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11.涙

ー/ー



 やや動揺しつつもエイドリアンは目を泳がす。

「あいつがおまえのことを好きだからだろう……」

 父親の言葉にミルドレッドは一瞬動きを止めた。そして、

「…… よく、わかりました。部屋に戻ります」

 そう言って身を翻したミルドレッドに、エイドリアンはえ、とまたもや動揺した様子を見せる。父の反応など確認する余裕もなく部屋を出ようとしたミルドレッドは、扉の前でふと立ち止まる。

「神の遣いの件はお引き受けしますのでご心配なく。私のことが別に好きでないお父様にとっては将来私が神殿に入った方がご都合がよろしいでしょうから!」

 ばん、と荒々しく扉が閉じられ、ミルドレッドが去る。彼女の言葉に茫然としていた王がその言葉の意味に気づくのは、姫が去ってしばらく経ってからのことだった。




 なんだか城内がさわがしい。ユージーンは珍しく城門の警備にあたっていた。すっかり日も暮れて、ミルドレッドもそろそろ夕食を摂っている時分だろうか。ユージーンももう少し経てば交替して騎士の宿舎で夕食を摂って、ミルドレッドからの呼び出しがなければそのまま就寝となる。

 今年十六になって成人したからには、ひょっとするとミルドレッドつきの護衛になれるかもと期待もしたが、そもそもミルドレッドは窮屈なのが苦手なきらいがあって王や王妃、ベンジャミン王子のようにどこでも護衛を引き連れてはいない。

(今でじゅうぶん幼馴染ということもあってそばにいさせてもらえるから特別文句は……)

 ふと、ユージーンは聖都でのことを思い出した。いっときでも姫から目を離した自分が悪いとはいえ、気づかないうちに連れ去られてしまった。
 くそ、と心の内でユージーンは悪態を吐く。
 あいつには。あいつにだけは。

「おい、ユージーン。あれ」

 同じように城門で警備にあたっていた同僚の騎士が、ユージーンに声をかける。顔を上げるとミルドレッドがこちらに向かって歩いてきていた。あれ、などというのは本来失礼だが、明らかに例外といった様子で他の騎士や侍従に止められながらこちらへずんずんと歩いてくる姿に思わずそんな言葉が出てしまうのも理解できた。

「―― 姫様? どうし……」
「―― なんでっ」

 幼馴染の騎士のところへ来るなり、姫は両のこぶしを振り上げる。

「いつものところにいないのよ、ばかっ!」

 こぶしの胸板へと振り下ろされて、ユージーンはうめいた。ことのいきさつなどひとつも知らないが、長い付き合いだ、彼女の声の調子から、完全なる八つ当たりであることがわかる。
 ユージーンは彼女を受け止めつつ、後ろから追ってきた侍従、次いで同じく城門を守っていた騎士に目配せした。狭い場所だが、とりあえず姫を詰所の中の椅子にうながす。

「いったいどう……」

 したんですか、と続くはずだった言葉は、ミルドレッドの顔を見るなりどこかへ消え去る。
 突然何の予告もなく姫の瞳からあふれだした涙に、ユージーンはぎょっとして動きを止める。小さい頃は何度もあった。それこそ、彼女の母親が亡くなったばかりの頃とか。ユージーンも幼いなりに必死に慰めたが、彼女にとってそれがよかったのかはわからない。

「し、しっ神殿の、お祭りの、お父様が」

 神殿のお祭りのお父様?
 めちゃくちゃな言葉の羅列にユージーンは首を傾げるが、口には出さずに黙って聞くことにする。

「いつも全然私の話聞いてくれないのに、私のこと話を聞かないって怒って、私はユージーンは絶対私の話を聞いてくれるって言ったら」

 泣きながら話していては喉が渇くだろうと思い、近くの水差しを手に取る。変えたのは交替の時だったから、もうだいぶぬるくなっているだろうか。ぬるい水では余計に喉が渇くだろうし、少し飲んで確認しようと置いてあった木製のカップに水を注ぎ、口に含む。

「そしたら、それはユージーンが私のことを好きだからだって言って」

 瞬間、ユージーンは水を噴き出した。ミルドレッドにはかけずに済んだが、水が気管に入り込んでしまったのか咳き込むのが止まらない。

「ねえこれって私のことは別に好きじゃないってことよね?」
「―― は、ええ?」

 涙声でうったえられ、ユージーンは咳き込みながらもどうにか返事をしようとする。しかしまだ苦しげに呼吸を整えているユージーンの前で、ミルドレッドは話を続ける。

「そりゃ、ベンの方が頭も良いし落ち着いてるし、私みたいのよりもベンを可愛がりたい気持ちもわかるけど、でもだからってそれを本人に向かってはっきり言う?」

 ミルドレッドは怒りの感情の方が強くなってきたのか、こぶしを振りかざし力説すると水差しをひっつかんでたった今ユージーンが水を飲んだカップに注いでぐいっと中身を一気飲みした。予期せぬ言動に、ユージーンはすべての動作を停止させてミルドレッドを凝視する。
 その視線には気付かずに、ミルドレッドはカップを置くと深いため息を吐いた。

「ねえ、今日ユージーンの部屋に泊まっていい?」
「は?」

 服やテーブルの端についた水を拭きながらようやく平静を取り戻しかけたそばからそんなことを言われて、ユージーンは意図せず無礼と取られてもおかしくない声を上げる。

「だめ?」
「い―― いいわけがないでしょう」
「昔はよく並んで昼寝したじゃない」
「もう子どもじゃないでしょう、お互いに」

 引き下がらない姫の様子にどう対応すべきか困り果てていると、詰所の入り口にさっきまで一緒に見張りをしていた同僚の騎士がひょいと顔を出す。

「すまん、ユージーン。この簿冊なんだけど」
「あ、はい」

 まさに助け舟とばかりに、ユージーンは席を立つ。

「申し訳ありません、姫様。すぐに終わりますので」

 同僚の騎士が言って、ユージーンもすみませんと断って詰所を出る。すると彼は心配そうな顔で声をひそめる。

「大丈夫か? もしだったら俺、侍従長とか呼んでこようか」
「ああ、いえ……。多分しばらくごねたら落ち着くので、しばらくそのへんをうろついてから部屋にお送りしようかと」

 ユージーンはそう言って、すまなそうに眉尻を下げる。

「すみませんが、少しだけここをお任せしていいですか? 姫様をお送りして、交替までには戻るので」
「いいよ、いいよ。どうせもうすぐ交替の奴らが来るからさ、おまえはこのまま上がって、姫様についててやれよ」
「…… すみません。そうします」

 同僚の言葉に素直に甘えることにして、ユージーンはミルドレッドのところへ戻った。

「姫様、とりあえずお部屋に戻りましょう。お供しますから」

 姫の座る椅子の前に膝をついて言えば、彼女は即座に「いやよ」と返してきた。

「城に戻ったらお父様と鉢合わせするかもしれないし、ていうかすぐ上の階にいるし…… 今はフェリシア様ともベンジャミンとも顔を合わせたくないんだもの」
「…… じゃあ、騎士の宿舎の方から行きましょう。あまり遅くなると、今度は仕事終わりの陛下と鉢合わせになってしまいますよ」

 そう告げるとミルドレッドはしぶしぶといった様子で立ち上がり詰所を出た。ユージーンは、同僚にひとつ目礼してからミルドレッドとともに城門を去った。



 表から入るとユージーンと同じように勤務を交替して食堂に向かう騎士と大勢すれ違ってしまうので、中庭からぐるっとまわって別口から入ることにする。

「あ」

 中庭を通り抜けようとしたところで、ミルドレッドが足を止める。


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 やや動揺しつつもエイドリアンは目を泳がす。
「あいつがおまえのことを好きだからだろう……」
 父親の言葉にミルドレッドは一瞬動きを止めた。そして、
「…… よく、わかりました。部屋に戻ります」
 そう言って身を翻したミルドレッドに、エイドリアンはえ、とまたもや動揺した様子を見せる。父の反応など確認する余裕もなく部屋を出ようとしたミルドレッドは、扉の前でふと立ち止まる。
「神の遣いの件はお引き受けしますのでご心配なく。私のことが別に好きでないお父様にとっては将来私が神殿に入った方がご都合がよろしいでしょうから!」
 ばん、と荒々しく扉が閉じられ、ミルドレッドが去る。彼女の言葉に茫然としていた王がその言葉の意味に気づくのは、姫が去ってしばらく経ってからのことだった。
 なんだか城内がさわがしい。ユージーンは珍しく城門の警備にあたっていた。すっかり日も暮れて、ミルドレッドもそろそろ夕食を摂っている時分だろうか。ユージーンももう少し経てば交替して騎士の宿舎で夕食を摂って、ミルドレッドからの呼び出しがなければそのまま就寝となる。
 今年十六になって成人したからには、ひょっとするとミルドレッドつきの護衛になれるかもと期待もしたが、そもそもミルドレッドは窮屈なのが苦手なきらいがあって王や王妃、ベンジャミン王子のようにどこでも護衛を引き連れてはいない。
(今でじゅうぶん幼馴染ということもあってそばにいさせてもらえるから特別文句は……)
 ふと、ユージーンは聖都でのことを思い出した。いっときでも姫から目を離した自分が悪いとはいえ、気づかないうちに連れ去られてしまった。
 くそ、と心の内でユージーンは悪態を吐く。
 あいつには。あいつにだけは。
「おい、ユージーン。あれ」
 同じように城門で警備にあたっていた同僚の騎士が、ユージーンに声をかける。顔を上げるとミルドレッドがこちらに向かって歩いてきていた。あれ、などというのは本来失礼だが、明らかに例外といった様子で他の騎士や侍従に止められながらこちらへずんずんと歩いてくる姿に思わずそんな言葉が出てしまうのも理解できた。
「―― 姫様? どうし……」
「―― なんでっ」
 幼馴染の騎士のところへ来るなり、姫は両のこぶしを振り上げる。
「いつものところにいないのよ、ばかっ!」
 こぶしの胸板へと振り下ろされて、ユージーンはうめいた。ことのいきさつなどひとつも知らないが、長い付き合いだ、彼女の声の調子から、完全なる八つ当たりであることがわかる。
 ユージーンは彼女を受け止めつつ、後ろから追ってきた侍従、次いで同じく城門を守っていた騎士に目配せした。狭い場所だが、とりあえず姫を詰所の中の椅子にうながす。
「いったいどう……」
 したんですか、と続くはずだった言葉は、ミルドレッドの顔を見るなりどこかへ消え去る。
 突然何の予告もなく姫の瞳からあふれだした涙に、ユージーンはぎょっとして動きを止める。小さい頃は何度もあった。それこそ、彼女の母親が亡くなったばかりの頃とか。ユージーンも幼いなりに必死に慰めたが、彼女にとってそれがよかったのかはわからない。
「し、しっ神殿の、お祭りの、お父様が」
 神殿のお祭りのお父様?
 めちゃくちゃな言葉の羅列にユージーンは首を傾げるが、口には出さずに黙って聞くことにする。
「いつも全然私の話聞いてくれないのに、私のこと話を聞かないって怒って、私はユージーンは絶対私の話を聞いてくれるって言ったら」
 泣きながら話していては喉が渇くだろうと思い、近くの水差しを手に取る。変えたのは交替の時だったから、もうだいぶぬるくなっているだろうか。ぬるい水では余計に喉が渇くだろうし、少し飲んで確認しようと置いてあった木製のカップに水を注ぎ、口に含む。
「そしたら、それはユージーンが私のことを好きだからだって言って」
 瞬間、ユージーンは水を噴き出した。ミルドレッドにはかけずに済んだが、水が気管に入り込んでしまったのか咳き込むのが止まらない。
「ねえこれって私のことは別に好きじゃないってことよね?」
「―― は、ええ?」
 涙声でうったえられ、ユージーンは咳き込みながらもどうにか返事をしようとする。しかしまだ苦しげに呼吸を整えているユージーンの前で、ミルドレッドは話を続ける。
「そりゃ、ベンの方が頭も良いし落ち着いてるし、私みたいのよりもベンを可愛がりたい気持ちもわかるけど、でもだからってそれを本人に向かってはっきり言う?」
 ミルドレッドは怒りの感情の方が強くなってきたのか、こぶしを振りかざし力説すると水差しをひっつかんでたった今ユージーンが水を飲んだカップに注いでぐいっと中身を一気飲みした。予期せぬ言動に、ユージーンはすべての動作を停止させてミルドレッドを凝視する。
 その視線には気付かずに、ミルドレッドはカップを置くと深いため息を吐いた。
「ねえ、今日ユージーンの部屋に泊まっていい?」
「は?」
 服やテーブルの端についた水を拭きながらようやく平静を取り戻しかけたそばからそんなことを言われて、ユージーンは意図せず無礼と取られてもおかしくない声を上げる。
「だめ?」
「い―― いいわけがないでしょう」
「昔はよく並んで昼寝したじゃない」
「もう子どもじゃないでしょう、お互いに」
 引き下がらない姫の様子にどう対応すべきか困り果てていると、詰所の入り口にさっきまで一緒に見張りをしていた同僚の騎士がひょいと顔を出す。
「すまん、ユージーン。この簿冊なんだけど」
「あ、はい」
 まさに助け舟とばかりに、ユージーンは席を立つ。
「申し訳ありません、姫様。すぐに終わりますので」
 同僚の騎士が言って、ユージーンもすみませんと断って詰所を出る。すると彼は心配そうな顔で声をひそめる。
「大丈夫か? もしだったら俺、侍従長とか呼んでこようか」
「ああ、いえ……。多分しばらくごねたら落ち着くので、しばらくそのへんをうろついてから部屋にお送りしようかと」
 ユージーンはそう言って、すまなそうに眉尻を下げる。
「すみませんが、少しだけここをお任せしていいですか? 姫様をお送りして、交替までには戻るので」
「いいよ、いいよ。どうせもうすぐ交替の奴らが来るからさ、おまえはこのまま上がって、姫様についててやれよ」
「…… すみません。そうします」
 同僚の言葉に素直に甘えることにして、ユージーンはミルドレッドのところへ戻った。
「姫様、とりあえずお部屋に戻りましょう。お供しますから」
 姫の座る椅子の前に膝をついて言えば、彼女は即座に「いやよ」と返してきた。
「城に戻ったらお父様と鉢合わせするかもしれないし、ていうかすぐ上の階にいるし…… 今はフェリシア様ともベンジャミンとも顔を合わせたくないんだもの」
「…… じゃあ、騎士の宿舎の方から行きましょう。あまり遅くなると、今度は仕事終わりの陛下と鉢合わせになってしまいますよ」
 そう告げるとミルドレッドはしぶしぶといった様子で立ち上がり詰所を出た。ユージーンは、同僚にひとつ目礼してからミルドレッドとともに城門を去った。
 表から入るとユージーンと同じように勤務を交替して食堂に向かう騎士と大勢すれ違ってしまうので、中庭からぐるっとまわって別口から入ることにする。
「あ」
 中庭を通り抜けようとしたところで、ミルドレッドが足を止める。