27話 皆を巡り合わせた夕暮れ
ー/ー自分を応援してくれるみんなの声が聞こえる。
『〝蝶庭園〟』
彼岸花が視界一面に咲き広がる白銀の世界。
リーレニカの目には漆黒の巨大な悪魔と、幻想的なネオン色の空間がどこまでも続く光景が映っていた。
ネオン色――シュテインリッヒ国民全員の感情がこの隔絶された空間まで浸透していることを表している。
その事実だけで、不思議と満身創痍の体に熱がこもり、力がみなぎる感覚がした。
「下等生物が粋がりやがってッ」
エリザヴェーテが忌々しそうに空を睨む。
『広範囲に同時多発攻撃を感知』
悪魔の予備動作を目視するよりも早く、自動音声が次の攻撃をシミュレートする。
なぜいきなり精度が向上したのかは確認するまでもない。
こちらには優秀なオペレーターであるソンツォがついている。
『古臭い文献通りの攻撃だ。現代技術をお見舞いしてやれ』
「リーレニカ。いくぞ」
ソンツォとロウエンが行動開始を合図する。
二人の蝶は七色の鱗粉を引いて空高く飛翔した。
つい先程まで立っていた位置に影でできた鋭利な触手が轟音を立てながら突き立っている。
エリザヴェーテは遅れてリーレニカ達を見上げた。
「我を――見下ろすなぁああああッ!!」
悪魔の両翼に浮かぶ無数の五芒星が陣を描くと、白龍を消し炭にしたものと遜色のない黒い光線がリーレニカ達目掛け殺到した。
二人の瞳が金色に染まる。
『〝蟲籠〟』
光の粒子で構成された蝶達が一瞬にして二人の眼前に集い、それぞれが膜を貼るように広がる。光の膜から神樹の蔦が大量に飛び出し、光線を真正面から受け止めると、触れた傍から灰を投げつけられたように粉微塵と化した。
「にひ。ワシの故郷にある神樹はいかなる不浄も拒絶する。貴様が昔いくら頑張っても侵入できんかったようにな」
「ぐ、おお……おのれええええッ」
悪魔が腕を振り上げる。
リーレニカを粉砕骨折させた圧倒的な質量攻撃だ。
「〝杭打ち〟」
大気に斥力を生成するアンカーを打ち込む。本数は制限しない。今の自分なら何でもできる気がしていた。
リーレニカ達の眼前に巨大な拳が迫る直前、真逆の斥力が働いたように荒々しい殴打音がし、悪魔の腕が跳ね上げられた。
体勢が崩れる。
「馬鹿な……。人間一人にそんなことができるはず――!」
『〝百火蝶〟』
二つの業炎が柱状に立ち上る。
リーレニカとロウエンは縦横無尽に撹乱しながら瞬く間に悪魔の頭上に躍り出た。
巨大な悪魔を焦土に還さんとする炎が空を照らす。
二人の炎は、巨体など容易く呑み込むほどの出力にまで増幅していた。
「魔獣。あなたは大昔から勘違いしてる」
マシーナウイルスは人の心の弱さにつけ込み、お前たちの眷属に変えてきたかも知れない。
だが人間はそれを利用し、〝デバイス〟を作り立ち向かってきた。
そのマシーナウイルスだって、デバイスの能力が全てじゃない。
いつもその傍には人間の心があった。
だから。
――思いの強さがそのまま力に変わるんだ。
「この――人間――」
業炎がエリザヴェーテの顔を熱く照らす。
内に潜む魔獣が最期の抵抗を試みるが。
二人の蝶が巨大な悪魔の体を粉々に焼き砕き、エリザヴェーテの悪態すらもねじ伏せた。
****
地上では、リーレニカが消えた地点で動かず固唾をのんで見守っている兵士たちが居た。
フランジェリエッタは何もできないこの時間をもどかしそうにしながら、アルニスタの邪魔をしない一心で祈るように両手を固く握り合わせている。
全意識を集中させてリーレニカの世界とここを繋げる役割を買って出たアルニスタは、想像以上の負担に辛そうな表情だ。
尋常ではない汗を流しながらヴォルタスの介抱を受けているが、傍で支えてやることしかできない奇術師は歯がゆそうにしていた。
その時。
アルニスタが急に顔を上げ、口を震わせた。
「――! まさか」
一同がアルニスタの様子に視線を交わす。
誰もが良くない想像をした。
「リーレニカは無事なのか?」
ファナリスが努めて冷静に状況を問う。
万に一つでもリーレニカがだめだった場合、身を挺してでも国民の逃げる時間を稼がなければならない。
「無事なんてものではない……」
アルニスタの両手が震え、何かを掴もうと虚空を掻く。
フランジェリエッタが思わず声を上げようとして、
「あの娘が……リーレニカが……魔獣を、打ち倒した……!」
一瞬の間が空く。
兵士達が聞き間違いかと顔を合わせたあと、すぐに明るい表情になり飛び上がるように歓声を上げた。
「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「本当にやりやがった!?」
「チクショウなんて奴だ!」
「最高の兵士、いや、英雄だ! 神様だ!」
「早く助けてやろう!」
ある者はその事実に両手を挙げて喜び。
ある者は信じられない様子で顔を綻ばせ。
ある者は夢ではないと確かめるように隣の者同士で頬を抓った。
「レニカ……! レニカぁ……っ」
フランジェリエッタは泣きそうになる声を抑えるように両手で口元を覆った。
「そうだな。早くリーレニカを助けよう」
ファナリスが優しい笑顔で兵士に答える。
アルニスタは再び左薬指の指輪型デバイスを起動させ、リーレニカの世界と現世をつなげようとした。
だが。
「待て……待て待て待て、だめだ!!」
アルニスタが慌てたように向こう側へ繋がる境界に向かい叫んだ。
****
炎が揺らめく地点を前に、リーレニカ、ロウエン、Amaryllisの三名は並んで空を見上げていた。
エリザヴェーテに封じ込めた魔獣を打倒し、地上へ還る方法を考えていたところ、Amaryllisが怠そうに口を開いた。
「ヘビ男がこの世と現世との通路を開こうとしておるな」
「アルニスタが……? どうして」
「あやつは初めからこの魔獣をどうにかできればよかったんじゃろう。お主を敵視しているわけじゃない。だから甘えて帰ってしまえばいいさ」
「……Amaryllisも一緒に帰ろう?」
「ワシはずっとこの世界におったぞ。だからここがワシの居場所じゃ。お主がつけている蝶の耳飾りは、この世界と繋げる中継装置みたいな物じゃからな。ここに居られたんじゃあ二度と外の世界を拝めん。だからさっさと帰れ」
Amaryllisは嫌そうな顔をして「ま、この世界がめちゃくちゃになったのはお主に影響されたからじゃがな」と手をヒラヒラさせた。
「空の歪んだ箇所が通り道みたいだな」
ロウエンが指差す先、闇を押し退けるような茜色の空が一箇所だけ空間を広げていた。
おそらく現世の空を映し出しているのだろう。リーレニカ達が立つ戦場とは対象的な平和な空だ。
「ロウエン。Amaryllis。帰ろう」
リーレニカが優しい声を二人に向けた。
Amaryllisはここに残ると言っていたが、今までと同じように蝶の耳飾りを通して繋がることができるのだろう。
だから、お別れではないことを確かめるようにAmaryllisにもそう声をかけたのだ。
Amaryllisが神妙な顔をしていると、
「ああ」
ロウエンが代わりに頷いた。
それを見たリーレニカは、まだ地上に戻れてすらいないのに、今までの苦労が報われたような気がした。
――この組織で活動していたもう一つの理由。
機人をこの世から根絶することと、命の恩人であるロウエンを見つけること。
それが死体ではなく、生きていてくれたのだからこれ以上何を望もうというのか。
少なくとも、地上に戻ったあとは身を隠し、また次の生体型反応を追いかけて機人根絶の旅に出よう。
そう考えていたとき。
「逃がすと思ったか」
腹の底から憎悪を滾らせた女性の声が聞こえた。
エリザヴェーテだった。
「まずい」
Amaryllisが腕を高くあげると、風にさらわれるようにリーレニカとロウエンの体が浮き、空高く舞い上がった。
最後の力を使ったのだろう。耳長の銀髪少女は全身が眩い光に包まれると、初めからそこに居なかったかのように幻想的な蝶の群れとなって人の姿を解いた。
上昇に伴い猛烈な風を受けながら、リーレニカは地上に居たAmaryllisに手を伸ばす。
「Amaryllis!」
「落ち着け! 肉体の維持ができなくなっただけだ!」
ロウエンの言っているとおり、Amaryllisのマシーナ反応は虚ろにだが感じる。第一、彼女が死ぬようなことがあればこの世界もタダでは済まないだろう。
それとは別に警戒しなければいけないことがある。
目下、闇で作り上げられたような黒い霧。それが焼けただれた悪魔の顔、上体を再構築しながらリーレニカ達に迫っていたのだ。
「しつこい野郎だ」
ロウエンが毒づく。
エリザヴェーテ王女の封印体ごとあの悪魔を焼き払ったはずだが、相手も最後の力を使い果たすつもりらしい。
少女の姿で現れたAmaryllisと同じ原理であるとするならば、大昔に肉体が滅び、細胞レベルにまで分解された悪魔の依代が必要だったのだろう。
奴はリーレニカの体を次の器にしようとしているようだ。
「貴様らの思い通りにさせてたまるかぁあああッ!」
悪魔の追従は想像を絶する速度だった。
空の出口まで二〇メートルに迫ったところで、リーレニカ達の全身を黒い霧が覆う。
視界が闇で埋め尽くされる直前。
「Amaryllis。やるぞ」
ロウエンが誰もいない空間に呟くと、薄ら笑ってリーレニカを出口に向かって蹴り飛ばした。
リーレニカ一人が魔獣の霧から離脱し、空間の裂け目へ到達する。
「ロウエン!?」
「擬態解除――Amaryllis」
全身を包帯で巻いた青年の姿が幻想的な光に包まれる。すぐに蝶の翅と貴族の礼服を纏った姿へ変貌した。
金色の瞳に尖った耳。
その手には身の丈はある、神木で作られた長大な聖杖が握られていた。
「〝白霊宮――開門〟」
ロウエンが聖杖を大きく振るうと、瞳を灼くような強烈な光が全方位に炸裂。闇で出来た魔獣の手が砕け散った。
地の底から怒りと苦痛の混ざった獣の咆哮が大気を震わせる。
「ロウエン! 早くこっちに!」
「悪いなリーレニカ。そっちの定員は一人だけらしい」
顔だけ振り返ったロウエンを見て、手を伸ばしても無駄だと悟ってしまった。
彼は、初めからこうするつもりだったんだ。
ソンツォも分かっていたのか、リーレニカを諭すように言う。
『みんなお前の帰りを待ってる』
「行ってやれ」
すでに裂け目の内側に飛ばされたリーレニカは、どうあがいてもロウエンの居る世界に手を伸ばせなかった。
見えない壁に隔たれたように、ロウエンの元には戻れなかった。
「ロウエン――!」
「お前の居場所はここじゃない」
もう空間が閉じてしまう。
どうすればいい。
リーレニカはどうしようもない状況に瞳を揺らし、目に涙を浮かべた。
やっと会えたのに。こんなところで置いていくなんてできるわけがない。
答えにならない迷いに支配されていると。
「いつかお前がこの力を使いこなした時、今度こそ俺をそっちの世界に呼び戻してくれ」
更に聖杖を振り上げると、遺跡全体が振動する。魔獣を閉じ込めるように建物すべてが形を変え始めた。
「それまでは、お前が守りたいもののために戦い続けるんだ」
魔獣の消えゆく悪態。完全に魔獣の動きが封殺されると、
「またな。リーレニカ」
ロウエンの優しい声を最後に、視界が暗転した。
****
やけに温かい夕暮れだ。
自分が諜報員として暗躍し、事態の中心に置かれた日を思い出す。
味方はおらず、一人であらゆる脅威と対峙した時を。
「ん……」
全身が鉛のように重たい。
目を開けると、銀甲冑の男たちや、ボロボロの燕尾服を着た奇術師に、桃髪をした生花店の小さな店長という不思議な組み合わせの集団。それらが心配そうにリーレニカを囲んでいた。
――そうか。
思考がはっきりしてくる。
帰ってきたんだ。
夕暮れの下、喪失感と同時に不思議と満たされた気持ちがしていた。
喪失感は当然、ロウエンを置いてきてしまった無力な自分への自責が大きい。
一方、あらゆるすべてを敵と見据えていた自分が今信じられないことに、多くの人から心配される立場に変わっていたのだ。
夕暮れにはあまりいい思い出はないのだが、悪くないと思えた。
「わ」
小さな店長が飛びついてきてびっくりする。
耳元でフランジェリエッタがすすり泣いていた。強く抱きしめられて苦しい。
「……レニカ」
「はい」
「――おかえりなさい」
「……うん。ただいま」
フランジェリエッタの背中に手を回すと、遅れて周りの騎士達が子どものように歓声を挙げて、肩を組んで騒いだ。
男たちから挙がる勝利の歓声は、きっと遠くの避難所まで聞こえただろう。
嬉しそうに泣くフランジェリエッタを抱きしめて、リーレニカは目を閉じた。
いつか必ず――〝あの人〟をこの世に取り戻す。
今はただ、守りたい人がそばにいる事実を噛み締めた。
****
誰もいない廃墟。
使い古されたスペツナズ・ナイフと、大人の力で蹴り飛ばされた棺桶――自走箱が転がっている。
そこにツナギの破れた記者の男と、ブロンド髪で狐の鉄仮面を脱いだ女性がいた。
「スタク……!」
ソフィアの腕の中で、スタクは目を閉じていた。
胸部に咲いていた機人の芽が散り、機人化を待つのみとなった男が。
ナイフを自身の胸に突きたて、息を引き取った男が。
「……ソフィア?」
再び目を開き、目があったソフィアと互いに驚いた顔をした。
「ああ、ああ……!!」
更に強く抱きしめられたスタクは苦しそうな声を漏らす。
涙声で自分の声を何度も呼ばれる。スタクは視線の先に、フラスコ瓶が転がっているのを認めた。
「まさか……リーレニカさんの言った通りになったのか?」
「え……? 私が善性マシーナポーションをもらってるの知ってたの?」
「いや……」
――リーレニカはスタクの棺桶に、マシーナウイルスを介してイメージを共有していた。
それとは別に、あっさりとした伝言だけ残されたのだ。
『このナイフを使うことは強要しません。だけどもし使うようなことがあれば、機人になることを恐れずその場から動かないで下さい』
スタクは共有されたイメージから、自分がこの後自己修復により機人化する未来を予見していた。
だから、誰も傷つけないように遠く離れた場所へ少しでも離れようと思っていたのだ。
リーレニカはその考えを読んでいたのか、それだけは絶対にしないように伝言を残した。
――このポンコツ棺桶は〝過剰な防犯機能〟がありますから。嗅ぎつけた狐が飛んでくるはずです。
「はは……その狐がソフィアだったとは」
「え? なに?」
「……いや」
困惑するブロンド髪の相手に、スタクは笑って首を横に振った。
「来てくれてありがとう。ソフィア」
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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