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第18話 セクシー採点禁止令の夜

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月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。
 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の夜の空気がゆっくりと出来上がる。
 その交差点から一本入った細い路地に、小さな赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな店だ。

その夜、店の空気は、奇跡のように穏やかだった。
 少なくとも、最初の十分間だけは。
 タケさんがグラスを拭き、神様が琥珀色の液体を静かに喉に流し、シャカが文庫本を片手に「読んでいない半分」の世界に浸っている。マウスはスマホで何らかの複雑なグラフを眺め、仕事終わりのりょうちんが疲れた顔でハイボールを啜っている。
「……今日は平和だな」
 タケさんが、自分を言い聞かせるようにそう呟いた瞬間、隣で無駄に厚い胸板を揺らしたゴウちゃんが鼻で笑った。
「マスター、それ、この店じゃ一番の禁句(タブー)だぞ。フラグ以外の何物でもない」
「統計的に言えば、タケさんが“今日は平和”と口にした夜の92%は、その後三十分以内に何らかの言語的内乱が発生しています」とマウスが淡々と補足する。
「役には立ってないけど、説得力だけはある統計だな」とりょうちんが苦笑した。
その時、ドアが勢いよく開き、冬の夜風を置き去りにするようにミルクちゃんが飛び込んできた。
「ちょっと聞いてよ!!! もう許せない、絶交よ! 全人類の敵よ!」
「ほら来た」とタケさんが溜息をつく。「平和の終わりだ」
 ミルクちゃんはカウンターに両手をつき、鼻息荒く店中を見渡した。
「今日、うちの店にいた客! 最低最悪の『採点男』だったのよ!」
「採点男?」と、マユ姐が奥から顔を出す。「テストの採点でもしてたの?」
「違うわよ! 女の子を、顔とか喋りとかで勝手に点数つけてるの! 『あの子は顔は70点だけど、喋りが65点。色気不足で総合58点かな』とか、大きな声で宣(のたま)ってたのよ!」
店内の空気が、一瞬で「マイナス30度」まで急降下した。
「最低ね」とリンが冷たく言い放つ。
「終わってるわね。自分の価値が他人の評価で決まると思ってる典型的な弱者よ」と麗子嬢が静かにグラスを置いた。
「完全に人としてのアップデートに失敗しています。バグだらけのOSです」とマウス。
「事件だ。これは、人類の尊厳に対する重大な事件だぞ」と工藤ちゃんが帽子を深く被り直す。
ミルクちゃんはさらにヒートアップする。
「しかもね、そいつ、自分は大した顔してないのよ! 鏡、壊れてるんじゃないかってくらい!
何を上から目線で審査員気取ってるのよ。あんたは恋愛リアリティショーの最終面接官か、はたまた神様かっての!」
「神様は私ですが、そんな下品な採点はしませんよ」と、神様が穏やかに、しかし確実に「不快感」を滲ませて言った。
「マユ姐、こういう男、たまにいるわよね?」とナツキが聞く。 「たまにじゃないわ、山ほどいるわよ。女を『鑑賞物』か『商品』だと思ってる男。そういう奴に限って、自分が見られる側だってことに気づいてないの。無自覚な観客席ほど醜いものはないわよ」
りょうちんが、恐る恐る口を開いた。
「でも……男同士で『あの人綺麗だな』とか、そういう話は僕らもしますよね……?」
「りょうちん、それは『賛辞』よ。採点は『格付け』。似てるようで、天と地ほどの差があるのよ」とリンが鋭い一刺しを加える。
「……はい。勉強になります」
「返事が早い。今の素直さは85点ね♡」とミルクちゃんがウィンクする。
「ほら、お前も採点してるじゃないか」とタケさんが突っ込む。 「あたしの採点は『愛』なのよ!」
そこへ、またカランとドアが鳴った。
 入ってきたのは、三十代前半と思わしき、仕立てのいいスーツに身を包んだ男だった。髪は一糸乱れず整えられ、顔立ちも整っている。だが、入ってきた瞬間に漂う、あの「自分がどう見られているかを、一秒たりとも忘れない人間」特有の、鼻につく匂い。
「いらっしゃい、OKダンディ」
 タケさんの挨拶に、男は少しだけ口角を上げ、選ばれた人間のような優雅な動作で空いた席に座った。
「おすすめを。……この店の『深み』が分かるものを」
「一番面倒くさい注文だな」とタケさんが独り言のように言った。
男は店内を見回し、常連たちの顔を一瞥した。その目は、明らかに彼らを「分析」していた。
「……皆さん、お揃いで。外で聞こえましたよ、“採点”の話をしてましたね?」
 男はハイボールを一口飲み、余裕たっぷりに笑った。
「まあ、男が女性を評価するのは本能みたいなものですからね。悪気はないんですよ。一種の、ノリというか」
 店内の温度が、さらに五度下がった。
「ノリ、ね」と麗子嬢が、男の目を射抜くように見た。
「そのノリで、一人の人間の価値を数字に閉じ込めるのが、どれだけ下品か考えたことはある?」
 男は動じない。
「でも、女性だって男を年収や身長で選ぶじゃないですか。それは採点じゃないんですか?」
「論点のすり替えです」とマウスがスマホを叩きながら割って入る。「他者が下品であることを、自分の下品さを正当化する理由にはできません。それはロジックの敗北です」
「神様、お願いします」とミルクちゃんが振る。
 神様は静かに言った。
「人を見る時に数字に頼るのは、自分の感性が死んでいる証拠です。会話の間、笑う時のシワ、弱っている時の眼差し……そういうものを感じ取る力がないから、安易な点数で済ませようとする。……あなたは今、目の前の酒の味を、何点だと思って飲んでいるんですか?」
男は少し言葉を詰まらせたが、まだ「自分は正しい」という顔を崩さない。
 そこへ、ゴウちゃんが突然、力強く立ち上がった。
「よし! 決めた! 逆にやろうぜ!」
「何をだよ」とタケさん。
「この男を、俺たちで採点してやるんだよ! 本人が“採点は普通だ”って言うなら、受けてもらう権利があるだろ?」
「最高! やりましょうよ!」とメグぽよが手を叩く。
「……まあ、本人がそう仰るならな」とタケさんも、グラスを置いた。
男は少し顔を引きつらせた。「冗談でしょう?」
「冗談じゃないわよ。さあ、公開処刑……じゃなくて、公開採点の時間よ」とマユ姐。
 工藤ちゃんが、審判のようにカウンターの中央に立った。
「採点開始だ。まずは、ミルク。視覚情報を吐け」
「はい! まずお顔。整ってるけど、『俺、イケメンでしょ?』っていう自意識が顔の表面で渋滞してるから、マイナス20点。総合50点ね」
「厳しい!」とヒロ。
「次、ファッション。マユ姐」
「高い時計、いいスーツ。でも、それを着こなす自分の『魂』が、既製品みたいに薄っぺらい。魂胆が見え見えだから、減点。45点」
 男の顔から、余裕が消えていく。
「喋り方。りょうちん、行け」
「えっ、僕ですか!? ……ええと、相手の目を見ているようで、実は『自分がどう映っているか』を確認してる鏡を見てるみたいです。……30点」
「刺さるわねぇ、りょうちんの純粋な一撃」とリンが笑う。
 神様が追い打ちをかける。
「最大の問題は、相手を点数で測ることで、自分が『測る側の特権階級』にいると誤解している傲慢さです。これは、人としての器が致命的に欠けている。0点です」
「神様、無慈悲!」
シャカが本を閉じ、ボソリと言った。
「点数は平面。人間は立体。……あなたは、自分の物差しが短いことに、一生気づかない。……15点」
「シャカ、それ今日一番深いぞ」とゴウちゃんが感心する。
 最後に、麗子嬢がゆっくりとグラスを置き、男の目をじっと見つめた。
 店内が、今日一番の静寂に包まれる。
「……総合評価。38点」
「低い!!」とゴウちゃん。
「どこが……どこがそんなに不満なんだ!」と、男が思わず声を荒らげた。
 麗子嬢は、少しだけ哀れむような目で答えた。
「38点っていうのは、あなたの外見やスペックの数字じゃないわ」
「じゃあ、何だ」
「“人を点数で測ってもいい”という、その貧相な感性そのものよ。あなたが今日、一ミリも楽しそうに酒を飲んでいない理由も、そこにあるわ」
静かだった。
 男は何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
 これまで、自分を評価してくれる人間、あるいは自分が評価する対象としての人間しか見てこなかった男にとって、この店の「容赦ない本音の濁流」は、初めて出会う「壁」だった。
タケさんが、新しい氷を男のグラスに入れながら、ぼそっと言った。
「……点数つける暇があるなら、目の前の相手の話を聞け。酒が不味くなるだけだぞ」
 男はしばらく黙ってグラスを見つめていたが、やがて、小さく、本当に小さく肩の力を抜いた。
「……確かに。自分がされると、これほど惨めなものはないですね」
「気づくのが遅いわよ。でも、気づいただけマシね」とマユ姐。 「次は38点から、出直しなさい。次は会話をしに来るのよ」と麗子嬢。
男は苦く笑い、残りの酒を飲み干した。
「……この店、本当に怖いですね」
「優しい店よ」とミルクちゃん。「日によるけど♡」
「事件次第だ」と工藤ちゃん。
「結局それかよ」とタケさんが笑った。
男が会計を済ませ、ドアに向かう。
 最後にもう一度振り返り、彼は「38点の男」としてではなく、一人の客として頭を下げた。
「次は、点数のつかない会話をしに来ます」
「待ってるよ、OKダンディ」
 ドアが閉まり、赤いランプの光が夜の闇に吸い込まれていく。
「なあ、麗子嬢」と、ゴウちゃんが我慢できずに口を開いた。 「俺の72点は……今、何点になった?」
 店内が、一瞬だけ止まり、次の瞬間、今日一番の爆笑に包まれた。
「まだ気にしてたの!? しつこいわよ!」とメグぽよ。
「だって気になるだろ! あいつよりは高いけど、微妙なラインなんだもん!」
 麗子嬢は、悪戯っぽく微笑んだ。
「……今の質問で、65点に降格」
「下がったぁぁぁ!! 理不尽だ!!」
「理不尽じゃないわ、自意識の無駄遣いよ」
月見橋の夜は、相変わらず静かに信号を刻んでいた。
 誰かが背負ってきた重たいプライドをこの店に置き、誰かが新しい「バカな一日」を笑いに変えていく。
 タケさんは最後のグラスを棚に戻し、少しだけ口角を上げた。 「……平和な夜なんて、この店には一生来ないんだろうな」  
そして今夜もまた、Red Light Bar で何かが起こっていた。


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月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。
 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドア、遠くを走るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の夜の空気がゆっくりと出来上がる。
 その交差点から一本入った細い路地に、小さな赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな店だ。
その夜、店の空気は、奇跡のように穏やかだった。
 少なくとも、最初の十分間だけは。
 タケさんがグラスを拭き、神様が琥珀色の液体を静かに喉に流し、シャカが文庫本を片手に「読んでいない半分」の世界に浸っている。マウスはスマホで何らかの複雑なグラフを眺め、仕事終わりのりょうちんが疲れた顔でハイボールを啜っている。
「……今日は平和だな」
 タケさんが、自分を言い聞かせるようにそう呟いた瞬間、隣で無駄に厚い胸板を揺らしたゴウちゃんが鼻で笑った。
「マスター、それ、この店じゃ一番の禁句(タブー)だぞ。フラグ以外の何物でもない」
「統計的に言えば、タケさんが“今日は平和”と口にした夜の92%は、その後三十分以内に何らかの言語的内乱が発生しています」とマウスが淡々と補足する。
「役には立ってないけど、説得力だけはある統計だな」とりょうちんが苦笑した。
その時、ドアが勢いよく開き、冬の夜風を置き去りにするようにミルクちゃんが飛び込んできた。
「ちょっと聞いてよ!!! もう許せない、絶交よ! 全人類の敵よ!」
「ほら来た」とタケさんが溜息をつく。「平和の終わりだ」
 ミルクちゃんはカウンターに両手をつき、鼻息荒く店中を見渡した。
「今日、うちの店にいた客! 最低最悪の『採点男』だったのよ!」
「採点男?」と、マユ姐が奥から顔を出す。「テストの採点でもしてたの?」
「違うわよ! 女の子を、顔とか喋りとかで勝手に点数つけてるの! 『あの子は顔は70点だけど、喋りが65点。色気不足で総合58点かな』とか、大きな声で宣(のたま)ってたのよ!」
店内の空気が、一瞬で「マイナス30度」まで急降下した。
「最低ね」とリンが冷たく言い放つ。
「終わってるわね。自分の価値が他人の評価で決まると思ってる典型的な弱者よ」と麗子嬢が静かにグラスを置いた。
「完全に人としてのアップデートに失敗しています。バグだらけのOSです」とマウス。
「事件だ。これは、人類の尊厳に対する重大な事件だぞ」と工藤ちゃんが帽子を深く被り直す。
ミルクちゃんはさらにヒートアップする。
「しかもね、そいつ、自分は大した顔してないのよ! 鏡、壊れてるんじゃないかってくらい!
何を上から目線で審査員気取ってるのよ。あんたは恋愛リアリティショーの最終面接官か、はたまた神様かっての!」
「神様は私ですが、そんな下品な採点はしませんよ」と、神様が穏やかに、しかし確実に「不快感」を滲ませて言った。
「マユ姐、こういう男、たまにいるわよね?」とナツキが聞く。 「たまにじゃないわ、山ほどいるわよ。女を『鑑賞物』か『商品』だと思ってる男。そういう奴に限って、自分が見られる側だってことに気づいてないの。無自覚な観客席ほど醜いものはないわよ」
りょうちんが、恐る恐る口を開いた。
「でも……男同士で『あの人綺麗だな』とか、そういう話は僕らもしますよね……?」
「りょうちん、それは『賛辞』よ。採点は『格付け』。似てるようで、天と地ほどの差があるのよ」とリンが鋭い一刺しを加える。
「……はい。勉強になります」
「返事が早い。今の素直さは85点ね♡」とミルクちゃんがウィンクする。
「ほら、お前も採点してるじゃないか」とタケさんが突っ込む。 「あたしの採点は『愛』なのよ!」
そこへ、またカランとドアが鳴った。
 入ってきたのは、三十代前半と思わしき、仕立てのいいスーツに身を包んだ男だった。髪は一糸乱れず整えられ、顔立ちも整っている。だが、入ってきた瞬間に漂う、あの「自分がどう見られているかを、一秒たりとも忘れない人間」特有の、鼻につく匂い。
「いらっしゃい、OKダンディ」
 タケさんの挨拶に、男は少しだけ口角を上げ、選ばれた人間のような優雅な動作で空いた席に座った。
「おすすめを。……この店の『深み』が分かるものを」
「一番面倒くさい注文だな」とタケさんが独り言のように言った。
男は店内を見回し、常連たちの顔を一瞥した。その目は、明らかに彼らを「分析」していた。
「……皆さん、お揃いで。外で聞こえましたよ、“採点”の話をしてましたね?」
 男はハイボールを一口飲み、余裕たっぷりに笑った。
「まあ、男が女性を評価するのは本能みたいなものですからね。悪気はないんですよ。一種の、ノリというか」
 店内の温度が、さらに五度下がった。
「ノリ、ね」と麗子嬢が、男の目を射抜くように見た。
「そのノリで、一人の人間の価値を数字に閉じ込めるのが、どれだけ下品か考えたことはある?」
 男は動じない。
「でも、女性だって男を年収や身長で選ぶじゃないですか。それは採点じゃないんですか?」
「論点のすり替えです」とマウスがスマホを叩きながら割って入る。「他者が下品であることを、自分の下品さを正当化する理由にはできません。それはロジックの敗北です」
「神様、お願いします」とミルクちゃんが振る。
 神様は静かに言った。
「人を見る時に数字に頼るのは、自分の感性が死んでいる証拠です。会話の間、笑う時のシワ、弱っている時の眼差し……そういうものを感じ取る力がないから、安易な点数で済ませようとする。……あなたは今、目の前の酒の味を、何点だと思って飲んでいるんですか?」
男は少し言葉を詰まらせたが、まだ「自分は正しい」という顔を崩さない。
 そこへ、ゴウちゃんが突然、力強く立ち上がった。
「よし! 決めた! 逆にやろうぜ!」
「何をだよ」とタケさん。
「この男を、俺たちで採点してやるんだよ! 本人が“採点は普通だ”って言うなら、受けてもらう権利があるだろ?」
「最高! やりましょうよ!」とメグぽよが手を叩く。
「……まあ、本人がそう仰るならな」とタケさんも、グラスを置いた。
男は少し顔を引きつらせた。「冗談でしょう?」
「冗談じゃないわよ。さあ、公開処刑……じゃなくて、公開採点の時間よ」とマユ姐。
 工藤ちゃんが、審判のようにカウンターの中央に立った。
「採点開始だ。まずは、ミルク。視覚情報を吐け」
「はい! まずお顔。整ってるけど、『俺、イケメンでしょ?』っていう自意識が顔の表面で渋滞してるから、マイナス20点。総合50点ね」
「厳しい!」とヒロ。
「次、ファッション。マユ姐」
「高い時計、いいスーツ。でも、それを着こなす自分の『魂』が、既製品みたいに薄っぺらい。魂胆が見え見えだから、減点。45点」
 男の顔から、余裕が消えていく。
「喋り方。りょうちん、行け」
「えっ、僕ですか!? ……ええと、相手の目を見ているようで、実は『自分がどう映っているか』を確認してる鏡を見てるみたいです。……30点」
「刺さるわねぇ、りょうちんの純粋な一撃」とリンが笑う。
 神様が追い打ちをかける。
「最大の問題は、相手を点数で測ることで、自分が『測る側の特権階級』にいると誤解している傲慢さです。これは、人としての器が致命的に欠けている。0点です」
「神様、無慈悲!」
シャカが本を閉じ、ボソリと言った。
「点数は平面。人間は立体。……あなたは、自分の物差しが短いことに、一生気づかない。……15点」
「シャカ、それ今日一番深いぞ」とゴウちゃんが感心する。
 最後に、麗子嬢がゆっくりとグラスを置き、男の目をじっと見つめた。
 店内が、今日一番の静寂に包まれる。
「……総合評価。38点」
「低い!!」とゴウちゃん。
「どこが……どこがそんなに不満なんだ!」と、男が思わず声を荒らげた。
 麗子嬢は、少しだけ哀れむような目で答えた。
「38点っていうのは、あなたの外見やスペックの数字じゃないわ」
「じゃあ、何だ」
「“人を点数で測ってもいい”という、その貧相な感性そのものよ。あなたが今日、一ミリも楽しそうに酒を飲んでいない理由も、そこにあるわ」
静かだった。
 男は何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
 これまで、自分を評価してくれる人間、あるいは自分が評価する対象としての人間しか見てこなかった男にとって、この店の「容赦ない本音の濁流」は、初めて出会う「壁」だった。
タケさんが、新しい氷を男のグラスに入れながら、ぼそっと言った。
「……点数つける暇があるなら、目の前の相手の話を聞け。酒が不味くなるだけだぞ」
 男はしばらく黙ってグラスを見つめていたが、やがて、小さく、本当に小さく肩の力を抜いた。
「……確かに。自分がされると、これほど惨めなものはないですね」
「気づくのが遅いわよ。でも、気づいただけマシね」とマユ姐。 「次は38点から、出直しなさい。次は会話をしに来るのよ」と麗子嬢。
男は苦く笑い、残りの酒を飲み干した。
「……この店、本当に怖いですね」
「優しい店よ」とミルクちゃん。「日によるけど♡」
「事件次第だ」と工藤ちゃん。
「結局それかよ」とタケさんが笑った。
男が会計を済ませ、ドアに向かう。
 最後にもう一度振り返り、彼は「38点の男」としてではなく、一人の客として頭を下げた。
「次は、点数のつかない会話をしに来ます」
「待ってるよ、OKダンディ」
 ドアが閉まり、赤いランプの光が夜の闇に吸い込まれていく。
「なあ、麗子嬢」と、ゴウちゃんが我慢できずに口を開いた。 「俺の72点は……今、何点になった?」
 店内が、一瞬だけ止まり、次の瞬間、今日一番の爆笑に包まれた。
「まだ気にしてたの!? しつこいわよ!」とメグぽよ。
「だって気になるだろ! あいつよりは高いけど、微妙なラインなんだもん!」
 麗子嬢は、悪戯っぽく微笑んだ。
「……今の質問で、65点に降格」
「下がったぁぁぁ!! 理不尽だ!!」
「理不尽じゃないわ、自意識の無駄遣いよ」
月見橋の夜は、相変わらず静かに信号を刻んでいた。
 誰かが背負ってきた重たいプライドをこの店に置き、誰かが新しい「バカな一日」を笑いに変えていく。
 タケさんは最後のグラスを棚に戻し、少しだけ口角を上げた。 「……平和な夜なんて、この店には一生来ないんだろうな」  
そして今夜もまた、Red Light Bar で何かが起こっていた。