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【2】

ー/ー



「ねー、まま。まーちゃんもおにいちゃんほしい」
 先週保育園で同じクラスの子に妹が生まれた、というニュースに、真斗は常日頃から飽きずに繰り返していた希望をまた口にしていた。
 確かに一人っ子は多いが、兄弟姉妹のいる子もそれなりにいるのが意外だった。出産したばかりの人の他にも、妊娠中の保護者仲間がクラスにはもう一人いる。
「お兄ちゃんは無理なのよ〜」
 弟妹なら、というのも簡単には告げられなかった。真斗ひとりでもなんとかという状態なのに、更に子どもが増えたらどうなるのか。
 元気な両親がすぐ傍にいて手伝いも期待できる上、保育園も激戦区というほどでもない。周りを見ても、フルタイムならきょうだいはまず同じ園に入れるようだ。
 同居なら入園の難易度は格段に上がるのだが、近居ということで特にマイナスにはならないらしいことも知っている。
 自分がかなり恵まれた環境だということくらい理解していた。
 親どころか我が子に同じ責任を負うはずの夫の手さえ当てにできずに、一人奮闘している母親も珍しくはない。
 そういう人から見れば「何を迷うことがあるのか」と𠮟られそうだが、欲しいから、産めば何とかなる、と安易に考える気にはなれなかった。
 洋介とも、少しずつ第二子の計画の話はしていた。
 未だはっきりとした結論は出ていないが、少なくとも絶対ありえないという状況ではない。……なかった。

 しかし、もしあの少年が洋介の子なら? その場合、真斗があれほど切望していた()になるのだ、というのも皮肉なものだ。
 ──たとえそうではなくても、美保と夫に何らかの関係がある可能性は低くないと沙織の直感が訴えていた。
 蒼良は、そして美保もたまたま洋介に会って助けられたわけではない。それはもう確信している。
 一緒に過ごしていたところだったのは間違いないと沙織の中では結論付けていた。問題は、何故一緒にいたか、だ。
 もし夫が沙織を裏切っていたら。
 親の不貞で散々苦労した彼は、言葉にするまでもなく軽蔑しているのが明確にわかる父親と同じ轍は踏まないと信じていた。
 実際恋人時代から「不倫だけは許せない」と、そういった話を見聞きするたびに零していたほどだ。
 潔癖とさえ感じる彼を、心の底から愛して信頼していたのに……。
 もちろん蒼良が洋介の子かどうかも瑣末事ではないが、沙織にとって本題でもない。
 もしあの少年が洋介の実子なら、沙織は結婚前から騙されていたことになる。出逢って付き合い始めたのは大学時代だが、結婚は四年半前。
 蒼良はどう見ても四歳未満ではなかった。
 つまりそういうことだ。
 しかしたとえ蒼良と洋介には繋がりなどなく、彼女とは一時の気の迷いだとしても裏切りに変わりはない。
 どちらにしても、この先彼と共に生きるのは無理だというところに行きついてしまう。その感情は、おそらく洋介が最も理解できる筈だ。
 離婚しても、仕事もあるし両親もいる。住む家もある。一人で真斗を育てていくことはできるだろう。
 しかし、それは即ち息子から大好きな父親を奪うことになるのだ。
 ──どうして? 洋介。私は、私と真斗はあなたの何だったの?

    ◇  ◇  ◇
《洋介、話があるの。時間取ってもらえない? 週末でいいから》
 三日後の火曜日の朝、職場に着く直前。
 直接切り出す勇気がなくて、沙織は夫にメッセージを送る。
 家庭内では息子の手前もあって二人とも努めて平静を装ってはいるが、沙織は貼り付けた仮面ももう限界だった。真斗の前で爆発する前に、何とか決着をつけてしまいたい。
《わかった。早い方がいいなら僕は今日でも構わないよ。悪いけど、その間真斗はお義母さんに見てもらえるかな?》
 シンプルな返信。
 何ら理由を訊くこともない彼に、かえって深刻さが際立つ気がした。洋介も妻との間に生まれた火種は十分承知なのだろう。
《じゃあ今日。夕食後に》
 こちらも用件だけのメッセージを作成して送信すると、母に電話を掛けて真斗の世話を頼んだ。


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「ねー、まま。まーちゃんもおにいちゃんほしい」
 先週保育園で同じクラスの子に妹が生まれた、というニュースに、真斗は常日頃から飽きずに繰り返していた希望をまた口にしていた。
 確かに一人っ子は多いが、兄弟姉妹のいる子もそれなりにいるのが意外だった。出産したばかりの人の他にも、妊娠中の保護者仲間がクラスにはもう一人いる。
「お兄ちゃんは無理なのよ〜」
 弟妹なら、というのも簡単には告げられなかった。真斗ひとりでもなんとかという状態なのに、更に子どもが増えたらどうなるのか。
 元気な両親がすぐ傍にいて手伝いも期待できる上、保育園も激戦区というほどでもない。周りを見ても、フルタイムならきょうだいはまず同じ園に入れるようだ。
 同居なら入園の難易度は格段に上がるのだが、近居ということで特にマイナスにはならないらしいことも知っている。
 自分がかなり恵まれた環境だということくらい理解していた。
 親どころか我が子に同じ責任を負うはずの夫の手さえ当てにできずに、一人奮闘している母親も珍しくはない。
 そういう人から見れば「何を迷うことがあるのか」と𠮟られそうだが、欲しいから、産めば何とかなる、と安易に考える気にはなれなかった。
 洋介とも、少しずつ第二子の計画の話はしていた。
 未だはっきりとした結論は出ていないが、少なくとも絶対ありえないという状況ではない。……なかった。
 しかし、もしあの少年が洋介の子なら? その場合、真斗があれほど切望していた|兄《・》になるのだ、というのも皮肉なものだ。
 ──たとえそうではなくても、美保と夫に何らかの関係がある可能性は低くないと沙織の直感が訴えていた。
 蒼良は、そして美保もたまたま洋介に会って助けられたわけではない。それはもう確信している。
 一緒に過ごしていたところだったのは間違いないと沙織の中では結論付けていた。問題は、何故一緒にいたか、だ。
 もし夫が沙織を裏切っていたら。
 親の不貞で散々苦労した彼は、言葉にするまでもなく軽蔑しているのが明確にわかる父親と同じ轍は踏まないと信じていた。
 実際恋人時代から「不倫だけは許せない」と、そういった話を見聞きするたびに零していたほどだ。
 潔癖とさえ感じる彼を、心の底から愛して信頼していたのに……。
 もちろん蒼良が洋介の子かどうかも瑣末事ではないが、沙織にとって本題でもない。
 もしあの少年が洋介の実子なら、沙織は結婚前から騙されていたことになる。出逢って付き合い始めたのは大学時代だが、結婚は四年半前。
 蒼良はどう見ても四歳未満ではなかった。
 つまりそういうことだ。
 しかしたとえ蒼良と洋介には繋がりなどなく、彼女とは一時の気の迷いだとしても裏切りに変わりはない。
 どちらにしても、この先彼と共に生きるのは無理だというところに行きついてしまう。その感情は、おそらく洋介が最も理解できる筈だ。
 離婚しても、仕事もあるし両親もいる。住む家もある。一人で真斗を育てていくことはできるだろう。
 しかし、それは即ち息子から大好きな父親を奪うことになるのだ。
 ──どうして? 洋介。私は、私と真斗はあなたの何だったの?
    ◇  ◇  ◇
《洋介、話があるの。時間取ってもらえない? 週末でいいから》
 三日後の火曜日の朝、職場に着く直前。
 直接切り出す勇気がなくて、沙織は夫にメッセージを送る。
 家庭内では息子の手前もあって二人とも努めて平静を装ってはいるが、沙織は貼り付けた仮面ももう限界だった。真斗の前で爆発する前に、何とか決着をつけてしまいたい。
《わかった。早い方がいいなら僕は今日でも構わないよ。悪いけど、その間真斗はお義母さんに見てもらえるかな?》
 シンプルな返信。
 何ら理由を訊くこともない彼に、かえって深刻さが際立つ気がした。洋介も妻との間に生まれた火種は十分承知なのだろう。
《じゃあ今日。夕食後に》
 こちらも用件だけのメッセージを作成して送信すると、母に電話を掛けて真斗の世話を頼んだ。