表示設定
表示設定
目次 目次




08

ー/ー



 宇宙のような空間を辿り、元いた砂漠に出る。

 アリィはもらった外套を纏い、強い日の光から肌を守った。

 ユオも同じく、外套で日差しから身を隠す。

 朝に出てからそれほど経っていないはずなのに、岩の道を抜けたのは夕方近くになっていた。

 町に向かった時もそうだったが、時間のズレが生じるようだ。

 西陽が強くて暑いと思いきや、どこか涼しくて歩きやすい。

(外套に仕掛けがしてあるんだわ。炎と水の魔力を持っている人が、作ってくれたのかしら)

 体は涼しいのに、ひとつひとつの気遣いに心は暖かくなる。

 じんわりと心を溶かすアリィの隣で、ユオの外套からガサガサと音がした。

「にゃあ」

「君はトランって名前にしようか」

 猫の鳴き声に、ユオの声。

 見ると、彼の外套のフードの部分から、子猫が顔を出しているのだ。

 ただの猫ではなく、水色の縞模様の珍しい猫だった。

 顎とお腹、四本の足の先は白く、目は真ん丸だ。

 白い花のリボンの首輪には、赤い光を帯びた黒い宝石が埋め込まれている。

 普通の猫とは違い、背中には小さな白い翼が生えているのが印象的だ。

(可愛いわ!)

 アリィは一目見ただけで、その子猫を気に入った。

 ただ、どこから拾ってきたのかは謎だった。

「その子は……?」

魔法絡繰(オートマタ)のトランだよ。これから旅をするにあたって、この子を君の傍に付けておこうかなって」

「本物の猫ちゃんかと思ったわ。護衛ってこと?」

「そうそう。色んな機能も搭載してるよ。たとえば、君がはぐれた時に、僕とすぐに引き合わせることができる。少しなら魔法も出力できるから、君の身を守ってくれるだろう」

 猫はユオの首元に居座り、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頬をこすりつけている。

(私も触りたいわ!)

 アリィは目を輝かせて猫を見つめた。

 すると子猫はアリィを見下ろし、お尻をふりふりと揺らす。

 滑空するようにして、ゆっくりと肩の上に乗った。

 それから「にゃあ」とひと鳴きし、華奢な肩に居座ったのだ。

「可愛い……猫は大好きなの。トラン、よろしくね」

 香箱座りして居座る猫を撫でると、肉球でアリィの肩を地ならしする。

「トランは荷物係にもなるよ。僕の闇魔法で、収納できる空間と繋げてるんだ」

「可愛くて優秀なのね。もしかして、ずっとこの子を作ってたの?」

「そうそう。君に会ってから思いついたんだ。イメージが湧いたら、作らずにはいられなくてね」

「あの岩の道と言い、貴方はすごい魔法技師なのね」

「僕ならではの発明ってところだよ。そうだ、これから目指すところを共有しておこう。トラン、地図を」

 アリィに褒められて照れて笑うユオは、少し格好つけてトランに命令する。

「にゃっ!

 トランは言葉を理解しているのか、返事をすると黄緑色のトパーズのような瞳を光らせた。

 その視線の先には、空中に光で作られた地図が浮かび上がる。

 物質ではなく、光で構成された投影のようだった。

 現れた世界地図は、見たいところを拡大することもできて、現在地も表示されている。

 今はカナン帝国の、首都から少し離れた砂漠の中にいる。

 ユオの顔を模したようなイラストが、示すように点滅していた。

 アリィが驚かなかったのは、出鶴ではそういった技術が進んでいるからだ。

「今、僕らはここにいるんだ」

「位置情報ね。私のも登録して?」

「いいけど、嫌じゃないの?」

「嫌じゃないわ。はぐれた時が怖いもの」

 この頃にはもう、アリィはユオのことを信じていた。

 たとえ登録したとしても、変な使い方はされないと確信するほどに。

 そんな純粋な眼差しに、ユオは微笑んだ。

「僕だって、悪い男かも知れないよ? 君が僕を嫌いになって、逃げたとして……追いかけちゃうかも」

 少し声が低くなり、半ば本気のように語るのだが――アリィはそれでも、彼を信じることに変わりはなかった。

「ユオシェム様は、私が嫌がることなんてしないわ」

 と、揺るぎない信頼を語り、アリィは穏やかに笑うばかりだ。

 そうするとユオも折れ、トランを抱え上げる。

 目から出ていた地図は、トランが視線を逸らしても同じ場所に浮かんだままだ。

「トラン、お姫様を登録してあげて」

 するとトランはアリィに向かって飛んでいき、鼻と鼻を突き合わせた。

 それだけで、地図の中にアリィのアイコンが浮かび上がる。

「ありがとう。ふふ、これで本当の仲間になったみたいだわ」

 地図を見上げてニコニコと満足気に笑うアリィは、そのままの愛らしい顔でユオを見上げる。

(もしかして、男だって意識されてない……?)

 ユオも笑顔を返したが、内心は騒めいていた。

「今がこの辺りなら、神秘の器(アルカナ)が近くに眠っているはずなの。北西に向かう、この辺りに三角錐の建造物があるわよね。陵墓かしら」

 アリィはユオの心情はつゆ知らず、空中の地図を指さして話を続ける。

「そうそう。そこにあるのは〈千夜の陵墓〉だね。地下に皇族を埋葬してるんだ。母上もそこに眠ってることになってるよ。確かに、ジナビアに行く前に寄れそうだね」

「やっぱり、お墓なのね。出鶴の王族もそういうお墓があるのだけど……少し怖いわ」

「大丈夫だよ。幽霊がいたら僕が倒してあげる」

 何とか男として見られたいのか、ユオは遠くの魔物を闇の魔法で粉砕して見せた。

「で、でも、幽霊がいるとしたら、元は人間のはずだから……追い払うだけにしてね?」

 アリィはその強さに注目して、彼の思惑どおりに見とれてしまう。

 同時に、幽霊は怖くても、魔物と同じように倒されるのは可哀想だと感じた。

「分かったよ。陵墓に行く前に、他の仲間と合流する運びで行こう……君のお兄さんもね。いいかな?」

 ユオはアリィの心の状態を見て、兄と会わせることを提案した。

 今の彼女なら大丈夫だと感じ、様子を窺う。

「うん、大丈夫よ」

 アリィも心の準備はできていた。

 閉じ込められた期間は孤独で、取り戻せない時間だが――家族にも事情があったと知ったのだ。

 逃げずに会って話したいからこそ、旅に出たのである。

「君のお兄さんはずっと、君のことばかり考えていたんだ。それでも許せなかったら、その時は君の味方をするからね」

「お兄様とは友達なのに?」

「君は婚約者だもん、一番に優先するよ」

 再会することに多少の不安はありながらも、アリィはユオの言葉で完全に安心した。

(形式的なものなのに、髪飾りもくれたし、トランも作ってくれて……義理堅いのね)

 安堵しながらも、胸は高鳴ってくる。

 それからは歩きながらトランの機能を試しつつ、和やかな旅の始まりを噛み締めた。


 ☾


 初日の夜は、砂漠の中で野営となる。

 アリィには初めてのことばかりだが、あらかじめユオがトランの中に色々と仕込んでいたようだ。

 インスタントの食料やキャンプ用品で、そこそこ快適に過ごした。

 もらった外套は温度を適切にしてくれるもので、砂漠の夜でも寒くはない。

 初めての交換日記を書きながら、先に書いてあったユオのコメントに思わず微笑んだ。

(ユオシェム様はずっと私のペースに合わせてくれるから、思ったより疲れてない……でも、心臓が変だわ)

 アリィはユオのことを考える度に、胸がドキドキすることに気付き始めていた。

 ふと思い出したのは、幽閉中に読んだ古典的な恋愛小説だ。

 恋をしたら胸が高鳴ると、本に書いてあった。

(ち、違うわ、恋なんかじゃないもの。まだ出会ってそんなに経っていないのに、好きになるなんて……はしたないじゃない)

 アリィは一人で自問自答して否定し、赤くなったり青ざめたりと、表情をくるくると変えた。

(何考えてるんだろ、可愛い)

 ユオは表情が豊かになった彼女を眺め、静かに微笑む。

「そ、そういえば、シドゥル皇太子の妻になった人は亡くなったっていうのは、本当なの?」

 一人で恥ずかしくなったアリィは、話題を変える。

 『皇太子から救出したお姫様と旅に出る』とあったので、そこから思わず話題を出してしまった。

 書き終わった日記をトランに預け、熱くなった顔を仰ぐ。

「本当だよ。今は三十四歳で、最初に妻をもらったのが、僕が生まれた頃らしいけど。その頃から変態性癖みたいで、妃は死ぬまで弄ばれたんだって」

「そんな……それでも問題にならなかったのね」

「あえて貴族からは妻を迎えず、何人もの平民の女性を召し上げてたみたいだよ。しかも、何歳になっても十代の子ばかり」

「惨いわね……三十四歳って、私の両親と五つしか変わらないもの。貴族で迎えられたのは私だけなの?」

「もう一人、別の国の王女を妃に迎えようとしてたね。僕が逃したけど」

「そう……その人も逃げられたみたいで、本当によかったわ」

 他の人が逃げ果せたのはいいことなのに、アリィは胸が苦しくなる。

 ユオの口から他の女性の話題が出たことが原因だった。

(その人かしら……シャロとロナが話してた、ユオシェム様が連れてきた女性というのは)

 姉妹が話していたことと重なって、それがユオの恋人なのではないかとアリィは考えた。

 またも複雑な気持ちにさせられる。

 谷底にその女性はいなかったが、この婚約のためにいなくなったのなら申し訳ないのだ。

「僕は料理ができないから、近くの街に着くまでこういう食事で我慢してね」

 焚き火でお湯を沸かし、それをカップに入れて、ユオは粉末と混ぜてスープを作る。

 そこに缶に入っていたパンを添え、今夜の食事とした。

(どうしたんだろう。皇太子のことを思い出して、怖くなったのかな)

 アリィの表情がまた曇ったから、話題を変えたのだ。

「十分よ、ありがとう。美味しいわ」

 暖かいスープには湯気が上っている。

 コーンの甘みが口いっぱいに広がり、アリィはパンと一緒に食べて感激した。

 そんな彼女を見て、ユオも嬉しそうに笑う。


 ひと息つきながら、アリィは空を見上げた。

 大きな赤い星を、じっと見つめてしまう。

「あれ、不気味だよね」

 ユオはアリィの疑問を察したのか、一人で十人分くらいの食料を平らげながら言った。

(すごく食べるのね)

 アリィも兄もそんなに食べる方ではなかったので、見ていて楽しくなってくる。

「星慧教団の教えって変よね。花嫁には純潔を強要したかと思えば、不倫を推奨したり……矛盾してるわ」

 アリィはスープとパンでお腹がいっぱいになり、良好な精神状態で星慧教団への疑問を語った。

「不倫もさ、女性は咎められるよね。何でだろうね?」

 ユオは弟たちにもそうだったが、自分で考えることを推奨している。

 アリィにも答えを簡単に与えず、質問をしたのだった。

「あの赤い星を目覚めさせるのが目的なら、本懐は破壊や工作じゃないかしら」

「一理あるね。彼らが本気になれば、人類を滅ぼせる。そうしないのは、人類の自滅が一番のエネルギーになるからだよ」

「だったら、尚更だわ。星慧教団の教えというものは、幹部が得をするためのものだと思うの。矜持も、道徳も、彼らにはないんだわ」

 アリィとしては考えられないことだが、今の状況からそう捉えざるを得ないのだ。

 幼い頃から歴史を学ぶ中で、世界政府には疑問しか残らなかった。

 出鶴の歴史も自虐的な史観ばかりだが、今思うとそれも仕組まれているように感じる。

「まさにそうだと思うよ。架空のものを崇めるだけのカルトなら、まだ個人の自由だけどさ……人類の存続に関わるから、奴らは叩き潰さなきゃ」

「そうね。ひとまず、神秘の器(アルカナ)を取りに行くのが楽しみだわ!」

「その粋さ」

 楽しく雑談しながら、アリィは膝にトランを乗せて、紐で遊んでやっていた。

 トランは魔力石で動いているから、食べなくてもいいのだ。

「そうだ、君は神秘の器(アルカナ)のリストを見たんだっけ。お気に入りはある?」

 ユオもトランとのじゃれ合いに参加した。

 猫を指で撫でながら、アリィと近くで視線を合わせる。

 見つめていたい反面、騒がしい胸に違和感を覚えて、アリィは目を逸らした。

運命の夢杖(アリス・リデル)というものが気になるわ。青くて可愛い杖で、絵も素敵だったの。女神様が使っていたものだそうだけど、それだけは場所が書いていなかったのよね」

 禁書には絵も付いていたのを思い出す。

 身の丈に合わないかも知れないが、ユオならバカにしないだろうと信じていた。

「そっか。きっと君に似合うよ」

「私にそんな大層なものを扱えるのかしら?」

「大丈夫さ。食べたら魔力訓練をしようか」

「そうね。今夜こそ感覚を掴みたいわ」

 アリィはユオの言葉に勇気づけられた。


 しかし――和やかな空気は一変し、ユオは目の色を変えて食器を置く。

「お姫様、気を付けて」

 アリィを庇うようにして、後ろを振り返ったかと思えば――その視線の先に、人影が月に照らされて伸びているのが見えた。

(誰? 全く気付かなかったわ……)

 緊張と恐怖で、アリィはユオの服の裾を握りしめる。

 遠くにいる兵士の気配ですら、ユオは気付ける人だった。

 それが、近くに来るまで気付かなかった存在なのだ。

「放蕩皇子が、まさかこんなところに有明姫を連れ出していたとは」

 どこかで聞いたことのある声だと、アリィは身構える。

 焚き火の火に照らされ、近付いてくる度にその姿は鮮明になった。

「ヨグトス……?」

 毒々しくも落ち着いた紫色の髪は、毛先にいくにつれて真っ青なグラデーションを醸し出す。

 左右非対称の髪型で、反転するような緑の瞳は黒目が大きい。

 そんな青白い肌の華奢な少年は、黒い詰襟の服に身を包み、制帽を被っている。

 アリィはそのヨグトスという人物を知っていたので――肌が泡立つと同時に、ユオから離れられなくなった。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 09


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 宇宙のような空間を辿り、元いた砂漠に出る。
 アリィはもらった外套を纏い、強い日の光から肌を守った。
 ユオも同じく、外套で日差しから身を隠す。
 朝に出てからそれほど経っていないはずなのに、岩の道を抜けたのは夕方近くになっていた。
 町に向かった時もそうだったが、時間のズレが生じるようだ。
 西陽が強くて暑いと思いきや、どこか涼しくて歩きやすい。
(外套に仕掛けがしてあるんだわ。炎と水の魔力を持っている人が、作ってくれたのかしら)
 体は涼しいのに、ひとつひとつの気遣いに心は暖かくなる。
 じんわりと心を溶かすアリィの隣で、ユオの外套からガサガサと音がした。
「にゃあ」
「君はトランって名前にしようか」
 猫の鳴き声に、ユオの声。
 見ると、彼の外套のフードの部分から、子猫が顔を出しているのだ。
 ただの猫ではなく、水色の縞模様の珍しい猫だった。
 顎とお腹、四本の足の先は白く、目は真ん丸だ。
 白い花のリボンの首輪には、赤い光を帯びた黒い宝石が埋め込まれている。
 普通の猫とは違い、背中には小さな白い翼が生えているのが印象的だ。
(可愛いわ!)
 アリィは一目見ただけで、その子猫を気に入った。
 ただ、どこから拾ってきたのかは謎だった。
「その子は……?」
「|魔法絡繰《オートマタ》のトランだよ。これから旅をするにあたって、この子を君の傍に付けておこうかなって」
「本物の猫ちゃんかと思ったわ。護衛ってこと?」
「そうそう。色んな機能も搭載してるよ。たとえば、君がはぐれた時に、僕とすぐに引き合わせることができる。少しなら魔法も出力できるから、君の身を守ってくれるだろう」
 猫はユオの首元に居座り、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頬をこすりつけている。
(私も触りたいわ!)
 アリィは目を輝かせて猫を見つめた。
 すると子猫はアリィを見下ろし、お尻をふりふりと揺らす。
 滑空するようにして、ゆっくりと肩の上に乗った。
 それから「にゃあ」とひと鳴きし、華奢な肩に居座ったのだ。
「可愛い……猫は大好きなの。トラン、よろしくね」
 香箱座りして居座る猫を撫でると、肉球でアリィの肩を地ならしする。
「トランは荷物係にもなるよ。僕の闇魔法で、収納できる空間と繋げてるんだ」
「可愛くて優秀なのね。もしかして、ずっとこの子を作ってたの?」
「そうそう。君に会ってから思いついたんだ。イメージが湧いたら、作らずにはいられなくてね」
「あの岩の道と言い、貴方はすごい魔法技師なのね」
「僕ならではの発明ってところだよ。そうだ、これから目指すところを共有しておこう。トラン、地図を」
 アリィに褒められて照れて笑うユオは、少し格好つけてトランに命令する。
「にゃっ!
 トランは言葉を理解しているのか、返事をすると黄緑色のトパーズのような瞳を光らせた。
 その視線の先には、空中に光で作られた地図が浮かび上がる。
 物質ではなく、光で構成された投影のようだった。
 現れた世界地図は、見たいところを拡大することもできて、現在地も表示されている。
 今はカナン帝国の、首都から少し離れた砂漠の中にいる。
 ユオの顔を模したようなイラストが、示すように点滅していた。
 アリィが驚かなかったのは、出鶴ではそういった技術が進んでいるからだ。
「今、僕らはここにいるんだ」
「位置情報ね。私のも登録して?」
「いいけど、嫌じゃないの?」
「嫌じゃないわ。はぐれた時が怖いもの」
 この頃にはもう、アリィはユオのことを信じていた。
 たとえ登録したとしても、変な使い方はされないと確信するほどに。
 そんな純粋な眼差しに、ユオは微笑んだ。
「僕だって、悪い男かも知れないよ? 君が僕を嫌いになって、逃げたとして……追いかけちゃうかも」
 少し声が低くなり、半ば本気のように語るのだが――アリィはそれでも、彼を信じることに変わりはなかった。
「ユオシェム様は、私が嫌がることなんてしないわ」
 と、揺るぎない信頼を語り、アリィは穏やかに笑うばかりだ。
 そうするとユオも折れ、トランを抱え上げる。
 目から出ていた地図は、トランが視線を逸らしても同じ場所に浮かんだままだ。
「トラン、お姫様を登録してあげて」
 するとトランはアリィに向かって飛んでいき、鼻と鼻を突き合わせた。
 それだけで、地図の中にアリィのアイコンが浮かび上がる。
「ありがとう。ふふ、これで本当の仲間になったみたいだわ」
 地図を見上げてニコニコと満足気に笑うアリィは、そのままの愛らしい顔でユオを見上げる。
(もしかして、男だって意識されてない……?)
 ユオも笑顔を返したが、内心は騒めいていた。
「今がこの辺りなら、|神秘の器《アルカナ》が近くに眠っているはずなの。北西に向かう、この辺りに三角錐の建造物があるわよね。陵墓かしら」
 アリィはユオの心情はつゆ知らず、空中の地図を指さして話を続ける。
「そうそう。そこにあるのは〈千夜の陵墓〉だね。地下に皇族を埋葬してるんだ。母上もそこに眠ってることになってるよ。確かに、ジナビアに行く前に寄れそうだね」
「やっぱり、お墓なのね。出鶴の王族もそういうお墓があるのだけど……少し怖いわ」
「大丈夫だよ。幽霊がいたら僕が倒してあげる」
 何とか男として見られたいのか、ユオは遠くの魔物を闇の魔法で粉砕して見せた。
「で、でも、幽霊がいるとしたら、元は人間のはずだから……追い払うだけにしてね?」
 アリィはその強さに注目して、彼の思惑どおりに見とれてしまう。
 同時に、幽霊は怖くても、魔物と同じように倒されるのは可哀想だと感じた。
「分かったよ。陵墓に行く前に、他の仲間と合流する運びで行こう……君のお兄さんもね。いいかな?」
 ユオはアリィの心の状態を見て、兄と会わせることを提案した。
 今の彼女なら大丈夫だと感じ、様子を窺う。
「うん、大丈夫よ」
 アリィも心の準備はできていた。
 閉じ込められた期間は孤独で、取り戻せない時間だが――家族にも事情があったと知ったのだ。
 逃げずに会って話したいからこそ、旅に出たのである。
「君のお兄さんはずっと、君のことばかり考えていたんだ。それでも許せなかったら、その時は君の味方をするからね」
「お兄様とは友達なのに?」
「君は婚約者だもん、一番に優先するよ」
 再会することに多少の不安はありながらも、アリィはユオの言葉で完全に安心した。
(形式的なものなのに、髪飾りもくれたし、トランも作ってくれて……義理堅いのね)
 安堵しながらも、胸は高鳴ってくる。
 それからは歩きながらトランの機能を試しつつ、和やかな旅の始まりを噛み締めた。
 ☾
 初日の夜は、砂漠の中で野営となる。
 アリィには初めてのことばかりだが、あらかじめユオがトランの中に色々と仕込んでいたようだ。
 インスタントの食料やキャンプ用品で、そこそこ快適に過ごした。
 もらった外套は温度を適切にしてくれるもので、砂漠の夜でも寒くはない。
 初めての交換日記を書きながら、先に書いてあったユオのコメントに思わず微笑んだ。
(ユオシェム様はずっと私のペースに合わせてくれるから、思ったより疲れてない……でも、心臓が変だわ)
 アリィはユオのことを考える度に、胸がドキドキすることに気付き始めていた。
 ふと思い出したのは、幽閉中に読んだ古典的な恋愛小説だ。
 恋をしたら胸が高鳴ると、本に書いてあった。
(ち、違うわ、恋なんかじゃないもの。まだ出会ってそんなに経っていないのに、好きになるなんて……はしたないじゃない)
 アリィは一人で自問自答して否定し、赤くなったり青ざめたりと、表情をくるくると変えた。
(何考えてるんだろ、可愛い)
 ユオは表情が豊かになった彼女を眺め、静かに微笑む。
「そ、そういえば、シドゥル皇太子の妻になった人は亡くなったっていうのは、本当なの?」
 一人で恥ずかしくなったアリィは、話題を変える。
 『皇太子から救出したお姫様と旅に出る』とあったので、そこから思わず話題を出してしまった。
 書き終わった日記をトランに預け、熱くなった顔を仰ぐ。
「本当だよ。今は三十四歳で、最初に妻をもらったのが、僕が生まれた頃らしいけど。その頃から変態性癖みたいで、妃は死ぬまで弄ばれたんだって」
「そんな……それでも問題にならなかったのね」
「あえて貴族からは妻を迎えず、何人もの平民の女性を召し上げてたみたいだよ。しかも、何歳になっても十代の子ばかり」
「惨いわね……三十四歳って、私の両親と五つしか変わらないもの。貴族で迎えられたのは私だけなの?」
「もう一人、別の国の王女を妃に迎えようとしてたね。僕が逃したけど」
「そう……その人も逃げられたみたいで、本当によかったわ」
 他の人が逃げ果せたのはいいことなのに、アリィは胸が苦しくなる。
 ユオの口から他の女性の話題が出たことが原因だった。
(その人かしら……シャロとロナが話してた、ユオシェム様が連れてきた女性というのは)
 姉妹が話していたことと重なって、それがユオの恋人なのではないかとアリィは考えた。
 またも複雑な気持ちにさせられる。
 谷底にその女性はいなかったが、この婚約のためにいなくなったのなら申し訳ないのだ。
「僕は料理ができないから、近くの街に着くまでこういう食事で我慢してね」
 焚き火でお湯を沸かし、それをカップに入れて、ユオは粉末と混ぜてスープを作る。
 そこに缶に入っていたパンを添え、今夜の食事とした。
(どうしたんだろう。皇太子のことを思い出して、怖くなったのかな)
 アリィの表情がまた曇ったから、話題を変えたのだ。
「十分よ、ありがとう。美味しいわ」
 暖かいスープには湯気が上っている。
 コーンの甘みが口いっぱいに広がり、アリィはパンと一緒に食べて感激した。
 そんな彼女を見て、ユオも嬉しそうに笑う。
 ひと息つきながら、アリィは空を見上げた。
 大きな赤い星を、じっと見つめてしまう。
「あれ、不気味だよね」
 ユオはアリィの疑問を察したのか、一人で十人分くらいの食料を平らげながら言った。
(すごく食べるのね)
 アリィも兄もそんなに食べる方ではなかったので、見ていて楽しくなってくる。
「星慧教団の教えって変よね。花嫁には純潔を強要したかと思えば、不倫を推奨したり……矛盾してるわ」
 アリィはスープとパンでお腹がいっぱいになり、良好な精神状態で星慧教団への疑問を語った。
「不倫もさ、女性は咎められるよね。何でだろうね?」
 ユオは弟たちにもそうだったが、自分で考えることを推奨している。
 アリィにも答えを簡単に与えず、質問をしたのだった。
「あの赤い星を目覚めさせるのが目的なら、本懐は破壊や工作じゃないかしら」
「一理あるね。彼らが本気になれば、人類を滅ぼせる。そうしないのは、人類の自滅が一番のエネルギーになるからだよ」
「だったら、尚更だわ。星慧教団の教えというものは、幹部が得をするためのものだと思うの。矜持も、道徳も、彼らにはないんだわ」
 アリィとしては考えられないことだが、今の状況からそう捉えざるを得ないのだ。
 幼い頃から歴史を学ぶ中で、世界政府には疑問しか残らなかった。
 出鶴の歴史も自虐的な史観ばかりだが、今思うとそれも仕組まれているように感じる。
「まさにそうだと思うよ。架空のものを崇めるだけのカルトなら、まだ個人の自由だけどさ……人類の存続に関わるから、奴らは叩き潰さなきゃ」
「そうね。ひとまず、|神秘の器《アルカナ》を取りに行くのが楽しみだわ!」
「その粋さ」
 楽しく雑談しながら、アリィは膝にトランを乗せて、紐で遊んでやっていた。
 トランは魔力石で動いているから、食べなくてもいいのだ。
「そうだ、君は|神秘の器《アルカナ》のリストを見たんだっけ。お気に入りはある?」
 ユオもトランとのじゃれ合いに参加した。
 猫を指で撫でながら、アリィと近くで視線を合わせる。
 見つめていたい反面、騒がしい胸に違和感を覚えて、アリィは目を逸らした。
「|運命の夢杖《アリス・リデル》というものが気になるわ。青くて可愛い杖で、絵も素敵だったの。女神様が使っていたものだそうだけど、それだけは場所が書いていなかったのよね」
 禁書には絵も付いていたのを思い出す。
 身の丈に合わないかも知れないが、ユオならバカにしないだろうと信じていた。
「そっか。きっと君に似合うよ」
「私にそんな大層なものを扱えるのかしら?」
「大丈夫さ。食べたら魔力訓練をしようか」
「そうね。今夜こそ感覚を掴みたいわ」
 アリィはユオの言葉に勇気づけられた。
 しかし――和やかな空気は一変し、ユオは目の色を変えて食器を置く。
「お姫様、気を付けて」
 アリィを庇うようにして、後ろを振り返ったかと思えば――その視線の先に、人影が月に照らされて伸びているのが見えた。
(誰? 全く気付かなかったわ……)
 緊張と恐怖で、アリィはユオの服の裾を握りしめる。
 遠くにいる兵士の気配ですら、ユオは気付ける人だった。
 それが、近くに来るまで気付かなかった存在なのだ。
「放蕩皇子が、まさかこんなところに有明姫を連れ出していたとは」
 どこかで聞いたことのある声だと、アリィは身構える。
 焚き火の火に照らされ、近付いてくる度にその姿は鮮明になった。
「ヨグトス……?」
 毒々しくも落ち着いた紫色の髪は、毛先にいくにつれて真っ青なグラデーションを醸し出す。
 左右非対称の髪型で、反転するような緑の瞳は黒目が大きい。
 そんな青白い肌の華奢な少年は、黒い詰襟の服に身を包み、制帽を被っている。
 アリィはそのヨグトスという人物を知っていたので――肌が泡立つと同時に、ユオから離れられなくなった。