表示設定
表示設定
目次 目次




美来来(みらいらい)♡第1話 デスボイスに憧れて♡

ー/ー




「はーい! 待って、待って待って」 
 バンドリーダー・ハスタがドラムスティックを振り演奏をストップさせる。

「とけちゃん、またフラットしてるよ。一生節ごとにフレーズの終わりが特に半音下がりがち。もっかい最初から」

「はい!」

(まったく、ハスタってばいつも厳しいよな~) 
 たまにめげそうになるボーカリスト『とけちゃん』こと『時計草』本名、畑美来(はたけみらい)26才。
 
 趣味と言えどもハスタは、バンド経験20年以上の天才的なテクニックを持つドラマーだ。11才からドラムスティックを握っている。
 センターパートの黒髪をかき上げつつ「そこ、意識して歌ってみてね、とけちゃん」と念を押した。

「うん」 
 スタジオでは弱音を吐かず120%のパフォーマンスをするとけちゃんこと美来。白いレースのミニスカートとポニーテールが今日も飛んだり跳ねたりする。

 スタジオで120%の力で練習をしておいて、本番のステージでは多くても80%までの熱量で()る。ここ、肝心。
 毎回の練習を120%やりまくっているから、ライブハウスでは全力を出さずにリラックスした状態で100%(つまり、ほぼパーフェクト)のステージが魅せられるってわけ。

 ロックバンド『美来来(みらいらい)』はロックンロールも演奏すれば、ジャジーなブルーズもする。パンキッシュな楽曲やアイドル歌謡のようなフワフワした愛らしい楽曲もある。
 七変化するボーカリスト・時計草なのだ。

 ――――「お疲れ~」 金髪ツンツンヘアー、ギターの(たつ)がだるそうに言う。機嫌が悪いわけではない。そういう男なのだ。

「ああ、お疲れさん。辰の新しいリフ、カッコイイね!」とスタジオの会計を済ませたベースの町木(まちき)。町木はフツーのサラリーマン風の男性だが、ひとたびベースを奏で始めると豹変する。ベースの弦を噛み切りそうな勢いだ。

「そう? 徹夜して考えた甲斐があったぜ」

 20代は時計草だけ。他のみんなは30代のお兄さんだ。
 美来来は社会人バンド。と言っても時計草こと美来は只今失業中。先日カフェの仕事を辞めたばかり。
 店長のセクハラに遭ったのだった。店長は執拗に美来をお茶に誘い、誘惑を仕掛けていた。ストーカー行為が発覚し、示談交渉でめいっぱい慰謝料や引っ越し費用をぶん取ったのだ。だが、200万円という額はたくさんのようでいてそうでもない。未来はのんびり屋の自分を知っているので、早く仕事見つけなくちゃ、と焦っている。

「じゃあ、また次の土曜日な!」 
 リーダー・ハスタの言葉が解散の合図だ。

 バンド練習は毎週土曜日の午後2時から2時間だ。

 みなそれぞれバラバラにスタジオ前で手を振り去って行く。

 ――――美来にはちょっとした憧れがある。それは……いわゆる『デス声』を出すことだ。そう、ハードコアパンクなどで、主に男の人が叫ぶ「ぶうぅぉおおおおおー」といった野太い声、ちょっぴりしゃがれたような。
 美来の声はとても澄んでいて高音だ。

 その日美来は弁当店で、唐揚げと目玉焼きとハンバーグと焼き肉の入った『スンゴクすたみな弁当』を買い帰宅した。
(あたし、瘦せ過ぎなのかな。それでぶっとい声が出ないのだろうか)
 美来はなんとしても派手に一丁デス声を轟かせたく、よく食べる。そして隔日で行う自宅筋トレも欠かさない。 

 お弁当を食べ終え、お風呂に入りスッキリ。ロリータチックなネグリジェ風のピンクの部屋着に着替え、美来はパソコンの前に座った。

(動画サイトで……[デス声のレクチャー]とかないかな)

 キーボードを叩き検索。
「ム! ムムム!」

 見つけたのだ、未来は。怪しげだが『デス声出したい人、集まれ~』とのタイトルの動画を。

 アカウントにカーソルを持って行くと『ラミーの一生懸命』と書いてある。『ラミー』恐らくアカウント主のハンドルネームだろう。
 なによりも目に付いたのはサムネイルだ。全然一生懸命じゃなさそうな男性がこちらを見つめている、というもの。ピンク色にヘアカラーされたウルフカット。鼻ピアス。魚の死んだような目。目の輝きに生命力を感じさせないが、引き締まった身体付きの色男だ。年の頃は自分と同じぐらいかな? と美来は思った。

(なになに、どれどれ)
 瞳を輝かせ再生ボタンをクリックする美来。

 サムネイルの男性がしゃべり始めた。

「こんにちは」
 暗い声だ。どこが『一生懸命』なのだろうか。
「ここに君がやって来たということは、そこの君!」
 サッと画面のこちら側に人差し指をさす華麗な姿がムカつく。

「生きてんじゃん、この魚。キャハ!」
 シニカルに笑う美来。

「私がこれから君の欲するデス声を披露する!」

「あ」

 美来は聴き逃すものかと姿勢を正した。

「ぶ――――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」

「す、凄い……」

 美来は唖然とする。さっきまでこの男、艶やかなアナウンサーのような声だったのに。

「以上だ。最後に私から話がある。君はバンドをやっているカワイ子ちゃんかもしれないね?」

「へ?! なに、この男、気持ち悪」

 ラミーとかいう動画の主のオリジナリティーが強すぎて、さっきから独り言が止まらぬ美来。

「それとも変声期前の男子かな」

「良いから、早くデス声をええ塩梅に出す方法を教えてよ!」
 突っ込む美来。

「諦めろ」

「ハ」

「君は、デス声が出ないからこの動画に辿り着いたんだろう。出ないものは出ない。以上だ」

 ラミーが締めくくると、楽し気な音楽が鳴り始めた。女性のファルセットで「ラ~、ラミ~。ラミ~はいつも一生懸命。フッフフー」ミドルテンポの明るい曲調。 
 ラミーはクルッと画面に背を向け歩き始める。
 少しずつ画面から離れて行くラミー。おろ?

「上下毛玉だらけの黒いスウェットじゃん! アハハハ」
 美来はウケる。 
 小さくなって行くラミー。自分の部屋なのだろうか。ドアの所まで行くと振り返ったラミー。
「グッドラック」
 ボソッと、とても良いことがこの先起こりそうにない、覇気なき声で口にし、右手を上げてバイバイのポーズを取った。

「あほくさ」
 大爆笑しながら、ふとパソコン画面『ラミーの一生懸命』プロフィール写真近くの数字に目をやり、美来はおったまげた。

「ヒ! と、登録者数、ご、50万人……ンンン!?」 
 
 こんなただの変態男になんで……。しかし二ッチな需要もあるということだろう。

(それにしても、ま、言い得て妙かもね)
 美来は動画を消し、思った。
(デス声を出せたら良いなと思ったけど、のどの構造とかあるのかなあ。出来そうにないことにこだわり続けるよりも、得意な所を伸ばせばいっか) 

 ――――まさか、この日を境に自分が『ラミー沼』にハマって行くなんて、思いもつかない美来であった。



「とけちゃん、新しい歌詞できた?」とハスタが訊く。

 また1週間が過ぎ、今日も楽しくもあり、緊張感もありのバンド練習だ。

「あ、ごめんなさい! なんか良い詞、浮かばなくて」

「珍しいじゃん、とけちゃんにしては」
 エフェクターを繋げていたベースの町木が言う。

「最近バタバタしてんだよね」と美来。

「就職活動かな?」とおっ立てた金髪ヘアーを整えつつ、ギターストラップを首から既にぶら下げている辰が言う。

「ンまあ、そういったところね」

「あーい。じゃあいつもの順番で通すよ」
 ハスタのスティックの音が鳴り、5曲のメドレーから始める。


――――「お疲れ様~」ちょっとソワソワしている美来。
(毎週土曜日なんだよね『ラミーの一生懸命』動画のさ、更新曜日)

「来週は書いて来てよ~、とけちゃん。辰の新曲にバッチリ合う歌詞」
 ハスタに念を押される美来。

「うん、任せといて! じゃ」
 
 一番乗りでスタジオを跡にした。
 タタタタタと駈け駅に向かい電車に乗る。
(電車~、速く行け―)
 いや、美来。速く行ったらアウトだから、電車。危ないし。

 美来は『ラミーの一生懸命』をリラックスして観るために、入浴やお肌と髪のお手入れをとっとと済ませ落ち着きたいのだ。 鑑賞中のお供は極上のドリップコーヒーだ。


 ――――「さあ、始まるぞ!」
 お祈りするみたいに左右の指同士を交差させた手を、ちょいと右に傾け、乙女チックな水色のネグリジェで、まるで人待ち顔の美来。

 夜7時半に必ず新しい動画がUPされることを美来が知ったのは、例のデス声動画を観た次の週の書き込みからだった。
 その日はなんとなくまたあの混沌としたデス声動画を今一度観たくなり、ラミーの所へ飛んで行ったのだ。

『ラミーさん、いつ見ても一生懸命脱力しててかっこいい♡ byサトミ』
『ラミーさんへ。今度ゆで卵のカラを上手にむく方法を一生懸命教えてください byシゲル』
『みんなー、あ、特にラミーさんのことをあんまり知らない方へ。新しい動画は毎週土曜日の19時半にアップだぜ。 by親衛隊長』

(およ? そうなんだ~)と美来は思った。 
 
 ちなみにその日は、ラミーファンの書き込みに対しラミーが答えるという回だった。
 白いA4用紙を数枚持ったラミーが出て来た。

「こんばんは」ボソッ。
 今夜も暗い。東京中の街の灯を全て抹殺してしまうほどの威力があるネクラっぷり。

「今日は君たちの質問に答える。その1。『ラミーさんにはしっぽの痕がありますか』」
 ラミーは俯き腕を組んだ。なにやら考え込んでいる。
 そして断言した。

「痕じゃなくしっぽそのものがある」
 真顔だ。クールな瞳ではなくクーラーボックスに閉じ込められた、やはり魚の目だ。もう死んでいる。

「なっに、それ、なんにも可笑しくないし」
 ちっ、つまんなーいと言わんばかりの醒めた気分の美来は(もうこんなの観るの、やめようかな。たまたま観たデス声の回は衝撃だったけど)とパソコン画面をスクロールし、カーソルをバツの所に持って行きページを閉じようとした。
 が、次の瞬間息を飲んだ。

「わわわわっ、お尻出し始めたじゃん! この兄ちゃん(ラミー)」
 画面には肌色の部分にモザイクがかけられていた。

「やっぱなんかわざとらしくて好きじゃない」
 でもやはり気になる。

 真顔のままのラミーは、毛玉だらけの黒いスウェットパンツを履き、何事もなかったかのように次の質問を読むため、カサカサ! と音を立てA4用紙を再び手にした。

「『ラミーさん、あたし、一生懸命働いてんのに、全然お給料が上がらないの。なんだかさ、自分で“一生懸命”ってなんだろうってさ、わかんなくなって来るよ』……ふむ」

 どう答えるのかなと美来は興味が湧き、動画にくぎ付けになった。

「私も『一生懸命』ってなんだかわかんない」

「プ!」
 美来は吹いてしまった。じゃあなんで『ラミーの一生懸命』というチャンネル名なのか。

 続けてラミーが話した。
「わかる必要ないし、会社変われば」

 美来は、なるほど、としっくり来た。
 嫌なことは基本的にやらない美来である。好きなことを達成させるためのちょっと嫌なことなら頑張るけど、わかんないというまで気持ちがもつれると、面倒なので辞めるのだ。

 次の質問は『ラミーさんの趣味はなんなんでしょうね』だった。

「私はロックが好きだ。特に70年代パンク」

「あ! フツーに答えた!」

 自分と趣味が一緒だなということよりも、このニヒリストのような偏屈男が、ちょっぴり温もりのある己を語った姿勢に対し、美来は心が動いたのだ。

 その日の締めくくりももちろん「ラー、ラミ~、ラミ~。ラミ~はいつも一生懸命。フッフフー」
 番組に似合わないハッピーな曲調。

 そしてラミーのチャンネルが癖になった3週目から半年経過した今も、美来は動画を観続けている。 

 ――――(今日はどんな『一生懸命』だろ? ウフフ)

 定刻の19時半。パジャマに着替え光の輪を湛えている黒髪を梳かし、今か今かと動画のUPを待つ美来。

 始まった。

「こんばんは」
 暗い! 7月の宵の薄暗さなど明るい、明るい。そんなものでは追い付かない深淵だ。ミッドナイトブルー。なんておどろおどろしい挨拶だろう。これなら黙って本編を始めたほうがマシなのに。

「『ラミーの一生懸命』をご視聴くださりありがとう」
 棒読みだ。なんで。
 あ! それもそのはずか。より一層暗さを増している理由は、今日の動画タイトルに書いてあるこれが原因ね。

『ラミーは一生懸命、活動休止します』

「……て、え!?」

 視聴者が皆一斉にコメントを書き始める。

『辞めないで! ラミーさん』
『なんでだよぉ』
『俺の土曜日オワタ』

 さすが登録者数50万人。皆心を痛めている。コメントは次から次へと綴られて行く。いったいラミーになにがあったというのか。

「うむ。今日のタイトルを見てさぞや君たち、驚くことだろう。察しはつく」

 驚いているうちの1人、美来は目を丸くして耳をそばだてパソコン画面とにらめっこだ。

「私はマッチングアプリに登録しようと思う。いっぺんにたくさんのことは出来ないので、さらばじゃ」
 ブチッ。
 まるで、喧嘩の電話で一方的に相手から電話を切られるみたいに動画は突如として終わった。
 いつもの「ラー、ラミ~、ラミ~。ラミ~はいつも一生懸命。フッフフー」のエンディングテーマはなかった。

「あーあ……」
 毎週土曜日の美来のお楽しみが儚くもたった今、消えてしまった。




スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…




「はーい! 待って、待って待って」 
 バンドリーダー・ハスタがドラムスティックを振り演奏をストップさせる。
「とけちゃん、またフラットしてるよ。一生節ごとにフレーズの終わりが特に半音下がりがち。もっかい最初から」
「はい!」
(まったく、ハスタってばいつも厳しいよな~) 
 たまにめげそうになるボーカリスト『とけちゃん』こと『時計草』本名、|畑美来《はたけみらい》26才。
 趣味と言えどもハスタは、バンド経験20年以上の天才的なテクニックを持つドラマーだ。11才からドラムスティックを握っている。
 センターパートの黒髪をかき上げつつ「そこ、意識して歌ってみてね、とけちゃん」と念を押した。
「うん」 
 スタジオでは弱音を吐かず120%のパフォーマンスをするとけちゃんこと美来。白いレースのミニスカートとポニーテールが今日も飛んだり跳ねたりする。
 スタジオで120%の力で練習をしておいて、本番のステージでは多くても80%までの熱量で|演《や》る。ここ、肝心。
 毎回の練習を120%やりまくっているから、ライブハウスでは全力を出さずにリラックスした状態で100%(つまり、ほぼパーフェクト)のステージが魅せられるってわけ。
 ロックバンド『|美来来《みらいらい》』はロックンロールも演奏すれば、ジャジーなブルーズもする。パンキッシュな楽曲やアイドル歌謡のようなフワフワした愛らしい楽曲もある。
 七変化するボーカリスト・時計草なのだ。
 ――――「お疲れ~」 金髪ツンツンヘアー、ギターの|辰《たつ》がだるそうに言う。機嫌が悪いわけではない。そういう男なのだ。
「ああ、お疲れさん。辰の新しいリフ、カッコイイね!」とスタジオの会計を済ませたベースの|町木《まちき》。町木はフツーのサラリーマン風の男性だが、ひとたびベースを奏で始めると豹変する。ベースの弦を噛み切りそうな勢いだ。
「そう? 徹夜して考えた甲斐があったぜ」
 20代は時計草だけ。他のみんなは30代のお兄さんだ。
 美来来は社会人バンド。と言っても時計草こと美来は只今失業中。先日カフェの仕事を辞めたばかり。
 店長のセクハラに遭ったのだった。店長は執拗に美来をお茶に誘い、誘惑を仕掛けていた。ストーカー行為が発覚し、示談交渉でめいっぱい慰謝料や引っ越し費用をぶん取ったのだ。だが、200万円という額はたくさんのようでいてそうでもない。未来はのんびり屋の自分を知っているので、早く仕事見つけなくちゃ、と焦っている。
「じゃあ、また次の土曜日な!」 
 リーダー・ハスタの言葉が解散の合図だ。
 バンド練習は毎週土曜日の午後2時から2時間だ。
 みなそれぞれバラバラにスタジオ前で手を振り去って行く。
 ――――美来にはちょっとした憧れがある。それは……いわゆる『デス声』を出すことだ。そう、ハードコアパンクなどで、主に男の人が叫ぶ「ぶうぅぉおおおおおー」といった野太い声、ちょっぴりしゃがれたような。
 美来の声はとても澄んでいて高音だ。
 その日美来は弁当店で、唐揚げと目玉焼きとハンバーグと焼き肉の入った『スンゴクすたみな弁当』を買い帰宅した。
(あたし、瘦せ過ぎなのかな。それでぶっとい声が出ないのだろうか)
 美来はなんとしても派手に一丁デス声を轟かせたく、よく食べる。そして隔日で行う自宅筋トレも欠かさない。 
 お弁当を食べ終え、お風呂に入りスッキリ。ロリータチックなネグリジェ風のピンクの部屋着に着替え、美来はパソコンの前に座った。
(動画サイトで……[デス声のレクチャー]とかないかな)
 キーボードを叩き検索。
「ム! ムムム!」
 見つけたのだ、未来は。怪しげだが『デス声出したい人、集まれ~』とのタイトルの動画を。
 アカウントにカーソルを持って行くと『ラミーの一生懸命』と書いてある。『ラミー』恐らくアカウント主のハンドルネームだろう。
 なによりも目に付いたのはサムネイルだ。全然一生懸命じゃなさそうな男性がこちらを見つめている、というもの。ピンク色にヘアカラーされたウルフカット。鼻ピアス。魚の死んだような目。目の輝きに生命力を感じさせないが、引き締まった身体付きの色男だ。年の頃は自分と同じぐらいかな? と美来は思った。
(なになに、どれどれ)
 瞳を輝かせ再生ボタンをクリックする美来。
 サムネイルの男性がしゃべり始めた。
「こんにちは」
 暗い声だ。どこが『一生懸命』なのだろうか。
「ここに君がやって来たということは、そこの君!」
 サッと画面のこちら側に人差し指をさす華麗な姿がムカつく。
「生きてんじゃん、この魚。キャハ!」
 シニカルに笑う美来。
「私がこれから君の欲するデス声を披露する!」
「あ」
 美来は聴き逃すものかと姿勢を正した。
「ぶ――――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
「す、凄い……」
 美来は唖然とする。さっきまでこの男、艶やかなアナウンサーのような声だったのに。
「以上だ。最後に私から話がある。君はバンドをやっているカワイ子ちゃんかもしれないね?」
「へ?! なに、この男、気持ち悪」
 ラミーとかいう動画の主のオリジナリティーが強すぎて、さっきから独り言が止まらぬ美来。
「それとも変声期前の男子かな」
「良いから、早くデス声をええ塩梅に出す方法を教えてよ!」
 突っ込む美来。
「諦めろ」
「ハ」
「君は、デス声が出ないからこの動画に辿り着いたんだろう。出ないものは出ない。以上だ」
 ラミーが締めくくると、楽し気な音楽が鳴り始めた。女性のファルセットで「ラ~、ラミ~。ラミ~はいつも一生懸命。フッフフー」ミドルテンポの明るい曲調。 
 ラミーはクルッと画面に背を向け歩き始める。
 少しずつ画面から離れて行くラミー。おろ?
「上下毛玉だらけの黒いスウェットじゃん! アハハハ」
 美来はウケる。 
 小さくなって行くラミー。自分の部屋なのだろうか。ドアの所まで行くと振り返ったラミー。
「グッドラック」
 ボソッと、とても良いことがこの先起こりそうにない、覇気なき声で口にし、右手を上げてバイバイのポーズを取った。
「あほくさ」
 大爆笑しながら、ふとパソコン画面『ラミーの一生懸命』プロフィール写真近くの数字に目をやり、美来はおったまげた。
「ヒ! と、登録者数、ご、50万人……ンンン!?」 
 こんなただの変態男になんで……。しかし二ッチな需要もあるということだろう。
(それにしても、ま、言い得て妙かもね)
 美来は動画を消し、思った。
(デス声を出せたら良いなと思ったけど、のどの構造とかあるのかなあ。出来そうにないことにこだわり続けるよりも、得意な所を伸ばせばいっか) 
 ――――まさか、この日を境に自分が『ラミー沼』にハマって行くなんて、思いもつかない美来であった。
「とけちゃん、新しい歌詞できた?」とハスタが訊く。
 また1週間が過ぎ、今日も楽しくもあり、緊張感もありのバンド練習だ。
「あ、ごめんなさい! なんか良い詞、浮かばなくて」
「珍しいじゃん、とけちゃんにしては」
 エフェクターを繋げていたベースの町木が言う。
「最近バタバタしてんだよね」と美来。
「就職活動かな?」とおっ立てた金髪ヘアーを整えつつ、ギターストラップを首から既にぶら下げている辰が言う。
「ンまあ、そういったところね」
「あーい。じゃあいつもの順番で通すよ」
 ハスタのスティックの音が鳴り、5曲のメドレーから始める。
――――「お疲れ様~」ちょっとソワソワしている美来。
(毎週土曜日なんだよね『ラミーの一生懸命』動画のさ、更新曜日)
「来週は書いて来てよ~、とけちゃん。辰の新曲にバッチリ合う歌詞」
 ハスタに念を押される美来。
「うん、任せといて! じゃ」
 一番乗りでスタジオを跡にした。
 タタタタタと駈け駅に向かい電車に乗る。
(電車~、速く行け―)
 いや、美来。速く行ったらアウトだから、電車。危ないし。
 美来は『ラミーの一生懸命』をリラックスして観るために、入浴やお肌と髪のお手入れをとっとと済ませ落ち着きたいのだ。 鑑賞中のお供は極上のドリップコーヒーだ。
 ――――「さあ、始まるぞ!」
 お祈りするみたいに左右の指同士を交差させた手を、ちょいと右に傾け、乙女チックな水色のネグリジェで、まるで人待ち顔の美来。
 夜7時半に必ず新しい動画がUPされることを美来が知ったのは、例のデス声動画を観た次の週の書き込みからだった。
 その日はなんとなくまたあの混沌としたデス声動画を今一度観たくなり、ラミーの所へ飛んで行ったのだ。
『ラミーさん、いつ見ても一生懸命脱力しててかっこいい♡ byサトミ』
『ラミーさんへ。今度ゆで卵のカラを上手にむく方法を一生懸命教えてください byシゲル』
『みんなー、あ、特にラミーさんのことをあんまり知らない方へ。新しい動画は毎週土曜日の19時半にアップだぜ。 by親衛隊長』
(およ? そうなんだ~)と美来は思った。 
 ちなみにその日は、ラミーファンの書き込みに対しラミーが答えるという回だった。
 白いA4用紙を数枚持ったラミーが出て来た。
「こんばんは」ボソッ。
 今夜も暗い。東京中の街の灯を全て抹殺してしまうほどの威力があるネクラっぷり。
「今日は君たちの質問に答える。その1。『ラミーさんにはしっぽの痕がありますか』」
 ラミーは俯き腕を組んだ。なにやら考え込んでいる。
 そして断言した。
「痕じゃなくしっぽそのものがある」
 真顔だ。クールな瞳ではなくクーラーボックスに閉じ込められた、やはり魚の目だ。もう死んでいる。
「なっに、それ、なんにも可笑しくないし」
 ちっ、つまんなーいと言わんばかりの醒めた気分の美来は(もうこんなの観るの、やめようかな。たまたま観たデス声の回は衝撃だったけど)とパソコン画面をスクロールし、カーソルをバツの所に持って行きページを閉じようとした。
 が、次の瞬間息を飲んだ。
「わわわわっ、お尻出し始めたじゃん! この兄ちゃん(ラミー)」
 画面には肌色の部分にモザイクがかけられていた。
「やっぱなんかわざとらしくて好きじゃない」
 でもやはり気になる。
 真顔のままのラミーは、毛玉だらけの黒いスウェットパンツを履き、何事もなかったかのように次の質問を読むため、カサカサ! と音を立てA4用紙を再び手にした。
「『ラミーさん、あたし、一生懸命働いてんのに、全然お給料が上がらないの。なんだかさ、自分で“一生懸命”ってなんだろうってさ、わかんなくなって来るよ』……ふむ」
 どう答えるのかなと美来は興味が湧き、動画にくぎ付けになった。
「私も『一生懸命』ってなんだかわかんない」
「プ!」
 美来は吹いてしまった。じゃあなんで『ラミーの一生懸命』というチャンネル名なのか。
 続けてラミーが話した。
「わかる必要ないし、会社変われば」
 美来は、なるほど、としっくり来た。
 嫌なことは基本的にやらない美来である。好きなことを達成させるためのちょっと嫌なことなら頑張るけど、わかんないというまで気持ちがもつれると、面倒なので辞めるのだ。
 次の質問は『ラミーさんの趣味はなんなんでしょうね』だった。
「私はロックが好きだ。特に70年代パンク」
「あ! フツーに答えた!」
 自分と趣味が一緒だなということよりも、このニヒリストのような偏屈男が、ちょっぴり温もりのある己を語った姿勢に対し、美来は心が動いたのだ。
 その日の締めくくりももちろん「ラー、ラミ~、ラミ~。ラミ~はいつも一生懸命。フッフフー」
 番組に似合わないハッピーな曲調。
 そしてラミーのチャンネルが癖になった3週目から半年経過した今も、美来は動画を観続けている。 
 ――――(今日はどんな『一生懸命』だろ? ウフフ)
 定刻の19時半。パジャマに着替え光の輪を湛えている黒髪を梳かし、今か今かと動画のUPを待つ美来。
 始まった。
「こんばんは」
 暗い! 7月の宵の薄暗さなど明るい、明るい。そんなものでは追い付かない深淵だ。ミッドナイトブルー。なんておどろおどろしい挨拶だろう。これなら黙って本編を始めたほうがマシなのに。
「『ラミーの一生懸命』をご視聴くださりありがとう」
 棒読みだ。なんで。
 あ! それもそのはずか。より一層暗さを増している理由は、今日の動画タイトルに書いてあるこれが原因ね。
『ラミーは一生懸命、活動休止します』
「……て、え!?」
 視聴者が皆一斉にコメントを書き始める。
『辞めないで! ラミーさん』
『なんでだよぉ』
『俺の土曜日オワタ』
 さすが登録者数50万人。皆心を痛めている。コメントは次から次へと綴られて行く。いったいラミーになにがあったというのか。
「うむ。今日のタイトルを見てさぞや君たち、驚くことだろう。察しはつく」
 驚いているうちの1人、美来は目を丸くして耳をそばだてパソコン画面とにらめっこだ。
「私はマッチングアプリに登録しようと思う。いっぺんにたくさんのことは出来ないので、さらばじゃ」
 ブチッ。
 まるで、喧嘩の電話で一方的に相手から電話を切られるみたいに動画は突如として終わった。
 いつもの「ラー、ラミ~、ラミ~。ラミ~はいつも一生懸命。フッフフー」のエンディングテーマはなかった。
「あーあ……」
 毎週土曜日の美来のお楽しみが儚くもたった今、消えてしまった。