表示設定
表示設定
目次 目次




25.このターン、種族に「ドラゴン」を追加する

ー/ー




 その膠着は、子供たちのコールの残響が自然と離れていくまでのあいだ続いた。

 すっかりセミの鳴き声は消えたかと思えば、雲がとどろく音と、立ち上がる雨の匂いが同時に訪れた。
 そして、それまで乾いていた砂地に、ぽつりぽつりと落ちたしずくによって、いくつかの水玉が生まれはじめた。

 夕立が降るなら、帰らなきゃ。
 それは至極当然のことで、混乱の坩堝に呑まれている俺の、そして海風の頭でだって理解できるはずのことだと思った。

 だから俺は何も言わずに、今日は文字通りの水入りにできると信じて、その場を離れようと足を動かそうとした。

 だけど、それは許されなかった。
 サマーニットの裾を掴まれる突然の感覚に、足は止まった。


「……説明、してよ」


 その震えるような声は、海風の振り絞った精一杯の勇気なのだと思った。


 ◆


 そういえばこんな状況――前にもあったな。

 戻って来た東屋がリングなら、さしずめこの激しく降り始めた雨はロープ。
 ときどき雷が鳴って、ゴングがドーンってか……ガハハハ。

 頭の中でいろんな考えを巡らせ、いくら自分の焦りを誤魔化そうとしても、状況はいっこうに改善しなかった。

 さっきは向かいのベンチに座っていた海風が、今度は隣に座っている。
 時おりチラ、チラと目を配っても、彼女はただ俯いて目を合わせようとしない。
 アスリートらしからぬ、前のめりな猫背の姿勢。
 スカートの上で組んだ手は、常に親指がマウントポジションを競い合っている。

 あぁ、やっぱりそうだよな――この静寂は、俺が口を開かないことには終わりが来ないんだ。


「……あの」
「……うん」

「本当に、思いつきだったんだ。その……海風の大会のときの、力強さとか、勇気とか……全部がすごいなって思って、それで」
「……」


 一帯が真っ暗な中、降りしきる雨の音と、縦樋からグレーチングへと流れていく水のトプトプという一定の音が、この場を支配している。


「……それで、私のことがドラゴンに見えたってこと?」
「い、いや、そういうわけじゃ……なくもないかもだけど。そういう意味じゃなくて、その……」


 正直、ドラゴンばりにかっこよく見えていたことは事実だったから、それもあながち間違いじゃない。
 でも、さすがの俺でも分かる。
「キミ、ドラゴンみたいだね」と言われて喜ぶ女の子なんて、たぶん存在しないことくらいは。


「あの後、バイト先に謝りにいくとき……俺、いつもみたいにカードをお守りにしようとしたんだ」
「おまもり……?」

「笑っちゃうかもだけど、昔からそうだったんだ。前はドラクロだったけど、何か怖いことがあったり、嫌なことがあったりすると、こそっとカードを握って落ち着く癖があって……って何の話だこれ、あはは……」
「いいから……続けて」

「……それで、あの日も同じようにしようとした。でも、そこに海風からのメッセージが届いて……そして、キミに抱きしめられた時のことをふと思い出した」


 一呼吸おいて、海風の様子を見た。
 何故か、さっきよりもっと前のめりになって、ローファーを履いたつま先がしきりに上下している。


「そしたら、カードを握らなくても不思議と勇気が湧いて来たんだ。俺、あんな感情は初めてで……どうしたらいいのか分からなくて……それで、その」
「も……も、も……」

「そんな気持ちを忘れないようにするには、どうしたらって考えて……気が付いたらあのカードが出来上がってて……それで」
「も! ……もうわ、わかった、分かったよ室井くんっ! だからもうそれ以上は……」


 海風がいきなりひっくり返った声を出したので、びっくりした。

 反り返るくらいに顔を上げるや否や、彼女は深い呼吸をすー、はーと繰り返している。
 そして、その顔は耳まで真っ赤で――俺がここまで口にしてきた言葉の臭さを、雄弁に物語っていることに気が付いた。


「ご、ごめんっ、ホントごめん! で、でも……こんな気持ちになったら、誰だって普通そうなるだろっ」
「な、ならないよっ! 普通はカードにはしないよ……たぶん……!」


 薄々分かっていた現実を、こうもあっさりと突き付けられてしまったら、いよいよ逃げ場はない。
 それでも、次の言葉は易々と出てこなかった。
 俺の頭が真っ白になっていく感覚が仕草から伝わったのか、彼女は意を決したように言葉を溢した。


「わ、私にだって……よく分からないんだよ! あのとき、いつもは上手くいくはずの気持ちの切り替えがうまくできなくて。そんなの、初めてだったから……どうすればいいのかなんて分からなくてっ」


 海風はさっきまで親指をせわしなく動かしていた両手を握り、腕をぐっと伸ばした。


「助けてほしいって思ったときに……本当にキミが来てくれて、それで、その……私も、後ろから……ああするしかなくって……」
「……」

「……嫌、だった?」
「ううん、むしろ……」

「そ、そう……」


 どんどんと消え入るように、彼女の声は小さくなっていく。
 やがて、黒かった雲は明るみを取り戻して、雨脚は弱まってきた。


「……」
「……」

「えっと……説明は以上でよろしいでしょうか……?」
「……分かったけど……分かんなかった」


 なんだそれ。
 あんなに頑張って説明したのに……。

 いや、まぁ。
 海風が言っていたことも……“一番大事な所”が抜けていたから、肝心なことは分からなかったんだけど。


「だから――それ、ちょうだい」
「……へ?」


 海風はあからさまに目を逸らしながら、俺が手に持っていた砂まみれの“オーシャン・ウインド・ドラゴン”を指差した。




スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 その膠着は、子供たちのコールの残響が自然と離れていくまでのあいだ続いた。
 すっかりセミの鳴き声は消えたかと思えば、雲がとどろく音と、立ち上がる雨の匂いが同時に訪れた。
 そして、それまで乾いていた砂地に、ぽつりぽつりと落ちたしずくによって、いくつかの水玉が生まれはじめた。
 夕立が降るなら、帰らなきゃ。
 それは至極当然のことで、混乱の坩堝に呑まれている俺の、そして海風の頭でだって理解できるはずのことだと思った。
 だから俺は何も言わずに、今日は文字通りの水入りにできると信じて、その場を離れようと足を動かそうとした。
 だけど、それは許されなかった。
 サマーニットの裾を掴まれる突然の感覚に、足は止まった。
「……説明、してよ」
 その震えるような声は、海風の振り絞った精一杯の勇気なのだと思った。
 ◆
 そういえばこんな状況――前にもあったな。
 戻って来た東屋がリングなら、さしずめこの激しく降り始めた雨はロープ。
 ときどき雷が鳴って、ゴングがドーンってか……ガハハハ。
 頭の中でいろんな考えを巡らせ、いくら自分の焦りを誤魔化そうとしても、状況はいっこうに改善しなかった。
 さっきは向かいのベンチに座っていた海風が、今度は隣に座っている。
 時おりチラ、チラと目を配っても、彼女はただ俯いて目を合わせようとしない。
 アスリートらしからぬ、前のめりな猫背の姿勢。
 スカートの上で組んだ手は、常に親指がマウントポジションを競い合っている。
 あぁ、やっぱりそうだよな――この静寂は、俺が口を開かないことには終わりが来ないんだ。
「……あの」
「……うん」
「本当に、思いつきだったんだ。その……海風の大会のときの、力強さとか、勇気とか……全部がすごいなって思って、それで」
「……」
 一帯が真っ暗な中、降りしきる雨の音と、縦樋からグレーチングへと流れていく水のトプトプという一定の音が、この場を支配している。
「……それで、私のことがドラゴンに見えたってこと?」
「い、いや、そういうわけじゃ……なくもないかもだけど。そういう意味じゃなくて、その……」
 正直、ドラゴンばりにかっこよく見えていたことは事実だったから、それもあながち間違いじゃない。
 でも、さすがの俺でも分かる。
「キミ、ドラゴンみたいだね」と言われて喜ぶ女の子なんて、たぶん存在しないことくらいは。
「あの後、バイト先に謝りにいくとき……俺、いつもみたいにカードをお守りにしようとしたんだ」
「おまもり……?」
「笑っちゃうかもだけど、昔からそうだったんだ。前はドラクロだったけど、何か怖いことがあったり、嫌なことがあったりすると、こそっとカードを握って落ち着く癖があって……って何の話だこれ、あはは……」
「いいから……続けて」
「……それで、あの日も同じようにしようとした。でも、そこに海風からのメッセージが届いて……そして、キミに抱きしめられた時のことをふと思い出した」
 一呼吸おいて、海風の様子を見た。
 何故か、さっきよりもっと前のめりになって、ローファーを履いたつま先がしきりに上下している。
「そしたら、カードを握らなくても不思議と勇気が湧いて来たんだ。俺、あんな感情は初めてで……どうしたらいいのか分からなくて……それで、その」
「も……も、も……」
「そんな気持ちを忘れないようにするには、どうしたらって考えて……気が付いたらあのカードが出来上がってて……それで」
「も! ……もうわ、わかった、分かったよ室井くんっ! だからもうそれ以上は……」
 海風がいきなりひっくり返った声を出したので、びっくりした。
 反り返るくらいに顔を上げるや否や、彼女は深い呼吸をすー、はーと繰り返している。
 そして、その顔は耳まで真っ赤で――俺がここまで口にしてきた言葉の臭さを、雄弁に物語っていることに気が付いた。
「ご、ごめんっ、ホントごめん! で、でも……こんな気持ちになったら、誰だって普通そうなるだろっ」
「な、ならないよっ! 普通はカードにはしないよ……たぶん……!」
 薄々分かっていた現実を、こうもあっさりと突き付けられてしまったら、いよいよ逃げ場はない。
 それでも、次の言葉は易々と出てこなかった。
 俺の頭が真っ白になっていく感覚が仕草から伝わったのか、彼女は意を決したように言葉を溢した。
「わ、私にだって……よく分からないんだよ! あのとき、いつもは上手くいくはずの気持ちの切り替えがうまくできなくて。そんなの、初めてだったから……どうすればいいのかなんて分からなくてっ」
 海風はさっきまで親指をせわしなく動かしていた両手を握り、腕をぐっと伸ばした。
「助けてほしいって思ったときに……本当にキミが来てくれて、それで、その……私も、後ろから……ああするしかなくって……」
「……」
「……嫌、だった?」
「ううん、むしろ……」
「そ、そう……」
 どんどんと消え入るように、彼女の声は小さくなっていく。
 やがて、黒かった雲は明るみを取り戻して、雨脚は弱まってきた。
「……」
「……」
「えっと……説明は以上でよろしいでしょうか……?」
「……分かったけど……分かんなかった」
 なんだそれ。
 あんなに頑張って説明したのに……。
 いや、まぁ。
 海風が言っていたことも……“一番大事な所”が抜けていたから、肝心なことは分からなかったんだけど。
「だから――それ、ちょうだい」
「……へ?」
 海風はあからさまに目を逸らしながら、俺が手に持っていた砂まみれの“オーシャン・ウインド・ドラゴン”を指差した。