28話 親友

ー/ー








 ジェイトリックという魔人は、鞄を乱暴に捨てると俺達の出方を伺っていた。
 そんな対等なパワーバランスではないだろう。どう足掻こうが、魔女の見習いが魔人に勝てるわけがないと踏んでいるんだ。
 俺はクラリスが動き出す前に口を開いた。

「なぜ今化けの皮を剥がしたんだ?」

 ジェイトリックは俺の言葉に僅かに眉を動かした。
 なんでもいい。今は魔力が回復するまで時間を稼ぐ。
 もっとも今の俺が魔力を全回復させたところで魔人に太刀打ちできる確証はない。

「白々しいなぁ。あなたは私が召喚士であることに気づいていたはずですが」

 彼の言う通り、ジェイがノトムの店に巨大スライムを召喚したことは気づいていた。

「そこに転がってる男が教えてくれた。別にお前が正体を出さないつもりなら、こっちもどうこうするつもりはなかったんだぞ」

 これは本心である。
 万全な状態でないうえに、今世において魔人の力は未知数だ。人数を揃えないうちに奴を刺激したところで得することは一つもない。
 魔人は首を横に振った。

「そういう問題ではありません」

 人差し指を立てて否定する。
 そのままブラッカを指さした。

「私が彼に掛けた呪縛が弱くなっていた。長い時間をかけて意識の底から服従させたのに、コントロールできない事柄が増えていったんです」

 ――やはりそういうことか。
 初代魔王のエズモニアスが学長を務めていたからおかしいとは思っていた。
 こいつら、魔女の里の人間をマインドコントロールによって手駒にしようとしている。

 ただ、なぜそんなまどろっこしい事をしている? エズモニアスの配下なら、魔女の全勢力を相手にしたところで力でねじ伏せられるはずだ。
 未成人の魔女、魔術士を呪法で操るメリットが全く思い浮かばない。
 ジェイトリックはブラッカに向けていた指をクラリスに移した。

「そしたらどうです? そこの魔女があなたの活躍ぶりを熱心に話し始めたじゃないですか」
「なッ……! そこまでじゃないわよ!」

 クラリスはこんな状況で頬を紅潮させていた。恥ずかしがる余裕があるとは頼もしい限りである。
 そうして、ジェイトリックは俺を見た。

「まさかあなたが急に頭角を表してくるなんて思ってもみませんでしたが、実際に目にして分かりましたよ」

 黄金に染まった瞳が俺を見透かすようにギラついた。

「その異質な魔力。誰かの力を借りていますね?」

 まずい。
 一介の魔人に俺の魂が見抜けるとは思わないが、それはこのジェイトリックという男が有象無象であればの話だ。
 もし魔の理に極めて精通しているのだとすれば、俺が竜人の一族の力を使役し始めていることに気付きかねない。
 俺の焦燥を素通りするかのように、奴は全く違う男の名を出した。

「フィシュガルド様に誘われたのですか? この私を差し置いて?」

 それは現代魔王の名前だった。
 謎の嫉妬を向けられている気がして、俺は鼻を鳴らした。

「お前達魔人は浮気性なんだな」
「なんだと?」
「どうしてエズモニアスを差し置いて新しい王を作ろうとする?」

 特に煽ったつもりは無い。前世で抱いていた単純な疑問だった。
 そのはずなのだが、ジェイトリックの取り巻く魔力が急に狂気を帯びたのを感じた。

「エズモニアス……エズモニアス……! あの最低最悪の裏切り者……ッ」

 魔人の声が怒りで震えている。
 次の瞬間、数十メートル先の魔人がクラリスを素通りし、瞬く間に眼前に現れた。

「奴の居場所を知っているようですね」

 竜人の魔法――〝魔法障壁〟。
 ほぼ無意識で展開した防御魔法は、左側面への構築と同時に、脆いガラス細工特有の亀裂が発生していた。
 鋭く伸びた爪が障壁を貫き、俺の左こめかみで停止している。
 勘頼りに他ならぬ無計画な防御が成功し、冷や汗が滲んだ。

「なぜ寝返ったのかわかりませんが、あなたから吐かせるとしましょう。安心するといい、簡単には殺しません」
「その口ぶりからすると、お前あいつの手下じゃないのか」
「……あくまでシラを切る気ですか。素直にならないなら生き地獄を味わうだけですよ」
「やれるもんならやってみろ」
「私にできないと思うのですか?」

 できるだろう。
 この空間において、絶対強者なのは俺ではなくこの魔人だ。

 ――だからどうした。
 俺が死ねばクレアは間違いなく殺される。
 そんなこと絶対に俺が許さない。

「関係ない。俺は二度とこいつを殺させないって決めたんだ」
「わけのわからないことを。恐怖で気でも触れましたか?」

 ジェイの後方。
 風のない湖畔よりも静かに、魔力の波を感じさせず――黒薔薇の魔女候補クラリスが、白銀の魔力を練った。

「〝邪を祓う魔術(シュヴァイゲンレイ)〟」

 純度の高い魔力の奔流。クラリスの横で舞う精霊が力を貸したらしい。
 生物の中でも珍しい――きっと数えるほどしかいない――清浄なる魔力だった。

 魔力が収束し、一条の光となってジェイトリックの背中に直撃した。
 邪悪な悪魔族に類する魔人であれば、被弾箇所を灰に還す作用がある。
 そして、その効果が発揮されることはなかった。

「その力――大神官でもないあなたがどうして使える? いや、それより」

 暗黒の天蓋を降ろしたような防御壁が一秒足らずで生成され、ジェイトリックを守っている。
 異なる魔力同士の擦過音が、白銀と漆黒の火花を散らしながら互いを押しのけ合っていた。

「どうして私の呪法が効かない!?」

 やはりこの魔女は天才だ。
 再度発動させたであろうジェイトリックの精神支配を押しのけ、クラリスは魔女らしからぬ魔術を発現させた。
 俺がジェイトリックの正体を告げてまだ時間が経っていないのに、もう精神支配の呪縛を自力で抜け出している。
 人間の黒魔術ではなく、悪魔族の呪法を、だ。並の精神力ではここまで早く抵抗できない。

 本来ならブラッカのように、作られた恐怖心で立つこともできないはずだ。
 黒薔薇の魔女などという名誉に近づいただけはあるということか。

「私の側近だったくせに分からないのかしら。私はベルノワール家の天才なのよ」
「天才だと? 私に言わせれば、あなたもこの半端者となんら変わりはしません」

 ジェイトリックの指のさし方が、俺を蔑視し軽薄に見ていることを如実に表していた。
 クラリスは口の端を吊り上げた。

「魔人の目は節穴のようね。スミレさんは半端者なんかじゃないわ。近い未来に、あなた達でさえ手の負えない魔女になるもの」

 その声には一切の皮肉を感じなかった。

(こいつ)

 こんな時に、俺は胸の底で温かい何かを感じていた。
 正確には俺ではない――スミレの記憶だ。
 ジェイトリックに仕組まれた苛めの辛い記憶に隠れていた、更に過去の記憶。

 信じられないことだが――スミレとクラリスは、ずっと子供の頃に親友だったらしい。

「スミレさん! 早く立って!」

 続けざまに弧を描く清浄の魔力が左右六つずつ展開される。
 ジェイトリックに殺到するも、彼は僅かな着弾のズレに正確に片手を合わせ、全て叩き落した。
 俺も雷電竜の魔装を構築する。恐らく魔装できるのはこれが最後だ。
 構築しながらすくい上げるように腕を振り上げる。竜爪が完成し、ジェイトリックの背中を捉える頃には奴はまた遠くへ移動していた。

 ――そうだ。
 よく考えると、クラリスは他の奴らとは違い、俺のことだけはずっと名前で呼んでいた。
 スミレとクラリスが親友だった頃から、その呼び方はずっと変わっていなかったらしい。

「魔力は戻ったの!? 無くたって死ぬ気で戦ってもらうわよ!」
「ああ、おかげで戻ったさ――腐る程な!」
「上出来ねっ」

 話しながらも攻撃の手は止めない。
 クラリスは器用に杖を振りながら、口内詠唱で魔術起動のタイミングを隠している。
 敵からすればこれほど面倒な魔女もいないだろう。

「二人でこのド腐れ野郎をブチのめしましょう!」

 俺は呆れて笑ってしまった。
 魔人の呪縛が解けて口調が崩れてるぞ。



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 ジェイトリックという魔人は、鞄を乱暴に捨てると俺達の出方を伺っていた。
 そんな対等なパワーバランスではないだろう。どう足掻こうが、魔女の見習いが魔人に勝てるわけがないと踏んでいるんだ。
 俺はクラリスが動き出す前に口を開いた。
「なぜ今化けの皮を剥がしたんだ?」
 ジェイトリックは俺の言葉に僅かに眉を動かした。
 なんでもいい。今は魔力が回復するまで時間を稼ぐ。
 もっとも今の俺が魔力を全回復させたところで魔人に太刀打ちできる確証はない。
「白々しいなぁ。あなたは私が召喚士であることに気づいていたはずですが」
 彼の言う通り、ジェイがノトムの店に巨大スライムを召喚したことは気づいていた。
「そこに転がってる男が教えてくれた。別にお前が正体を出さないつもりなら、こっちもどうこうするつもりはなかったんだぞ」
 これは本心である。
 万全な状態でないうえに、今世において魔人の力は未知数だ。人数を揃えないうちに奴を刺激したところで得することは一つもない。
 魔人は首を横に振った。
「そういう問題ではありません」
 人差し指を立てて否定する。
 そのままブラッカを指さした。
「私が彼に掛けた呪縛が弱くなっていた。長い時間をかけて意識の底から服従させたのに、コントロールできない事柄が増えていったんです」
 ――やはりそういうことか。
 初代魔王のエズモニアスが学長を務めていたからおかしいとは思っていた。
 こいつら、魔女の里の人間をマインドコントロールによって手駒にしようとしている。
 ただ、なぜそんなまどろっこしい事をしている? エズモニアスの配下なら、魔女の全勢力を相手にしたところで力でねじ伏せられるはずだ。
 未成人の魔女、魔術士を呪法で操るメリットが全く思い浮かばない。
 ジェイトリックはブラッカに向けていた指をクラリスに移した。
「そしたらどうです? そこの魔女があなたの活躍ぶりを熱心に話し始めたじゃないですか」
「なッ……! そこまでじゃないわよ!」
 クラリスはこんな状況で頬を紅潮させていた。恥ずかしがる余裕があるとは頼もしい限りである。
 そうして、ジェイトリックは俺を見た。
「まさかあなたが急に頭角を表してくるなんて思ってもみませんでしたが、実際に目にして分かりましたよ」
 黄金に染まった瞳が俺を見透かすようにギラついた。
「その異質な魔力。誰かの力を借りていますね?」
 まずい。
 一介の魔人に俺の魂が見抜けるとは思わないが、それはこのジェイトリックという男が有象無象であればの話だ。
 もし魔の理に極めて精通しているのだとすれば、俺が竜人の一族の力を使役し始めていることに気付きかねない。
 俺の焦燥を素通りするかのように、奴は全く違う男の名を出した。
「フィシュガルド様に誘われたのですか? この私を差し置いて?」
 それは現代魔王の名前だった。
 謎の嫉妬を向けられている気がして、俺は鼻を鳴らした。
「お前達魔人は浮気性なんだな」
「なんだと?」
「どうしてエズモニアスを差し置いて新しい王を作ろうとする?」
 特に煽ったつもりは無い。前世で抱いていた単純な疑問だった。
 そのはずなのだが、ジェイトリックの取り巻く魔力が急に狂気を帯びたのを感じた。
「エズモニアス……エズモニアス……! あの最低最悪の裏切り者……ッ」
 魔人の声が怒りで震えている。
 次の瞬間、数十メートル先の魔人がクラリスを素通りし、瞬く間に眼前に現れた。
「奴の居場所を知っているようですね」
 竜人の魔法――〝魔法障壁〟。
 ほぼ無意識で展開した防御魔法は、左側面への構築と同時に、脆いガラス細工特有の亀裂が発生していた。
 鋭く伸びた爪が障壁を貫き、俺の左こめかみで停止している。
 勘頼りに他ならぬ無計画な防御が成功し、冷や汗が滲んだ。
「なぜ寝返ったのかわかりませんが、あなたから吐かせるとしましょう。安心するといい、簡単には殺しません」
「その口ぶりからすると、お前あいつの手下じゃないのか」
「……あくまでシラを切る気ですか。素直にならないなら生き地獄を味わうだけですよ」
「やれるもんならやってみろ」
「私にできないと思うのですか?」
 できるだろう。
 この空間において、絶対強者なのは俺ではなくこの魔人だ。
 ――だからどうした。
 俺が死ねばクレアは間違いなく殺される。
 そんなこと絶対に俺が許さない。
「関係ない。俺は二度とこいつを殺させないって決めたんだ」
「わけのわからないことを。恐怖で気でも触れましたか?」
 ジェイの後方。
 風のない湖畔よりも静かに、魔力の波を感じさせず――黒薔薇の魔女候補クラリスが、白銀の魔力を練った。
「〝|邪を祓う魔術《シュヴァイゲンレイ》〟」
 純度の高い魔力の奔流。クラリスの横で舞う精霊が力を貸したらしい。
 生物の中でも珍しい――きっと数えるほどしかいない――清浄なる魔力だった。
 魔力が収束し、一条の光となってジェイトリックの背中に直撃した。
 邪悪な悪魔族に類する魔人であれば、被弾箇所を灰に還す作用がある。
 そして、その効果が発揮されることはなかった。
「その力――大神官でもないあなたがどうして使える? いや、それより」
 暗黒の天蓋を降ろしたような防御壁が一秒足らずで生成され、ジェイトリックを守っている。
 異なる魔力同士の擦過音が、白銀と漆黒の火花を散らしながら互いを押しのけ合っていた。
「どうして私の呪法が効かない!?」
 やはりこの魔女は天才だ。
 再度発動させたであろうジェイトリックの精神支配を押しのけ、クラリスは魔女らしからぬ魔術を発現させた。
 俺がジェイトリックの正体を告げてまだ時間が経っていないのに、もう精神支配の呪縛を自力で抜け出している。
 人間の黒魔術ではなく、悪魔族の呪法を、だ。並の精神力ではここまで早く抵抗できない。
 本来ならブラッカのように、作られた恐怖心で立つこともできないはずだ。
 黒薔薇の魔女などという名誉に近づいただけはあるということか。
「私の側近だったくせに分からないのかしら。私はベルノワール家の天才なのよ」
「天才だと? 私に言わせれば、あなたもこの半端者となんら変わりはしません」
 ジェイトリックの指のさし方が、俺を蔑視し軽薄に見ていることを如実に表していた。
 クラリスは口の端を吊り上げた。
「魔人の目は節穴のようね。スミレさんは半端者なんかじゃないわ。近い未来に、あなた達でさえ手の負えない魔女になるもの」
 その声には一切の皮肉を感じなかった。
(こいつ)
 こんな時に、俺は胸の底で温かい何かを感じていた。
 正確には俺ではない――スミレの記憶だ。
 ジェイトリックに仕組まれた苛めの辛い記憶に隠れていた、更に過去の記憶。
 信じられないことだが――スミレとクラリスは、ずっと子供の頃に親友だったらしい。
「スミレさん! 早く立って!」
 続けざまに弧を描く清浄の魔力が左右六つずつ展開される。
 ジェイトリックに殺到するも、彼は僅かな着弾のズレに正確に片手を合わせ、全て叩き落した。
 俺も雷電竜の魔装を構築する。恐らく魔装できるのはこれが最後だ。
 構築しながらすくい上げるように腕を振り上げる。竜爪が完成し、ジェイトリックの背中を捉える頃には奴はまた遠くへ移動していた。
 ――そうだ。
 よく考えると、クラリスは他の奴らとは違い、俺のことだけはずっと名前で呼んでいた。
 スミレとクラリスが親友だった頃から、その呼び方はずっと変わっていなかったらしい。
「魔力は戻ったの!? 無くたって死ぬ気で戦ってもらうわよ!」
「ああ、おかげで戻ったさ――腐る程な!」
「上出来ねっ」
 話しながらも攻撃の手は止めない。
 クラリスは器用に杖を振りながら、口内詠唱で魔術起動のタイミングを隠している。
 敵からすればこれほど面倒な魔女もいないだろう。
「二人でこのド腐れ野郎をブチのめしましょう!」
 俺は呆れて笑ってしまった。
 魔人の呪縛が解けて口調が崩れてるぞ。