プロローグ:完璧
ー/ー「完璧だね」ってみんなは言う。
でも、それが嘘だってことは、私が一番よく知っている。
この世に完璧なんて存在しない。どれだけ完璧に見える人にだって、必ず欠点はあるものだ。
大金持ちが精神的に満たされているとは限らないし、人気絶頂の芸能人がその名声を心から楽しんでいるとも限らない。
正直に言って、いつからこんな風に感じ始めたのかは分からない。
たぶん、初めて誰かに「わあ、すごいね!」と言われた時。
あるいは、向けられる称賛のすべてが、本当の私に向けられたものではないと気づいた時。
彼らが見ているのは「私」じゃない。彼らが見ているのは、私が作り上げた「完璧」という名の虚像だ。
私の顔。私の成績。トラックを走る私の足取り。そして、みんなが「可愛い」と褒めてくれる私の笑顔。
人気者になるのが幸せだって、誰が決めたの?
最初から、私はただ両親の高い期待に応えていただけ。でもいつの間にか、私はこの世界のありとあらゆる人の期待に応えるようになっていた。
そして、その重圧以上に、私を脅かす存在がある。
――「男の人」だ。
男の人は、怖い。私に執着する彼らが、ただただ恐ろしい。
好きでもないのに付き合えと迫られ、それなのに私は笑顔で対応しなきゃいけない。
……本当に、不公平だと思わない?
今まで、誰とも付き合ったことはない。でも、少なくとも数え切れないほどの告白を断ってきた。ざっと計算しても、高校に入ってからだけで十人近い。
彼らの前に立つと、私は無力になる。それでも、笑顔で断らなければならない。
このプレッシャーが、私にとって一番の疲弊だった。
結局、一部の人は私を嫌い始めた。根も葉もない、純粋な悪意に満ちた噂を流す人さえ現れた。
幸い、味方をしてくれる人の方が多かったけれど。……それでも、本当の私を見てくれる人は一人もいなかった。
時々、アンチソーシャルな人が羨ましくなる。
一人でいれば、誰にも邪魔されず、もっと穏やかに生きられる気がするから。
何より辛いのは、私自身が「完璧な美少女」という役割を演じ続けてしまっていることだ。
毎日、目を覚まして鏡を見る。
映っている影が、みんなに称賛される「バージョン」であることを確認する。
口角の角度は適切か。足取りは優雅か。目元に、疲れの証である隈(くま)はないか。
……もう、限界だった。
「死にたい」
ゆっくりと、静かに飲み込んだその三文字。
毎日、毒のように少しずつ滴り落ちて。それは私を消し去るのに、十分な量になっていた。
私が何を好きなのか、誰も聞いてはくれない。
夜の静寂が怖いことも、誰も知らない。そこには、逃げ場のない自分自身しかいないから。
彼らは私の成績を見て「頭がいい」と言う。私の顔を見て「綺麗だ」と言う。私の笑顔を見て「幸せそうだ」と言う。
けれど、私の涙に気づく人は誰もいなかった。
何度も、別の自分を見せようとした。でも、私が笑顔を止めると、みんな不安そうにこう聞くんだ。
「詩織(しおり)、どうしたの? 具合悪いの? 大会前でストレス溜まってるのかな?」
違う。そうじゃない。みんな、勘違いしている。
私はただ、君たちの理想でいることに疲れただけ。
でも、「完璧」という象徴になってしまった人間に、寄りかかる場所なんてどこにもない。
だから、私は隠すことを覚えた。傷も、迷いも、すべて握りつぶして小さな塊にして。
そんな中で、ふと思った。
……もし、私が消えてしまったら。
ほんの一瞬でも、消え去る直前だけでも、自分自身になれる時間が持てるだろうか。
本当のことを言えば、死にたいわけじゃない。
「自由」というものが何なのかを知るまでは。
みんなが知っている「レナ・シオリ」は、私じゃない。それはただの名前。両親、先生、友達、そしてSNSが作り上げた笑顔の仮面。
悲しいことに、私自身もそれが自分なのだと信じ始めていた……中身が空っぽの、抜け殻のようになるまで。
お母さんに話そうとしたこともある。でも、彼女はこう言った。
「でも、詩織はすごいじゃない。お母さんの自慢の娘よ」
お父さんは私の頭を叩いて、こう言った。
「疲れたなら少し休みなさい。でも、止まっちゃダメだぞ?」
止まる? 私はずっと前から止まりたかった。
でも、やり方が分からない。完璧な「レナ・シオリ」じゃない自分が誰なのか、私自身にも分からなかったから。
鏡の前に立って、問いかける。
「……あんた、誰?」
返事はない。そこにあるのは、私が心底嫌っている自分自身の投影だけだ。
遺書を書こうと思ったこともある。全部ぶちまけてやろうと。
でも、分かっている。彼らは一瞬だけ驚いて、こう言うんだ。
「あんなに幸せそうだったのにね」
あんなに?
また、知ったような口を利く。
私はずっと前から悲鳴を上げていた。ずっと前から、耐えられなかった。
もう、終わりにしたい。
演じるのも、期待に応えるのも。
私は自分の自由を決めた。
あと一歩。あと一歩で、すべてが終わる。
明日の学校のニュースが目に浮かぶ。
『レナ・シオリ……優等生で才能あるアスリートが、今朝、亡くなっているのが発見されました』
みんな泣いて、お悔やみを言って、学業のプレッシャーのせいにするかもしれない。
最後まで、私の正体を知ることはないだろう。
……それでいい。彼らが作ったバージョンのまま生き続けるくらいなら、後悔を抱えたまま死んだほうがマシだ。
さて、目的の場所に戻ろう。
今、私は学校の屋上にいる。フェンスのそばに立ち、虚ろな目で霞んだ空を見上げていた。
自由。自由って、何?
鳥みたいに、自由に飛べたらいいのに。
思考が、ふと切り替わる。
私、自由になれる?
思わず、口角が上がった。
一瞬だけなら、鳥になれるかもしれない。
翼のない鳥として、自由落下するんだ。
今日の夕焼けは、灰色だ。
準備はできている。……少なくとも、そのつもりだ。
私は目を閉じ、ついに訪れる静寂を味わおうとした。
これが、最後。
完璧なレナ・シオリは、もういない。
さようなら、みんな。出会えてよかったよ、一応は。
あとは目を開けて、フェンスを越えて、跳ぶだけ。
――はずだった。
片足をフェンスにかけた、その時。
頬に、何かが触れた。
冷たい。風じゃない。涙でもない。
私は目を開けた。
そして、彼を見た。
ボサボサの髪に、着崩した制服。
手には、一缶のリンゴジュース。
……誰、この人?
なぜ、よりによってこの瞬間に。
私がまさに、命を絶とうとしているこの瞬間に、彼は現れたのか。
これは、ただの偶然なのだろうか。
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