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20話 色褪せた世界(中編)

ー/ー






 男の用意した馬で村まで送ってもらうと、礼をする時間も与えてくれず、その場から去ってしまった。
 唯一、彼の憐れむような目が気がかりだった。
 やや汚れた格好だったこともあり、村人達はリーレニカを見ても嫌そうな顔をするだけで特に心配はしてくれなかった。
 リーレニカ自身突然の出来事だったのだ。攫われたことさえ村人には気づかれていなかったのかもしれない。
 興味すらなかったかもしれないが。
 それでもこの村には二年間目をかけてくれた義父母がいる。
 とにかく自分の無事を報告してあげたかった。村が嫌になって、義父母を置いて逃げ出したと思われているかもしれなかったから。

『……ただいま』

 どんな顔をして帰ればいいのだろう。何から話せばいいのだろう。
 そんな考えばかりが巡っては完結しないまま、家の扉を開いた。
 家の中は一ヶ月前と変わりなかった。
 むしろ、少しばかり豪華になっているようにさえ見えた。
 義父母はリーレニカに気づくと固まっていた。

『リーレニカ』

 義母はリーレニカを責めるように眉根を寄せ、信じられないことを口にした。

『どうして』
「――やめて」

 過去の世界を知っているリーレニカは、幼い自分が何をされ、どうなるか知っている。
 耳をふさいでうずくまった。

『どうしてここにいるのッ』

 義母とはいえ、二年過ごした親代わりの人から、期待していた言葉は返ってこなかった。
 そこからは義父母が言い争う姿と、自分へ向けた耳をふさぎたくなるような汚い言葉に茫然自失となった。
 仮初(かりそめ)とはいえ愛のある家庭だったと思う。
 村人から迫害を受けていたリーレニカに唯一対等に、それ以上に親身になって接してくれた優しい二人だったのに。

『だから反対したんだ! 引き渡したところでなんの解決にもならないって!』

 ここまで人が変わったような醜い姿を見せられては、未成熟なリーレニカでも察しがついてしまう。
 あの包帯の男がどうして自分を憐れむように見ていたのか。
 ――売られたんだ。
 そこからは自分の家だった玄関から一歩も動けなかった。
 どうすればいいのかわからなかった。
 謝ればいいのか。泣けばいいのか。怒ればいいのか。笑えばいいのか。逃げ出せばいいのか。逃げる場所などあるのか。そもそも生きていていいのか。生まれてきたこと自体が間違いだったのではないのか。あの山奥で本当の両親といっしょに死んでいればよかったのではないのか。

『…………』

 足元を這う蜘蛛が羨ましい。
 こんなどうでもいい子供の足で踏み潰されれば、簡単に命を終わらせれるんだ。
 潰れて、生きていたことを忘れて、何も考えなくていいんだ。
 ――どうして自分たちは考え、喜び、泣き、憎むんだろう。
 心なんてあるからこうも醜く生きられるんだ。
 本当に、頭の悪い生き物たちが羨ましい。

『助けて』

 もうなにも考えたくない。
 こうなってしまうと、子供のリーレニカはその場にうずくまり、頭を抱え、縋るしかなくなった。

『おかあさん』


  ◇


 気がつくと、村一帯が潰れた死体で溢れていた。


  ◇


『起きたか』

 男に抱きかかえられた時には、村の外にいた。
 彼は人攫いから助けてくれた包帯の男だった。
 思考が追いつかない中、唐突に生々しい映像と感覚がフィードバックされる。
 ――そうだ。
 二人が帰ってきたことに怒っていて、何も考えられなくなって。
 急に潰れたんだ。
 虫みたいに皆潰れろって思ったら、その通りになって。
 果物を潰して果汁を絞るように、大人二人の体が上下からぺしゃんこになって。
 血を部屋中に撒き散らして死んだ。
 死んだ? ううん。殺した。
 手を触れずに、意識するだけで数歩先の大人を簡単に潰せた。
 まさか自分にこんな特技があったなんて知らなかった。
 そのまま家を出て。
 目があった村の人も今までは怖かったけど、急にどうでも良くなって。
 どうでもよくなるとまた潰れて。
 潰れて血が出てそれを見た人が叫んでまた潰して血を出して泣いて殺して潰して血を流して楽しくなって殺して潰して潰れて赤くなって潰して泣いて楽しくて殺して捻って潰して殺して潰して殺して潰して殺して潰して――

『ああっ……! うあ、あああああああ――』
『〝水牢(すいろう)蝶獄(ちょうごく)〟』

 包帯の男がおかしな言葉をつぶやくと、超常的な存在に許されたような気分になった。
 はじめは自分たちを包んでいく湖に驚いたが、息はできるのだとわかると、おかしくなった頭が無理やり洗い流されたような気持ちになった。
 きっと自分は人を殺した。
 子供ながらに、冷静に事実を受け止められるだけの心の余裕が生まれた。
 包帯の男が困ったように眉尻を下げる。

『何から説明しようか』


  ◇


 ()()()()
 人類が通常干渉し得ない超常的な力がこの自然には存在するらしい。
 それを、黄金の瞳を持つ人間は思うがままに扱えるのだと彼は言った。
 到底信じられなかったが、信じざるを得なかった。
 信じないと、自分が殺した人たちから――自分の罪から逃げることになると思ったから。
 どんなに迫害されても、むやみに命を終わらせてはいけない気がしていた。
 否、気がしていたわけじゃない。
 実の両親の教えだった。
 包帯の男は、リーレニカの理解を確認することなく淡々と話を続けた。

『俺は琥珀の民の末裔を助け、外の世界で起こっている〝変異現象〟を終わらせるために今の組織を立ち上げたんだ』

 その話を信じるしかないとしても、包帯の男が語る言葉はどれも現実離れしている。
 心が壊れれば怪物になる? 人を怪物に作り変える悪い生き物がいる?
 怪物になる人間なんてこの辺境の村で聞いたことも見たこともない。そんな病があればすでに滅んでいるだろうに。
 幼いリーレニカが困ったような顔をしているのを見て、彼は心を読んだかのように真剣な眼差しで言った。

『この村はリーレニカ。お前がいたから発症しなかったんだ』

 彼の目は自分と同じ、琥珀の瞳をしていた。

『琥珀の民は、高位生命体の超常的な力に抗う(すべ)を持って生まれた一族だ。俺達の生活する一定の領域では、微弱な支配能力は機能しない。機能するとすれば、その元凶が居合わせているときだけだ』
『……どうして皆、私を……おとうさんやおかあさんを虐めたの』
『俺達の体の中には、ある高位生命体の細胞が浸透している。奴らは俺達一族の力に適応するように、一般的な人間の弱い部分に影響するよう進化した』
『弱い部分? ……心臓?』
『惜しいな』

 ベルは自身の胸に拳を押し付けた。

『心だ』

 彼の顔は包帯で殆ど表情が読み取れなかったが、どこか悲しそうに見えた。

『人の迫害は得てして理不尽で、大した理由はない。外見の違いや文化の違い。そういう下らない心の隙をついて、一般人が琥珀の民を異分子として認識するよう仕向けたんだ』
『どうして私達は平気なの?』
『琥珀の民同士は嫌悪することはない。それに、中央大陸ではその効果もなくなってきている』
『……そこでは普通に暮らせるの?』
『ああ。こいつのお陰でな』

 彼は自身の胸元から蝶の形をした宝石を取り出した。

『結晶化した古代生物を見るのは初めてだろう。――Amaryllis(アマリリス)は変わり者でな。俺達琥珀の民に味方をする、数少ない生物なんだ』
『別に味方はしとらんぞ』

 宝石からぶっきらぼうな声がして、リーレニカは目を見開いた。

『リーレニカも一緒に来ないか。子どものうちは大きなことはできないだろうが、もって生まれた力の抑え方は教えられるぞ?』

 もっともらしいことを話す彼は、一見すると詐欺師のようにも見えてしまう。
 それこそ最近まで商人にどう売られるか見定められていたのだ。
 けれども、どうしてか包帯だらけの男が口にする言葉はどれも嘘に聞こえなかった。
 だから、信じて手を取ってしまった。
 本当はついていくべきではなかったのに。



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 唯一、彼の憐れむような目が気がかりだった。
 やや汚れた格好だったこともあり、村人達はリーレニカを見ても嫌そうな顔をするだけで特に心配はしてくれなかった。
 リーレニカ自身突然の出来事だったのだ。攫われたことさえ村人には気づかれていなかったのかもしれない。
 興味すらなかったかもしれないが。
 それでもこの村には二年間目をかけてくれた義父母がいる。
 とにかく自分の無事を報告してあげたかった。村が嫌になって、義父母を置いて逃げ出したと思われているかもしれなかったから。
『……ただいま』
 どんな顔をして帰ればいいのだろう。何から話せばいいのだろう。
 そんな考えばかりが巡っては完結しないまま、家の扉を開いた。
 家の中は一ヶ月前と変わりなかった。
 むしろ、少しばかり豪華になっているようにさえ見えた。
 義父母はリーレニカに気づくと固まっていた。
『リーレニカ』
 義母はリーレニカを責めるように眉根を寄せ、信じられないことを口にした。
『どうして』
「――やめて」
 過去の世界を知っているリーレニカは、幼い自分が何をされ、どうなるか知っている。
 耳をふさいでうずくまった。
『どうしてここにいるのッ』
 義母とはいえ、二年過ごした親代わりの人から、期待していた言葉は返ってこなかった。
 そこからは義父母が言い争う姿と、自分へ向けた耳をふさぎたくなるような汚い言葉に茫然自失となった。
 |仮初《かりそめ》とはいえ愛のある家庭だったと思う。
 村人から迫害を受けていたリーレニカに唯一対等に、それ以上に親身になって接してくれた優しい二人だったのに。
『だから反対したんだ! 引き渡したところでなんの解決にもならないって!』
 ここまで人が変わったような醜い姿を見せられては、未成熟なリーレニカでも察しがついてしまう。
 あの包帯の男がどうして自分を憐れむように見ていたのか。
 ――売られたんだ。
 そこからは自分の家だった玄関から一歩も動けなかった。
 どうすればいいのかわからなかった。
 謝ればいいのか。泣けばいいのか。怒ればいいのか。笑えばいいのか。逃げ出せばいいのか。逃げる場所などあるのか。そもそも生きていていいのか。生まれてきたこと自体が間違いだったのではないのか。あの山奥で本当の両親といっしょに死んでいればよかったのではないのか。
『…………』
 足元を這う蜘蛛が羨ましい。
 こんなどうでもいい子供の足で踏み潰されれば、簡単に命を終わらせれるんだ。
 潰れて、生きていたことを忘れて、何も考えなくていいんだ。
 ――どうして自分たちは考え、喜び、泣き、憎むんだろう。
 心なんてあるからこうも醜く生きられるんだ。
 本当に、頭の悪い生き物たちが羨ましい。
『助けて』
 もうなにも考えたくない。
 こうなってしまうと、子供のリーレニカはその場にうずくまり、頭を抱え、縋るしかなくなった。
『おかあさん』
  ◇
 気がつくと、村一帯が潰れた死体で溢れていた。
  ◇
『起きたか』
 男に抱きかかえられた時には、村の外にいた。
 彼は人攫いから助けてくれた包帯の男だった。
 思考が追いつかない中、唐突に生々しい映像と感覚がフィードバックされる。
 ――そうだ。
 二人が帰ってきたことに怒っていて、何も考えられなくなって。
 急に潰れたんだ。
 虫みたいに皆潰れろって思ったら、その通りになって。
 果物を潰して果汁を絞るように、大人二人の体が上下からぺしゃんこになって。
 血を部屋中に撒き散らして死んだ。
 死んだ? ううん。殺した。
 手を触れずに、意識するだけで数歩先の大人を簡単に潰せた。
 まさか自分にこんな特技があったなんて知らなかった。
 そのまま家を出て。
 目があった村の人も今までは怖かったけど、急にどうでも良くなって。
 どうでもよくなるとまた潰れて。
 潰れて血が出てそれを見た人が叫んでまた潰して血を出して泣いて殺して潰して血を流して楽しくなって殺して潰して潰れて赤くなって潰して泣いて楽しくて殺して捻って潰して殺して潰して殺して潰して殺して潰して――
『ああっ……! うあ、あああああああ――』
『〝|水牢《すいろう》の|蝶獄《ちょうごく》〟』
 包帯の男がおかしな言葉をつぶやくと、超常的な存在に許されたような気分になった。
 はじめは自分たちを包んでいく湖に驚いたが、息はできるのだとわかると、おかしくなった頭が無理やり洗い流されたような気持ちになった。
 きっと自分は人を殺した。
 子供ながらに、冷静に事実を受け止められるだけの心の余裕が生まれた。
 包帯の男が困ったように眉尻を下げる。
『何から説明しようか』
  ◇
 |琥《・》|珀《・》|の《・》|民《・》。
 人類が通常干渉し得ない超常的な力がこの自然には存在するらしい。
 それを、黄金の瞳を持つ人間は思うがままに扱えるのだと彼は言った。
 到底信じられなかったが、信じざるを得なかった。
 信じないと、自分が殺した人たちから――自分の罪から逃げることになると思ったから。
 どんなに迫害されても、むやみに命を終わらせてはいけない気がしていた。
 否、気がしていたわけじゃない。
 実の両親の教えだった。
 包帯の男は、リーレニカの理解を確認することなく淡々と話を続けた。
『俺は琥珀の民の末裔を助け、外の世界で起こっている〝変異現象〟を終わらせるために今の組織を立ち上げたんだ』
 その話を信じるしかないとしても、包帯の男が語る言葉はどれも現実離れしている。
 心が壊れれば怪物になる? 人を怪物に作り変える悪い生き物がいる?
 怪物になる人間なんてこの辺境の村で聞いたことも見たこともない。そんな病があればすでに滅んでいるだろうに。
 幼いリーレニカが困ったような顔をしているのを見て、彼は心を読んだかのように真剣な眼差しで言った。
『この村はリーレニカ。お前がいたから発症しなかったんだ』
 彼の目は自分と同じ、琥珀の瞳をしていた。
『琥珀の民は、高位生命体の超常的な力に抗う|術《すべ》を持って生まれた一族だ。俺達の生活する一定の領域では、微弱な支配能力は機能しない。機能するとすれば、その元凶が居合わせているときだけだ』
『……どうして皆、私を……おとうさんやおかあさんを虐めたの』
『俺達の体の中には、ある高位生命体の細胞が浸透している。奴らは俺達一族の力に適応するように、一般的な人間の弱い部分に影響するよう進化した』
『弱い部分? ……心臓?』
『惜しいな』
 ベルは自身の胸に拳を押し付けた。
『心だ』
 彼の顔は包帯で殆ど表情が読み取れなかったが、どこか悲しそうに見えた。
『人の迫害は得てして理不尽で、大した理由はない。外見の違いや文化の違い。そういう下らない心の隙をついて、一般人が琥珀の民を異分子として認識するよう仕向けたんだ』
『どうして私達は平気なの?』
『琥珀の民同士は嫌悪することはない。それに、中央大陸ではその効果もなくなってきている』
『……そこでは普通に暮らせるの?』
『ああ。こいつのお陰でな』
 彼は自身の胸元から蝶の形をした宝石を取り出した。
『結晶化した古代生物を見るのは初めてだろう。――|Amaryllis《アマリリス》は変わり者でな。俺達琥珀の民に味方をする、数少ない生物なんだ』
『別に味方はしとらんぞ』
 宝石からぶっきらぼうな声がして、リーレニカは目を見開いた。
『リーレニカも一緒に来ないか。子どものうちは大きなことはできないだろうが、もって生まれた力の抑え方は教えられるぞ?』
 もっともらしいことを話す彼は、一見すると詐欺師のようにも見えてしまう。
 それこそ最近まで商人にどう売られるか見定められていたのだ。
 けれども、どうしてか包帯だらけの男が口にする言葉はどれも嘘に聞こえなかった。
 だから、信じて手を取ってしまった。
 本当はついていくべきではなかったのに。