01_田舎町イルクオーレ(1)
ー/ー青空と桜のコントラストが美しいとある春の日の午前9時過ぎ、フェルマータ帝国と周辺諸国との国境に位置する田舎町・イルクオーレに住む少女ルチアは日課かつ彼女の仕事である害獣狩り――春先のこの時期は農地に穴を開けるマーモットが主だ――に出掛けようと、家を出て町はずれの牧場を囲うように流れている小川へ向けて歩いていた。隣にはもうそろそろ初老を迎える短足胴長……と言うと途端に怒り出すものの、事実として短足種である愛犬のルチルも一緒だった。
「今日は何が捕れるかな〜?そろそろ久しぶりに、ウサギ肉のシチューとか食べたいよねえ。」
「わう!!」
ルチアは彼女の言葉に呼応するように声を上げては、その短い脚で精一杯に地面を蹴ってはぴょんぴょんと跳ぶ愛犬に綻んだ笑顔を見せた。それから大陸の中では珍しく四季というものが存在するイルクオーレの町の隅、土と混ざりあって泥水となった冬の名残を視界の端に映しながら、こんなにもぬかるんでいるのならばアナウサギ……は高望みかもしれないけれど、少なくとも冬眠明けのマーモットくらいは狩れるに違いないと算段を立てる。
となると、今夜はマーモットの丸焼きが妥当だろうか。自分の分と、叔父の分と、出来れば幼なじみの家族の分――高望みをするならば5匹は狩りたいところだなあ、と考えながら歩を進める。とはいえ相棒はもう初老を迎えるのだ、流石に5匹も仕留めるとなると久々にあまり良いとは言えない弓の腕を披露することになるかも、とのんびりと考えながら明確に町と町の外との境界線である小川に掛かった小さな橋を渡っていると、不意に隣を歩くルチルがぴたりと動きを止めた。
「ルチル?」
「…………。」
問いかけても反応のない相棒に、ルチアはまさかこんな町の近くまでモンスターの類が来ているのだろうかと、咄嗟に身構える。けれど飼い主の緊張などいざ知らず、なのだろうか。ルチルは顔を上げ、鼻をヒクヒクと動かした後にキリッとした顔をすると、何かを心に決めた様子で垂れている大きな耳をはためかせながら、主人であるルチアのことなど置いてさっさと走り出してしまった。
「ちょっと!?」
いざと言う時には念の為にと『もしも』――モンスターとの予期せぬ遭遇や重症――を想定して背負っている、医療品や携帯食料でパンパンのザックを投げ捨ててでも逃げ出す覚悟でいたルチアは、相棒のなんとも軽やかすぎる予想外の行動に度肝を抜かれる。それから「こら、飼い主を置いてくな!」と悪態をつくと、困ったように髪を掻き上げながらもしっかりとザックを背負ったまま、ドタドタと彼の後ろを着いて駆け出した。
(……もしかして、もしかしなくても、アナウサギの気配とかしたのかな!?)
そうやってわけも分からぬままに愛犬の後を追いかけていたルチアだったが、追いついた先で横目で見遣ったルチルのあまりにも真剣な表情に、もしかしてと目を輝かせる。初老といえばマイナスなイメージが先行しがちだが、それは裏を返せば経験豊富ということだ。嬉しい『もしも』があったとしても、なんら不思議ではない。
となるとあまり音を立てない方がいいなとルチアは極力静かに、それでも心配性の叔父があれやこれやとザックに詰め込んでくれるおかげでどうにもお淑やかにはなりきれない足音と重量で大地を揺るがしつつ、愛犬と歩みを合わせる。
目指すは久しぶりのウサギ肉のシチュー。出来れば二羽狩って、もう一羽はパイにしたいところだ。ルチアは乱切りにした人参とじゃがいも、それと甘くなるまで炒めた玉ねぎ。そこにたっぷりのミルクと大きめに切ったウサギの肉を入れて、じっくりコトコト。具材がふわり、ほろりと解れてとろけるくらいになるまで煮込んだ後、ライ麦のパンにたっぷりのチーズを乗せたのと一緒に口いっぱいに頬張るのを想像する。じゅるり。思わずよだれが出た。
その勢いのまま、ルチアは続けて想像する。次の日には残ったシチューにウサギ肉を追加して軽く火を通してから、バターがたっぷりと練り込まれたパイ生地を乗せてオーブンでじっくり焼く。サクサクのパイ生地と、そのパイ生地から溢れ出る濃厚なバターがシチューとシチューの中のウサギ肉に染みて、じんわりと広がって、あまりの濃厚さに頬が落ちてしまうかもしれない。ああ、良い。とても良い――。
そんなことを考えては呆けた表情でよだれを垂らし、つい30分前に朝食を済ませたばかりの腹をくうくう鳴らしているルチアの横で、ルチルが足を止めた。若干、本当に若干、「あんた、呑気だね」と言いたげな表情を向けられた気がするが、ルチアは見なかったことにする。その代わりに一体何処にウサギの巣穴があるのかしらと足元の愛犬から目を離した瞬間、彼女の目には17になる少女の手には少々あまるほどの大物が映った。
「………………人……?」
ルチアは眼前の光景が信じられずに、自身でも無意識にそう呟いた。それもそのはず、目に映ったのはイルクオーレの郊外、行商人や旅人が通る街道とは名ばかりのあぜ道を少し外れた、地元民も滅多に通らない森の中の小道で横たわる、推定人間――それも、自分とそう歳の変わらないであろう少女だったのだ。加えて少女は全身が傷だらけで、意識を失っているように見えた。明らかな緊急事態だった。
「……ど、どうしよう?!まずは生きてるか確認した方がいい…よね?あ、でも生きててもあたしひとりじゃ運べないじゃん!!」
「ワン!!」
「『落ち着け』たってんな無茶な!無理だって、無理無理!!こんなん落ち着けるか!!」
すっかり食欲に支配されていた空想の世界から引き戻されたルチアは、想定外の現状に混乱していた。どれくらい混乱していたかといえば、想定とは大分異なるものの、明らかにこの場合の最適解である食糧や医薬品の入ったザックを背負っていることなどすっかり頭から抜けているくらいに、混乱していた。
加えて幾ら相手がボロボロとはいえ、一応はイルクオーレはあの帝国との国境に接している町だ。万が一を考えたら、見なかったことにするのが一番だった。けれど田舎育ちらしく擦れたところのない、素直で明るく優しいルチアは倒れ込んでいる少女にそうっと近寄ると、最早布切れ同然の服越しに見え隠れする白い肌にそうっと触れた。
「……おーい、生きてる〜…?」
「………………ぅ、」
ゆっくりと肩のあたりを掴んで揺らしてみると、少女は今にも掠れて消えそうな声を反射的に漏らした。次いでピクリと、一瞬だけ指先を動かした…ように見えた。しかし反応はそれきりで、それ以上続くことはなかった。つまりは無意識だったのだろう。
けれどルチアは、そこに確かに少女の『生きたい』という意思があることを読み取った。理屈や理論じゃなく、直感でそう思ったのだ。そしてそう感じるや否や行動に移してしまう性質のルチアは、やはり背負っているザックのことなど忘れたまま愛犬に少女の番を頼むと人手を呼ぼうとドタドタと騒々しく、来た道を駆け戻って行ったのだった。
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