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口裂け 1

ー/ー



 二〇二八年 三月

 彼女の目の前には最強にして最悪の幽霊が立っていた。

 その圧倒的な邪悪なオーラに彼女は身じろいだ。千六百年越しにこの世に現れた霊帝と自分が戦う光景など、この期に及んでも現実とは思えなかった。

 それでも、戦わなければならなかった。

 彼女が負ければ──この町は滅びる。そして日本、ひいては世界の存続を揺るがす事態に発展する。

 だから彼女は、この幽霊を殺さなければならなかった。




 そのおよそ一年前⋯⋯二〇二七年 四月

 日本国 巡木(めぐりぎ)県 幽魔町(ゆうまちょう)
 北関東の太平洋沿いに位置するこの小さな町に、何度目かの春が来た。

 幽魔小学校の校庭沿いの道路には何本もの桜が並んでおり、毎年春になると、巨大なピンクのトンネルを作り出す。

 墓山亘(はかやまわたる)は、毎年の新学期初日にこの桜トンネルをくぐり抜ける度に、まるで産道を通っているかのような感覚だと思うのだった。

 濃い桜の色合いと、鳥肌が立つ寒気を帯びた春の空気と、新学期に対する浮ついた感情が、人をもう一度この世に産み落とすのかもしれない。

 (わたる)にとって、この小学校で過ごす春は六度目だった。黒いランドセルを静かに揺らしながら歩き、玄関に入っていく。ボロボロの下駄箱に、慣れた手つきでスニーカーを仕舞い、内履きに履き替える。

 それから六年一組の教室に入り、席に着く。新学期一日目にも関わらず、亘は一言も発さない。同級生たちも、亘に話しかけない。

 新学期はじめの小学生にしては、あまりにも静かすぎていた。

 いじめられているのではない。亘からは誰にも声をかけず、周囲からは亘に声をかけない。ただそれだけのことだった。

 亘は決して口下手ではなかったし、人付き合いが悪いわけでもなかった。むしろ、話す必要がある時は、小学生にしては出来過ぎなくらいに要領よく会話を進めるし、声量も滑舌も一般的なレベルだった。そのことはクラスの全員が承知している。

 だけれども、以前までの亘──小学一年生から三年生の終わりまでの『沈黙の三年間』──のイメージは、そう簡単に覆るものではなかった。当時の亘といえば、異常なほど無口で、たまに口を開いたと思えば、また何日間も黙る。そんな人間だった。

 『沈黙の三年間』はいかにして終わりを迎えたか? 四年生の始まりから、見違えるほど口数が増えたのはなぜか? 詳しいことは誰も知らなかった。

 朝の会が始まり、先生が新学期の挨拶を始めた直後に、亘の性格を変えた張本人が教室の戸を開けた。

 「すんません! 遅刻しました!」

 その女子児童は、額に汗を浮かべながら教室に駆け込み、ランドセルをロッカーに投げ入れ、亘の隣の席に勢いよく着席した。長い黒髪がふわりと揺れ、少しの沈黙があってから、彼女は「セーフ⋯⋯」と呟いた。

 セーフじゃないよ、と先生が突っ込み、教室中に笑いが広がった。学期はじめの浮ついた雰囲気が、一つのリズムを取り戻した瞬間だった。それまで沈黙を貫いていた亘の顔にも、ほんのりとした笑みが浮かび上がっていた。

 彼女の名は幽ヶ崎(ゆうがさき)霊禍(れいか)。小学六年生にして、現役ゴーストハンター。

 そのことは、このクラスの中では、二人だけの秘密


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 二〇二八年 三月
 彼女の目の前には最強にして最悪の幽霊が立っていた。
 その圧倒的な邪悪なオーラに彼女は身じろいだ。千六百年越しにこの世に現れた霊帝と自分が戦う光景など、この期に及んでも現実とは思えなかった。
 それでも、戦わなければならなかった。
 彼女が負ければ──この町は滅びる。そして日本、ひいては世界の存続を揺るがす事態に発展する。
 だから彼女は、この幽霊を殺さなければならなかった。
 そのおよそ一年前⋯⋯二〇二七年 四月
 日本国 巡木《めぐりぎ》県 幽魔町《ゆうまちょう》。
 北関東の太平洋沿いに位置するこの小さな町に、何度目かの春が来た。
 幽魔小学校の校庭沿いの道路には何本もの桜が並んでおり、毎年春になると、巨大なピンクのトンネルを作り出す。
 墓山亘《はかやまわたる》は、毎年の新学期初日にこの桜トンネルをくぐり抜ける度に、まるで産道を通っているかのような感覚だと思うのだった。
 濃い桜の色合いと、鳥肌が立つ寒気を帯びた春の空気と、新学期に対する浮ついた感情が、人をもう一度この世に産み落とすのかもしれない。
 亘《わたる》にとって、この小学校で過ごす春は六度目だった。黒いランドセルを静かに揺らしながら歩き、玄関に入っていく。ボロボロの下駄箱に、慣れた手つきでスニーカーを仕舞い、内履きに履き替える。
 それから六年一組の教室に入り、席に着く。新学期一日目にも関わらず、亘は一言も発さない。同級生たちも、亘に話しかけない。
 新学期はじめの小学生にしては、あまりにも静かすぎていた。
 いじめられているのではない。亘からは誰にも声をかけず、周囲からは亘に声をかけない。ただそれだけのことだった。
 亘は決して口下手ではなかったし、人付き合いが悪いわけでもなかった。むしろ、話す必要がある時は、小学生にしては出来過ぎなくらいに要領よく会話を進めるし、声量も滑舌も一般的なレベルだった。そのことはクラスの全員が承知している。
 だけれども、以前までの亘──小学一年生から三年生の終わりまでの『沈黙の三年間』──のイメージは、そう簡単に覆るものではなかった。当時の亘といえば、異常なほど無口で、たまに口を開いたと思えば、また何日間も黙る。そんな人間だった。
 『沈黙の三年間』はいかにして終わりを迎えたか? 四年生の始まりから、見違えるほど口数が増えたのはなぜか? 詳しいことは誰も知らなかった。
 朝の会が始まり、先生が新学期の挨拶を始めた直後に、亘の性格を変えた張本人が教室の戸を開けた。
 「すんません! 遅刻しました!」
 その女子児童は、額に汗を浮かべながら教室に駆け込み、ランドセルをロッカーに投げ入れ、亘の隣の席に勢いよく着席した。長い黒髪がふわりと揺れ、少しの沈黙があってから、彼女は「セーフ⋯⋯」と呟いた。
 セーフじゃないよ、と先生が突っ込み、教室中に笑いが広がった。学期はじめの浮ついた雰囲気が、一つのリズムを取り戻した瞬間だった。それまで沈黙を貫いていた亘の顔にも、ほんのりとした笑みが浮かび上がっていた。
 彼女の名は|幽ヶ崎《ゆうがさき》霊禍《れいか》。小学六年生にして、現役ゴーストハンター。
 そのことは、このクラスの中では、二人だけの秘密