいきなり身を抱き寄せられて、レトリは目を大きく見開いて、白黒させた。
「…………」
さっぱりとわからない言動ではあるものの、言いたいこともそれでもう言えなくなる。
離れたあとに何か辛そうな笑みをしているのが見え、その後、町まで戻る。
自然と調和するように立つ一言で言い表すなら“牧歌的”な所であり、ゆえ人口もそれほど多くなく、住民も顔見知りばかり。
「あ、おじさん! もり、もがっ──」
当然、火事のことは伝えようとしたのだが、その口を塞がれてしまい、そのままはずれの所にある教会まで向かう。
隣に孤児院があるのだが、外で遊んでいた子達も見ているだけで、声すら掛けてはこなかった。
シスターから発せられるただならぬ気配でも感じ取ったか。
傍にいるレトリが一番それを感じ取っており、ここまでされるがままにもされていた。
中で白装束に着替えさせられ、裸足となって、用意されていた盆の上に乗ることになった。
下には水が張ってあり、身を清める為、足を浸すだけでなく頭からも多少被ることになる。
(うひぃ、つめったぁ──!)
もしこれがもう少し前の時期、暖かくなる前だったなら、それだけでガチガチに凍り付いていたことだろう。想像したくもないことだ。
何やら儀式が始まる。事前説明は一切なし。
田舎町ゆえ教区を管理する司教不在はもちろん、いなければならない司祭もいない。
少し前に神の御許へと旅立たれ、後任がまだ来ていない為だ。
代役を務めるシスターは、長年傍でその役目を見てきた年の功を見せ、滞りなく進行させていく。
聖書が読み上げられ、水の入れられた銀杯をレトリは手渡され、石をそこに落とし、祈りの言葉を口にするよう言われてその通りにし、戻す。
すると中の水が独りでに波紋を立て始め、マークのようなものを水面に浮かせた。
レトリは驚いて上げそうになった声を、寸でで呑む。
恐らくは神聖な儀式の最中、それだけはしてはいけないと思った。
シスターも大役果たしたといった顔で、顔に薄っすら浮いた汗を拭う。
「ほぅ──、無事に務まるか不安でしたが、なんとかなりましたか」
「お、終わった?」
「ええ。その石に宿るのは、ヴァンパイアだと神は仰せなようです」
「は?」
突拍子もないことを言われ、レトリは眉を寄せる。
聞き間違いかと思う。聞き返していた。
「ヴァンパイア?」
「いまは、わからないと思いますが」
「いやいや、ほんとに意味わかんないって。これに、ヴァンパイア……、だめだ、理解不能すぎる……」
「これから学んでいくことです。さあ、レトリ。今日からあなたには、あなたが嫌と思うことを嫌という程やってもらいます。やれると確かに聞いておりますので、逃げることは許しませんよ」
顔は笑っていたが、不穏なことを言われて悪寒も走る。
それが勉強であると聞かされた時は、この世の終わりのようにレトリには思えた。
(聞いてない。聞いてない。こんなことになるなんて、わたし聞いてない──!)
頭を動かすことより体を動かすことの方がずっと好き。
そんな生来の勉強嫌いにとっては、地獄のような日が続くことになる。
(もういやだ。もう耐えられない。むりだ……、むりむり)
今日もまた、机の前で避けられない戦いを強いられており、これまでどうにか外にもらさず押し留めていた心の声が、いよいよ溢れ出す。悲鳴となってだ。孤児院中にこだました。
「いぃいいいいやあああああ! もう、むりぃいいいいい!」
外にいた子まで一斉に駆けつけてきて、一時中断となるが、それだけだ。
「レトリ、続けますよ」
「お、鬼か……、シスターの鬼! 悪魔! モンスター!」
「何か、言いましたか?」
「い、いえ、なんでも……」
その日は静かな剣幕に圧倒されて、それ以上の反論は許されず。
しかし日付が変われば、別の手段で対抗しだす。
聞いているフリだけしたり、うたた寝までしてしまったり。
これ以上真面目にやっていたら、精神が崩壊しかねない。
結果、あまり勉強は身につかず。それでも覚えたことはある。
あの石のこと。そして、魂の解放者とは何なのか。
当然ほかの知識も少しは蓄えてはいたが、理解不能なことも多く、やっぱり現地に行かないことには理解が及ばない。
それが本音であったが、不安もある。
一人で行くことになる。
大人達は行くどころか、見ることすら敵わないと知った。
だからシスターは森で火事と思って言ったあの時、おかしなことを言った。
同じ子供なら可能だが、魂の解放者でもないのに行けば、どうなるか。
果敢に挑もうとした男の子がいて、その子はあの煙を吸い込んだだけで高熱にうなされ寝込むことになった。
度胸試しも困りもの、しかしまだ、そこまでの大事には至っていない。
ただいつあの森に漂う煙が、人の身に災い齎す瘴気という名だったそれが町にまで流れ込んでくるかわからない。広がっているとは聞いている。
早く行かないと。
わたしが止めないと、駄目なんだ。
そう思いはしても、中々行く決心というのは、固まらず。
そのことを考えるあまり眠れなくなり、レトリがベッドの上で窓の外を眺めていたある晩のこと。一人の子が来る。
「レトリぃ……」
お化けが喋るようなか細い声で、急に後ろから声を掛けられて、飛び上がりそうにもなったが、その子が震えていることに気が付くと、おいで、と呼んだ。
傍にくるなり腕にしがみつかれた。泣き出すようにその子は話し出す。
「ぼくこわいよ。あのけむりが、町までくるんじゃって」
「うん。わたしもそう思ってる」
「レトリなら、レトリは、あれをやっつけられるタマシイの、カイホウシャなんだよね?」
「うん、まあね。行かなきゃ行かなきゃとは、思ってるんだけどさ。足がちっとも言うこと聞いてくれなくて」
「えぇ、どんなふうに?」
「いくの嫌だって。怖がってるの。わたしはいけっていつも叱りつけてるんだけど」
冗談めかしていったおかげか、笑いがもれる。
「レトリでもコワイことってあるんだ」
「あー、言ったな!」
膨れて見せて、あるの、あるよと言って、指で額をつつく。
するとまた笑いがもれて、二人で笑い合う。
「やるか」
気付けばそう口にしており、その日やっと決心つくのも感じた。
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