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第2回

ー/ー



『ランス!!』

 紫蘭の横をすり抜けて行こうとしたときだ。
 大声で彼の名を呼び、振り返らせたのは、数人の仲間を連れた少年だった。
 名は知らないが、その顔は3期生の中で見た覚えがある。

『てめえ、さっきはよくもやってくれたな!』

 いからせた肩でハアハア息をしながら切れた口元をぐいっと拭う。鼻血をこすったあともあり、どう見てもけんかの相手だ。しかも、現れた上級生たちのほうが傷が多い。

『まだやられ足りないのかよ』

 鷹揚とした声で言い、ランスはもううんざりといった表情で彼らを見渡した。

『るっせえ! 田舎者のチビのくせにふざけたマネしやがって!』
『どっちがだ! 人の頭っから水ぶっかけやがって、自分のしたこと棚上げしてんじゃねえよ! そろいもそろって阿呆どもが!』
『何だと!? 今何て言った!』
『阿呆だから阿呆と言ったんだ。仕返しされるのが嫌だってんなら、やる前に気付け!
 それとも、全員俺の前で床に這いつくばったこと、もう忘れちまったとでも言うのか? ずいぶん都合のいい頭してるよなぁ』
『こ……、この……っ』
『まだ恥をかき足りねえってんなら、いいぜ。かかってこいよ』

 互いをにらみ合う。彼らの間で高まる緊迫感や険悪感からその先が読めて、途端、さーっと音をたてて紫蘭の顔から血の気が引いた。

『ち、ちょっと待ってっ。
 みんな、1度落ち着こう? ね? 落ち着いて話し合えば、きっとわかり合え……やめ――』

 あたふたと止めに入ろうとしたが遅く。そんなものは聞こえない、とばかりに少年たちは一斉にランスに向けて飛びかかり、もつれ合って花の上を転がった。植苗したばかりの若木までへし折って。

 かくて1年の間日々欠かさず費やした努力は一瞬の幻と消え去った。
 しかも、間に入って引き離そうとした紫蘭の両目に、丸く縁取るような青あざまで作って。


 思い出すだけでまだ涙がにじむ。

 ああいけないと、紫蘭は足を止めてそれをぬぐった。
 いけない、いつまでも過ぎた過去を気にしていては。

 たしかにあれは悲しい出来事だったけれど、でも、彼だってわざとやったわけではないのだし。それに、止め切れなかったこちらに非がなくもないんですから。

 大体、初対面が悪かったからといって、それで彼はそういう者なのだと決めつけてはいけませんよね。どんな人だって間違いや失態はするわけですし、その一面が全部ととられたら私だっていやです。
 第一あれはもう6年も前のことで、あのときの少年たちも立派に退魔師として出立していったじゃないですか。ランスだって、きっと――。

 うん、と自分のした考えに頷く。

「まず、互いをよく知ることですよね。考えてみれば、問題児だというのも私はうわさでしか知りませんし、あやふやな先入観でこれからを悲観するのはいささか早計というものでしょう。
 私たちはこれからずっと協力し合い、力を合わせて退魔していくことになるわけですし……」

 やはり、これはぜひとも会って、話し合わなくては!

 ほとほと短絡的というか何というか。さっきまでの暗さは一体どこへいったのか。そう思い立つや迷わずくるりと司書室へ向かっていた足を左に返し、紫蘭は候補生たちの部屋のある東館へ向けて歩き出した。

 感応式が終わってまだ間もないし、最終実技試験も終えて、すでに室内カリキュラムをすべて終えている出立年次生は特別講義への参加以外出立式まで自由行動が与えられているから、きっと部屋にいるはずだと見当をつけて。

 剣術指導を受ける声を遠くに聞きながら、人気(ひとけ)のない南の回遊庭園をぐるりと横切る。回廊を渡って陽光さす階段を上がるとドアを1つずつ見て回り、『ランス』と刻まれた青のプレートがかかったドアの前に、かしこまって立った。

「砕光牙の、紫蘭です。あの、操主、いらっしゃいますか?」

 重ねるようにノックを3回。返事は返らなかったが、中で動く人の気配はしている。
 ドアノブを握ると回って、鍵はかかっていなかった。
 入っていいものか……迷ったが、気負い、えい、と引き開けた直後。

「あ、の――……」

 紫蘭はそこに広がった光景を受け入れることができず、言葉を失ってしばしの間、立ち呆けた。


◆◆◆


 脱ぎ散らされて、あらゆる箇所からぶら下がった服。積み上げられた山が崩れて、開きっぱなしでページの折れた本や雑誌が床中に転がっている。はたして前回はいつ掃除したのか。窓や棚や机の上に埃がたまっている。泥だらけの靴と一緒に食べかけのピザやら飲物の空き瓶やらが床一面に転がっていて……。
 ゴミ箱からあふれたゴミ。一体どこから持ちこんだのか、わけのわからないがらくたまで。部屋中所狭しとばかりに氾濫して、ごちゃごちゃと交ざり合っている。

 絶句。
 ただただ絶句。

 ここまで汚れた部屋を、空間を、目にしたことがあったろうか?

 冷や汗混じりに記憶を探ることで、後ろに退く無礼さをどうにか回避する。
 はたしてどう反応していいものか。無言で迷い続ける紫蘭に向け、この汚部屋の棲息主は、「おい」と声をかけた。

「おいおまえ。入るかやめるかさっさと決めろ。風が強い」

 ヘッドボードに背を預け、ベッドの上に座って本を読んでいたランスがぱたりと本を閉じる。
 ランスへと目を向けた瞬間、紫蘭はほとんど無意識で訴えかけていた。

「どうして……こんな所で、くつろげてるんですかあなたはっっ!!」


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『ランス!!』
 紫蘭の横をすり抜けて行こうとしたときだ。
 大声で彼の名を呼び、振り返らせたのは、数人の仲間を連れた少年だった。
 名は知らないが、その顔は3期生の中で見た覚えがある。
『てめえ、さっきはよくもやってくれたな!』
 いからせた肩でハアハア息をしながら切れた口元をぐいっと拭う。鼻血をこすったあともあり、どう見てもけんかの相手だ。しかも、現れた上級生たちのほうが傷が多い。
『まだやられ足りないのかよ』
 鷹揚とした声で言い、ランスはもううんざりといった表情で彼らを見渡した。
『るっせえ! 田舎者のチビのくせにふざけたマネしやがって!』
『どっちがだ! 人の頭っから水ぶっかけやがって、自分のしたこと棚上げしてんじゃねえよ! そろいもそろって阿呆どもが!』
『何だと!? 今何て言った!』
『阿呆だから阿呆と言ったんだ。仕返しされるのが嫌だってんなら、やる前に気付け!
 それとも、全員俺の前で床に這いつくばったこと、もう忘れちまったとでも言うのか? ずいぶん都合のいい頭してるよなぁ』
『こ……、この……っ』
『まだ恥をかき足りねえってんなら、いいぜ。かかってこいよ』
 互いをにらみ合う。彼らの間で高まる緊迫感や険悪感からその先が読めて、途端、さーっと音をたてて紫蘭の顔から血の気が引いた。
『ち、ちょっと待ってっ。
 みんな、1度落ち着こう? ね? 落ち着いて話し合えば、きっとわかり合え……やめ――』
 あたふたと止めに入ろうとしたが遅く。そんなものは聞こえない、とばかりに少年たちは一斉にランスに向けて飛びかかり、もつれ合って花の上を転がった。植苗したばかりの若木までへし折って。
 かくて1年の間日々欠かさず費やした努力は一瞬の幻と消え去った。
 しかも、間に入って引き離そうとした紫蘭の両目に、丸く縁取るような青あざまで作って。
 思い出すだけでまだ涙がにじむ。
 ああいけないと、紫蘭は足を止めてそれをぬぐった。
 いけない、いつまでも過ぎた過去を気にしていては。
 たしかにあれは悲しい出来事だったけれど、でも、彼だってわざとやったわけではないのだし。それに、止め切れなかったこちらに非がなくもないんですから。
 大体、初対面が悪かったからといって、それで彼はそういう者なのだと決めつけてはいけませんよね。どんな人だって間違いや失態はするわけですし、その一面が全部ととられたら私だっていやです。
 第一あれはもう6年も前のことで、あのときの少年たちも立派に退魔師として出立していったじゃないですか。ランスだって、きっと――。
 うん、と自分のした考えに頷く。
「まず、互いをよく知ることですよね。考えてみれば、問題児だというのも私はうわさでしか知りませんし、あやふやな先入観でこれからを悲観するのはいささか早計というものでしょう。
 私たちはこれからずっと協力し合い、力を合わせて退魔していくことになるわけですし……」
 やはり、これはぜひとも会って、話し合わなくては!
 ほとほと短絡的というか何というか。さっきまでの暗さは一体どこへいったのか。そう思い立つや迷わずくるりと司書室へ向かっていた足を左に返し、紫蘭は候補生たちの部屋のある東館へ向けて歩き出した。
 感応式が終わってまだ間もないし、最終実技試験も終えて、すでに室内カリキュラムをすべて終えている出立年次生は特別講義への参加以外出立式まで自由行動が与えられているから、きっと部屋にいるはずだと見当をつけて。
 剣術指導を受ける声を遠くに聞きながら、|人気《ひとけ》のない南の回遊庭園をぐるりと横切る。回廊を渡って陽光さす階段を上がるとドアを1つずつ見て回り、『ランス』と刻まれた青のプレートがかかったドアの前に、かしこまって立った。
「砕光牙の、紫蘭です。あの、操主、いらっしゃいますか?」
 重ねるようにノックを3回。返事は返らなかったが、中で動く人の気配はしている。
 ドアノブを握ると回って、鍵はかかっていなかった。
 入っていいものか……迷ったが、気負い、えい、と引き開けた直後。
「あ、の――……」
 紫蘭はそこに広がった光景を受け入れることができず、言葉を失ってしばしの間、立ち呆けた。
◆◆◆
 脱ぎ散らされて、あらゆる箇所からぶら下がった服。積み上げられた山が崩れて、開きっぱなしでページの折れた本や雑誌が床中に転がっている。はたして前回はいつ掃除したのか。窓や棚や机の上に埃がたまっている。泥だらけの靴と一緒に食べかけのピザやら飲物の空き瓶やらが床一面に転がっていて……。
 ゴミ箱からあふれたゴミ。一体どこから持ちこんだのか、わけのわからないがらくたまで。部屋中所狭しとばかりに氾濫して、ごちゃごちゃと交ざり合っている。
 絶句。
 ただただ絶句。
 ここまで汚れた部屋を、空間を、目にしたことがあったろうか?
 冷や汗混じりに記憶を探ることで、後ろに退く無礼さをどうにか回避する。
 はたしてどう反応していいものか。無言で迷い続ける紫蘭に向け、この汚部屋の棲息主は、「おい」と声をかけた。
「おいおまえ。入るかやめるかさっさと決めろ。風が強い」
 ヘッドボードに背を預け、ベッドの上に座って本を読んでいたランスがぱたりと本を閉じる。
 ランスへと目を向けた瞬間、紫蘭はほとんど無意識で訴えかけていた。
「どうして……こんな所で、くつろげてるんですかあなたはっっ!!」