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第6話 レナの災難

ー/ー



 ◆ 学院外・街路/夜 ― レナ視点

 夜風が、街路樹の枝をかすかに鳴らしていた。

 レナは両腕いっぱいに食料の袋を抱えて歩いていた。
 どこか浮き立った足取りだった。

(今回は……ちゃんとしたバイトだった! 危ない仕事じゃないし、即金だったし!)

 心の中で小さくガッツポーズをする。
 今日は久しぶりに、野菜と肉の両方が買えた。

 (早く家に帰ろっと)
 
 ──そう思った矢先、背後の足音に気付いた。

(……誰?)

 歩調を速める。
 だが、靴音も同じ速度で近づいてくる。
 冷たい汗が背中を伝った。

(いや、気のせいじゃない……つけられてる)

 息を呑む間もなく、影が横切った。
 そして、視界の端に銀色の線が閃く。

「動くな」

 低い声とともに、ナイフが喉元に突きつけられた。
 冷たい刃の感触。反射的に体が硬直する。
 次の瞬間、腕を掴まれ、背中を壁に押しつけられた。

 袋が地面に落ち、リンゴが転がる音が夜に響いた。

「こっちに来い」

 荒い息。男の手がレナの腕を締め上げる。
 抵抗の動きより早く、頬を強く叩かれた。
 口の中に血の味が広がる。

(……まずい。このままじゃ──)

 そのときだった。
 背後の空気が一瞬、凍るように張りつめた。


 ◆ 路地裏/夜 ― レオン視点


「遅いと思ったら、こんなところで何してる」

 夜の闇を割って、低い声が落ちた。
 金の髪が月を弾き、碧い眼が静かに光る。
 レナはその姿を見て、息を止める。

「……レ──」

 呼ぼうとした名は、刹那の音で途切れた。
 男のナイフがレオンに向かい横薙ぎに振られたからだ。
 

 レオンは、ほとんど動いていなかった。

 ただ一歩踏み出し、男の腕を掴み、逆方向に折る。骨の砕ける乾いた音が鈍く響く。手にしていたナイフが音を立てて地面に転がる。

 悲鳴を上げようとした男の喉を、踵で蹴り上げる。空気が潰れるような鈍い音。

 男が崩れ落ちる。

「……そいつを傷つけて、無事でいられるとでも?」

 レオンの声に熱はない。ただ結果だけがある。

「レオン……もう、やめて……」

 レナの声が震える。だが、届かない。

「そうだな。時間の無駄だ」

 レオンは落ちたナイフを拾い上げた。手慣れた指先が刃の角度を確かめ、男の喉の前で止まる。

 ――殺さない。けれど、生かしてもおかない。

 刃を寝かせ、喉の横を浅く割いた。血が細く走り、男の呼吸が詰まる。

「ぐ……っ……!」

 声にならない声。男は反射的に傷口を押さえ、膝から崩れた。

 レオンはしゃがみ込み、耳元へ低く落とす。

「騒げば、次は深い」

 男の首筋に指を添え、脈を読む。途切れない。まだ生きている。だが、まともに動ける状態ではない。

 レオンはナイフを布で拭い、何事もなかったように懐へ戻した。

 上着の内側を雑に探り、護符や刻印の類がないのを確認する。魔術痕も薄い。統一の符丁もない。

「失踪者とは関係ない。……ただの飢えた暴漢だ」

 立ち上がり、男を見下ろす。

「口封じは後でやる」

 レナの背筋が冷える。助かったはずなのに、胸の奥に別の恐怖が残った。

 そして、同じくらいに安心してしまった自分が、もっと怖かった。

「……もう、お前は寮に戻れ。俺は、後で帰るから」

 振り向いたレオンの声は、驚くほど柔らかかった。
 その温度差が、かえって背筋を冷たくする。

「えっ、あっ、う、うん……」

 レナは慌てて食料を拾い上げる。
 震える手で袋の口を掴んだ。

「ああ、そうだ。後で、俺の部屋に来い。話がある」
 
 レナは何となく気まずくなった。
 バイトしたことが、薄らとバレている気がした。
 
 ただ、うつむいたまま足早に去った。


***
 

 ◆ レオンの部屋/夜


「で、言い訳はそれで終わりか?」

 深い海のような青の瞳が、真っ直ぐに射抜いてくる。
 部屋の空気が、わずかに重くなる。

 ソファに腰掛けたまま、レオンは穏やかに微笑んでいた。
 床に正座しているレナは、視線を落としたまま、指先をいじっていた。

「え、えっと……」
 
「言ったはずだ。働くなと。これで何度目だ?」
 
「三度目……くらい?」
 
「四度目だ」

 レオンは短く息を吐き、彼女の頬をそっと触れた。その指先が、さっき叩かれた場所をかすめる。

「──っ……!」

 痛みにレナは息を呑んだ。

「腫れてる。後で冷やした方がいいな」

「だ、大丈夫だよ…! それより、本当にもうバイトしたらダメなの?」

 彼は手を離すと、天井を見上げた。
 灯りの反射が、金色の髪を淡く照らしている。

「ダメだ。色んなトラブルがあっただろ」
 
「……ギルドは?」
 
「お前、魔竜の森でのこと、忘れたのか?簡単な魔物調査と思ったらどうなった?」

「忘れてないよ。ついこの間のことだし。……死にそうになった」

 レナは目を伏せ、声を震わせる。

「なんであんな目に遭ってるのに、まだ働きたいんだよ。金が足りないのか? あといくら欲しい?」

 レオンはテーブルの上に銀貨の入った袋を出す。

「そんなんじゃないよ……レオンに甘えるわけにはいかないから」

 レオンは、静かに笑った。だが、どこか刺すように冷たい。

「なあ、俺がいなかったらどうしてたんだ?」

「そ、そんなの、隙を見て逃げるに決まってるよ」

「逃げる? 甘いにも程があるな。お前には無理だよ」

「うう」
 
 レナは反論できずに縮こまる。

 「とにかく、その袋に入ってる金はお前に渡しておく。充分あるはずだ」

「受け取れないよ」

 レナは首を振った。声は小さく、しかし確かな意志を帯びていた。

「いらないなら捨てろ」

しばらくの沈黙の後、レナはため息をついた。ゆっくりと手を伸ばして、袋の端に触れた。


 ***


 ◆ 翌朝・Eクラス教室


 学院の教室。
 朝の光が差し込む窓際の席で、レナは机に突っ伏していた。

「あはは! レオンにバイトがバレて、怒られた?」

 サラが腹を抱えて笑う。
 向かいに座るエリックまで、苦笑している。

「……笑いごとじゃないよぉ……」

 顔を伏せたまま、レナは情けない声を漏らした。

「折角、まともなの紹介したのになあ」
 
 エリックの声は優しいけれど、どこか呆れている。

「普通の仕分けバイトだったんだよ!?」

 レナは顔を上げた。
 昨日暴漢に叩かれた跡が、まだうっすら赤い。

「でも、暴漢とか怖いね。無事でよかったけどさ。レオンが捕まえたんだっけ? もしレオンがいなかったらゾッとするよねー」

 サラがふと真面目な声を出す。
 レナは本当の結末を、誰にも言えなかった。

 エリックは何となく察しをつけながら頷いた。
 
 「この街、最近物騒だしな。学院の外は、魔力犯罪も増えてる。……しばらく気をつけた方がいいかもなあ」

「うん……暫くはバイトは無しかなあ」
 
 レナは小さく笑って、二人を見た。

 その笑顔には、昨日の恐怖がまだ少し残っている。
 けれど確かに日常が戻ってきていた。

 


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 夜風が、街路樹の枝をかすかに鳴らしていた。
 レナは両腕いっぱいに食料の袋を抱えて歩いていた。
 どこか浮き立った足取りだった。
(今回は……ちゃんとしたバイトだった! 危ない仕事じゃないし、即金だったし!)
 心の中で小さくガッツポーズをする。
 今日は久しぶりに、野菜と肉の両方が買えた。
 (早く家に帰ろっと)
 ──そう思った矢先、背後の足音に気付いた。
(……誰?)
 歩調を速める。
 だが、靴音も同じ速度で近づいてくる。
 冷たい汗が背中を伝った。
(いや、気のせいじゃない……つけられてる)
 息を呑む間もなく、影が横切った。
 そして、視界の端に銀色の線が閃く。
「動くな」
 低い声とともに、ナイフが喉元に突きつけられた。
 冷たい刃の感触。反射的に体が硬直する。
 次の瞬間、腕を掴まれ、背中を壁に押しつけられた。
 袋が地面に落ち、リンゴが転がる音が夜に響いた。
「こっちに来い」
 荒い息。男の手がレナの腕を締め上げる。
 抵抗の動きより早く、頬を強く叩かれた。
 口の中に血の味が広がる。
(……まずい。このままじゃ──)
 そのときだった。
 背後の空気が一瞬、凍るように張りつめた。
 ◆ 路地裏/夜 ― レオン視点
「遅いと思ったら、こんなところで何してる」
 夜の闇を割って、低い声が落ちた。
 金の髪が月を弾き、碧い眼が静かに光る。
 レナはその姿を見て、息を止める。
「……レ──」
 呼ぼうとした名は、刹那の音で途切れた。
 男のナイフがレオンに向かい横薙ぎに振られたからだ。
 レオンは、ほとんど動いていなかった。
 ただ一歩踏み出し、男の腕を掴み、逆方向に折る。骨の砕ける乾いた音が鈍く響く。手にしていたナイフが音を立てて地面に転がる。
 悲鳴を上げようとした男の喉を、踵で蹴り上げる。空気が潰れるような鈍い音。
 男が崩れ落ちる。
「……そいつを傷つけて、無事でいられるとでも?」
 レオンの声に熱はない。ただ結果だけがある。
「レオン……もう、やめて……」
 レナの声が震える。だが、届かない。
「そうだな。時間の無駄だ」
 レオンは落ちたナイフを拾い上げた。手慣れた指先が刃の角度を確かめ、男の喉の前で止まる。
 ――殺さない。けれど、生かしてもおかない。
 刃を寝かせ、喉の横を浅く割いた。血が細く走り、男の呼吸が詰まる。
「ぐ……っ……!」
 声にならない声。男は反射的に傷口を押さえ、膝から崩れた。
 レオンはしゃがみ込み、耳元へ低く落とす。
「騒げば、次は深い」
 男の首筋に指を添え、脈を読む。途切れない。まだ生きている。だが、まともに動ける状態ではない。
 レオンはナイフを布で拭い、何事もなかったように懐へ戻した。
 上着の内側を雑に探り、護符や刻印の類がないのを確認する。魔術痕も薄い。統一の符丁もない。
「失踪者とは関係ない。……ただの飢えた暴漢だ」
 立ち上がり、男を見下ろす。
「口封じは後でやる」
 レナの背筋が冷える。助かったはずなのに、胸の奥に別の恐怖が残った。
 そして、同じくらいに安心してしまった自分が、もっと怖かった。
「……もう、お前は寮に戻れ。俺は、後で帰るから」
 振り向いたレオンの声は、驚くほど柔らかかった。
 その温度差が、かえって背筋を冷たくする。
「えっ、あっ、う、うん……」
 レナは慌てて食料を拾い上げる。
 震える手で袋の口を掴んだ。
「ああ、そうだ。後で、俺の部屋に来い。話がある」
 レナは何となく気まずくなった。
 バイトしたことが、薄らとバレている気がした。
 ただ、うつむいたまま足早に去った。
***
 ◆ レオンの部屋/夜
「で、言い訳はそれで終わりか?」
 深い海のような青の瞳が、真っ直ぐに射抜いてくる。
 部屋の空気が、わずかに重くなる。
 ソファに腰掛けたまま、レオンは穏やかに微笑んでいた。
 床に正座しているレナは、視線を落としたまま、指先をいじっていた。
「え、えっと……」
「言ったはずだ。働くなと。これで何度目だ?」
「三度目……くらい?」
「四度目だ」
 レオンは短く息を吐き、彼女の頬をそっと触れた。その指先が、さっき叩かれた場所をかすめる。
「──っ……!」
 痛みにレナは息を呑んだ。
「腫れてる。後で冷やした方がいいな」
「だ、大丈夫だよ…! それより、本当にもうバイトしたらダメなの?」
 彼は手を離すと、天井を見上げた。
 灯りの反射が、金色の髪を淡く照らしている。
「ダメだ。色んなトラブルがあっただろ」
「……ギルドは?」
「お前、魔竜の森でのこと、忘れたのか?簡単な魔物調査と思ったらどうなった?」
「忘れてないよ。ついこの間のことだし。……死にそうになった」
 レナは目を伏せ、声を震わせる。
「なんであんな目に遭ってるのに、まだ働きたいんだよ。金が足りないのか? あといくら欲しい?」
 レオンはテーブルの上に銀貨の入った袋を出す。
「そんなんじゃないよ……レオンに甘えるわけにはいかないから」
 レオンは、静かに笑った。だが、どこか刺すように冷たい。
「なあ、俺がいなかったらどうしてたんだ?」
「そ、そんなの、隙を見て逃げるに決まってるよ」
「逃げる? 甘いにも程があるな。お前には無理だよ」
「うう」
 レナは反論できずに縮こまる。
 「とにかく、その袋に入ってる金はお前に渡しておく。充分あるはずだ」
「受け取れないよ」
 レナは首を振った。声は小さく、しかし確かな意志を帯びていた。
「いらないなら捨てろ」
しばらくの沈黙の後、レナはため息をついた。ゆっくりと手を伸ばして、袋の端に触れた。
 ***
 ◆ 翌朝・Eクラス教室
 学院の教室。
 朝の光が差し込む窓際の席で、レナは机に突っ伏していた。
「あはは! レオンにバイトがバレて、怒られた?」
 サラが腹を抱えて笑う。
 向かいに座るエリックまで、苦笑している。
「……笑いごとじゃないよぉ……」
 顔を伏せたまま、レナは情けない声を漏らした。
「折角、まともなの紹介したのになあ」
 エリックの声は優しいけれど、どこか呆れている。
「普通の仕分けバイトだったんだよ!?」
 レナは顔を上げた。
 昨日暴漢に叩かれた跡が、まだうっすら赤い。
「でも、暴漢とか怖いね。無事でよかったけどさ。レオンが捕まえたんだっけ? もしレオンがいなかったらゾッとするよねー」
 サラがふと真面目な声を出す。
 レナは本当の結末を、誰にも言えなかった。
 エリックは何となく察しをつけながら頷いた。
 「この街、最近物騒だしな。学院の外は、魔力犯罪も増えてる。……しばらく気をつけた方がいいかもなあ」
「うん……暫くはバイトは無しかなあ」
 レナは小さく笑って、二人を見た。
 その笑顔には、昨日の恐怖がまだ少し残っている。
 けれど確かに日常が戻ってきていた。