【2】①
ー/ー「今日、新入生のガイダンスだよな? 終わるの何時か知ってる?」
「確か二時ですよ」
午後から部室に顔を出した郁海の問いに、一学年下の佐治 崇彦が答えた。
四月に入ってすぐのころ。
入学式も済んで、新一年生には毎日のように大学生活に慣れるための説明行事が組まれている。
在学生は履修登録を考える時期で、部やサークルの活動がなければ登校しない学生も多かった。
入部は随時受け付けてはいるが、各部にとっては実質この新入生勧誘期間で一年の、ひいては未来に向けた大勢が決まるといっても過言ではない
頭数さえ揃えればいい問題ではないものの、やはり新入部員が何人入るかはどの部においてもこの時期最大の関心事だ。
ただ郁海の属するこの演劇サークル『フレア』は、学内に複数ある中でも規模が大きく、知名度や実績の面でも頭抜けていた。
脚本・演出を担当するリュウの『名』も大きい。
高校時代から院生になった今も、学生演劇界では突出した力量でよく知られた存在だ。
そのため勧誘などしなくとも、やる気漲る経験者は向こうからやって来る。
それどころか、最初から「このサークルに入りたい」と受験してくる学生さえいる状態だった。実際に、入学式の前から複数がSNSアカウントを通じて入部希望を伝えて来ている。
入学式当日と翌日には、構内にテーブルと椅子を出しての勧誘活動の場が設けられていた。「どうしても『フレア』に」は言うまでもなく、演劇に興味のある新入生は大抵この機会に捉まるのだ。
しかし、演劇など無縁、あるいは部活やサークルそのものに特に関心のない学生は個別に声を掛けて回るのが手っ取り早い。
もちろん、強引に勧誘して連れて来ても入部まで結びつかないケースの方が多いのだが。
それでも、やはり裾野を広げるためにも価値観の同じ人間で固まらないよう、いろいろな学生に来て欲しいと考えているのだ。
舞台は、外から見る以上に人員を必要とする。演者と裏方を可能な限り兼ねるにしても、最低限の人数がいなければ回らない。
だからこそ、たとえ素人であれ新入部員が入らなければ死活問題なのだ。
「じゃあちょっと早めに出るか」
思ったより時間の余裕がなさそうで、郁海はいったん座ったパイプ椅子から腰を浮かせ掛ける。
「え~、郁海行っちゃうの? 雅が僕の好きなお菓子買ってきてくれたから、郁海にコーヒー入れてもらおうと思ったのに~!」
「……祠堂さん、あれはあなたのためじゃないですから。見学に来てくれる新入生をもてなすためですよ」
この場の雰囲気どころか、サークルにとっての新歓の意味さえ理解していないらしいリュウの台詞に、郁海は脱力しそうになった。
そこへ脇から、平和な解決案が差し出される。崇彦と同じ三年生の三河 友里奈だ。
「あ、いいですよ。副島さんは部室で待っててください。二日間、ほとんど勧誘の席に詰めてらしたでしょ? 今日はわたしたちが行きます」
「悪いけど、そうしてもらえると助かる。雅と郁海は『接待』の準備な」
気遣ってくれる彼女に、部長である舞台監督の敦紀も同調している。
部員は皆、リュウの扱いには慣れていた。怒らせると面倒だから機嫌を取る、という意味ではなく、彼はやはり尊敬され大切にされている。
そこに間違いなく呆れが含まれていても、才能が集う世界ではリュウは決して目を逸らせない存在感を放っていたからだ。
それ以前に彼は良くも悪くも自分本位で、この程度で気分を害することはないため忖度は不要なのだが。
「よろしくね。その分、履修相談は任せて!」
同期の雅の言葉に笑顔で頷く後輩たちに、郁海は視線だけで感謝の意を示した。
「祠堂さん、食べるんなら一個だけですからね。残りは『接待』用です!」
「……うん、わかった。ありがとう」
勧誘に向かう崇彦や友里奈たちを見送ったあと。
雅は苦言を呈しつつ買い出しの袋から菓子を出して、神妙な面持ちで右手を差し出すリュウに渡していた。
その様子を横目に、郁海はリュウにコーヒーを供するために黙って給湯コーナーへ向かう。部室の片隅の、湯沸かしポットや食器類、茶葉や部員持ち寄りの菓子が置かれている一角だ。
日常的な生活能力皆無のリュウは、誰かがしてくれることに文句をつけることはない。印象に反して礼を述べることもできるのだ。
しかし、郁海に世話を焼かれるのを最も喜んでいるのはその言動から明白だった。そもそもコーヒーメーカーで部室備え付けの豆を使用するのだから、腕など関係しようもなく誰でも同じなのに。
有り余る才能の分だけ始末に負えない子どものような先輩を、それでも郁海はどうしても嫌いにはなれない。
……己がどんなに焦がれても欲しても手の届かない『何か』を恣にする、備え持つ者特有の傲慢さを内包する彼を。
「ここが部室ね~。ほらどうぞ」
リュウが菓子とコーヒーをすっかり腹に収めててしまったあと。
ドアの外からざわめきが近づいてくる気配がしたかと思うと、崇彦のよく通る声がはっきりと聞こえた。
「来たか。雅はとりあえず氷出しておいてくれるか? 郁海、コーヒーは欲しい子いたら淹れるんでいいよな?」
「わかった」
「うん。ちょっと待たせるけど、その方が美味いしいいだろ」
敦紀が入部届らしい用紙を手にしながら出す指示に、二人はそれぞれ承諾を返し自分の分担を確認する。
「祠堂さん、余計な口挟まないでくださいよ! 向こうから来てくれるような子は納得済みだからいいですけど、せっかく佐治や三河が連れて来た子を逃がしたらタダじゃおきませんからね!? 黙ってて、……もういっそ偉そうに座ってるだけでいいですから」
アイスペールを手にした雅が、今更のようにリュウに釘を刺した。
冷蔵庫などある筈もなく、保冷にはいつから置かれているのか定かではないクーラーボックスを使用している。
ボックスの蓋を開けてコンビニエンスストアで買って来たロックアイスを確かめながらの雅の台詞に、先輩はこくりと頷いた。
「入学おめでとう! 演劇サークル『フレア』へようこそ~」
明るく迎える敦紀の後ろで笑みを浮かべながら、郁海はドアから室内に足を踏み入れた面々にさっと目を走らせる。
今回連れて来られた新入生は、男女二人ずつの四人だった。
部室中央のテーブルを囲む椅子を勧め、飲み物の希望を尋ねる。
ホットコーヒーを所望する者はいなかったため、それぞれの好みの冷たいドリンクを湛えた樹脂のカップを渡した。
二杯目以降はテーブル上のペットボトルとアイスペールの氷で自由に作って飲むように、と告げる。見ず知らずの上級生にいちいち頼めというよりはいいかとの判断だ。
女子のうち一人は、演じた経験はないが観劇が趣味だそうだ。男子一人は高校時代ダンスを嗜んでいたとか。
あとの二人はまったくの未経験らしかった。
特に、部室のドアを潜った時から居心地が悪そうで逃げ帰りたい素振りを隠そうともしなかった男子学生。
まるきり高校生そのままの黒いストレートの髪、身なりに頓着しない郁海と同様の、ごく普通のカジュアルな服装。
所謂「大学デビュー」もする気がないのか、周囲を見てからおいおい考えるのか。
「え、と。原田 祥真、です」
どうにか名乗った彼は、歓談の場で雅と同じ学部だとわかった。
そのため履修相談だけは受けに来るかもしれないが、郁海は彼らとは別学部になる。郁海の勘からして、彼とはもう二度と相まみえることはなさそうだというのが正直なところだった。
しかし、カップのドリンクを口に運びながらぽつぽつと途切れがちに話す彼の視線を痛いほどに感じる。
郁海は、意識するか否かに関わらず己の容貌が人目を引くものらしいのも知っていた。
だからこういうことにはもうすっかり慣れている。別に嬉しくもなんともないが、いちいち腹立たしく思うこともない。
意外なのは、この新入生がとてもそういうタイプには見えないことだけだった。
「確か二時ですよ」
午後から部室に顔を出した郁海の問いに、一学年下の佐治 崇彦が答えた。
四月に入ってすぐのころ。
入学式も済んで、新一年生には毎日のように大学生活に慣れるための説明行事が組まれている。
在学生は履修登録を考える時期で、部やサークルの活動がなければ登校しない学生も多かった。
入部は随時受け付けてはいるが、各部にとっては実質この新入生勧誘期間で一年の、ひいては未来に向けた大勢が決まるといっても過言ではない
頭数さえ揃えればいい問題ではないものの、やはり新入部員が何人入るかはどの部においてもこの時期最大の関心事だ。
ただ郁海の属するこの演劇サークル『フレア』は、学内に複数ある中でも規模が大きく、知名度や実績の面でも頭抜けていた。
脚本・演出を担当するリュウの『名』も大きい。
高校時代から院生になった今も、学生演劇界では突出した力量でよく知られた存在だ。
そのため勧誘などしなくとも、やる気漲る経験者は向こうからやって来る。
それどころか、最初から「このサークルに入りたい」と受験してくる学生さえいる状態だった。実際に、入学式の前から複数がSNSアカウントを通じて入部希望を伝えて来ている。
入学式当日と翌日には、構内にテーブルと椅子を出しての勧誘活動の場が設けられていた。「どうしても『フレア』に」は言うまでもなく、演劇に興味のある新入生は大抵この機会に捉まるのだ。
しかし、演劇など無縁、あるいは部活やサークルそのものに特に関心のない学生は個別に声を掛けて回るのが手っ取り早い。
もちろん、強引に勧誘して連れて来ても入部まで結びつかないケースの方が多いのだが。
それでも、やはり裾野を広げるためにも価値観の同じ人間で固まらないよう、いろいろな学生に来て欲しいと考えているのだ。
舞台は、外から見る以上に人員を必要とする。演者と裏方を可能な限り兼ねるにしても、最低限の人数がいなければ回らない。
だからこそ、たとえ素人であれ新入部員が入らなければ死活問題なのだ。
「じゃあちょっと早めに出るか」
思ったより時間の余裕がなさそうで、郁海はいったん座ったパイプ椅子から腰を浮かせ掛ける。
「え~、郁海行っちゃうの? 雅が僕の好きなお菓子買ってきてくれたから、郁海にコーヒー入れてもらおうと思ったのに~!」
「……祠堂さん、あれはあなたのためじゃないですから。見学に来てくれる新入生をもてなすためですよ」
この場の雰囲気どころか、サークルにとっての新歓の意味さえ理解していないらしいリュウの台詞に、郁海は脱力しそうになった。
そこへ脇から、平和な解決案が差し出される。崇彦と同じ三年生の三河 友里奈だ。
「あ、いいですよ。副島さんは部室で待っててください。二日間、ほとんど勧誘の席に詰めてらしたでしょ? 今日はわたしたちが行きます」
「悪いけど、そうしてもらえると助かる。雅と郁海は『接待』の準備な」
気遣ってくれる彼女に、部長である舞台監督の敦紀も同調している。
部員は皆、リュウの扱いには慣れていた。怒らせると面倒だから機嫌を取る、という意味ではなく、彼はやはり尊敬され大切にされている。
そこに間違いなく呆れが含まれていても、才能が集う世界ではリュウは決して目を逸らせない存在感を放っていたからだ。
それ以前に彼は良くも悪くも自分本位で、この程度で気分を害することはないため忖度は不要なのだが。
「よろしくね。その分、履修相談は任せて!」
同期の雅の言葉に笑顔で頷く後輩たちに、郁海は視線だけで感謝の意を示した。
「祠堂さん、食べるんなら一個だけですからね。残りは『接待』用です!」
「……うん、わかった。ありがとう」
勧誘に向かう崇彦や友里奈たちを見送ったあと。
雅は苦言を呈しつつ買い出しの袋から菓子を出して、神妙な面持ちで右手を差し出すリュウに渡していた。
その様子を横目に、郁海はリュウにコーヒーを供するために黙って給湯コーナーへ向かう。部室の片隅の、湯沸かしポットや食器類、茶葉や部員持ち寄りの菓子が置かれている一角だ。
日常的な生活能力皆無のリュウは、誰かがしてくれることに文句をつけることはない。印象に反して礼を述べることもできるのだ。
しかし、郁海に世話を焼かれるのを最も喜んでいるのはその言動から明白だった。そもそもコーヒーメーカーで部室備え付けの豆を使用するのだから、腕など関係しようもなく誰でも同じなのに。
有り余る才能の分だけ始末に負えない子どものような先輩を、それでも郁海はどうしても嫌いにはなれない。
……己がどんなに焦がれても欲しても手の届かない『何か』を恣にする、備え持つ者特有の傲慢さを内包する彼を。
「ここが部室ね~。ほらどうぞ」
リュウが菓子とコーヒーをすっかり腹に収めててしまったあと。
ドアの外からざわめきが近づいてくる気配がしたかと思うと、崇彦のよく通る声がはっきりと聞こえた。
「来たか。雅はとりあえず氷出しておいてくれるか? 郁海、コーヒーは欲しい子いたら淹れるんでいいよな?」
「わかった」
「うん。ちょっと待たせるけど、その方が美味いしいいだろ」
敦紀が入部届らしい用紙を手にしながら出す指示に、二人はそれぞれ承諾を返し自分の分担を確認する。
「祠堂さん、余計な口挟まないでくださいよ! 向こうから来てくれるような子は納得済みだからいいですけど、せっかく佐治や三河が連れて来た子を逃がしたらタダじゃおきませんからね!? 黙ってて、……もういっそ偉そうに座ってるだけでいいですから」
アイスペールを手にした雅が、今更のようにリュウに釘を刺した。
冷蔵庫などある筈もなく、保冷にはいつから置かれているのか定かではないクーラーボックスを使用している。
ボックスの蓋を開けてコンビニエンスストアで買って来たロックアイスを確かめながらの雅の台詞に、先輩はこくりと頷いた。
「入学おめでとう! 演劇サークル『フレア』へようこそ~」
明るく迎える敦紀の後ろで笑みを浮かべながら、郁海はドアから室内に足を踏み入れた面々にさっと目を走らせる。
今回連れて来られた新入生は、男女二人ずつの四人だった。
部室中央のテーブルを囲む椅子を勧め、飲み物の希望を尋ねる。
ホットコーヒーを所望する者はいなかったため、それぞれの好みの冷たいドリンクを湛えた樹脂のカップを渡した。
二杯目以降はテーブル上のペットボトルとアイスペールの氷で自由に作って飲むように、と告げる。見ず知らずの上級生にいちいち頼めというよりはいいかとの判断だ。
女子のうち一人は、演じた経験はないが観劇が趣味だそうだ。男子一人は高校時代ダンスを嗜んでいたとか。
あとの二人はまったくの未経験らしかった。
特に、部室のドアを潜った時から居心地が悪そうで逃げ帰りたい素振りを隠そうともしなかった男子学生。
まるきり高校生そのままの黒いストレートの髪、身なりに頓着しない郁海と同様の、ごく普通のカジュアルな服装。
所謂「大学デビュー」もする気がないのか、周囲を見てからおいおい考えるのか。
「え、と。原田 祥真、です」
どうにか名乗った彼は、歓談の場で雅と同じ学部だとわかった。
そのため履修相談だけは受けに来るかもしれないが、郁海は彼らとは別学部になる。郁海の勘からして、彼とはもう二度と相まみえることはなさそうだというのが正直なところだった。
しかし、カップのドリンクを口に運びながらぽつぽつと途切れがちに話す彼の視線を痛いほどに感じる。
郁海は、意識するか否かに関わらず己の容貌が人目を引くものらしいのも知っていた。
だからこういうことにはもうすっかり慣れている。別に嬉しくもなんともないが、いちいち腹立たしく思うこともない。
意外なのは、この新入生がとてもそういうタイプには見えないことだけだった。
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