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第1回

ー/ー



● 闇を照らす灯火

 しんと静まりかえった闇の中を、ひたすら走った。

 素足をじかに伝ってくる、床の凍りつきそうな冷気が胸をしめつける。吹き抜けの廊下はどこまで行っても真っ暗で、冷たくて。自分がどこにいるかも分からず心細さに涙がこぼれた。

「お、とーさんっ、おかーさんっ」

 ぎゅうっと両手に勇気を握りしめ、懸命に叫んだけれど、声は小さくか細くて、あっという間に闇に吸いこまれた。もう、本当に発したのかも分からない。

「リナおばさんっターラ、ナツメ、リンカっ」

 片端から知った者の名を口にする。闇を、冷気を、無音を、拒絶し。(かたく)なに口にし続けるそれは、まるで呪文のようだ。途切れれば次に何が襲ってくるか知りつくしているように、少女は必死になって父や母、血族たちの名を呼び続ける。
 もう大丈夫と抱きしめてくれる、優しい手を求めて。
 なのに。

「……っ」

 体の芯から生まれてくる震えに、やがて何も口にできなくなった。

 だれもいない。どこにもいない。
 みんな、死んでしまったんだ。リョウキに、殺されてしまった。
 あたし1人残して……!

 ずっと遠くに追いやっていた、いやな考え。心が凍えてがちがち奥歯が鳴る。

 おとうさん、おかあさん。みんな!

 何度も、何度も頭の中で叫んだ。ぎゅっとつぶったまぶたの奥に浮かんだ人たちを。
 けれど、いつまで待ってもだれも呼び返してくれない。ここへおいでと言ってはくれない。
 ぽろぽろ、ぽろぽろ。涙ばかりこぼれる。

 一体どこへ行けばいいのか……だれも呼んでくれないのに。

 そう思うと立っているのもつらくて、とうとうしゃがみこんだ。

 だれか、だれか。そばにいて。
 お願い。あたしを独りにしないで……。

 そう、心の底から願ったとき。

「レン? そこにいるの?」

 そんな問いかけが後ろのほうからした。

 紙燭(しそく)を手に、様子をうかがっている。微風に揺れる小さなあかりに浮かび上がったのは、炎のような髪と瞳をした青年の、端麗な面だった。
 振り返った少女に無事を確認して、ほっと息をつくのが見える。

「どうしたの、そんな所で。部屋にいないから捜してたんだよ。
 さあこっちへおいで」

 とてもこの世のものとは思えない、愛情にあふれた柔らかなほほえみを浮かべて手を差しのべてくれた。

 このときから、彼はレンにとってまさに闇を照らす灯火(ともしび)だったのだ。


◆◆◆


 風に流れる砂のように名の失われた世界。

 ここでは、身に備えた超常能力を用いてはたわむれに人を殺し、その生気を喰らう魅魎(みりょう)と呼ばれる悪鬼たちが跳梁している。

 4つある大陸のうち、最も広大な面積を持つのがヒスミル大陸だ。しかしその地表の7割以上が砂に覆われている。そのため、各地にさまざまな名称のついた大小の砂漠が存在するが、中でもルーティン砂漠は特に広大で、まるで南北の国々の交易を邪魔するように東西に伸びていた。

 地下水脈が遠いため緑地も少なく、泉が干上がる夏場はますます敬遠されがちだ。旅慣れた商隊の間でも正規のルートでさえきついというのが定評で、よほどの事情か、装備のいきとどいた大きな隊でないと真夏時に横断しようなどと考えない。

 そんな苛酷な場なので、軽装備で、しかもルートをはずれて1人で徒歩で横断しようなどと考える者がいると知れば、100人中100人がこぞって「もの好きをとおり越した自殺志願者だ」と断言しただろう。

 きっと、それをすると言ったのが他人だったなら、自分も無茶だと思って止めたに違いない――レンは、灼熱の太陽の下で熱に堪えながら、そう考えていた。



●レンの懊悩(おうのう)

 東西南北どの方角に目をこらそうとも動く物は何ひとつ発見できない砂海の一角で、高く砂を巻き上げた爆音が地を揺るがして(とどろ)く。もうもうとたちこめる砂煙の中、霧雨のように降りそそぐ砂の、最後の1粒が地に着く前にまたもや爆音がして砂の柱が屹立(きつりつ)する。そのくり返し。

 どおぉぉおん……というかすかな音と、ほんの少しの振動しか届かないくらい離れた砂丘で、レンは黙々と斜面を削っていた。

 砂漠では昼夜の気温差が激しく、昼間気化していた大気中のわずかな水分が夜のうちに表面に降り、霜になる。結晶がまじって白っぽくなった黄砂を長剣の鞘で掘り崩して穴を作り、日影にするのだ。

 試行錯誤の末、陽が傾いても直射日光を浴びずにすむ角度で掘り、ようやくできたとひと息ついたときだ。

「まぁだこんなとこにいたのかよ」

 不満たらたらの声と気配が突然背後に現れた。
 姿を見せたところで絶対歓迎などしてやらない疫病神・樋槻(ひづき)だ。

「あー、おっせーやつ。ちんたらちんたらしやがって。もっとさっさと移動でき――」

 そこまで口にして、ようやくレンのしていた作業に気付いたらしい。

「ええっ! なに? また休むのかー?」

 声のトーンをはねあげて、大袈裟に退く。

「ついさっき休んだぼっかじゃんかよ! ほんとに行く気あんのか? 食事だー睡眠だーって、時間くいすぎっ」

(うるさいばか。おまえのような化物と違って、人間には食事と睡眠が必要なんだよ!)

 背を向けたまま胸中で毒づくが、樋槻は一向に失礼な態度をあらためようとしない。

「大体なあ、もう9日だぜ? 9日もかけてまだシロエの町に着けないなんて、おまえが真面目にやってない証拠だろ。ふつーならとっっっっくについてるころだぞ!」

(『普通』ならな! 普通じゃない状況にしているのはおまえだろう!)

 魅魎と一緒とあっては、商隊に同道を申し込むことができない。特に今の時期、この砂漠を渡ろうとするのは大きな商隊に限られた。そして大きい商隊は、ほぼ確実に『流れ』の退魔師を雇っている。
 彼らに樋槻について説明をするのは難しいし、道中の間だけでも近づくな、姿を隠していろと言ったところで樋槻が言うことをきくはずがない。

 旅に必要な物資を手に入れるために町へ寄ることすら、いい顔をしないやつだ。遅い、いつまで待たせるつもりだ、グズ、ノロマと、さんざん文句をたれていた。
 我慢がきらいでこらえ性のない子ども。それが樋槻の印象だ。
 そんなやつだから、むしろ喜々として退魔師にけんかを売りかねなかった。

 旅に出るきっかけとなった、一面に倒れ伏した魔断や退魔師たちの死体……。
 あんな光景を見るのは1度でたくさんだ。

 結果、レンは過酷な砂漠横断を、たった1人でしなくてはならない状況に陥ってしまっているのだった。


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● 闇を照らす灯火
 しんと静まりかえった闇の中を、ひたすら走った。
 素足をじかに伝ってくる、床の凍りつきそうな冷気が胸をしめつける。吹き抜けの廊下はどこまで行っても真っ暗で、冷たくて。自分がどこにいるかも分からず心細さに涙がこぼれた。
「お、とーさんっ、おかーさんっ」
 ぎゅうっと両手に勇気を握りしめ、懸命に叫んだけれど、声は小さくか細くて、あっという間に闇に吸いこまれた。もう、本当に発したのかも分からない。
「リナおばさんっターラ、ナツメ、リンカっ」
 片端から知った者の名を口にする。闇を、冷気を、無音を、拒絶し。|頑《かたく》なに口にし続けるそれは、まるで呪文のようだ。途切れれば次に何が襲ってくるか知りつくしているように、少女は必死になって父や母、血族たちの名を呼び続ける。
 もう大丈夫と抱きしめてくれる、優しい手を求めて。
 なのに。
「……っ」
 体の芯から生まれてくる震えに、やがて何も口にできなくなった。
 だれもいない。どこにもいない。
 みんな、死んでしまったんだ。リョウキに、殺されてしまった。
 あたし1人残して……!
 ずっと遠くに追いやっていた、いやな考え。心が凍えてがちがち奥歯が鳴る。
 おとうさん、おかあさん。みんな!
 何度も、何度も頭の中で叫んだ。ぎゅっとつぶったまぶたの奥に浮かんだ人たちを。
 けれど、いつまで待ってもだれも呼び返してくれない。ここへおいでと言ってはくれない。
 ぽろぽろ、ぽろぽろ。涙ばかりこぼれる。
 一体どこへ行けばいいのか……だれも呼んでくれないのに。
 そう思うと立っているのもつらくて、とうとうしゃがみこんだ。
 だれか、だれか。そばにいて。
 お願い。あたしを独りにしないで……。
 そう、心の底から願ったとき。
「レン? そこにいるの?」
 そんな問いかけが後ろのほうからした。
 |紙燭《しそく》を手に、様子をうかがっている。微風に揺れる小さなあかりに浮かび上がったのは、炎のような髪と瞳をした青年の、端麗な面だった。
 振り返った少女に無事を確認して、ほっと息をつくのが見える。
「どうしたの、そんな所で。部屋にいないから捜してたんだよ。
 さあこっちへおいで」
 とてもこの世のものとは思えない、愛情にあふれた柔らかなほほえみを浮かべて手を差しのべてくれた。
 このときから、彼はレンにとってまさに闇を照らす|灯火《ともしび》だったのだ。
◆◆◆
 風に流れる砂のように名の失われた世界。
 ここでは、身に備えた超常能力を用いてはたわむれに人を殺し、その生気を喰らう|魅魎《みりょう》と呼ばれる悪鬼たちが跳梁している。
 4つある大陸のうち、最も広大な面積を持つのがヒスミル大陸だ。しかしその地表の7割以上が砂に覆われている。そのため、各地にさまざまな名称のついた大小の砂漠が存在するが、中でもルーティン砂漠は特に広大で、まるで南北の国々の交易を邪魔するように東西に伸びていた。
 地下水脈が遠いため緑地も少なく、泉が干上がる夏場はますます敬遠されがちだ。旅慣れた商隊の間でも正規のルートでさえきついというのが定評で、よほどの事情か、装備のいきとどいた大きな隊でないと真夏時に横断しようなどと考えない。
 そんな苛酷な場なので、軽装備で、しかもルートをはずれて1人で徒歩で横断しようなどと考える者がいると知れば、100人中100人がこぞって「もの好きをとおり越した自殺志願者だ」と断言しただろう。
 きっと、それをすると言ったのが他人だったなら、自分も無茶だと思って止めたに違いない――レンは、灼熱の太陽の下で熱に堪えながら、そう考えていた。
●レンの|懊悩《おうのう》
 東西南北どの方角に目をこらそうとも動く物は何ひとつ発見できない砂海の一角で、高く砂を巻き上げた爆音が地を揺るがして|轟《とどろ》く。もうもうとたちこめる砂煙の中、霧雨のように降りそそぐ砂の、最後の1粒が地に着く前にまたもや爆音がして砂の柱が|屹立《きつりつ》する。そのくり返し。
 どおぉぉおん……というかすかな音と、ほんの少しの振動しか届かないくらい離れた砂丘で、レンは黙々と斜面を削っていた。
 砂漠では昼夜の気温差が激しく、昼間気化していた大気中のわずかな水分が夜のうちに表面に降り、霜になる。結晶がまじって白っぽくなった黄砂を長剣の鞘で掘り崩して穴を作り、日影にするのだ。
 試行錯誤の末、陽が傾いても直射日光を浴びずにすむ角度で掘り、ようやくできたとひと息ついたときだ。
「まぁだこんなとこにいたのかよ」
 不満たらたらの声と気配が突然背後に現れた。
 姿を見せたところで絶対歓迎などしてやらない疫病神・|樋槻《ひづき》だ。
「あー、おっせーやつ。ちんたらちんたらしやがって。もっとさっさと移動でき――」
 そこまで口にして、ようやくレンのしていた作業に気付いたらしい。
「ええっ! なに? また休むのかー?」
 声のトーンをはねあげて、大袈裟に退く。
「ついさっき休んだぼっかじゃんかよ! ほんとに行く気あんのか? 食事だー睡眠だーって、時間くいすぎっ」
(うるさいばか。おまえのような化物と違って、人間には食事と睡眠が必要なんだよ!)
 背を向けたまま胸中で毒づくが、樋槻は一向に失礼な態度をあらためようとしない。
「大体なあ、もう9日だぜ? 9日もかけてまだシロエの町に着けないなんて、おまえが真面目にやってない証拠だろ。ふつーならとっっっっくについてるころだぞ!」
(『普通』ならな! 普通じゃない状況にしているのはおまえだろう!)
 魅魎と一緒とあっては、商隊に同道を申し込むことができない。特に今の時期、この砂漠を渡ろうとするのは大きな商隊に限られた。そして大きい商隊は、ほぼ確実に『流れ』の退魔師を雇っている。
 彼らに樋槻について説明をするのは難しいし、道中の間だけでも近づくな、姿を隠していろと言ったところで樋槻が言うことをきくはずがない。
 旅に必要な物資を手に入れるために町へ寄ることすら、いい顔をしないやつだ。遅い、いつまで待たせるつもりだ、グズ、ノロマと、さんざん文句をたれていた。
 我慢がきらいでこらえ性のない子ども。それが樋槻の印象だ。
 そんなやつだから、むしろ喜々として退魔師にけんかを売りかねなかった。
 旅に出るきっかけとなった、一面に倒れ伏した魔断や退魔師たちの死体……。
 あんな光景を見るのは1度でたくさんだ。
 結果、レンは過酷な砂漠横断を、たった1人でしなくてはならない状況に陥ってしまっているのだった。