表示設定
表示設定
目次 目次




第一話 セリーヌ

ー/ー





 田中ゆう子、八十二歳。
 趣味は園芸と、近くの藪に野草を採りにいく——。
「わたくしがいつ誰に悪事を働いたとおっしゃるんですのーーー??」
 とてつもない音を立てて、空からご令嬢が降ってきた。
「あ、ありゃあまあ……。最近のお嬢さんは元気だこと。空から落ちても無傷なんて」
「なんなんですの!? ここはどこかしら?」
 すごい音で枝と共に落ちてきたわりに、ドレスで着飾った令嬢はすくっと立ち上がった。
「ここかい? 平田村のれんげ沼のほとりだよ」
 ゆう子は物珍しげに令嬢に近寄り、しげしげと眺める。
「あんたさん、よう見たらキヨ子さん家のエミちゃんに似とうねぇ。エミちゃんかい?」
 令嬢は困惑した。自分が知らない場所にいることよりも、どこかの誰かもわからないおばあさんが驚かなかったことに驚いた。
「誰ですの? エミチャン、という御方は」
「あぁれぇ、あんたエミちゃんじゃないんかい。私はゆう子。田中ゆう子っちゅう名前や」
 令嬢は盛んに瞬きした。キヨ子、エミチャン、そしてゆう子。一気に情報量が増えて、理解が追いつかない。
「あ、あのぅ……ここは、どこですの?」
「ここはれんげ沼のほとりやゆうとるよ」
 おそらくここは自分の知る土地ではなく、帰ることも容易に出来ないだろうと令嬢は推察した。尤も、すぐ帰られる場所だったとしても、彼女に帰る家はなかったのだが。
「わたくし、帰る場所がないんですの。宿なんかがあれば、教えてくださらない?」
 ゆう子と名乗った老婆は、ぱちくりと瞬きする。そして笑ってはたはたと手を払う仕草をした。
「宿なんかないで。住む場所ないんやったら、うち来るか?」
「そうですわね」
 令嬢はゆう子について行くことにした。
「行くで? ちゃんと着いて()いよ?」
「へっ? は、速いんですの、おばば様は」
 ゆう子はあっという間に遠ざかって行く。
「でも、わたくしも劣ったりしませんわよ?」
 令嬢はドレスの裾を持ち上げ、駆け出した。

「なかなかやるやんね、あんたさんも」
「おほほ、おばば様もなかなかでしたわよ?」
 古そうな一軒家の前、二人はぜえはあいいながら休んでいた。ゆう子の目が煌めく。
「いいで。あんたさんが居候するの許したるわ」
「あぁらあ、いいんですの? 助かりますわ」
 令嬢は今まで落とすことなく持って来た扇子をゆったりと仰ぐ。
「それで、あんたさんの名前は?」
「わたくしは、セリーヌ・エカテリーネですわ、おばば様」
「なんやそのおばば様っちゅう呼び方。もっといい呼び名ないんかい」
 セリーヌは柔らかく微笑んだ。
「ありませんわ」
 おばば様も負けてはいられない。
「そうなん。……でもうち住むなら、それはほかさなあかんなぁ?」
 ゆう子が指差したのは、セリーヌが身にまとう豪奢で重そうなドレス。
「それは出来かねますわ。なんせわたくしからこれを取ってしまうと、わたくし真っ裸になってしまいますもの」
 ゆう子の口端が上がる。負ける気配はない。
「そやなあ、それつこてもっと動きやすうてええもん作れるけど、どやろか?」
 セリーヌの目が輝く。彼女としても、これは動きにくくて利便性に欠けていた。
「いいんです……あら! 何する……ん? ですの?」
「ほら、もう出来たで。これでどうや?」
 刹那に着せられた服装に、セリーヌは開いた口が塞がらない。
「な、なんですの……これ」
「モンペっちゅうんや。ええやろ?」
「あ……あは、ようございますわね、おほほ」
 手元には、無駄に豪奢な扇子だけが残った。彼女はそれを広げて、精一杯笑った。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第二話 居候の晩餐


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 田中ゆう子、八十二歳。
 趣味は園芸と、近くの藪に野草を採りにいく——。
「わたくしがいつ誰に悪事を働いたとおっしゃるんですのーーー??」
 とてつもない音を立てて、空からご令嬢が降ってきた。
「あ、ありゃあまあ……。最近のお嬢さんは元気だこと。空から落ちても無傷なんて」
「なんなんですの!? ここはどこかしら?」
 すごい音で枝と共に落ちてきたわりに、ドレスで着飾った令嬢はすくっと立ち上がった。
「ここかい? 平田村のれんげ沼のほとりだよ」
 ゆう子は物珍しげに令嬢に近寄り、しげしげと眺める。
「あんたさん、よう見たらキヨ子さん家のエミちゃんに似とうねぇ。エミちゃんかい?」
 令嬢は困惑した。自分が知らない場所にいることよりも、どこかの誰かもわからないおばあさんが驚かなかったことに驚いた。
「誰ですの? エミチャン、という御方は」
「あぁれぇ、あんたエミちゃんじゃないんかい。私はゆう子。田中ゆう子っちゅう名前や」
 令嬢は盛んに瞬きした。キヨ子、エミチャン、そしてゆう子。一気に情報量が増えて、理解が追いつかない。
「あ、あのぅ……ここは、どこですの?」
「ここはれんげ沼のほとりやゆうとるよ」
 おそらくここは自分の知る土地ではなく、帰ることも容易に出来ないだろうと令嬢は推察した。尤も、すぐ帰られる場所だったとしても、彼女に帰る家はなかったのだが。
「わたくし、帰る場所がないんですの。宿なんかがあれば、教えてくださらない?」
 ゆう子と名乗った老婆は、ぱちくりと瞬きする。そして笑ってはたはたと手を払う仕草をした。
「宿なんかないで。住む場所ないんやったら、うち来るか?」
「そうですわね」
 令嬢はゆう子について行くことにした。
「行くで? ちゃんと着いて来《き》いよ?」
「へっ? は、速いんですの、おばば様は」
 ゆう子はあっという間に遠ざかって行く。
「でも、わたくしも劣ったりしませんわよ?」
 令嬢はドレスの裾を持ち上げ、駆け出した。
「なかなかやるやんね、あんたさんも」
「おほほ、おばば様もなかなかでしたわよ?」
 古そうな一軒家の前、二人はぜえはあいいながら休んでいた。ゆう子の目が煌めく。
「いいで。あんたさんが居候するの許したるわ」
「あぁらあ、いいんですの? 助かりますわ」
 令嬢は今まで落とすことなく持って来た扇子をゆったりと仰ぐ。
「それで、あんたさんの名前は?」
「わたくしは、セリーヌ・エカテリーネですわ、おばば様」
「なんやそのおばば様っちゅう呼び方。もっといい呼び名ないんかい」
 セリーヌは柔らかく微笑んだ。
「ありませんわ」
 おばば様も負けてはいられない。
「そうなん。……でもうち住むなら、それはほかさなあかんなぁ?」
 ゆう子が指差したのは、セリーヌが身にまとう豪奢で重そうなドレス。
「それは出来かねますわ。なんせわたくしからこれを取ってしまうと、わたくし真っ裸になってしまいますもの」
 ゆう子の口端が上がる。負ける気配はない。
「そやなあ、それつこてもっと動きやすうてええもん作れるけど、どやろか?」
 セリーヌの目が輝く。彼女としても、これは動きにくくて利便性に欠けていた。
「いいんです……あら! 何する……ん? ですの?」
「ほら、もう出来たで。これでどうや?」
 刹那に着せられた服装に、セリーヌは開いた口が塞がらない。
「な、なんですの……これ」
「モンペっちゅうんや。ええやろ?」
「あ……あは、ようございますわね、おほほ」
 手元には、無駄に豪奢な扇子だけが残った。彼女はそれを広げて、精一杯笑った。