#1 石人形に贈る鉄華
ー/ー 月明かりに照らされた屋敷のエントランスは、ひどく静かだった。
白い石畳に深い亀裂が走っている。柱の根元は抉れ、壁には何か巨大なものが暴れた跡が、生々しく残されていた。
その静寂を、銀髪の少女の鋭い制止が断ち切る。
「シッ!!」
踏み込みと同時に、銀閃が横一文字に走った。振り抜かれた剣へ、ほとんど同じ瞬間、石斧が真正面から噛み合う。火花は散らない。代わりに、硬質な衝撃だけが空気を抉った。
エレンの眼前にいたのは、全身を石で鎧った魔物――ガーゴイル。墓標がそのまま動き出したような、無骨な巨躯。ぎらつく視線でエレンを捉えたまま、石の羽を大きくはためかせ、地を蹴って跳び上がる。
次の瞬間、斧の先端の突起が、槍のように射出された。
エレンは剣で正面から叩き、軌道を外す。逸れた刃先が脇をかすめるより先に、ガーゴイルはもう次の手に移っていた。石の腕が唸る。間髪入れずの連続突き。急所を狙う、直線的な刺突の連打。
それを、エレンは手首だけで弾いていた。
大きく動かない。剣の腹を、刃筋を、ほんの数度傾ける。それだけで石の槍はことごとく軌道を逸らされ、虚空を抉る。最小の動きで、最大の質量を躱していく。
硬い。重い。だが、速さは読める。
捌き続ける中で、ほんの一瞬、石の腕の戻りが鈍った。
そこへ、エレンは滑り込んだ。剣を振りかぶることはしない。最短の軌道で力を乗せ、脇腹へ叩きつける。
「グォ……!」
鈍い悲鳴。巨体が揺れる。だが、外殻は砕けない。食い込んだ感触はあっても、決定打には遠かった。
「ちっ。相変わらず硬いが、リズムは掴めた」
舌打ちした直後、ガーゴイルが動いた。崩れたように見せたのは誘いだったのか、石の尾が唸りを上げて横薙ぎに振り抜かれる。狙いは顔面。まともに受ければ、首ごと持っていかれる一撃だった。
「甘い」
半歩、踏み込んだ。尾の根元に身体を寄せ、振り抜かれる遠心力の内側――威力が乗り切らない、ただ一点。そこへ滑り込んで、足の甲で尾の側面を掬い上げるように蹴り上げる。
軌道がずれる。狂った尾は壁へ叩きつけられ、石片を散らした。
その最中、柔らかな声が胸の内へ響く。
『エレン、大丈夫?』
張り詰めた空気の中で、その声だけが不思議なほど近かった。
「ああ。この身体の膂力が通じないのは予測済みだ」
『うぅ……ごめんね……』
胸の奥でしょんぼりと沈む声がした瞬間、エレンの眼差しに、微かな柔らかさが差した。
「エレナ。君は本来、戦いには向いていない。だから――」
言い終えるより早く、ガーゴイルが咆哮を轟かせる。攻撃をことごとく捌かれた苛立ちが、石の顔に濃く刻まれていた。振り上げられた斧槍が、唸りを上げて真上から叩き落とされる。
身体をしなやかに捻り、紙一重で軌道を外す。斧槍が石畳を砕いた轟音の中、エレンはすでに宙にいた。床を蹴った勢いを殺さず、裂けるように跳ぶ。靴底が触れたのは、天井から吊るされた巨大なシャンデリアの縁だった。
「私がいる」
月明かりと燭台の残光を受けて、シャンデリアは鈍くきらめいている。垂れ下がる装飾は華美というほかないが、支える鎖は太く、土台はやけに重そうだった。
真下では、ガーゴイルが視線を忙しなく巡らせている。自ら巻き上げた砂塵がまだ薄く漂い、巨体は標的を見失ったまま、苛立たしげに羽を鳴らしていた。
「このシャンデリア、随分と立派だな。そう思わないか、エレナ?」
『エレン……? 何、するつもり??』
不穏さを察した声に、エレンはわずかに口元を緩める。
「見た目は少々煌びやかだが、質量は見事なものだ。飾りなど本来は何の役にも立たん。だが、重さを増しているという一点だけ見れば――まあ、役に立ったな」
『エレン……!? まさか……!!』
その一言で、エレナも悟った。次に何が起こるのかを。
だが、理解した時にはもう遅い。
エレンは躊躇なく剣を横へ薙いだ。鋼の軌跡が一閃し、シャンデリアを支える太い鎖が断ち切られる。
「プレゼントだ。石人形」
重力に引かれた巨塊が、一瞬の浮遊のあとで落ちた。
轟音。
きらびやかな飾りを纏ったまま、シャンデリアは真下のガーゴイルへ降り注ぎ、叩きつけられる。石と金属の砕け合う音が、屋敷の壁という壁を震わせた。
「っと」
その直前、エレンは軽やかに飛び降りていた。床へ危なげなく着地し、舞い上がった埃を鬱陶しそうに手で払う。
崩れた残骸の下には、もはや原形を留めていない石片が転がっていた。つい先ほどまでガーゴイルだったと分かるのは、羽の欠片と尾の破片が混じっている、その程度。
『エ、エ、エ、エレン!? なにしてるの!?』
「なに、と言われても、見れば分かるだろう。私の攻撃は通じない。だから、ちょうどいい質量を持つこのシャンデリアを武器にさせてもらっただけだが?」
さらりと言ってのけて、エレンは壊れたシャンデリアを一瞥する。
「まあ、少々威力は高すぎたようだがな」
『いや、それは分かるよ!?』
「……文句が多いな」
『当然でしょ!!?? こ、このシャンデリア絶対高いって……!! それに床の修繕費も……!』
視線の先では、石床まで見事に砕けていた。大きく抉れた凹みの中心に金属片と石片が散り、元の優雅さは跡形もない。
「なに、聖堂の金を使えばいいだろう」
『……エレン、当分ピザ抜きね』
「な、なにぃ!? それとこれとは話が……!」
『エレンがこんなに屋敷を破損させなければよかったでしょぉ!??』
「む、むうう……」
不服そうに唸った、その直後だった。
『はぁぁ……。私が頑張らないと……』
深いため息まじりの一言が、胸の内に静かに落ちる。
エレンは何か言い返そうとして、結局できなかった。赤い瞳がわずかに泳ぎ、口元が引きつる。ガーゴイル相手には一歩も引かなかった者が、見えない場所から飛んできたその一言には、どうにも弱いらしい。
砕けたシャンデリアの残骸が、月明かりを鈍く弾いていた。さっきまでの激戦が嘘のような沈黙の中で、ひとり取り残されたように、エレンだけが言葉を失っている。
「……ピザの件は納得いかないが、ともあれ討伐依頼は達成だ。冒険者ギルドに寄って報告していく」
白い石畳に深い亀裂が走っている。柱の根元は抉れ、壁には何か巨大なものが暴れた跡が、生々しく残されていた。
その静寂を、銀髪の少女の鋭い制止が断ち切る。
「シッ!!」
踏み込みと同時に、銀閃が横一文字に走った。振り抜かれた剣へ、ほとんど同じ瞬間、石斧が真正面から噛み合う。火花は散らない。代わりに、硬質な衝撃だけが空気を抉った。
エレンの眼前にいたのは、全身を石で鎧った魔物――ガーゴイル。墓標がそのまま動き出したような、無骨な巨躯。ぎらつく視線でエレンを捉えたまま、石の羽を大きくはためかせ、地を蹴って跳び上がる。
次の瞬間、斧の先端の突起が、槍のように射出された。
エレンは剣で正面から叩き、軌道を外す。逸れた刃先が脇をかすめるより先に、ガーゴイルはもう次の手に移っていた。石の腕が唸る。間髪入れずの連続突き。急所を狙う、直線的な刺突の連打。
それを、エレンは手首だけで弾いていた。
大きく動かない。剣の腹を、刃筋を、ほんの数度傾ける。それだけで石の槍はことごとく軌道を逸らされ、虚空を抉る。最小の動きで、最大の質量を躱していく。
硬い。重い。だが、速さは読める。
捌き続ける中で、ほんの一瞬、石の腕の戻りが鈍った。
そこへ、エレンは滑り込んだ。剣を振りかぶることはしない。最短の軌道で力を乗せ、脇腹へ叩きつける。
「グォ……!」
鈍い悲鳴。巨体が揺れる。だが、外殻は砕けない。食い込んだ感触はあっても、決定打には遠かった。
「ちっ。相変わらず硬いが、リズムは掴めた」
舌打ちした直後、ガーゴイルが動いた。崩れたように見せたのは誘いだったのか、石の尾が唸りを上げて横薙ぎに振り抜かれる。狙いは顔面。まともに受ければ、首ごと持っていかれる一撃だった。
「甘い」
半歩、踏み込んだ。尾の根元に身体を寄せ、振り抜かれる遠心力の内側――威力が乗り切らない、ただ一点。そこへ滑り込んで、足の甲で尾の側面を掬い上げるように蹴り上げる。
軌道がずれる。狂った尾は壁へ叩きつけられ、石片を散らした。
その最中、柔らかな声が胸の内へ響く。
『エレン、大丈夫?』
張り詰めた空気の中で、その声だけが不思議なほど近かった。
「ああ。この身体の膂力が通じないのは予測済みだ」
『うぅ……ごめんね……』
胸の奥でしょんぼりと沈む声がした瞬間、エレンの眼差しに、微かな柔らかさが差した。
「エレナ。君は本来、戦いには向いていない。だから――」
言い終えるより早く、ガーゴイルが咆哮を轟かせる。攻撃をことごとく捌かれた苛立ちが、石の顔に濃く刻まれていた。振り上げられた斧槍が、唸りを上げて真上から叩き落とされる。
身体をしなやかに捻り、紙一重で軌道を外す。斧槍が石畳を砕いた轟音の中、エレンはすでに宙にいた。床を蹴った勢いを殺さず、裂けるように跳ぶ。靴底が触れたのは、天井から吊るされた巨大なシャンデリアの縁だった。
「私がいる」
月明かりと燭台の残光を受けて、シャンデリアは鈍くきらめいている。垂れ下がる装飾は華美というほかないが、支える鎖は太く、土台はやけに重そうだった。
真下では、ガーゴイルが視線を忙しなく巡らせている。自ら巻き上げた砂塵がまだ薄く漂い、巨体は標的を見失ったまま、苛立たしげに羽を鳴らしていた。
「このシャンデリア、随分と立派だな。そう思わないか、エレナ?」
『エレン……? 何、するつもり??』
不穏さを察した声に、エレンはわずかに口元を緩める。
「見た目は少々煌びやかだが、質量は見事なものだ。飾りなど本来は何の役にも立たん。だが、重さを増しているという一点だけ見れば――まあ、役に立ったな」
『エレン……!? まさか……!!』
その一言で、エレナも悟った。次に何が起こるのかを。
だが、理解した時にはもう遅い。
エレンは躊躇なく剣を横へ薙いだ。鋼の軌跡が一閃し、シャンデリアを支える太い鎖が断ち切られる。
「プレゼントだ。石人形」
重力に引かれた巨塊が、一瞬の浮遊のあとで落ちた。
轟音。
きらびやかな飾りを纏ったまま、シャンデリアは真下のガーゴイルへ降り注ぎ、叩きつけられる。石と金属の砕け合う音が、屋敷の壁という壁を震わせた。
「っと」
その直前、エレンは軽やかに飛び降りていた。床へ危なげなく着地し、舞い上がった埃を鬱陶しそうに手で払う。
崩れた残骸の下には、もはや原形を留めていない石片が転がっていた。つい先ほどまでガーゴイルだったと分かるのは、羽の欠片と尾の破片が混じっている、その程度。
『エ、エ、エ、エレン!? なにしてるの!?』
「なに、と言われても、見れば分かるだろう。私の攻撃は通じない。だから、ちょうどいい質量を持つこのシャンデリアを武器にさせてもらっただけだが?」
さらりと言ってのけて、エレンは壊れたシャンデリアを一瞥する。
「まあ、少々威力は高すぎたようだがな」
『いや、それは分かるよ!?』
「……文句が多いな」
『当然でしょ!!?? こ、このシャンデリア絶対高いって……!! それに床の修繕費も……!』
視線の先では、石床まで見事に砕けていた。大きく抉れた凹みの中心に金属片と石片が散り、元の優雅さは跡形もない。
「なに、聖堂の金を使えばいいだろう」
『……エレン、当分ピザ抜きね』
「な、なにぃ!? それとこれとは話が……!」
『エレンがこんなに屋敷を破損させなければよかったでしょぉ!??』
「む、むうう……」
不服そうに唸った、その直後だった。
『はぁぁ……。私が頑張らないと……』
深いため息まじりの一言が、胸の内に静かに落ちる。
エレンは何か言い返そうとして、結局できなかった。赤い瞳がわずかに泳ぎ、口元が引きつる。ガーゴイル相手には一歩も引かなかった者が、見えない場所から飛んできたその一言には、どうにも弱いらしい。
砕けたシャンデリアの残骸が、月明かりを鈍く弾いていた。さっきまでの激戦が嘘のような沈黙の中で、ひとり取り残されたように、エレンだけが言葉を失っている。
「……ピザの件は納得いかないが、ともあれ討伐依頼は達成だ。冒険者ギルドに寄って報告していく」
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