#1 始まりの日 その1
ー/ー 今日は4月1日、エイプリル・フール。
その通り嘘のような──しかし本当にあった話だ。
「春一! 起きてるの!?」
母さんの声と、ゴンゴンゴン、とドアノックの音が同時に不快に響く。
「んあぁ~……起きてるよぉ~……」
「だったら早く下りて来なさい。今日は入学式でしょ? 遅刻なんてしたら一年間の恥よ」
「まだ慌てるような時間じゃないだろ……」
目は覚めていたが、朝の肌寒さが、僕を温かい布団の外に出ることを許さなかった。
誰だって温かい布団の中に引き篭もっていたい、心地良い微睡みに浸っていたい。
そんな欲求を誰が責められるだろうか。
とは言え、しかし時計の針は進む。
いつまでも停滞は許されない。
「よっ、と……」
覚悟を決めてむっくりと身を起こし、カーテンを全開にする。
春の朝は、どこか嘘臭い。
まるで何かを誤魔化すかのように。
新年度の空はやけに澄み切っていて、前の季節を無かったことにするみたいに明るい。
差し込む光が、机の上の真新しい学生証を照らしていた。
体に馴染まないブレザーに袖を通し、ぎこちない手付きでネクタイを締め、進学を機に買って貰った腕時計を嵌めて、鏡で出来栄えを確かめる。
必要な物を通学カバンに詰め、部屋を出る前に卓上の日捲りカレンダーを捲り、【3月】と【31日】のカードを最後尾へ追い遣った。
──【4月1日】。
新年度の到来を告げる、始まりの日だ。
「お早う、爺ちゃん」
「おお、お早う」
階段を下りると、食卓には既に朝食が並んでいた。
トーストと目玉焼き、それにサラダとヨーグルト。
祖父と向かい合って、共に朝食。
〈アメリカのニューマン大統領は、日本時間の昨日二十時にイギリスを訪問、ブラウン首相と会談し──〉
テレビのニュースにも新聞にも目立ったものは無し。
「入学式だっていうのに暗い顔だな」
「そう?」
シンプルなメニューを黙々と喉の奥に流し込む間、祖父からそんなことを言われた。
「人は第一印象で大体が決まる。愛想良くしないと人が逃げていく。人が逃げるということは運が逃げるということだ」
「はいはい」
祖父の小言を聞き流しながら完食。
鏡で顔を見直して、いざ出発。
「行ってきます」
朝の空気が僕をやや冷たく出迎える。
通学路自体は中学時代と共通なので、慣れた道をのんびり歩く。
ほんの数ヶ月前までは、近所に住む幼稚園時代から続く友人たちと共に登校していたのだが──
「ようハルイチ!」
噂をすれば、である。
すぐそこの曲がり角から、自転車に乗った三人組が現れた。
「やあ、お早う」
照沢雄人、海野大吾、浜田敦。
僕と共に、仲良し四人組で評判だった幼馴染みだ。
放課後は部活動やゲームセンター、夏にはレジャーやキャンプ、冬にはスキーやスノーボードに行ったりと、青春の思い出を共有してきた良き友人たち。
そう、友人たち──だった。
否、誤解のように言っておくが、今でも僕は彼らを友人だと思っているし、彼らの方もそうだと思っているはずだ。
ただ、もう今まで通りではないのだ。
全員が僕とは異なる制服、別方向への進路。
近所に住んでいて、卒業式を終えてまだ一ヶ月も経っていないというのに、こうして彼らの顔と声を感じるのは随分と前のことのように感じられてしまうのは、互いに入学の手続きや新年度の準備やらで何かと忙しかったからだろう。
「雄人たちも今日から入学式?」
「いや、うちは早くてさ。入学式は昨日終わって、今日は始業式なんだ。言ってなかったっけ?」
「……全然」
中学時代まではこの面子で、自宅から程近い中高一貫校に通っており、そのまま内部進学する予定だったのだが、入試という分厚い壁が四人の運命を分断してしまった。
合格したのは僕一人、三人は揃って市外の別の高校へ。
「──っと、急いでるんだった。悪いな」
「また今度一緒に遊ぼうな」
「ハルイチも頑張れよ」
別れの挨拶を告げて、三人はペダルを漕ぎ出す。
「……また、か……」
駅の方角へ去る三つの背中を見送ってから、僕も自分の道を再び歩き始めた。
その通り嘘のような──しかし本当にあった話だ。
「春一! 起きてるの!?」
母さんの声と、ゴンゴンゴン、とドアノックの音が同時に不快に響く。
「んあぁ~……起きてるよぉ~……」
「だったら早く下りて来なさい。今日は入学式でしょ? 遅刻なんてしたら一年間の恥よ」
「まだ慌てるような時間じゃないだろ……」
目は覚めていたが、朝の肌寒さが、僕を温かい布団の外に出ることを許さなかった。
誰だって温かい布団の中に引き篭もっていたい、心地良い微睡みに浸っていたい。
そんな欲求を誰が責められるだろうか。
とは言え、しかし時計の針は進む。
いつまでも停滞は許されない。
「よっ、と……」
覚悟を決めてむっくりと身を起こし、カーテンを全開にする。
春の朝は、どこか嘘臭い。
まるで何かを誤魔化すかのように。
新年度の空はやけに澄み切っていて、前の季節を無かったことにするみたいに明るい。
差し込む光が、机の上の真新しい学生証を照らしていた。
体に馴染まないブレザーに袖を通し、ぎこちない手付きでネクタイを締め、進学を機に買って貰った腕時計を嵌めて、鏡で出来栄えを確かめる。
必要な物を通学カバンに詰め、部屋を出る前に卓上の日捲りカレンダーを捲り、【3月】と【31日】のカードを最後尾へ追い遣った。
──【4月1日】。
新年度の到来を告げる、始まりの日だ。
「お早う、爺ちゃん」
「おお、お早う」
階段を下りると、食卓には既に朝食が並んでいた。
トーストと目玉焼き、それにサラダとヨーグルト。
祖父と向かい合って、共に朝食。
〈アメリカのニューマン大統領は、日本時間の昨日二十時にイギリスを訪問、ブラウン首相と会談し──〉
テレビのニュースにも新聞にも目立ったものは無し。
「入学式だっていうのに暗い顔だな」
「そう?」
シンプルなメニューを黙々と喉の奥に流し込む間、祖父からそんなことを言われた。
「人は第一印象で大体が決まる。愛想良くしないと人が逃げていく。人が逃げるということは運が逃げるということだ」
「はいはい」
祖父の小言を聞き流しながら完食。
鏡で顔を見直して、いざ出発。
「行ってきます」
朝の空気が僕をやや冷たく出迎える。
通学路自体は中学時代と共通なので、慣れた道をのんびり歩く。
ほんの数ヶ月前までは、近所に住む幼稚園時代から続く友人たちと共に登校していたのだが──
「ようハルイチ!」
噂をすれば、である。
すぐそこの曲がり角から、自転車に乗った三人組が現れた。
「やあ、お早う」
照沢雄人、海野大吾、浜田敦。
僕と共に、仲良し四人組で評判だった幼馴染みだ。
放課後は部活動やゲームセンター、夏にはレジャーやキャンプ、冬にはスキーやスノーボードに行ったりと、青春の思い出を共有してきた良き友人たち。
そう、友人たち──だった。
否、誤解のように言っておくが、今でも僕は彼らを友人だと思っているし、彼らの方もそうだと思っているはずだ。
ただ、もう今まで通りではないのだ。
全員が僕とは異なる制服、別方向への進路。
近所に住んでいて、卒業式を終えてまだ一ヶ月も経っていないというのに、こうして彼らの顔と声を感じるのは随分と前のことのように感じられてしまうのは、互いに入学の手続きや新年度の準備やらで何かと忙しかったからだろう。
「雄人たちも今日から入学式?」
「いや、うちは早くてさ。入学式は昨日終わって、今日は始業式なんだ。言ってなかったっけ?」
「……全然」
中学時代まではこの面子で、自宅から程近い中高一貫校に通っており、そのまま内部進学する予定だったのだが、入試という分厚い壁が四人の運命を分断してしまった。
合格したのは僕一人、三人は揃って市外の別の高校へ。
「──っと、急いでるんだった。悪いな」
「また今度一緒に遊ぼうな」
「ハルイチも頑張れよ」
別れの挨拶を告げて、三人はペダルを漕ぎ出す。
「……また、か……」
駅の方角へ去る三つの背中を見送ってから、僕も自分の道を再び歩き始めた。
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