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第1回

ー/ー



「待って……待ってください、操主(そうしゅ)!」

 背後、声がする。だがそんなものは聞こえないと、無視してランスは走っていた。

(ちくしょう)

 奥歯をかみしめ、上がってくる者たちとぶつかるのも気にせず一直線に階段をかけ下りる。

(ちくしょう、来るんじゃねえよ)

 腹立たしかった。何もかもに腹が立って、わめいてあたり散らしたくなる思いを懸命にこらえる。
 それだけはできないと。そんなことをしたところでこの苛立ちが消えるはずがない。分かっている。
 自分は、自分に一番腹を立てているんだ。

(追ってなんか、来るな!)

 後ろの相手に向かって胸の中、言葉を叩きつける。

(俺なんか、追ったりするな!)

 だがそんな願いもむなしく追う足音はだんだん距離を縮めていた。その手が、自分へ向かって伸ばされたのを感じたとき。

「さわるな!!」

 どうして悟ってくれないのか。こいつはいつだってそうだ。
 今回ばかりはその無神経さすれすれの鈍さに本気で腹が立ち、殺気まではらんだ激しい拒絶の言葉をぶつけると同時に、ランスは手を打ち払っていた。


◆◆◆


 風に吹き流される砂のように人々の記憶より名の失われた世界。

 人間の住む地で最も広大な面積をもつヒスミル大陸の西よりにある街・サキスに幻聖宮は所在する。
 超常能力を用いて人の生気を喰らう敵・魅魎(みりょう)より人々を守護する退魔師を養成する場だ。そこには、各国より集められた候補生たちと、そして退魔時においては心強い助言者となる生きた剣・魔断(まだん)たちがいる。

 6年に渡る厳しい訓練を終えたあと、彼らは生涯に渡って生死をともにする相手との感応式に臨むわけだが……。

(……えっ?)

 それが光波系魔断、砕光牙(さいこうが)の化身、紫蘭(しらん)が感応式場において、自らと感応した退魔師候補生・ランスを前にして、真っ先に浮かんだ言葉だった。



「おまえ、とうとう感応したんだって?」

 昼を少しまわり、直射日光の差さなくなった西館の薄暗い回廊をとてとて歩いて別館にある自室へと戻った直後。そんな言葉とともに紫蘭は中で待ちかまえていた同室者の白悧(はくり)に肩を強く揺さぶられた。

 どうしているんだろう? 教え長をしている彼は、まだ講義の時間のはずなのに。

「ええ、まあ……」

 不思議に思うが、どうせまた途中で自習にして放り出してきたんだろうとの予想はすぐについたので、あえて訊こうとはしない。

「やったじゃないかよ! それで!? 相手は何て名だっけ?」

 そう口にしながらも、何もかも知ってるんだぜ、という目をして、笑いたいのを我慢している顔で訊いてくる。
 紫蘭はときどき、なぜ彼と同室の友人でいられるんだろうと――趣味も好みも性格も全く違うのに――不思議に思うことがあった。
 今がまさにそうだ。

 この意地の悪い親友を横目に盛装衣を脱ぎながら、紫蘭はだるそうに名を口にした。

「………………ランス、です」

 直後。

「あー、そーそー。そうだったな!
 座学はサボって赤点だらけ、寮規則は守らない、サキスへ脱走すること128回、口は悪いし、血の気が多くてけんかっぱやさは筋金入りの、あの問題児、ランス!」

 わははと遠慮なく高笑って寝台へ倒れ伏せ、かつ、そのまま全身が震えるほど笑っている。

 問題児と感応したおかしさからではない。それなら『可哀相』――とまではいかないにせよ、ある程度の同情は示しただろう。いくら白悧だって。

 ここで大爆笑をしたのは、純粋にある出来事を思い出した、そのおかしさからだった。

「白悧! いいかげんにしないと、怒りますよ!」

 笑い続ける白悧が、はたして何を思い起こしているのか十二分に悟った上で、顔を真っ赤にした紫蘭が無理やりやめさせようとする。が、いくらすごんだところでこの者相手に効果などあるはずもなし。 

「よく言うよ、今まで1度も本気で怒ったことのないやつが。怒り方知ってんのか?」

 枕に頰づえをついて、ニヤニヤ笑いながらそう返してくる。
 知り合って200年と少し。彼が意地悪なのは今に始まったことじゃない、とため息ひとつで諦め、おもむろに紫蘭は別の手段に出ることにした。

「私は司書室へ行きます。入本の整理を手伝わないといけませんから。あなたももう行かないと、次の講義に間に合いませんよ。それともまたサボるつもりですか?」

 反応を見せず話題を転換し、早々に打ち切ること。それがこの場合一番効果的だ。
 棚にかけてあったハンガーから、普段着を外す。

「はいはい」

 白悧も身を起こしながらそれに応じる返事を返してきた。が、普段着に着替えた紫蘭の姿を視界に入れた途端、たえきれないといった顔でまたもやプッと吹きだした。

「はくりっ!」

 振り返って叫ぶが、すでに白悧の姿は部屋にない。いつの間に出たのか、ただ廊下を遠ざかってゆく足音とともに笑い声が聞こえるのみだ。

(……あ、の、笑い上戸っっ!)

 今にも頭から湯気が立ちのぼりそうなほど真っ赤になって、ふるふるとこぶしを固める。しかしそのまま怒り続ける気力も今はないと、紫蘭は吐息交じりに力を抜いた。

 ランス。
 まさか、彼と感応するとは……。
 まだあのとき感じた驚きが冷めやらない。心が宙に浮いているような感じだ。

 心を通じ合わせ、その手に握られた剣柄・魔導杖(まどうし)に刀身となって収まり、ともに人々を守護する役につく者。操主。その者を得られたという喜びだけではない、さまざまなものが入り混じってぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような、重い感情が胸にある。

 それは多分、あのときの出来事に起因しているんだろう。
 漠然と考えながら、きっと白悧は間違いなく思い出していたに違いないその出来事を、紫蘭は多少痛む胸で思い起こした。


◆◆◆


 季節は夏。場所は忘れもしない、南の回遊庭園。

 もう何十年も前から宮は財政赤字に苦しめられてきていた。結果として、緊縛財政を余儀なくされ、可能な限り支出を抑えることで赤字削減に努めてきた。
 その一環として、庭師を雇う余裕がないということで長年なおざりにされてきていた南館の中庭の一角を借りて、花壇を作ってから1年。枝葉のそろった木々を揺らして渡る風といい、その木陰でみごとに咲き乱れた花々の美しさといい、この土では花を育てるには向かないと言われながらもずっと手入れをしてきた甲斐があったと、報われた思いで感動していた、その矢先のことだ。

『おい』

 そんな粗雑な呼びかけが、ふいに右のほうから聞こえた。
 だがそんなものは同室者のおかげで慣れている。

『はい?』

 特に何の心構えもせず、浮かれて上機嫌の笑顔でそちらに顔を向ける。そこには、少年がいた。

 その身を形成する何もかもが幼かったが、大きな黒い瞳に浮かんだ光には、ついたじろいでしまうほどの苛立ちや怒り、相対する者への悪意が満ち満ちていた。

 頭から水をかぶりでもしたのか、ぐっしょりと濡れた漆黒の短い髪。きれいなチョコレート色した肌にはあざやすり傷が泥にまみれてたくさんついている。

『ど、どうしたの? きみっ』

 急いで手にしていた布で膝の血を拭おうとした直後。

『さわるな!』

 頭から怒鳴りつけて、少年は紫蘭の手を突き飛ばした。
 その強さに、またびっくりする。

『どけよ。……あんた、道ふさいでて邪魔なんだよ!』

 それくらい言われないと気付かないのか、このばか! と、腹立たしそうに少年はつけ足した。

 魔断は、あって40年といわれる人間と違い、長命種である。
 美貌・知性・教養すべてを兼ね揃え、さらには魅魎との死闘に費やした数百年を勝利して生き残ってきた強者揃いの魔断を、こうもあっさりばか呼ばわりするとは。

 おそらくまだ入宮して日が浅いのだろうとの見当はつくが、それにしてもこれは年長者にする態度でもない。
 これが白悧であれば、その生意気な口を引っ張って、言い直しをさせてあげようと強気で出るに違いなかったが、すっかり迫力負けして気後れてしまった紫蘭は、まるで酸素不足の金魚のように口をパクパクさせたのち、「……はい」の一言でおとなしく通り道を譲ってしまったのだ。

 彼と感応した今にして思えば、すでにこのとき、今日という日が予測できていたのかもしれない。そしておそらくこれからの上下関係も。

 きっと、先の白悧もそれで笑ったのだ。
 だがこれは、そのままつつがなく終わるほど半端な出来事ではなかったのが、問題だった。


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「待って……待ってください、|操主《そうしゅ》!」
 背後、声がする。だがそんなものは聞こえないと、無視してランスは走っていた。
(ちくしょう)
 奥歯をかみしめ、上がってくる者たちとぶつかるのも気にせず一直線に階段をかけ下りる。
(ちくしょう、来るんじゃねえよ)
 腹立たしかった。何もかもに腹が立って、わめいてあたり散らしたくなる思いを懸命にこらえる。
 それだけはできないと。そんなことをしたところでこの苛立ちが消えるはずがない。分かっている。
 自分は、自分に一番腹を立てているんだ。
(追ってなんか、来るな!)
 後ろの相手に向かって胸の中、言葉を叩きつける。
(俺なんか、追ったりするな!)
 だがそんな願いもむなしく追う足音はだんだん距離を縮めていた。その手が、自分へ向かって伸ばされたのを感じたとき。
「さわるな!!」
 どうして悟ってくれないのか。こいつはいつだってそうだ。
 今回ばかりはその無神経さすれすれの鈍さに本気で腹が立ち、殺気まではらんだ激しい拒絶の言葉をぶつけると同時に、ランスは手を打ち払っていた。
◆◆◆
 風に吹き流される砂のように人々の記憶より名の失われた世界。
 人間の住む地で最も広大な面積をもつヒスミル大陸の西よりにある街・サキスに幻聖宮は所在する。
 超常能力を用いて人の生気を喰らう敵・|魅魎《みりょう》より人々を守護する退魔師を養成する場だ。そこには、各国より集められた候補生たちと、そして退魔時においては心強い助言者となる生きた剣・|魔断《まだん》たちがいる。
 6年に渡る厳しい訓練を終えたあと、彼らは生涯に渡って生死をともにする相手との感応式に臨むわけだが……。
(……えっ?)
 それが光波系魔断、|砕光牙《さいこうが》の化身、|紫蘭《しらん》が感応式場において、自らと感応した退魔師候補生・ランスを前にして、真っ先に浮かんだ言葉だった。
「おまえ、とうとう感応したんだって?」
 昼を少しまわり、直射日光の差さなくなった西館の薄暗い回廊をとてとて歩いて別館にある自室へと戻った直後。そんな言葉とともに紫蘭は中で待ちかまえていた同室者の|白悧《はくり》に肩を強く揺さぶられた。
 どうしているんだろう? 教え長をしている彼は、まだ講義の時間のはずなのに。
「ええ、まあ……」
 不思議に思うが、どうせまた途中で自習にして放り出してきたんだろうとの予想はすぐについたので、あえて訊こうとはしない。
「やったじゃないかよ! それで!? 相手は何て名だっけ?」
 そう口にしながらも、何もかも知ってるんだぜ、という目をして、笑いたいのを我慢している顔で訊いてくる。
 紫蘭はときどき、なぜ彼と同室の友人でいられるんだろうと――趣味も好みも性格も全く違うのに――不思議に思うことがあった。
 今がまさにそうだ。
 この意地の悪い親友を横目に盛装衣を脱ぎながら、紫蘭はだるそうに名を口にした。
「………………ランス、です」
 直後。
「あー、そーそー。そうだったな!
 座学はサボって赤点だらけ、寮規則は守らない、サキスへ脱走すること128回、口は悪いし、血の気が多くてけんかっぱやさは筋金入りの、あの問題児、ランス!」
 わははと遠慮なく高笑って寝台へ倒れ伏せ、かつ、そのまま全身が震えるほど笑っている。
 問題児と感応したおかしさからではない。それなら『可哀相』――とまではいかないにせよ、ある程度の同情は示しただろう。いくら白悧だって。
 ここで大爆笑をしたのは、純粋にある出来事を思い出した、そのおかしさからだった。
「白悧! いいかげんにしないと、怒りますよ!」
 笑い続ける白悧が、はたして何を思い起こしているのか十二分に悟った上で、顔を真っ赤にした紫蘭が無理やりやめさせようとする。が、いくらすごんだところでこの者相手に効果などあるはずもなし。 
「よく言うよ、今まで1度も本気で怒ったことのないやつが。怒り方知ってんのか?」
 枕に頰づえをついて、ニヤニヤ笑いながらそう返してくる。
 知り合って200年と少し。彼が意地悪なのは今に始まったことじゃない、とため息ひとつで諦め、おもむろに紫蘭は別の手段に出ることにした。
「私は司書室へ行きます。入本の整理を手伝わないといけませんから。あなたももう行かないと、次の講義に間に合いませんよ。それともまたサボるつもりですか?」
 反応を見せず話題を転換し、早々に打ち切ること。それがこの場合一番効果的だ。
 棚にかけてあったハンガーから、普段着を外す。
「はいはい」
 白悧も身を起こしながらそれに応じる返事を返してきた。が、普段着に着替えた紫蘭の姿を視界に入れた途端、たえきれないといった顔でまたもやプッと吹きだした。
「はくりっ!」
 振り返って叫ぶが、すでに白悧の姿は部屋にない。いつの間に出たのか、ただ廊下を遠ざかってゆく足音とともに笑い声が聞こえるのみだ。
(……あ、の、笑い上戸っっ!)
 今にも頭から湯気が立ちのぼりそうなほど真っ赤になって、ふるふるとこぶしを固める。しかしそのまま怒り続ける気力も今はないと、紫蘭は吐息交じりに力を抜いた。
 ランス。
 まさか、彼と感応するとは……。
 まだあのとき感じた驚きが冷めやらない。心が宙に浮いているような感じだ。
 心を通じ合わせ、その手に握られた剣柄・|魔導杖《まどうし》に刀身となって収まり、ともに人々を守護する役につく者。操主。その者を得られたという喜びだけではない、さまざまなものが入り混じってぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような、重い感情が胸にある。
 それは多分、あのときの出来事に起因しているんだろう。
 漠然と考えながら、きっと白悧は間違いなく思い出していたに違いないその出来事を、紫蘭は多少痛む胸で思い起こした。
◆◆◆
 季節は夏。場所は忘れもしない、南の回遊庭園。
 もう何十年も前から宮は財政赤字に苦しめられてきていた。結果として、緊縛財政を余儀なくされ、可能な限り支出を抑えることで赤字削減に努めてきた。
 その一環として、庭師を雇う余裕がないということで長年なおざりにされてきていた南館の中庭の一角を借りて、花壇を作ってから1年。枝葉のそろった木々を揺らして渡る風といい、その木陰でみごとに咲き乱れた花々の美しさといい、この土では花を育てるには向かないと言われながらもずっと手入れをしてきた甲斐があったと、報われた思いで感動していた、その矢先のことだ。
『おい』
 そんな粗雑な呼びかけが、ふいに右のほうから聞こえた。
 だがそんなものは同室者のおかげで慣れている。
『はい?』
 特に何の心構えもせず、浮かれて上機嫌の笑顔でそちらに顔を向ける。そこには、少年がいた。
 その身を形成する何もかもが幼かったが、大きな黒い瞳に浮かんだ光には、ついたじろいでしまうほどの苛立ちや怒り、相対する者への悪意が満ち満ちていた。
 頭から水をかぶりでもしたのか、ぐっしょりと濡れた漆黒の短い髪。きれいなチョコレート色した肌にはあざやすり傷が泥にまみれてたくさんついている。
『ど、どうしたの? きみっ』
 急いで手にしていた布で膝の血を拭おうとした直後。
『さわるな!』
 頭から怒鳴りつけて、少年は紫蘭の手を突き飛ばした。
 その強さに、またびっくりする。
『どけよ。……あんた、道ふさいでて邪魔なんだよ!』
 それくらい言われないと気付かないのか、このばか! と、腹立たしそうに少年はつけ足した。
 魔断は、あって40年といわれる人間と違い、長命種である。
 美貌・知性・教養すべてを兼ね揃え、さらには魅魎との死闘に費やした数百年を勝利して生き残ってきた強者揃いの魔断を、こうもあっさりばか呼ばわりするとは。
 おそらくまだ入宮して日が浅いのだろうとの見当はつくが、それにしてもこれは年長者にする態度でもない。
 これが白悧であれば、その生意気な口を引っ張って、言い直しをさせてあげようと強気で出るに違いなかったが、すっかり迫力負けして気後れてしまった紫蘭は、まるで酸素不足の金魚のように口をパクパクさせたのち、「……はい」の一言でおとなしく通り道を譲ってしまったのだ。
 彼と感応した今にして思えば、すでにこのとき、今日という日が予測できていたのかもしれない。そしておそらくこれからの上下関係も。
 きっと、先の白悧もそれで笑ったのだ。
 だがこれは、そのままつつがなく終わるほど半端な出来事ではなかったのが、問題だった。