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第9話 洞窟演習

ー/ー



 ◆ 朝/Eクラス教室 ― レナ視点


 朝の教室で、レナは手元の紙を見つめていた。

「……今回の実技指導は、洞窟……?」

 紙にはびっしりと小さな文字が書かれている。
 装備の注意、移動手段、そして演習内容。

 ほどなくして、教師の一人が教壇に立ち、説明を始めた。

「えー、本件は魔術学院による年度行事の一つです。CクラスからEクラスまでの合同で行う、実地演習の一環ですね」

 教師は投影魔術を使い、空中に洞窟の地図を映し出す。

「場所は学院管理下の“初心者用洞窟”。結界が張られて探索制限あり、指定地点での折り返し。魔物のランクも限定されています。低級魔獣ばかりで、Eクラスでも対応可能。過去に事故は一件もありません。安心してください」

 教室の前列で、Cクラスの生徒たちがどこか余裕の笑みを浮かべる。一方、Eクラスの生徒たちはどこか不安げな表情を浮かべ、ざわ…と小さなざわめきが走った。

 教師はそれを意に介さず、続ける。

「生徒の安全確保のため、外部ギルドから“護衛”が1グループに1人ずつ同行します。基本的に4人1組で行動し、護衛者は戦闘には原則補助のみ。ただし、生命の危機があれば即介入します」

 周囲から小さな歓声が上がる。屋外実習、それも護衛付きの安全なものと聞いて、皆ほっとしているようだった。

 レナも小さく息を吐き、胸元で手を握った。

(大丈夫、大丈夫。これくらいなら、私でもできるよね……)


 ***


 ◆ 学院外縁・森道へ向かう前 ― レオン視点


 一方その頃、レオン・ヴァレントは同じ洞窟演習の書類を手にしていた。レナの動きだけは常に把握していた。

(初心者用洞窟、C〜Eクラス合同。護衛付きか)

 静かに書類を閉じる。

 最深部までは行かない予定だというが、彼にとって「予定」など何の保証にもならない。

(……念のため)

 その日のうちに、彼は洞窟へ向かった。
 薄闇と湿った空気。水滴の音が時折響くだけの静けさ。
 剣の柄に手を添え、足音を殺して進む。

(敵の数、魔力反応……この辺りまでは問題ない)

 数体の魔物を目にしたが、斬るまでもない雑魚ばかり。
 生徒たちが通る予定ルートの安全は確認できた。

 だが奥の道の先、ほんの僅かに、違う匂いがした。

(……学院の結界で初心者洞窟として作ってるんだったな。
 奥までは不要。待機はこの辺りだな)

 岩場の陰に腰を下ろし、周囲に意識を巡らせながら瞼を閉じる。夜の洞窟は、昼間の湿気よりも冷たい。岩肌を流れる水の音が、静寂を細く切り裂いている。

 持ち込んだのは最低限の荷。
 予備の水袋、保存食、油紙に包まれた魔石灯、それだけだ。

 焚き火はしない。
 光も匂いも、余計な気配を呼び寄せるだけだ。
 だが、この場所に限っては、その必要すらなかった。

 低級魔物たちは、彼の存在を察すると、まるで見えない壁に阻まれたように近づこうとしない。

 岩壁に背を預け、剣を膝に立てたまま目を閉じる。

 野宿は慣れている。兄と共に、道なき道を越え、屋根もなく眠った夜は数え切れない。裏仕事も、潜伏も、逃走も経験してきた。

 生き延びるための手段は、もう骨の髄まで染みついている。

 耳を澄ませば、洞窟の奥で風が揺れる音がする。

 レオンはそのまま目を閉じ、浅い眠りに身を沈めた。
 明日のために、最も安全な場所で。


 ***


 ◆ 午前/学院前広場〜馬車内 ― レナ視点


 馬車の中は、班ごとのざわめきで満ちていた。

 向かい合わせの長い座席に、2班分──C〜Eクラスの生徒8人が詰め込まれ、その端に護衛が一人ずつ座っている。
 後部の荷台には、食料と予備装備の木箱がきっちり積まれていた。

 窓の外にはまだ学院の外壁が見えている。

「レナ、レナってば」

 窓の外から呼びかけられ、顔を向ける。
 エリックだった。
 通りの石畳の上で、片手をひらひらと振っている。

「え?洞窟に来るんじゃなかったの?」

「んー、俺は留守番。つまらないし。初心者用だと俺の出番ないからねぇ。見送りだけー」

「……やっぱり、元Sクラスは格が違うんだね」

「おいおい、そんな言い方ないでしょ~。俺はただの落ちこぼれだよ?」

 エリックは軽く肩をすくめて笑う。

 御者の掛け声と共に馬車が揺れ、動き出す。
 エリックは笑みを残したまま、後ずさって人混みに紛れていった。

 後方から、ひょこっと顔を出したのはサラだった。

「私、レナの後の班だよー。一緒になれなくて残念だったよね」

「うん、一緒の班がよかったな」

「まっ、簡単らしいし!ねっ、帰ったら打ち上げしようよ」

 サラの声が弾み、馬車の中の明るい空気に溶けていく。
 護衛の一人がちらりと視線を流したが、特に口は出さなかった。


 ***


 ◆ 午前後半/洞窟入り口前広場


 車輪が石畳を離れ、森道に入る。
 揺れが少し強くなり、窓の外の景色が緑に染まっていく。

 暫くして木々の間から岩肌が見え始める。
 そこに、学院の管理下にある“初心者用洞窟”の入り口があった。

「到着だ、降りろー」

 御者の声が響き、馬車の扉が開く。
 冷たい朝の空気が流れ込み、生徒たちが一斉に立ち上がった。

 入り口前の広場には、すでに担当教師とギルドの冒険者たちが待機している。荷台からは木箱が降ろされ、魔力灯の準備や点呼が行われていた。

「Cクラス〜Eクラスの諸君、こちらに整列!」

 教師の号令に合わせて、生徒たちが各班ごとに並び替えられる。四人一組、前に護衛が一人。

 整列の列は緊張と期待の混じったざわめきに包まれていた。レナの班にはCクラスの少年少女2人とDクラスの少年がいた。

「ここからは、班ごとに順番に入ってもらう。洞窟内は入り組んでいる。狭い場所もあるため、指示通りに間隔を空けて進入すること」

 教師の声は、いつもの講義の時よりも厳しく聞こえた。

 レナたちの班は先に入っていく班の背中を見送りながら、冷たい岩肌に囲まれた洞窟口をじっと見つめる。やがて、レナたちの班が呼ばれる。

 レナの班に護衛としてつけられたのは中年の男性冒険者だった。

「じゃ、行こう。緊張しなくても大丈夫だ。奥には行かないから」


 ◆ 洞窟入口直後〜第一層通路 ― レナ班視点


 薄暗い洞窟内に一歩踏み出すと、足元に湿った空気がまとわりつく。

 最初に現れたのは、淡い青緑色をしたスライムだった。小さな水たまりのようにぷるぷる震えている。

「来たな。落ち着いて、連携だ」

 護衛が静かに声をかける。班の一人が氷の矢を放ち、スライムが身をすぼめる。別の生徒が槍で突き、レナが補助魔法を重ねる。氷片が砕ける音と共に、スライムはしゅう、と泡を立てて溶けていった。

「やっぱりCクラス2人いると楽勝だな」

 Dクラスの少年が肩の力を抜いたように笑う。

「他の班だとCクラス1人のところもあるんでしょ?」

 Cクラスの少女が問いかける。

「そうそう。Eクラス2人ってところもあるらしい。俺ら、先の班に追いつきそうだよな」

 Cクラスの少年が軽く肩をすくめ、レナの方へ振り返る。

「レナちゃんだっけ?俺らと一緒でよかったなー」

「う、うん。……足引っ張らないように、頑張るよ」

 レナはそう言って、小さく笑みを返す。

 次に現れたのは、灰色の巨大ラットだった。人の腕ほどの大きさで、赤い目をぎらりと光らせている。

 班員の一人が投げた白魔石が足元で炸裂する。爆風に怯んだラットの動きを、護衛が木の棒のような長杖で牽制し、最後にレナが放った小さな雷光が命中して、鼠は痙攣しながら倒れた。

「よし、いい連携だ。こんな調子でいこう」

 冒険者が小さく頷く。生徒たちはわずかな達成感を覚えたようで、張り詰めた空気が緩んでいた。

(……順調だ。学院で習ったもので対処できてる。)

 そう思いながらも、レナはふと立ち止まった。

(でも、何組か入ってるのに……まだ誰も戻ってきてないみたい)

 洞窟内で先発のパーティーが戻ってくるのをまだ見ていなかった。

「おかしいな? こんなに魔物が少なかったっけか?」

 護衛の男性冒険者が呟いたのを、レナは聞き逃さなかった。

(……魔物が、逃げてる?)

 それは、何らかの異常が起きた時に起こる生態系の“逃散”に近い現象だった。


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 ◆ 朝/Eクラス教室 ― レナ視点
 朝の教室で、レナは手元の紙を見つめていた。
「……今回の実技指導は、洞窟……?」
 紙にはびっしりと小さな文字が書かれている。
 装備の注意、移動手段、そして演習内容。
 ほどなくして、教師の一人が教壇に立ち、説明を始めた。
「えー、本件は魔術学院による年度行事の一つです。CクラスからEクラスまでの合同で行う、実地演習の一環ですね」
 教師は投影魔術を使い、空中に洞窟の地図を映し出す。
「場所は学院管理下の“初心者用洞窟”。結界が張られて探索制限あり、指定地点での折り返し。魔物のランクも限定されています。低級魔獣ばかりで、Eクラスでも対応可能。過去に事故は一件もありません。安心してください」
 教室の前列で、Cクラスの生徒たちがどこか余裕の笑みを浮かべる。一方、Eクラスの生徒たちはどこか不安げな表情を浮かべ、ざわ…と小さなざわめきが走った。
 教師はそれを意に介さず、続ける。
「生徒の安全確保のため、外部ギルドから“護衛”が1グループに1人ずつ同行します。基本的に4人1組で行動し、護衛者は戦闘には原則補助のみ。ただし、生命の危機があれば即介入します」
 周囲から小さな歓声が上がる。屋外実習、それも護衛付きの安全なものと聞いて、皆ほっとしているようだった。
 レナも小さく息を吐き、胸元で手を握った。
(大丈夫、大丈夫。これくらいなら、私でもできるよね……)
 ***
 ◆ 学院外縁・森道へ向かう前 ― レオン視点
 一方その頃、レオン・ヴァレントは同じ洞窟演習の書類を手にしていた。レナの動きだけは常に把握していた。
(初心者用洞窟、C〜Eクラス合同。護衛付きか)
 静かに書類を閉じる。
 最深部までは行かない予定だというが、彼にとって「予定」など何の保証にもならない。
(……念のため)
 その日のうちに、彼は洞窟へ向かった。
 薄闇と湿った空気。水滴の音が時折響くだけの静けさ。
 剣の柄に手を添え、足音を殺して進む。
(敵の数、魔力反応……この辺りまでは問題ない)
 数体の魔物を目にしたが、斬るまでもない雑魚ばかり。
 生徒たちが通る予定ルートの安全は確認できた。
 だが奥の道の先、ほんの僅かに、違う匂いがした。
(……学院の結界で初心者洞窟として作ってるんだったな。
 奥までは不要。待機はこの辺りだな)
 岩場の陰に腰を下ろし、周囲に意識を巡らせながら瞼を閉じる。夜の洞窟は、昼間の湿気よりも冷たい。岩肌を流れる水の音が、静寂を細く切り裂いている。
 持ち込んだのは最低限の荷。
 予備の水袋、保存食、油紙に包まれた魔石灯、それだけだ。
 焚き火はしない。
 光も匂いも、余計な気配を呼び寄せるだけだ。
 だが、この場所に限っては、その必要すらなかった。
 低級魔物たちは、彼の存在を察すると、まるで見えない壁に阻まれたように近づこうとしない。
 岩壁に背を預け、剣を膝に立てたまま目を閉じる。
 野宿は慣れている。兄と共に、道なき道を越え、屋根もなく眠った夜は数え切れない。裏仕事も、潜伏も、逃走も経験してきた。
 生き延びるための手段は、もう骨の髄まで染みついている。
 耳を澄ませば、洞窟の奥で風が揺れる音がする。
 レオンはそのまま目を閉じ、浅い眠りに身を沈めた。
 明日のために、最も安全な場所で。
 ***
 ◆ 午前/学院前広場〜馬車内 ― レナ視点
 馬車の中は、班ごとのざわめきで満ちていた。
 向かい合わせの長い座席に、2班分──C〜Eクラスの生徒8人が詰め込まれ、その端に護衛が一人ずつ座っている。
 後部の荷台には、食料と予備装備の木箱がきっちり積まれていた。
 窓の外にはまだ学院の外壁が見えている。
「レナ、レナってば」
 窓の外から呼びかけられ、顔を向ける。
 エリックだった。
 通りの石畳の上で、片手をひらひらと振っている。
「え?洞窟に来るんじゃなかったの?」
「んー、俺は留守番。つまらないし。初心者用だと俺の出番ないからねぇ。見送りだけー」
「……やっぱり、元Sクラスは格が違うんだね」
「おいおい、そんな言い方ないでしょ~。俺はただの落ちこぼれだよ?」
 エリックは軽く肩をすくめて笑う。
 御者の掛け声と共に馬車が揺れ、動き出す。
 エリックは笑みを残したまま、後ずさって人混みに紛れていった。
 後方から、ひょこっと顔を出したのはサラだった。
「私、レナの後の班だよー。一緒になれなくて残念だったよね」
「うん、一緒の班がよかったな」
「まっ、簡単らしいし!ねっ、帰ったら打ち上げしようよ」
 サラの声が弾み、馬車の中の明るい空気に溶けていく。
 護衛の一人がちらりと視線を流したが、特に口は出さなかった。
 ***
 ◆ 午前後半/洞窟入り口前広場
 車輪が石畳を離れ、森道に入る。
 揺れが少し強くなり、窓の外の景色が緑に染まっていく。
 暫くして木々の間から岩肌が見え始める。
 そこに、学院の管理下にある“初心者用洞窟”の入り口があった。
「到着だ、降りろー」
 御者の声が響き、馬車の扉が開く。
 冷たい朝の空気が流れ込み、生徒たちが一斉に立ち上がった。
 入り口前の広場には、すでに担当教師とギルドの冒険者たちが待機している。荷台からは木箱が降ろされ、魔力灯の準備や点呼が行われていた。
「Cクラス〜Eクラスの諸君、こちらに整列!」
 教師の号令に合わせて、生徒たちが各班ごとに並び替えられる。四人一組、前に護衛が一人。
 整列の列は緊張と期待の混じったざわめきに包まれていた。レナの班にはCクラスの少年少女2人とDクラスの少年がいた。
「ここからは、班ごとに順番に入ってもらう。洞窟内は入り組んでいる。狭い場所もあるため、指示通りに間隔を空けて進入すること」
 教師の声は、いつもの講義の時よりも厳しく聞こえた。
 レナたちの班は先に入っていく班の背中を見送りながら、冷たい岩肌に囲まれた洞窟口をじっと見つめる。やがて、レナたちの班が呼ばれる。
 レナの班に護衛としてつけられたのは中年の男性冒険者だった。
「じゃ、行こう。緊張しなくても大丈夫だ。奥には行かないから」
 ◆ 洞窟入口直後〜第一層通路 ― レナ班視点
 薄暗い洞窟内に一歩踏み出すと、足元に湿った空気がまとわりつく。
 最初に現れたのは、淡い青緑色をしたスライムだった。小さな水たまりのようにぷるぷる震えている。
「来たな。落ち着いて、連携だ」
 護衛が静かに声をかける。班の一人が氷の矢を放ち、スライムが身をすぼめる。別の生徒が槍で突き、レナが補助魔法を重ねる。氷片が砕ける音と共に、スライムはしゅう、と泡を立てて溶けていった。
「やっぱりCクラス2人いると楽勝だな」
 Dクラスの少年が肩の力を抜いたように笑う。
「他の班だとCクラス1人のところもあるんでしょ?」
 Cクラスの少女が問いかける。
「そうそう。Eクラス2人ってところもあるらしい。俺ら、先の班に追いつきそうだよな」
 Cクラスの少年が軽く肩をすくめ、レナの方へ振り返る。
「レナちゃんだっけ?俺らと一緒でよかったなー」
「う、うん。……足引っ張らないように、頑張るよ」
 レナはそう言って、小さく笑みを返す。
 次に現れたのは、灰色の巨大ラットだった。人の腕ほどの大きさで、赤い目をぎらりと光らせている。
 班員の一人が投げた白魔石が足元で炸裂する。爆風に怯んだラットの動きを、護衛が木の棒のような長杖で牽制し、最後にレナが放った小さな雷光が命中して、鼠は痙攣しながら倒れた。
「よし、いい連携だ。こんな調子でいこう」
 冒険者が小さく頷く。生徒たちはわずかな達成感を覚えたようで、張り詰めた空気が緩んでいた。
(……順調だ。学院で習ったもので対処できてる。)
 そう思いながらも、レナはふと立ち止まった。
(でも、何組か入ってるのに……まだ誰も戻ってきてないみたい)
 洞窟内で先発のパーティーが戻ってくるのをまだ見ていなかった。
「おかしいな? こんなに魔物が少なかったっけか?」
 護衛の男性冒険者が呟いたのを、レナは聞き逃さなかった。
(……魔物が、逃げてる?)
 それは、何らかの異常が起きた時に起こる生態系の“逃散”に近い現象だった。