第15話 いい男なんて、たぶん雑貨の一種の夜
ー/ー月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。
信号が変わる電子音、コンビニの自動ドアが吸い込む空気、遠くを走り去るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の、湿り気を帯びた夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。
その交差点から一本入った細い路地に、小さな赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな店だ。
その夜、店主のタケさんは開店してわずか七分で、すでに「三日三晩不眠不休で働いた後」のような顔をしていた。
「……なんでだよ。道理に合わないだろ、こんなの」
グラスを拭きながら、目の前のカウンターを見渡し、タケさんは震える声で呟いた。
満席だった。それはいい。商売繁盛は喜ばしいことだ。だが、問題はその「中身」である。
麗子嬢、リン、ナツキ、メグぽよ、姫殿、ミルクちゃん、マユ姐、なつきちゃん。
見事なまでに、男が一人もいない。タケさんを除けば、店内は完全に「女という名の爆発物」によって占拠されていた。
「何その、処刑台に上がる直前みたいな顔は」とマユ姐が、紫煙をこれでもかと吐き出しながら笑う。
「何その顔も何もないだろ。開店十分足らずで、なんでうちが女子大のサークル棟みたいになってるんだよ」
「いいじゃない。女しかいないなんて、健全な証拠よ」
「その『だけ』が重いんだよ。気圧が普段の三倍はあるぞ」
「失礼ね。私たちがいるだけで、この店に華が八輪も咲いてるのよ?」と麗子嬢が、鋭い視線でタケさんを射抜く。
「毒薬の花が八輪だろ。逃げ場がないんだよ、こっちは」
「何よ、タケさん。女だけだと何か不都合でもあるの?」
メグぽよが身を乗り出す。その瞳には、すでに獲物をいたぶる準備が整った肉食獣の輝きがあった。
「ある」
「即答」とリン。
「しかも本音の、心の底からの叫び」
ミルクちゃんが嬉しそうにカウンターをリズムよく叩いた。 「いいじゃない、タケさん!
全方位から女に囲まれてるのよ? 世の中の男からしたら、ここは桃源郷、ハーレムよ♡」
「断る。ハーレムってのはな、男にとって都合のいい空想上の概念だ。ここは違う。ここは、壁四方を鏡張りにされた取り調べ室、あるいは『答えを間違えたら即没収される』クイズ番組のスタジオだ。つまり……尋問室だ!」
一瞬の静寂の後、店内がひっくり返るような笑いに包まれた。 「分かる!!
確かに今の私たちは、全員が検察官の顔をしてるわね!」とメグぽよ。
「言い得て妙。逃げ場なし、黙秘権なし」とリンが冷たく笑う。 「確かに今日は、空気の逃げ道がないわね。熱気が循環して、全員の『言い分』が濃縮されてる感じ」と姫殿が優雅にグラスを傾ける。
ナツキが楽しそうに言う。
「でもタケさん、こういう時こそ、普段聞けないことが聞けるチャンスですよ?」
「お前はそうやって、いつもニコニコしながら地獄へ背中を押すよな」
「タケさん、もう諦めて腹を括ってください」となつきちゃんが、慈愛に満ちた笑顔で引導を渡す。
麗子嬢が、グラスの縁を指でなぞりながら静かに口を開いた。 「で。せっかくこれだけ『審判』が揃ったんだもの。今夜の議題は何にする?」
「議論前提なんだな……。静かに飲むという選択肢は消滅したのか」
「だって、女が八人も集まって、黙って酒を飲むなんて不自然でしょ? 私たちが集まれば、そこには必ず『定義』と『断罪』が必要なのよ」とマユ姐。
「そこが怖いんだよ、お前らは」
その瞬間、メグぽよがロケットのように勢いよく挙手した。
「はい!!!! 決まり!!!! 今夜のテーマはこれよ!!」 「勝手に決めるな。俺の店の営業方針を無視するな」
「いい男とは何か!!!! これよ! これを徹底的に解体するわ!」
一瞬の沈黙。そして次の瞬間、八つの方向から異なるキーワードが、銃弾のようにタケさんに浴びせられた。
「「背筋!!」
「余裕!!」
「匂い!!」
「靴の磨き方!!」
「声のトーン!!」
「指先!!」
「支払い時の指先!!」
「優しさという名の計算!!」
「結局は顔!!」
「いや清潔感!!」
「距離感の間違い!!」
「連絡のレスポンス!!」
「肌の質感!!」
「食べ方の癖!!」
「箸の持ち方の美学!!」
「爪の形!!」
「座った時の膝の角度!!」
「怒り方の知性!!」」
「待て待て待て待て!!!!!!!!」
タケさんが両手を上げ、全力でストップをかける。
「聖徳太子でも無理だ! 一人ずつ、一人ずつ順番に喋れ! まとめて喋ると殺意としてしか伝わってこない!」
「無理。溢れ出してるから」と全員。
「だろうな!! この強欲どもめ!」
麗子嬢が、教壇に立つ教師のような威厳で主導権を握った。
「まず、いい男の最低条件。それは『背筋』よ」
「出た。麗子嬢のいつもの姿勢信仰」とリンが茶化す。
「信仰じゃない、進化論の問題よ。背筋が曲がっている男は、その時点で精神のどこかが折れているか、自分を信じていない証拠。そんな男に、女の人生を背負う資格はないわ」
「……いや、背負わせるつもりなの?」
「でも分かるわ。背筋が伸びているだけで、酒が三割増しで美味しく見えるもの」と姫殿。
「でしょ? でもね、問題はここからよ」とメグぽよが割り込む。「背筋だけ一丁前で、中身がふにゃふにゃの男!
あれは『背筋詐欺』よ! 期待させた分だけ、罪が重いのよ!」
「背筋詐欺って何だよ! 法律のどこにも載ってねえよ!」
「いいのよ、女の法律には終身刑で載ってるの! 背筋で『俺はデキる』って演出しておいて、いざとなったら豆腐みたいに崩れる男。あれ、絹ごしレベルならまだしも、水にさらした直後のふにゃふにゃなやつ、最悪!」
「……じゃあ、木綿ならいいのか?」とタケさんが恐る恐る尋ねる。
「木綿なら、まだ根性があるから再審理の余地はあるわね」とマユ姐。
「麗子嬢の言う通り、背筋は『座った時』に一番出るわ。椅子に深く腰掛けた瞬間、背もたれに頼り切るか、自立しているか。そこに男の歴史が出るのよ」
ミルクちゃんが、もぞもぞと立ち上がった。
「じゃあ実演しましょ! あたしが『絶対ナシな男の座り方』をやるわ!」
「やめろ、店が狭いって言ってるだろ!」
「大丈夫よ、あたし細いから♡」
「口の幅が広いんだよ、お前は!」
ミルクちゃんは無視して、カウンターの端の狭いスペースで熱演を開始した。
「はい。これが『勘違い社長系』の座り方。足を無駄に広げて、背中を丸め、スマホをいじりながら酒を煽る。まるでこの店を買い取ったかのような顔!」
「うわ、いるわ……。視界に入るだけで酒がまずくなるタイプ」とマユ姐。
「次! これが『俺、わかってます系』。足を組んで、顎を少し上げ、グラスのステムを小指で支える。で、なぜかブドウの品種について語り出すやつ!」
「いるいる! ビールしか飲まないくせに、女性の前だけ急にシャトーがどうとか言い出す男ね!」とリン。
「なんか、ワインじゃなくて『ブドウに敬意を払ってる自分』に酔ってるのよね。ブドウに謝れって思うわ」と姫殿。
「ブドウに敬意!!」と店内が爆笑に包まれる。
タケさんは頭を抱えた。
「もうやめろ……。男のライフはゼロだ……」
「女子会はここからが本番よ。ねえ姫殿、本物を見せてあげて」 促された姫殿が、すっと立ち上がった。彼女が椅子に腰掛けるその一連の動作には、一切の淀みがなかった。背筋は自然なS字を描き、両膝は揃い、グラスを持つ手元には静謐な時間が流れている。
一瞬、店内が水を打ったように静まり返った。
「……腹立つくらい綺麗ね」とリンが溜息をつく。
「悔しいけど、これはいい男……いや、いい人間だわ」とナツキ。
姫殿が少しだけいたずらっぽく微笑む。
「でしょ? でもねメグ、これって“男”としてどうなの?」
「えっ、あ、うーん……綺麗すぎるとさ、逆に『私のガサツさがバレる!』って思って、腹立たない?」
「お前は結局、全部腹に据えかねるんだな」
今度はリンが、冷ややかな声で議論を引き戻した。
「私は、もっと具体的。いい男は『箸がちゃんと持てる男』よ」 「急に地味!!!
もっとドラマチックなやつちょうだいよ!」とメグぽよ。
「地味じゃない。箸の持ち方は、その人間が受けてきた教育、あるいは自分を律する知性の集大成よ。ラーメンを啜る時でも、その指先が美しい男は、人生の扱い方も美しい」
「わかるわ。食べ方が汚い男って、だいたい仕事の詰めも甘いのよね」と麗子嬢。
「箸派、意外と多いわね……」とマユ姐。
ナツキが頷く。「食べ方が綺麗だと、一緒に生活するイメージが湧きやすいですよね」
「箸派って何だよ! どんな派閥だよ!」
議論はさらに「匂い」へと飛び火した。
「匂い、超大事!! 鼻から入ってくる情報は、脳に直結するのよ!」とメグぽよ。
「いい匂いの男、ちょっと点数上がりますよね。石鹸とか、清潔感のあるやつ」とナツキ。
「でも香水つけすぎは即不合格。あれはテロよ」とリン。
「そう。エレベーターに一緒に乗った瞬間、自分の鼻が麻痺するような男。あれは『香ってる俺』という幻影に酔ってるだけ」と麗子嬢。
「本体より先に匂いが角から曲がってくる男、いるわよね。匂いの先着」とミルクちゃん。
「石鹸」
「柔軟剤」
「いや、究極は無臭よ。主張しないのが一番の品格」
「無臭!? 無臭がいいの!?」とメグぽよが驚愕する。
「色気は匂いでつけるものじゃないわ。色気は、言葉と沈黙の『間』にあるのよ」
リンのその一言に、店内がわずかに静まり返る。
「……今のは、ちょっとカッコいいわね」とマユ姐が認めた。
その時だった。
「バックシティ〜♪ バックシティ〜♪」
全員が、一斉に入口を振り返った。
来た。今夜の「生贄」が。
工藤ちゃんだった。
帽子を少し深くかぶり、いつものように三拍子ほどズレたリズムで入ってくる。
「OK、セクシー。今夜の月は……」
「「「「「違う!!!」」」」」
全員の声が揃い、工藤ちゃんは入口でピタリと止まった。 二歩下がる。ドアの隙間から店内を覗き込む。
「……」
「何よ、入りなさいよ」とメグぽよが手招きする。
「……これは。……事件の時間だ」
工藤ちゃんは低い声で、自分に言い聞かせるように呟いた。 「女しかいない。しかも、全員が『返り血を浴びても構わない』という顔をしている」
「失礼ね、私たちは今、高尚な議論をしてるのよ」と麗子嬢。 「いや……工藤ちゃんの勘は正しい」とタケさんが縋るような目で言った。
「今のこの店は、議論という名の肉食獣の檻だ」
工藤ちゃんは入口から一歩も入ってこない。帽子を直す。
「バックシティ〜♪」
「おい、入れよ! 俺を一人にするな!」
「無理だ。タケ、俺はまだ死にたくない。この空間には、主観が八本、鋭利な槍のように飛び交っている」
「主観が八本って何だよ!」
「俺が入った瞬間、その八本の槍が俺の『いい男度』を測定し、欠点を見つけては微塵切りにする。
……俺には見える。メグが、俺の靴の汚れを今、脳内でメモしたのが!」
メグぽよがにやっと笑った。「ねえ工藤ちゃん。“いい男”って何?」
工藤ちゃん、硬直。
「……それは。今、この場で答えるべき案件ではない。現在、捜査中だ」
「捜査って何をよ」
「女という名の、言語の内乱をだ! 俺には手に負えない!」
工藤ちゃんはさらに一歩、外へ後ずさる。
「ここは俺の戦場ではない。居心地が……格別に悪い!」
店内が、今日一番の爆笑に包まれた。
「素直!!」「今日一番の正解ね」「そこだけは好きよ」
タケさんがカウンターを乗り越えんばかりの勢いで叫んだ。 「頼む!!
帰らないでくれ、工藤ちゃん!! 一杯……いや、三分でいい! いてくれ!!」
全員が、そのタケさんの姿に息を呑んだ。
「……タケさん、今の『帰らないで~』は、格別にダサかったわよ」とリン。
「伸びてたわね、語尾が」と姫殿。
「あんなに情けないタケさん、初めて見たわ」とナツキ。
「うるさい! 俺を、この八人の検察官の中に一人で放置するのか!」
工藤ちゃんはドアノブをしっかりと握りしめた。
「生きて帰りたい。……さらばだ、タケ。君の犠牲は、次回のプロファイリングに活かそう。バックシティ〜♪」
「歌って逃げるな!!!」
バタン、とドアが閉まった。
一瞬の静寂。そして。
店が笑いで崩壊した。
「逃げた!! 完全敗北!!」「あんなに鮮やかな逃亡、ルパンでもやらないわよ!」
タケさんはドアを見つめたまま、力なく項垂れた。
「……裏切られた。男の友情なんて、女の主観の前では無力だ……」
だが、工藤ちゃんが去っても議論の火は消えない。
「はい再開!!!! いい男の条件、まだ『声』の話してないから!」
「元気だな、お前らは……」
「麗子嬢、男の声は?」
「低ければいいってもんじゃないわ。自分の言葉に重みを感じている声かどうか、それだけよ。薄っぺらいことを良い声で言う男が、この世で一番滑稽だわ」
「わかるー!!」
「あと『逆に』が多い男ね!」
「何が逆なのか説明してみろって思うわよね」
タケさんが、最後の抵抗を試みた。
「じゃあ、お前らはどうなんだよ。いい男の条件ばっかり並べて、自分たちは完璧な『いい女』なのか?」
一瞬、店が静かになる。
メグぽよが最初に吹き出した。「何それ! 窮鼠猫を噛む的な逆ギレ!?」
「いいじゃない。じゃあ今度は『いい女の定義』をやりましょうか」とリンが不敵に笑う。
「やめろ、それはもっと血が流れる」
「いい女は“余白”がある」
「いい女は“笑い方の品格”」
「いい女は“引き際の美学”」「いい女は……ちゃんとご飯を美味しく食べる」「いい女は、自分の面倒くささを、可愛げとしてパッケージできること」
それぞれが語る「いい女」の条件は、どこか自分自身への言い聞かせのようにも聞こえた。
「……なんか、急に本音が出てきたわね」とナツキが笑う。
「それが酒の力、あるいはこの店の呪いね」とマユ姐。
タケさんは、ようやく静かになり始めたカウンターを見渡し、静かにグラスを置いた。
さっきまであれほどアホみたいに言い合っていたくせに、少し静かになると、みんな急にどこか遠い目をする。
騒がしくて、毒舌で、まとまりがなくて。でも、ほんの一瞬だけ、核心を突くような本音が漏れる。
それが、Red Light Barらしい夜なのかもしれない。
「でもさ!!!」
メグぽよが再び声を張り上げる。
「結局さ、全部どうでもよくない!? 最終的に、顔がタイプだったら全部許しちゃうじゃん!!」
店内に、今日一番の「それ言っちゃおしまいよ」という空気が流れる。
「……言ったわね、禁句を」とリン。
「でも、正直……そうね」と姫殿。
「入口は顔。中で転ぶのが中身。……これが真理よ」と麗子嬢が結論づけた。
タケさんが呆れ果てて言った。
「じゃあ、さっきまでの議論は何だったんだよ。いい男の条件なんて、結局どうでもいいんじゃねえか」
一瞬の静寂。そして、八人が同時に答えた。
「「「「「「「「それはそれ、これはこれ!!」」」」」」」」
「めんどくせぇ!!!!!!!」
タケさんの叫びが、店内の爆笑にかき消された。
月見橋の夜は、相変わらず静かだった。
信号の電子音も、タクシーのタイヤ音も、何も変わらない。けれど、この小さな赤いランプの下だけは、男も女も、自分の「めんどくささ」を酒で溶かし、くだらない議論に本気になることで、明日への活力を蓄えていた。
タケさんは棚にグラスを戻しながら、最後に聞いた。
「……で。結局、ここにいる唯一の男である俺は、お前らにとって何なんだ」
一拍。
八人が、一点の曇りもない真顔で答えた。
「「「「「「「「検体(サンプル)」」」」」」」」
「人間扱いしろよ!!!!」
店が崩れ落ちるほどの笑いに包まれ、今夜もまた、Red Light Bar で何かが起こっていた。
――この店の夜は、まだ終わらない。
(続きは22時)
信号が変わる電子音、コンビニの自動ドアが吸い込む空気、遠くを走り去るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の、湿り気を帯びた夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。
その交差点から一本入った細い路地に、小さな赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな店だ。
その夜、店主のタケさんは開店してわずか七分で、すでに「三日三晩不眠不休で働いた後」のような顔をしていた。
「……なんでだよ。道理に合わないだろ、こんなの」
グラスを拭きながら、目の前のカウンターを見渡し、タケさんは震える声で呟いた。
満席だった。それはいい。商売繁盛は喜ばしいことだ。だが、問題はその「中身」である。
麗子嬢、リン、ナツキ、メグぽよ、姫殿、ミルクちゃん、マユ姐、なつきちゃん。
見事なまでに、男が一人もいない。タケさんを除けば、店内は完全に「女という名の爆発物」によって占拠されていた。
「何その、処刑台に上がる直前みたいな顔は」とマユ姐が、紫煙をこれでもかと吐き出しながら笑う。
「何その顔も何もないだろ。開店十分足らずで、なんでうちが女子大のサークル棟みたいになってるんだよ」
「いいじゃない。女しかいないなんて、健全な証拠よ」
「その『だけ』が重いんだよ。気圧が普段の三倍はあるぞ」
「失礼ね。私たちがいるだけで、この店に華が八輪も咲いてるのよ?」と麗子嬢が、鋭い視線でタケさんを射抜く。
「毒薬の花が八輪だろ。逃げ場がないんだよ、こっちは」
「何よ、タケさん。女だけだと何か不都合でもあるの?」
メグぽよが身を乗り出す。その瞳には、すでに獲物をいたぶる準備が整った肉食獣の輝きがあった。
「ある」
「即答」とリン。
「しかも本音の、心の底からの叫び」
ミルクちゃんが嬉しそうにカウンターをリズムよく叩いた。 「いいじゃない、タケさん!
全方位から女に囲まれてるのよ? 世の中の男からしたら、ここは桃源郷、ハーレムよ♡」
「断る。ハーレムってのはな、男にとって都合のいい空想上の概念だ。ここは違う。ここは、壁四方を鏡張りにされた取り調べ室、あるいは『答えを間違えたら即没収される』クイズ番組のスタジオだ。つまり……尋問室だ!」
一瞬の静寂の後、店内がひっくり返るような笑いに包まれた。 「分かる!!
確かに今の私たちは、全員が検察官の顔をしてるわね!」とメグぽよ。
「言い得て妙。逃げ場なし、黙秘権なし」とリンが冷たく笑う。 「確かに今日は、空気の逃げ道がないわね。熱気が循環して、全員の『言い分』が濃縮されてる感じ」と姫殿が優雅にグラスを傾ける。
ナツキが楽しそうに言う。
「でもタケさん、こういう時こそ、普段聞けないことが聞けるチャンスですよ?」
「お前はそうやって、いつもニコニコしながら地獄へ背中を押すよな」
「タケさん、もう諦めて腹を括ってください」となつきちゃんが、慈愛に満ちた笑顔で引導を渡す。
麗子嬢が、グラスの縁を指でなぞりながら静かに口を開いた。 「で。せっかくこれだけ『審判』が揃ったんだもの。今夜の議題は何にする?」
「議論前提なんだな……。静かに飲むという選択肢は消滅したのか」
「だって、女が八人も集まって、黙って酒を飲むなんて不自然でしょ? 私たちが集まれば、そこには必ず『定義』と『断罪』が必要なのよ」とマユ姐。
「そこが怖いんだよ、お前らは」
その瞬間、メグぽよがロケットのように勢いよく挙手した。
「はい!!!! 決まり!!!! 今夜のテーマはこれよ!!」 「勝手に決めるな。俺の店の営業方針を無視するな」
「いい男とは何か!!!! これよ! これを徹底的に解体するわ!」
一瞬の沈黙。そして次の瞬間、八つの方向から異なるキーワードが、銃弾のようにタケさんに浴びせられた。
「「背筋!!」
「余裕!!」
「匂い!!」
「靴の磨き方!!」
「声のトーン!!」
「指先!!」
「支払い時の指先!!」
「優しさという名の計算!!」
「結局は顔!!」
「いや清潔感!!」
「距離感の間違い!!」
「連絡のレスポンス!!」
「肌の質感!!」
「食べ方の癖!!」
「箸の持ち方の美学!!」
「爪の形!!」
「座った時の膝の角度!!」
「怒り方の知性!!」」
「待て待て待て待て!!!!!!!!」
タケさんが両手を上げ、全力でストップをかける。
「聖徳太子でも無理だ! 一人ずつ、一人ずつ順番に喋れ! まとめて喋ると殺意としてしか伝わってこない!」
「無理。溢れ出してるから」と全員。
「だろうな!! この強欲どもめ!」
麗子嬢が、教壇に立つ教師のような威厳で主導権を握った。
「まず、いい男の最低条件。それは『背筋』よ」
「出た。麗子嬢のいつもの姿勢信仰」とリンが茶化す。
「信仰じゃない、進化論の問題よ。背筋が曲がっている男は、その時点で精神のどこかが折れているか、自分を信じていない証拠。そんな男に、女の人生を背負う資格はないわ」
「……いや、背負わせるつもりなの?」
「でも分かるわ。背筋が伸びているだけで、酒が三割増しで美味しく見えるもの」と姫殿。
「でしょ? でもね、問題はここからよ」とメグぽよが割り込む。「背筋だけ一丁前で、中身がふにゃふにゃの男!
あれは『背筋詐欺』よ! 期待させた分だけ、罪が重いのよ!」
「背筋詐欺って何だよ! 法律のどこにも載ってねえよ!」
「いいのよ、女の法律には終身刑で載ってるの! 背筋で『俺はデキる』って演出しておいて、いざとなったら豆腐みたいに崩れる男。あれ、絹ごしレベルならまだしも、水にさらした直後のふにゃふにゃなやつ、最悪!」
「……じゃあ、木綿ならいいのか?」とタケさんが恐る恐る尋ねる。
「木綿なら、まだ根性があるから再審理の余地はあるわね」とマユ姐。
「麗子嬢の言う通り、背筋は『座った時』に一番出るわ。椅子に深く腰掛けた瞬間、背もたれに頼り切るか、自立しているか。そこに男の歴史が出るのよ」
ミルクちゃんが、もぞもぞと立ち上がった。
「じゃあ実演しましょ! あたしが『絶対ナシな男の座り方』をやるわ!」
「やめろ、店が狭いって言ってるだろ!」
「大丈夫よ、あたし細いから♡」
「口の幅が広いんだよ、お前は!」
ミルクちゃんは無視して、カウンターの端の狭いスペースで熱演を開始した。
「はい。これが『勘違い社長系』の座り方。足を無駄に広げて、背中を丸め、スマホをいじりながら酒を煽る。まるでこの店を買い取ったかのような顔!」
「うわ、いるわ……。視界に入るだけで酒がまずくなるタイプ」とマユ姐。
「次! これが『俺、わかってます系』。足を組んで、顎を少し上げ、グラスのステムを小指で支える。で、なぜかブドウの品種について語り出すやつ!」
「いるいる! ビールしか飲まないくせに、女性の前だけ急にシャトーがどうとか言い出す男ね!」とリン。
「なんか、ワインじゃなくて『ブドウに敬意を払ってる自分』に酔ってるのよね。ブドウに謝れって思うわ」と姫殿。
「ブドウに敬意!!」と店内が爆笑に包まれる。
タケさんは頭を抱えた。
「もうやめろ……。男のライフはゼロだ……」
「女子会はここからが本番よ。ねえ姫殿、本物を見せてあげて」 促された姫殿が、すっと立ち上がった。彼女が椅子に腰掛けるその一連の動作には、一切の淀みがなかった。背筋は自然なS字を描き、両膝は揃い、グラスを持つ手元には静謐な時間が流れている。
一瞬、店内が水を打ったように静まり返った。
「……腹立つくらい綺麗ね」とリンが溜息をつく。
「悔しいけど、これはいい男……いや、いい人間だわ」とナツキ。
姫殿が少しだけいたずらっぽく微笑む。
「でしょ? でもねメグ、これって“男”としてどうなの?」
「えっ、あ、うーん……綺麗すぎるとさ、逆に『私のガサツさがバレる!』って思って、腹立たない?」
「お前は結局、全部腹に据えかねるんだな」
今度はリンが、冷ややかな声で議論を引き戻した。
「私は、もっと具体的。いい男は『箸がちゃんと持てる男』よ」 「急に地味!!!
もっとドラマチックなやつちょうだいよ!」とメグぽよ。
「地味じゃない。箸の持ち方は、その人間が受けてきた教育、あるいは自分を律する知性の集大成よ。ラーメンを啜る時でも、その指先が美しい男は、人生の扱い方も美しい」
「わかるわ。食べ方が汚い男って、だいたい仕事の詰めも甘いのよね」と麗子嬢。
「箸派、意外と多いわね……」とマユ姐。
ナツキが頷く。「食べ方が綺麗だと、一緒に生活するイメージが湧きやすいですよね」
「箸派って何だよ! どんな派閥だよ!」
議論はさらに「匂い」へと飛び火した。
「匂い、超大事!! 鼻から入ってくる情報は、脳に直結するのよ!」とメグぽよ。
「いい匂いの男、ちょっと点数上がりますよね。石鹸とか、清潔感のあるやつ」とナツキ。
「でも香水つけすぎは即不合格。あれはテロよ」とリン。
「そう。エレベーターに一緒に乗った瞬間、自分の鼻が麻痺するような男。あれは『香ってる俺』という幻影に酔ってるだけ」と麗子嬢。
「本体より先に匂いが角から曲がってくる男、いるわよね。匂いの先着」とミルクちゃん。
「石鹸」
「柔軟剤」
「いや、究極は無臭よ。主張しないのが一番の品格」
「無臭!? 無臭がいいの!?」とメグぽよが驚愕する。
「色気は匂いでつけるものじゃないわ。色気は、言葉と沈黙の『間』にあるのよ」
リンのその一言に、店内がわずかに静まり返る。
「……今のは、ちょっとカッコいいわね」とマユ姐が認めた。
その時だった。
「バックシティ〜♪ バックシティ〜♪」
全員が、一斉に入口を振り返った。
来た。今夜の「生贄」が。
工藤ちゃんだった。
帽子を少し深くかぶり、いつものように三拍子ほどズレたリズムで入ってくる。
「OK、セクシー。今夜の月は……」
「「「「「違う!!!」」」」」
全員の声が揃い、工藤ちゃんは入口でピタリと止まった。 二歩下がる。ドアの隙間から店内を覗き込む。
「……」
「何よ、入りなさいよ」とメグぽよが手招きする。
「……これは。……事件の時間だ」
工藤ちゃんは低い声で、自分に言い聞かせるように呟いた。 「女しかいない。しかも、全員が『返り血を浴びても構わない』という顔をしている」
「失礼ね、私たちは今、高尚な議論をしてるのよ」と麗子嬢。 「いや……工藤ちゃんの勘は正しい」とタケさんが縋るような目で言った。
「今のこの店は、議論という名の肉食獣の檻だ」
工藤ちゃんは入口から一歩も入ってこない。帽子を直す。
「バックシティ〜♪」
「おい、入れよ! 俺を一人にするな!」
「無理だ。タケ、俺はまだ死にたくない。この空間には、主観が八本、鋭利な槍のように飛び交っている」
「主観が八本って何だよ!」
「俺が入った瞬間、その八本の槍が俺の『いい男度』を測定し、欠点を見つけては微塵切りにする。
……俺には見える。メグが、俺の靴の汚れを今、脳内でメモしたのが!」
メグぽよがにやっと笑った。「ねえ工藤ちゃん。“いい男”って何?」
工藤ちゃん、硬直。
「……それは。今、この場で答えるべき案件ではない。現在、捜査中だ」
「捜査って何をよ」
「女という名の、言語の内乱をだ! 俺には手に負えない!」
工藤ちゃんはさらに一歩、外へ後ずさる。
「ここは俺の戦場ではない。居心地が……格別に悪い!」
店内が、今日一番の爆笑に包まれた。
「素直!!」「今日一番の正解ね」「そこだけは好きよ」
タケさんがカウンターを乗り越えんばかりの勢いで叫んだ。 「頼む!!
帰らないでくれ、工藤ちゃん!! 一杯……いや、三分でいい! いてくれ!!」
全員が、そのタケさんの姿に息を呑んだ。
「……タケさん、今の『帰らないで~』は、格別にダサかったわよ」とリン。
「伸びてたわね、語尾が」と姫殿。
「あんなに情けないタケさん、初めて見たわ」とナツキ。
「うるさい! 俺を、この八人の検察官の中に一人で放置するのか!」
工藤ちゃんはドアノブをしっかりと握りしめた。
「生きて帰りたい。……さらばだ、タケ。君の犠牲は、次回のプロファイリングに活かそう。バックシティ〜♪」
「歌って逃げるな!!!」
バタン、とドアが閉まった。
一瞬の静寂。そして。
店が笑いで崩壊した。
「逃げた!! 完全敗北!!」「あんなに鮮やかな逃亡、ルパンでもやらないわよ!」
タケさんはドアを見つめたまま、力なく項垂れた。
「……裏切られた。男の友情なんて、女の主観の前では無力だ……」
だが、工藤ちゃんが去っても議論の火は消えない。
「はい再開!!!! いい男の条件、まだ『声』の話してないから!」
「元気だな、お前らは……」
「麗子嬢、男の声は?」
「低ければいいってもんじゃないわ。自分の言葉に重みを感じている声かどうか、それだけよ。薄っぺらいことを良い声で言う男が、この世で一番滑稽だわ」
「わかるー!!」
「あと『逆に』が多い男ね!」
「何が逆なのか説明してみろって思うわよね」
タケさんが、最後の抵抗を試みた。
「じゃあ、お前らはどうなんだよ。いい男の条件ばっかり並べて、自分たちは完璧な『いい女』なのか?」
一瞬、店が静かになる。
メグぽよが最初に吹き出した。「何それ! 窮鼠猫を噛む的な逆ギレ!?」
「いいじゃない。じゃあ今度は『いい女の定義』をやりましょうか」とリンが不敵に笑う。
「やめろ、それはもっと血が流れる」
「いい女は“余白”がある」
「いい女は“笑い方の品格”」
「いい女は“引き際の美学”」「いい女は……ちゃんとご飯を美味しく食べる」「いい女は、自分の面倒くささを、可愛げとしてパッケージできること」
それぞれが語る「いい女」の条件は、どこか自分自身への言い聞かせのようにも聞こえた。
「……なんか、急に本音が出てきたわね」とナツキが笑う。
「それが酒の力、あるいはこの店の呪いね」とマユ姐。
タケさんは、ようやく静かになり始めたカウンターを見渡し、静かにグラスを置いた。
さっきまであれほどアホみたいに言い合っていたくせに、少し静かになると、みんな急にどこか遠い目をする。
騒がしくて、毒舌で、まとまりがなくて。でも、ほんの一瞬だけ、核心を突くような本音が漏れる。
それが、Red Light Barらしい夜なのかもしれない。
「でもさ!!!」
メグぽよが再び声を張り上げる。
「結局さ、全部どうでもよくない!? 最終的に、顔がタイプだったら全部許しちゃうじゃん!!」
店内に、今日一番の「それ言っちゃおしまいよ」という空気が流れる。
「……言ったわね、禁句を」とリン。
「でも、正直……そうね」と姫殿。
「入口は顔。中で転ぶのが中身。……これが真理よ」と麗子嬢が結論づけた。
タケさんが呆れ果てて言った。
「じゃあ、さっきまでの議論は何だったんだよ。いい男の条件なんて、結局どうでもいいんじゃねえか」
一瞬の静寂。そして、八人が同時に答えた。
「「「「「「「「それはそれ、これはこれ!!」」」」」」」」
「めんどくせぇ!!!!!!!」
タケさんの叫びが、店内の爆笑にかき消された。
月見橋の夜は、相変わらず静かだった。
信号の電子音も、タクシーのタイヤ音も、何も変わらない。けれど、この小さな赤いランプの下だけは、男も女も、自分の「めんどくささ」を酒で溶かし、くだらない議論に本気になることで、明日への活力を蓄えていた。
タケさんは棚にグラスを戻しながら、最後に聞いた。
「……で。結局、ここにいる唯一の男である俺は、お前らにとって何なんだ」
一拍。
八人が、一点の曇りもない真顔で答えた。
「「「「「「「「検体(サンプル)」」」」」」」」
「人間扱いしろよ!!!!」
店が崩れ落ちるほどの笑いに包まれ、今夜もまた、Red Light Bar で何かが起こっていた。
(続きは22時)
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