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05

ー/ー



 谷底は水も豊かで、活気のある集落だ。

 住んでいるのは二百人ほどだと思われる。

 ごく小さな集落であるが、きちんと文明が芽吹いていた。

(出鶴の街は便利だけど、息苦しかったわ。ここは落ち着くわね)

 その後、アリィはユオと一緒に集落の人たちに軽く挨拶をした。

「しばらくここで過ごそう。出鶴に比べると、物足りない場所かもね」

「そんなことないわ。私はこの環境が好きよ」

「自然が好きなんだね」

「うん。技術の発展は悪くないけどね」

「確かにそうだ。上手い具合に共存しないとだね」

 ユオはアリィが居心地悪く感じないかと心配していたが、それは杞憂だった。

 現に彼女はこの場所に来てから、表情が柔らかくなっていたからだ。

 二人の会話は女神信仰によるもので、ここには星慧教団の信者は一人もいない。

「ここでは魔法道具(アーティファクト)よりも、魔法を使っているのね。だから文明は進んでいなくても、あまり不便に感じないんだわ。カナンでは魔法が禁止されてないの?」

 集落の中では畑を耕すのにも、魔法を使って補助しているのが見て取れる。

 魔力を介して動く道具ではなく、自分の魔力をそのまま出力して生活しているのだ。

 アリィにはどうすればいいのか分からず、不思議だった。

「カナンも魔法は禁止だよ。ただ、法的拘束力もないからね。僕が教えたんだ」

「法にしようとして、世界会議で否決されたから、法的拘束力がないのよね。それでも世界政府側は圧力をかけてくるから、ほとんどの国は従っている……でも、ここでは従う必要がないものね」

「よく知ってるね。そしてご名答だ。十二歳から閉じ込められたにしては、知識もかなりある。賢い子だって言われなかった?」

「こんなの普通よ。お兄様なんて、十歳で大学課程を終えたんだから。私は家庭学習だったし、大学課程を終えるのも二年は遅くて……」

 そんな話をしながら、アリィはまた自信なさげな状態に陥っていた。

 頑張って勉強しても、喜代古からはいつも兄のシノと比べられてきたのだ。

「出鶴の大学課程って、普通なら二十三歳くらいで修了するって聞いてるよ。十分すごいじゃん!」

 少し考えて思い出しつつ、ユオは真面目に視線を合わせて言った。

「そうかしら。王族なら当然だって……」

「当然じゃないよ。カナンには学校システム自体がないしさ。仮に皇太子だったら無理だろうね。あいつはバカだから」

「まぁ、そうなの? あんなに威張ってるのに?」

「うん、威張ってるだけなんだ。君は知識があるし、魔法の教え甲斐がありそうだ」

 面白おかしく語りつつ褒めるユオに、アリィも少しだけ自信を取り戻していく。

「魔法、習ってみたいわ」

「いいね。責任持って教えるよ」

「嬉しいわ」

 魔法に憧れがあったアリィは、ユオの言葉に胸を踊らせていた。


 それからアリィは一度ユオと別れ、女たちに別室に連れて行かれる。

 採寸地獄に遭ったかと思うと、今度は着せ替え人形のようになっていた。

「こんなに美しい方の服を作れるなんて、腕が鳴るわ!」

「そうよね、ここではおばさんか子どもしかいないもの、しかも殿下の婚約者だなんて」

「お似合いだこと!」

 アリィたちの婚約は体面上のものだが、図らずとも集落の女たちを喜ばせていたのである。

(どうして今まで、自分が不細工だって思ってたのかしら)

 鏡を見て、アリィは疑問に思う。

 自分の容姿も、醜いものなのだと思ってきたのだが――よく見れば、そんなことはない。

 肌は雪のように白くてきめ細かく、髪も絹のように艶があるし、睫毛も長く、造形は整っている。

 ユオやラニが面と向かって、可愛いと言ってくれたからだろうか。

 呪いのような暗示は解け、彼女たちの言葉を素直に受け取れるようになっていた。

「皇后を怒らせて、監獄送りになった衣装係たちなの。元々は宮殿内の人材が流れてきてるから、ここにいる人たちは皆すごいのよ」

 ラニはお茶目にウィンクしつつ、既存の衣装をアリィに着せ替えて楽しんでいた。

 アリィが微笑むと、その衣装係の女たちも喜んで声を上げる。

「あらあら、本当に可愛すぎる方だこと!」

「素顔の殿下とならお似合いね」

 女たちははしゃぎながら、ユオの顔について話していた。

 アリィの身分は明言せずとも、それとなく貴族だということは悟っているようだ。

(ユオシェム様、不細工だって言われてたものね。変な化粧でもしていたのかしら)

 特に気にせず、アリィはその会話を何気なく聞く。

 ここに来てようやく大切にしてもらえて、生きている実感が少しずつ湧いてきていた。


 採寸と着せ替え劇が終わると、アリィは外にいたユオに会いに行った。

 カナンの文化では、女性はかなり露出の多めな服を着ることが多いようだ。

 普段から肌を隠していたアリィが、目が回りそうな衣装まである。

 今回借りた衣装は、その中でもまだ控えめな方だったのだが――それでも、短めのスカートから生脚を出すスタイルだ。

 恥ずかしくとも、ここではアリィが異端。

 異国の文化に迎合するよう努力する。

 喜代古に“太っていますね”と、散々言われてきた言葉が脳裏にちらついた。

(変だって言われないかしら……)

 一抹の不安はあったものの、いざ外で待っているユオに会うと、彼は笑顔で手を振るだけだった。

「可愛いね、似合ってるよ。ここの衣装って、出鶴出身の君には抵抗があるんじゃない?」

 “可愛い”という言葉は、誰に言われても嬉しい。

 その中でも、ユオから言われるのが一番に嬉しいと、アリィは感じた。

「確かに、恥ずかしいかも。だけど、この国の人たちが紡いできた、大事な文化のひとつだもの。この地に来て我を通すことはしたくないわ」

 胸元を出すのは初めてだったが、ユオからは皇太子のようないやらしい視線を感じない。

 アリィも恥ずかしがるより、お洒落を楽しむ感覚でいられるのだ。

「いい姿勢だね。皆が君に好感を持つのも無理はないな」

「私、嫌われてないのね」

「嫌うどころか、君のために宴を開きたいそうだよ」

 その言葉で、アリィはまた少し自分を好きになる。

 初めて会った筈なのに、そこまで気にかけてもらう理由は分からなかったが――今はその心地よさに心を委ねていた。


 谷底に差し込む黄昏の光が、ふたり分の影を伸ばす。

 集落の中心部は家のような建物もなく、開けた場所になっていた。

 ユオはそこにアリィを案内したのだ。

「宴の会場はここだよ。他に楽しみがあんまりないから、君が来てくれて嬉しいんだと思う」

 ユオやこの集落の人にとっては、何気ない歓迎だった。


 ただ性の対象でも、政治の道具でもなく、一人の人間として見てもらえている。

 そんな当たり前の幸せも、アリィには贅沢なものなのだ。


 静かに噛み締めていると、女の子の声がする。

「アリィさまだぁ!」

「一緒に行きましょう?」

 十四、十五歳くらいの年子の姉妹がアリィを呼び、駆け寄ってきた。

 同時に、ユオを見て背筋を伸ばし、頭を下げる。


 褐色の肌に、茶色の髪と目をした少女たちだ。

 活発な姉のシャロは短いピッグテールにしていて、人見知りな妹のロナは肩くらいまでの髪を下ろしている。

 挨拶回りをしているうちに、二人ともすぐにアリィに懐いたのだ。

(彼女たちは……侍女見習いだったけど、皇后の怒りを買って処刑されかけたそうね)

 最近になって、ようやく笑顔を取り戻したという姉妹。

 彼女たちを救ったユオのことを、アリィは改めて偉大だと感じる。

「ほら、行っておいで」

 戸惑うアリィだが、ユオに後押しされて頷いた。

 妹や弟が欲しいと思っていた時期もあったから、年下の子と遊ぶのは好きなのだ。


 ☾


 夕方から始まった祭りは、夜遅くまで続いた。

 ユオは男たちと何やら話していて、アリィは女性陣の話を聞く。

 外には元から興味があったので、話は弾んだ。

 出された料理もどれも美味しく堪能した。

 暑い国なので、香辛料をたくさん使う料理が主流だ。

 アリィも最初はどうかと思ったが、(勇気を出して食べてみてよかった)と笑う。

 男たちは焚き火を囲んで歌って踊り、酒を飲んで暴れては、女たちから叱責されていた。

(こんな日がずっと続けばいいのに)

 夜まで続く祭りに疲れ果てたのか、ずっとアリィにくっついていた姉妹は、彼女を枕にして眠ってしまう。

「あらあら、可愛いわね。シャロとロナ……いい子たちだわ」

 柔らかな頬が可愛くて、アリィはまた笑った。

 ここに来ただけで、随分と笑うことが増えたように思う。

「よかった、ちゃんと笑ってくれるようになって」

 油断して頬を緩めていると、上から声がした。

 昨晩会ったばかりの声なのに、昔から知っているかのように、誰だか分かってしまう。

「そんなに仏頂面だったかしら?」

 穏やかな気持ちで、アリィはユオを見上げた。

「無表情でも可愛かったよ。歓迎会、気に入ってくれたかな」

「とっても。今は生きていてもいいって感じるの」

「よかったよ。今にも消えてしまいそうだったからさ」

 冗談めいてユオは言うが、心底から安心したような顔をする。

 久しぶりにしっかりと眺める星空も、舞い上がる炎も、酒の匂いすらも――アリィにとって、何もかもが喜びに満ちている気がした。

 改めて、アリィは存在意義を考える。

 ここにいるのはきっと楽しいが、それで終わってしまうだろう。

 家族と面と向かって話をしないと、前に進めないような気がするのだ。

「ユオシェム様……私、やっぱり貴方に付いて行っていい? お兄様に会おうと思うの。足手まといになるかも知れないけれど」

 自分の意思を伝えることにまだ自信がなくて、アリィは質問という形で表明する。

 ユオは顔がぱっと明るくなり、その隣に腰かけて彼女を見つめた。

「そんなことない! そうだ、交換日記を付けようよ。その日の出来事をお互いに書いていくんだ。違う視点で書けば、何か気付きがあるかも知れないからね」

 ユオは分かりやすく喜び、少しだけ顔を寄せる。

「それなら私にも出来るから、やりたいわ」

 朗らかに笑うユオを見て、アリィも笑った。

(この人は賢いもの。自分の情報だけで足りる筈よ。それでも、私の役割を作ってくれたんだわ)

 アリィは心の中がぽかぽかと暖かくなってくる。

 自分が必要だと言ってくれているみたいで、嬉しくてたまらなかった。

「うん、よかった。君は多くの人に必要とされるだろうさ。鬱陶しくなるくらいにね」

 冗談っぽくユオは言う。

 彼の目的は、世界政府や星慧教団への反発だ。

 そのために、皇帝になろうとしているように思えるが――改めて、目的を聞きたくなってきた。

 彼のことを、アリィはたくさん知りたいと思えたのだ。

「その……ユオシェム様は、第二皇子様を亡くされたのよね。その復讐なの?」

「復讐というか、防衛というか。世界政府と星慧教団は結託して、蒼星主義を掲げてるのは知ってるよね」

「うん……世界を同一の価値観にして、国境も、やがて惑星や宇宙の括りすらも。何もかも境界線をなくし、ひとつにしてしまうことよね」

 アリィは思い付く限りのことを挙げた。

 自分も知っていて、ちゃんと考えられるのだと示すために。

「いいことだと思う?」

 ユオはそんな彼女の表情を見ながら、静かに問いかけた。

「正直、私は嫌。少しずつ違うから、楽しいんだわ」

 アリィは思い出し、自分の考えを述べる。

 前ならば意見を言うのも怖かったが、ユオになら怒られないと感じるからだ。

「僕も同じ。でも、彼らの目的って、そんな偽善的なものでもなくてさ……人の絶望を集めて、あの赤い星を目覚めさせることなんだ」

 ユオは夜空を見上げ、ひときわ輝く赤い星を指さした。

 六年前にはなかった星に、アリィは首を傾ける。

「あれは……?」

「星慧教団が崇める最高神、僕らにとっての魔王だよ。神が目覚めたら、世界は溶け、宇宙は一つになる……それが完成なんだって」

「そんなの、怖いわ」

 星の正体を知り、アリィは身震いした。

「だから神秘の器(アルカナ)を集めて、女神と十二天将の話を伝えていく。この思想にあえて名前を付けるなら、反蒼星主義と呼ぼうか」

 その言葉を言ったユオの横顔に、アリィはつい見とれてしまう。

 いつか遠い昔に、こうして肩を並べて話をしたような気がしてくるのだった。

「反蒼星主義……私も賛同するわ」

 世界に抗うなんて、怖くて想像もできなかった。

 ユオならばやり遂げるのではないかと感じて、アリィはじっと彼を見つめる。

 髪と同じ色の睫毛が、月光に照らされて綺麗だった。

「じゃあ、僕らはもう同盟だね」

 視線に気づいているのに、ユオはからかうこともなく、屈託ない笑顔を向ける。

「うん、そうね。ね、ねぇ、十二星座って、女神に仕えた十二天将たちがモデルなのよ?」

「知ってるよ。あれが氷天将の八咫烏座、あれは日天将の羊座で……」

 安心すると同時に、心臓が跳ねたのが恥ずかしくなり、アリィは話を変えた。

 するとユオは再び空を見て、星座をなぞり始めたのだ。

(彼の隣は安心する……)

 体がぽかぽかと暖かくなり、アリィは瞼が重くなってくるのを感じる。

 思えば、ずっと眠っていなかった。

 少し歩いた後、気が付けば谷底にいて、それからは何かと活動していたからだ。

 緊張の糸が解けた気がして――隣に腰掛けたユオの肩に、流れるように寄り添った。

「……寝ちゃったかな」

 肩にかかる僅かな重みと、静かな息遣い。

 ユオは寝顔を見つめて目を細める。

 彼女の膝で眠る姉妹を連れて行くよう、男衆を使った。

 しばしの間、彼女だけは残し、自身の上着を掛けてやる。

「君を悲しませた奴らは、死よりも恐ろしい目に遭わせてあげる。あの赤い星も……今度こそは(・・・・・)、消すからね」

 夜空に浮かぶ星の中でも、ひときわ明るい赤い星が、西の空の彼方に煌めいている。

 それを睨み、ユオの静かなる決意は誰にも聞かれずに、果てしない宇宙へと消えていった。


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 谷底は水も豊かで、活気のある集落だ。
 住んでいるのは二百人ほどだと思われる。
 ごく小さな集落であるが、きちんと文明が芽吹いていた。
(出鶴の街は便利だけど、息苦しかったわ。ここは落ち着くわね)
 その後、アリィはユオと一緒に集落の人たちに軽く挨拶をした。
「しばらくここで過ごそう。出鶴に比べると、物足りない場所かもね」
「そんなことないわ。私はこの環境が好きよ」
「自然が好きなんだね」
「うん。技術の発展は悪くないけどね」
「確かにそうだ。上手い具合に共存しないとだね」
 ユオはアリィが居心地悪く感じないかと心配していたが、それは杞憂だった。
 現に彼女はこの場所に来てから、表情が柔らかくなっていたからだ。
 二人の会話は女神信仰によるもので、ここには星慧教団の信者は一人もいない。
「ここでは|魔法道具《アーティファクト》よりも、魔法を使っているのね。だから文明は進んでいなくても、あまり不便に感じないんだわ。カナンでは魔法が禁止されてないの?」
 集落の中では畑を耕すのにも、魔法を使って補助しているのが見て取れる。
 魔力を介して動く道具ではなく、自分の魔力をそのまま出力して生活しているのだ。
 アリィにはどうすればいいのか分からず、不思議だった。
「カナンも魔法は禁止だよ。ただ、法的拘束力もないからね。僕が教えたんだ」
「法にしようとして、世界会議で否決されたから、法的拘束力がないのよね。それでも世界政府側は圧力をかけてくるから、ほとんどの国は従っている……でも、ここでは従う必要がないものね」
「よく知ってるね。そしてご名答だ。十二歳から閉じ込められたにしては、知識もかなりある。賢い子だって言われなかった?」
「こんなの普通よ。お兄様なんて、十歳で大学課程を終えたんだから。私は家庭学習だったし、大学課程を終えるのも二年は遅くて……」
 そんな話をしながら、アリィはまた自信なさげな状態に陥っていた。
 頑張って勉強しても、喜代古からはいつも兄のシノと比べられてきたのだ。
「出鶴の大学課程って、普通なら二十三歳くらいで修了するって聞いてるよ。十分すごいじゃん!」
 少し考えて思い出しつつ、ユオは真面目に視線を合わせて言った。
「そうかしら。王族なら当然だって……」
「当然じゃないよ。カナンには学校システム自体がないしさ。仮に皇太子だったら無理だろうね。あいつはバカだから」
「まぁ、そうなの? あんなに威張ってるのに?」
「うん、威張ってるだけなんだ。君は知識があるし、魔法の教え甲斐がありそうだ」
 面白おかしく語りつつ褒めるユオに、アリィも少しだけ自信を取り戻していく。
「魔法、習ってみたいわ」
「いいね。責任持って教えるよ」
「嬉しいわ」
 魔法に憧れがあったアリィは、ユオの言葉に胸を踊らせていた。
 それからアリィは一度ユオと別れ、女たちに別室に連れて行かれる。
 採寸地獄に遭ったかと思うと、今度は着せ替え人形のようになっていた。
「こんなに美しい方の服を作れるなんて、腕が鳴るわ!」
「そうよね、ここではおばさんか子どもしかいないもの、しかも殿下の婚約者だなんて」
「お似合いだこと!」
 アリィたちの婚約は体面上のものだが、図らずとも集落の女たちを喜ばせていたのである。
(どうして今まで、自分が不細工だって思ってたのかしら)
 鏡を見て、アリィは疑問に思う。
 自分の容姿も、醜いものなのだと思ってきたのだが――よく見れば、そんなことはない。
 肌は雪のように白くてきめ細かく、髪も絹のように艶があるし、睫毛も長く、造形は整っている。
 ユオやラニが面と向かって、可愛いと言ってくれたからだろうか。
 呪いのような暗示は解け、彼女たちの言葉を素直に受け取れるようになっていた。
「皇后を怒らせて、監獄送りになった衣装係たちなの。元々は宮殿内の人材が流れてきてるから、ここにいる人たちは皆すごいのよ」
 ラニはお茶目にウィンクしつつ、既存の衣装をアリィに着せ替えて楽しんでいた。
 アリィが微笑むと、その衣装係の女たちも喜んで声を上げる。
「あらあら、本当に可愛すぎる方だこと!」
「素顔の殿下とならお似合いね」
 女たちははしゃぎながら、ユオの顔について話していた。
 アリィの身分は明言せずとも、それとなく貴族だということは悟っているようだ。
(ユオシェム様、不細工だって言われてたものね。変な化粧でもしていたのかしら)
 特に気にせず、アリィはその会話を何気なく聞く。
 ここに来てようやく大切にしてもらえて、生きている実感が少しずつ湧いてきていた。
 採寸と着せ替え劇が終わると、アリィは外にいたユオに会いに行った。
 カナンの文化では、女性はかなり露出の多めな服を着ることが多いようだ。
 普段から肌を隠していたアリィが、目が回りそうな衣装まである。
 今回借りた衣装は、その中でもまだ控えめな方だったのだが――それでも、短めのスカートから生脚を出すスタイルだ。
 恥ずかしくとも、ここではアリィが異端。
 異国の文化に迎合するよう努力する。
 喜代古に“太っていますね”と、散々言われてきた言葉が脳裏にちらついた。
(変だって言われないかしら……)
 一抹の不安はあったものの、いざ外で待っているユオに会うと、彼は笑顔で手を振るだけだった。
「可愛いね、似合ってるよ。ここの衣装って、出鶴出身の君には抵抗があるんじゃない?」
 “可愛い”という言葉は、誰に言われても嬉しい。
 その中でも、ユオから言われるのが一番に嬉しいと、アリィは感じた。
「確かに、恥ずかしいかも。だけど、この国の人たちが紡いできた、大事な文化のひとつだもの。この地に来て我を通すことはしたくないわ」
 胸元を出すのは初めてだったが、ユオからは皇太子のようないやらしい視線を感じない。
 アリィも恥ずかしがるより、お洒落を楽しむ感覚でいられるのだ。
「いい姿勢だね。皆が君に好感を持つのも無理はないな」
「私、嫌われてないのね」
「嫌うどころか、君のために宴を開きたいそうだよ」
 その言葉で、アリィはまた少し自分を好きになる。
 初めて会った筈なのに、そこまで気にかけてもらう理由は分からなかったが――今はその心地よさに心を委ねていた。
 谷底に差し込む黄昏の光が、ふたり分の影を伸ばす。
 集落の中心部は家のような建物もなく、開けた場所になっていた。
 ユオはそこにアリィを案内したのだ。
「宴の会場はここだよ。他に楽しみがあんまりないから、君が来てくれて嬉しいんだと思う」
 ユオやこの集落の人にとっては、何気ない歓迎だった。
 ただ性の対象でも、政治の道具でもなく、一人の人間として見てもらえている。
 そんな当たり前の幸せも、アリィには贅沢なものなのだ。
 静かに噛み締めていると、女の子の声がする。
「アリィさまだぁ!」
「一緒に行きましょう?」
 十四、十五歳くらいの年子の姉妹がアリィを呼び、駆け寄ってきた。
 同時に、ユオを見て背筋を伸ばし、頭を下げる。
 褐色の肌に、茶色の髪と目をした少女たちだ。
 活発な姉のシャロは短いピッグテールにしていて、人見知りな妹のロナは肩くらいまでの髪を下ろしている。
 挨拶回りをしているうちに、二人ともすぐにアリィに懐いたのだ。
(彼女たちは……侍女見習いだったけど、皇后の怒りを買って処刑されかけたそうね)
 最近になって、ようやく笑顔を取り戻したという姉妹。
 彼女たちを救ったユオのことを、アリィは改めて偉大だと感じる。
「ほら、行っておいで」
 戸惑うアリィだが、ユオに後押しされて頷いた。
 妹や弟が欲しいと思っていた時期もあったから、年下の子と遊ぶのは好きなのだ。
 ☾
 夕方から始まった祭りは、夜遅くまで続いた。
 ユオは男たちと何やら話していて、アリィは女性陣の話を聞く。
 外には元から興味があったので、話は弾んだ。
 出された料理もどれも美味しく堪能した。
 暑い国なので、香辛料をたくさん使う料理が主流だ。
 アリィも最初はどうかと思ったが、(勇気を出して食べてみてよかった)と笑う。
 男たちは焚き火を囲んで歌って踊り、酒を飲んで暴れては、女たちから叱責されていた。
(こんな日がずっと続けばいいのに)
 夜まで続く祭りに疲れ果てたのか、ずっとアリィにくっついていた姉妹は、彼女を枕にして眠ってしまう。
「あらあら、可愛いわね。シャロとロナ……いい子たちだわ」
 柔らかな頬が可愛くて、アリィはまた笑った。
 ここに来ただけで、随分と笑うことが増えたように思う。
「よかった、ちゃんと笑ってくれるようになって」
 油断して頬を緩めていると、上から声がした。
 昨晩会ったばかりの声なのに、昔から知っているかのように、誰だか分かってしまう。
「そんなに仏頂面だったかしら?」
 穏やかな気持ちで、アリィはユオを見上げた。
「無表情でも可愛かったよ。歓迎会、気に入ってくれたかな」
「とっても。今は生きていてもいいって感じるの」
「よかったよ。今にも消えてしまいそうだったからさ」
 冗談めいてユオは言うが、心底から安心したような顔をする。
 久しぶりにしっかりと眺める星空も、舞い上がる炎も、酒の匂いすらも――アリィにとって、何もかもが喜びに満ちている気がした。
 改めて、アリィは存在意義を考える。
 ここにいるのはきっと楽しいが、それで終わってしまうだろう。
 家族と面と向かって話をしないと、前に進めないような気がするのだ。
「ユオシェム様……私、やっぱり貴方に付いて行っていい? お兄様に会おうと思うの。足手まといになるかも知れないけれど」
 自分の意思を伝えることにまだ自信がなくて、アリィは質問という形で表明する。
 ユオは顔がぱっと明るくなり、その隣に腰かけて彼女を見つめた。
「そんなことない! そうだ、交換日記を付けようよ。その日の出来事をお互いに書いていくんだ。違う視点で書けば、何か気付きがあるかも知れないからね」
 ユオは分かりやすく喜び、少しだけ顔を寄せる。
「それなら私にも出来るから、やりたいわ」
 朗らかに笑うユオを見て、アリィも笑った。
(この人は賢いもの。自分の情報だけで足りる筈よ。それでも、私の役割を作ってくれたんだわ)
 アリィは心の中がぽかぽかと暖かくなってくる。
 自分が必要だと言ってくれているみたいで、嬉しくてたまらなかった。
「うん、よかった。君は多くの人に必要とされるだろうさ。鬱陶しくなるくらいにね」
 冗談っぽくユオは言う。
 彼の目的は、世界政府や星慧教団への反発だ。
 そのために、皇帝になろうとしているように思えるが――改めて、目的を聞きたくなってきた。
 彼のことを、アリィはたくさん知りたいと思えたのだ。
「その……ユオシェム様は、第二皇子様を亡くされたのよね。その復讐なの?」
「復讐というか、防衛というか。世界政府と星慧教団は結託して、蒼星主義を掲げてるのは知ってるよね」
「うん……世界を同一の価値観にして、国境も、やがて惑星や宇宙の括りすらも。何もかも境界線をなくし、ひとつにしてしまうことよね」
 アリィは思い付く限りのことを挙げた。
 自分も知っていて、ちゃんと考えられるのだと示すために。
「いいことだと思う?」
 ユオはそんな彼女の表情を見ながら、静かに問いかけた。
「正直、私は嫌。少しずつ違うから、楽しいんだわ」
 アリィは思い出し、自分の考えを述べる。
 前ならば意見を言うのも怖かったが、ユオになら怒られないと感じるからだ。
「僕も同じ。でも、彼らの目的って、そんな偽善的なものでもなくてさ……人の絶望を集めて、あの赤い星を目覚めさせることなんだ」
 ユオは夜空を見上げ、ひときわ輝く赤い星を指さした。
 六年前にはなかった星に、アリィは首を傾ける。
「あれは……?」
「星慧教団が崇める最高神、僕らにとっての魔王だよ。神が目覚めたら、世界は溶け、宇宙は一つになる……それが完成なんだって」
「そんなの、怖いわ」
 星の正体を知り、アリィは身震いした。
「だから|神秘の器《アルカナ》を集めて、女神と十二天将の話を伝えていく。この思想にあえて名前を付けるなら、反蒼星主義と呼ぼうか」
 その言葉を言ったユオの横顔に、アリィはつい見とれてしまう。
 いつか遠い昔に、こうして肩を並べて話をしたような気がしてくるのだった。
「反蒼星主義……私も賛同するわ」
 世界に抗うなんて、怖くて想像もできなかった。
 ユオならばやり遂げるのではないかと感じて、アリィはじっと彼を見つめる。
 髪と同じ色の睫毛が、月光に照らされて綺麗だった。
「じゃあ、僕らはもう同盟だね」
 視線に気づいているのに、ユオはからかうこともなく、屈託ない笑顔を向ける。
「うん、そうね。ね、ねぇ、十二星座って、女神に仕えた十二天将たちがモデルなのよ?」
「知ってるよ。あれが氷天将の八咫烏座、あれは日天将の羊座で……」
 安心すると同時に、心臓が跳ねたのが恥ずかしくなり、アリィは話を変えた。
 するとユオは再び空を見て、星座をなぞり始めたのだ。
(彼の隣は安心する……)
 体がぽかぽかと暖かくなり、アリィは瞼が重くなってくるのを感じる。
 思えば、ずっと眠っていなかった。
 少し歩いた後、気が付けば谷底にいて、それからは何かと活動していたからだ。
 緊張の糸が解けた気がして――隣に腰掛けたユオの肩に、流れるように寄り添った。
「……寝ちゃったかな」
 肩にかかる僅かな重みと、静かな息遣い。
 ユオは寝顔を見つめて目を細める。
 彼女の膝で眠る姉妹を連れて行くよう、男衆を使った。
 しばしの間、彼女だけは残し、自身の上着を掛けてやる。
「君を悲しませた奴らは、死よりも恐ろしい目に遭わせてあげる。あの赤い星も……|今度こそは《・・・・・》、消すからね」
 夜空に浮かぶ星の中でも、ひときわ明るい赤い星が、西の空の彼方に煌めいている。
 それを睨み、ユオの静かなる決意は誰にも聞かれずに、果てしない宇宙へと消えていった。