9.手柄
ー/ー「ケイト!」
つい先日別れた、栗色の髪の毛が揺れ同じ色の瞳が大神殿を囲う柵越しにはっきりとこちらを向く。
「ミリー?」
ケイトは一人だった。彼女はミルドレッドが顔をのぞかせているのが大神殿だとわかると少しだけ腰が引けたようになった。ミルドレッドはかまわず尋ねる。
「ケイト、この騒ぎはいったいなんなの?」
「ケイトさん、絶対に教えないでください」
すぐさまユージーンが止めに入って、ケイトは戸惑ったように二人へと交互に視線を送った。そして申し訳なさそうに言う。
「私も今聖都に着いたばかりで、よくわからないのよ。今ハンスたちが見に行ってるんだけど…… あっ」
迷惑だったかしら、とミルドレッドは帰りの馬車に揺られながら言った。
「どちらに対して?」
「どっちにも」
ユージーンの問いかけに答えるとミルドレッドは、両目を閉じて座席にもたれた。
「私、人の気持ちがわからないから。ベンのこともよく嫌な気持ちにさせてるだろうし、ユージーンがなんで怒ったのかもいまだにわからないもの」
「…………」
馬車の中にはミルドレッドと護衛というよりは話し相手として投入されたユージーンだけで、ほかの従者はみな別の馬車に乗っていた。がたごと揺れる馬車の中で目をつむったミルドレッドにはユージーンの表情の変化はわからない。
「だからかもね、演劇が好きなのは……。いろんなことを自分で体験した気になれるし、誰のことも傷つけずに済むし……」
「―― ミルドレッド様」
ふいに、ユージーンが姫の名を呼んだ。普段あまり呼ぶことがないのでミルドレッドは少なからず驚きながら目を開ける。
「…… ベンジャミン王子はあれで、お小さいなりに色々お考えです。それこそ姫様と同じように、将来のことも、この国のことも…… もちろん姫様のことも」
いつも思ったことははっきり言ってくれるはずの幼馴染が言葉をぼかすような話し方をするので、ミルドレッドは不安になる。
「どういうこと?」
「王子はきっと、姫様のことは姉としてきちんと好いておられると、俺は思います」
いつもより慎重につむがれたユージーンの言葉は、いつも通り不器用で真っ直ぐだった。ミルドレッドはそう、と頷くと、
「おまえが言うならきっとそうなんだわ」
と言って笑った。
「最初に遊んだ時から、一番に私のことをわかっていてくれてたものね」
「ああ、フェリシア様の部屋で……」
「違うわ、中庭よ」
騎士団長である父に紹介された時のことを思い出してユージーンが言うと、はっきりと訂正される。
「ほら、ホッジズ団長に紹介される前、中庭で会って、葉っぱや虫を捕まえたりして遊んだでしょ?」
ミルドレッドが過去の記憶を思い起こさせるように言うが、ユージーンは首をひねる。だってミルドレッドに会ったのは、父に紹介されたその時が初めてだったからだ。
なんて綺麗なお姫様なんだろうと、自分と同じ人間とは思えないと幼いながらに思ったから、忘れたり間違えたりするはずがない。
「いえ…… 父に紹介された時が初対面だったと、記憶しております」
ユージーンが断言すると、今度はミルドレッドが「そうかしら」と首をひねった。
「あ…… でもそういえばユージーンは虫が苦手よね」
「そうですね。昔から」
ミルドレッドの思い違いだろうか。しかしどうも納得いかない。ミルドレッドはしきりに首をひねりながら、あとで侍従長にでも聞いてみようと思った。
城の中はなんだか騒がしかった。文官も騎士もなんだか忙しそうにあちこち駆け回っていて、数日ぶりに帰ってきたミルドレッドへのあいさつもどこかおざなりだ。
「なにかあったのかしら」
「祭事の準備…… ではなさそうですね」
王への帰還のあいさつも今手が離せないとかで後回しにされた。仕方ないので先に王妃へのあいさつを済ませることにする。ユージーンと言葉を交わしつつ王妃の部屋の扉を叩くと、王妃でない人物の声が返ってきてミルドレッドは体をこわばらせた。
「おかえりなさい。姉さん」
「…… ただいま。ベン。―― フェリシア様は?」
窓際のテーブルに座っていたらしいベンジャミンが立ち上がって自分を迎える光景にミルドレッドはややおどおどと部屋を見回した。
「今戻ってくると思うよ」
座ったらとうながされ、立ったまま待つのもどうかと思い座ると、すかさずそばにいた侍従がお茶を出してきて逃げ場がなくなる。
匂いたつ紅茶越しに弟を見る。なんとなく、勝手に王にはベンジャミンがなるものと思っていたし、自分なんかは神殿にでも引きこもればいいかと思っていたけど。もしベンジャミンが王になんかなりたくないと思っていたら。
(そうだとしたら、私は……)
ぼんやりとカップの中身を見つめているとふいに部屋の扉が開いた。
「まあ、ミルドレッド姫、お帰りになっていたのね」
「ただいま戻りました、お義母様。ごあいさつが遅れまして申し訳ありません」
フェリシアはミルドレッドの姿を見るなり両手を広げようとしたが、礼儀正しくお辞儀をしたミルドレッドによって阻まれてしまう。
「大変だったでしょう。さ、甘いものでも食べてゆっくりなさって」
ミルドレッドがあいさつを済ませたことで安心したのも束の間、フェリシアが椅子へとうながしてきて断ることができない。
「鳥文が来た時は私もびっくりしたのよ。姫が強盗犯を捕まえたと思ったら、そこから芋づる式に例の窃盗団一味の居場所がわかったっていうじゃない。それで私も陛下も……」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
そんな話は初耳だった。フェリシアの言葉にミルドレッドは慌てて言った。
「もしかして姉さん、知らないの?」
横からベンジャミンが聞いてきて、ミルドレッドは頷く。
「このところずっと巷を騒がせていた窃盗団で、いろんなところで被害が出てるんだよ。〈グラス・ホッパー座〉もその影響で資金が足りなくて、新しい演目ができなくなったって、僕もついさっき知ったんだけど……」
ベンジャミンが説明してくれるが、まったく頭に入ってこない。
「姫のお手柄だって、城中みんな喜んでいるのよ」
義母のひとことに、心臓があからさまにうるさく鳴り響いた。
―― お手柄なんて、私はいらない。
腹の中心が熱を持ってじわじわと全身に広がろうとしている。
(いやだ)
「姫様?」
妙な熱を持ったからだと、急速に血の気が引いている顔にうつむいたミルドレッドに、ユージーンが心配そうに声をかける。
「お顔色が悪いです。部屋にお戻りになられた方が」
その言葉にほっとして、ミルドレッドは頷いた。
つい先日別れた、栗色の髪の毛が揺れ同じ色の瞳が大神殿を囲う柵越しにはっきりとこちらを向く。
「ミリー?」
ケイトは一人だった。彼女はミルドレッドが顔をのぞかせているのが大神殿だとわかると少しだけ腰が引けたようになった。ミルドレッドはかまわず尋ねる。
「ケイト、この騒ぎはいったいなんなの?」
「ケイトさん、絶対に教えないでください」
すぐさまユージーンが止めに入って、ケイトは戸惑ったように二人へと交互に視線を送った。そして申し訳なさそうに言う。
「私も今聖都に着いたばかりで、よくわからないのよ。今ハンスたちが見に行ってるんだけど…… あっ」
迷惑だったかしら、とミルドレッドは帰りの馬車に揺られながら言った。
「どちらに対して?」
「どっちにも」
ユージーンの問いかけに答えるとミルドレッドは、両目を閉じて座席にもたれた。
「私、人の気持ちがわからないから。ベンのこともよく嫌な気持ちにさせてるだろうし、ユージーンがなんで怒ったのかもいまだにわからないもの」
「…………」
馬車の中にはミルドレッドと護衛というよりは話し相手として投入されたユージーンだけで、ほかの従者はみな別の馬車に乗っていた。がたごと揺れる馬車の中で目をつむったミルドレッドにはユージーンの表情の変化はわからない。
「だからかもね、演劇が好きなのは……。いろんなことを自分で体験した気になれるし、誰のことも傷つけずに済むし……」
「―― ミルドレッド様」
ふいに、ユージーンが姫の名を呼んだ。普段あまり呼ぶことがないのでミルドレッドは少なからず驚きながら目を開ける。
「…… ベンジャミン王子はあれで、お小さいなりに色々お考えです。それこそ姫様と同じように、将来のことも、この国のことも…… もちろん姫様のことも」
いつも思ったことははっきり言ってくれるはずの幼馴染が言葉をぼかすような話し方をするので、ミルドレッドは不安になる。
「どういうこと?」
「王子はきっと、姫様のことは姉としてきちんと好いておられると、俺は思います」
いつもより慎重につむがれたユージーンの言葉は、いつも通り不器用で真っ直ぐだった。ミルドレッドはそう、と頷くと、
「おまえが言うならきっとそうなんだわ」
と言って笑った。
「最初に遊んだ時から、一番に私のことをわかっていてくれてたものね」
「ああ、フェリシア様の部屋で……」
「違うわ、中庭よ」
騎士団長である父に紹介された時のことを思い出してユージーンが言うと、はっきりと訂正される。
「ほら、ホッジズ団長に紹介される前、中庭で会って、葉っぱや虫を捕まえたりして遊んだでしょ?」
ミルドレッドが過去の記憶を思い起こさせるように言うが、ユージーンは首をひねる。だってミルドレッドに会ったのは、父に紹介されたその時が初めてだったからだ。
なんて綺麗なお姫様なんだろうと、自分と同じ人間とは思えないと幼いながらに思ったから、忘れたり間違えたりするはずがない。
「いえ…… 父に紹介された時が初対面だったと、記憶しております」
ユージーンが断言すると、今度はミルドレッドが「そうかしら」と首をひねった。
「あ…… でもそういえばユージーンは虫が苦手よね」
「そうですね。昔から」
ミルドレッドの思い違いだろうか。しかしどうも納得いかない。ミルドレッドはしきりに首をひねりながら、あとで侍従長にでも聞いてみようと思った。
城の中はなんだか騒がしかった。文官も騎士もなんだか忙しそうにあちこち駆け回っていて、数日ぶりに帰ってきたミルドレッドへのあいさつもどこかおざなりだ。
「なにかあったのかしら」
「祭事の準備…… ではなさそうですね」
王への帰還のあいさつも今手が離せないとかで後回しにされた。仕方ないので先に王妃へのあいさつを済ませることにする。ユージーンと言葉を交わしつつ王妃の部屋の扉を叩くと、王妃でない人物の声が返ってきてミルドレッドは体をこわばらせた。
「おかえりなさい。姉さん」
「…… ただいま。ベン。―― フェリシア様は?」
窓際のテーブルに座っていたらしいベンジャミンが立ち上がって自分を迎える光景にミルドレッドはややおどおどと部屋を見回した。
「今戻ってくると思うよ」
座ったらとうながされ、立ったまま待つのもどうかと思い座ると、すかさずそばにいた侍従がお茶を出してきて逃げ場がなくなる。
匂いたつ紅茶越しに弟を見る。なんとなく、勝手に王にはベンジャミンがなるものと思っていたし、自分なんかは神殿にでも引きこもればいいかと思っていたけど。もしベンジャミンが王になんかなりたくないと思っていたら。
(そうだとしたら、私は……)
ぼんやりとカップの中身を見つめているとふいに部屋の扉が開いた。
「まあ、ミルドレッド姫、お帰りになっていたのね」
「ただいま戻りました、お義母様。ごあいさつが遅れまして申し訳ありません」
フェリシアはミルドレッドの姿を見るなり両手を広げようとしたが、礼儀正しくお辞儀をしたミルドレッドによって阻まれてしまう。
「大変だったでしょう。さ、甘いものでも食べてゆっくりなさって」
ミルドレッドがあいさつを済ませたことで安心したのも束の間、フェリシアが椅子へとうながしてきて断ることができない。
「鳥文が来た時は私もびっくりしたのよ。姫が強盗犯を捕まえたと思ったら、そこから芋づる式に例の窃盗団一味の居場所がわかったっていうじゃない。それで私も陛下も……」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
そんな話は初耳だった。フェリシアの言葉にミルドレッドは慌てて言った。
「もしかして姉さん、知らないの?」
横からベンジャミンが聞いてきて、ミルドレッドは頷く。
「このところずっと巷を騒がせていた窃盗団で、いろんなところで被害が出てるんだよ。〈グラス・ホッパー座〉もその影響で資金が足りなくて、新しい演目ができなくなったって、僕もついさっき知ったんだけど……」
ベンジャミンが説明してくれるが、まったく頭に入ってこない。
「姫のお手柄だって、城中みんな喜んでいるのよ」
義母のひとことに、心臓があからさまにうるさく鳴り響いた。
―― お手柄なんて、私はいらない。
腹の中心が熱を持ってじわじわと全身に広がろうとしている。
(いやだ)
「姫様?」
妙な熱を持ったからだと、急速に血の気が引いている顔にうつむいたミルドレッドに、ユージーンが心配そうに声をかける。
「お顔色が悪いです。部屋にお戻りになられた方が」
その言葉にほっとして、ミルドレッドは頷いた。
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