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19話 色褪せた世界(前編)

ー/ー






「ここは」

 リーレニカが目覚めた時、灰色一色の風景以外、周囲には何も無かった。
 黒い津波に呑まれ、ここにたどり着くまでの記憶がない。
 陽の光もなく、大地や草木もない。ここがリーレニカの知らない異空間であることは容易に理解できた。
 ――知らない?
 否。知っている。
 精神世界。
 スタクの時と同じだ。機人化後の意識の深層で、誰もが持ち得る心象風景。それがこの世界の正体だ。
 だからわかる。
 あの時心を失って、何もかもを捨て去った自分には。
 この心象風景に何も残っていなかったのだということくらい。
 だけどどうしてだろう。
 懐かしい感じがする。

()()()()

 自分でつぶやいて目を見開いた。
 ――そうだ。
 二年前、月の谷でフランジェリエッタと初めてあった時、つい気を許して話していたことだ。

『包帯で体を隠した男』
『なぞなぞみたい』

 組織に入った理由。
 〝あの人〟をずっと捜していたんだ。
 〝あの人〟――組織のエージェント。ベルロッサ。
 どうしてずっと忘れていた。
 人に縋ることが無かったリーレニカが、心の支えにしてきた目的。
 恩人のベルロッサを見つけ出し、この世から機人を滅する。
 そのためだけにここまで戦い続けてきた。
 ここに――彼の気配を感じる。

「――ロウエン!」

 名を叫んでも虚しく反響するだけ。
 そう思っていた矢先、リーレニカの精神世界に変化が生じた。
 灰色の世界が、夕日色の塗料を流し込まれるように塗り替えられていく。すぐに懐かしい景色へ切り替わった。
 シュテインリッヒ国とは程遠い、アナログな文化で生活する集落。
 自分の生まれ故郷。
 目の前に自分の家がある。

「お……かあ、さん」

 扉から出てきた女性は、リーレニカとは似ても似つかない黒髪の女性だった。
 こちらに近づいて来る。顔が引き攣り思わず目を背けると、彼女はリーレニカの体を幽霊のように通り抜けた。

「……はッ、……は」

 荒くなる呼吸を抑える。
 落ち着け。ここは精神世界だ。この人が自分に干渉することはありえない。
 混乱した頭を落ち着かせ、状況を整理すると、先ほどエリザヴェーテの生み出した黒い津波の正体を理解した。
 これは夜狐が使ったような記憶を掘り起こすデバイスと原理が似ている。
 エリザヴェーテの目的は、黒い津波を利用して人々のマシーナを汚染すること。
 この最悪な記憶――トラウマで自殺する者が、彼女にとって不要な弱者ということだ。



     ****



 リーレニカが十二の頃、本当の両親はこの世を去っていた。
 集落は割と村人の仲が良く、助け合って生きる風習がある。実際、化け物の蔓延るあの時代は人間が手を取り合い助け合わなければ、到底生きてはいけなかった。
 その環境下で、リーレニカの家族は迫害を受けていた。
 狩りをするにも、作物を育てるにも最低限機人を退けるコミュニティが要る。
 集落にはその環境が整っていたが、子供であるリーレニカも含め、一家は集落の外れに追いやられていた。まだ別のどこかに追い出されないだけマシだったが。
 そんな厳しい環境も重なり、両親はあっという間に衰弱死した。
 つまり、機人になる前に自殺したのだ。

「この子はうちで引き取る」

 そう言ったのは、迫害された一家に対して唯一優しくしてくれたユーステリア家だった。
 その一家は子供に恵まれない身体だったらしく、迫害の対象であるリーレニカであっても関係なく愛してくれた。
 そもそも迫害される理由も理解していないリーレニカは、村から三時間も歩く家まで顔を出しては、新鮮な野菜を分け与えてくれる黒髪の彼女が聖人に見えた。

「今日から私のことはママって呼んでくれていいからね」

 本当の両親が死んだ後、自分を抱きしめてそう言ってくれた彼女にリーレニカは泣いてしがみついた。顔見知りとはいえ、ママは流石に恥ずかしくてお義母さんと呼んだ。
 そこからひと月は居心地が悪かった。
 行儀良くしないと捨てられるのではないかとか、気を遣えない子は見限られるのではだとか、とにかく気が張り詰める毎日だった。
 別にユーステリア一家が厳しかったわけじゃない。単純に、この一家からも見捨てられれば生きていくことは絶望的だと思っていた。
 毎朝、自分の家とは違う天井を見て「両親が死んだ」現実を思い出しては泣き。
 毎晩、本当の両親を思い出しては自室のベッドで声を殺して泣いた。
 それでもユーステリア一家の前では、貴族の真似事をするように立ち居振る舞いに全神経を集中させ、家事でやることはないか必死に探した。それこそ、家政婦を演じるように。
 義父母の前では笑顔を絶やさず、自分ではない何者かを常に演じ続けた。彼女たちもそんなリーレニカに「気をつかわなくていいんだよ」と心配してくれていたが、とてもそんな気にはなれなかった。
 そんな生活を続けていると、消化器系が異常をきたし、隠れて吐くこともあった。
 勝手に自らを追い詰めていたが、生きるために演じることは止めなかった。
 一年も経つと、演じる自分に慣れ始め、王都の客人に気に入られるようになった。
 ユーステリア一家は商人の家系らしく、時折王都から商談をしに客人が来訪する。リーレニカはお茶汲みを進んでするような子供だったので、客間の席につくことを許されるまでになっていた。
 とにかく、村人の冷めた視線が恐ろしくて、気に入られることだけに従事した結果だった。
 リーレニカはあまりこの商人が好きではなかった。
 じろじろと人の胸や顔を品定めするように見ては、自分と同じように気に入られるための作り笑いをする。ユーステリア家で過ごす中で、この商談の時間が苦痛だった。

「そろそろリーレニカも王都を見てみないか?」

 高そうな衣服を着た商人の男が、何度目かの来訪で提案した。
 王都。
 この集落までは馬車でも半月はかかる。興味はあるが、この商人と一緒に半月も旅をするのは御免だった。
 加えて義父母は顔を見合わせて困惑したような態度だったから、リーレニカも丁重にお断りした。
 やけに食い下がる商人だったが、今まで良くしてくれていた義父母から離れるつもりはなかった。

 そこから三日ほど過ぎた朝。
 冷たい石畳の上で目覚めると、見知らぬ男が数名いた。

「え?」

 日の光も届かない部屋。布切れの布団。通路とここを隔てる鉄格子。
 急なことで、十三の娘の頭ではすぐに理解が追いつかなかった。
 薄汚い革製の鎧に刃こぼれした刀剣。周りでは子供のすすり泣く声。
 自分の手足に繋がれた、鎖の長い枷。

 リーレニカは人攫いにあったのだ。

  ◇

 リーレニカは幼いながらに落ち着いていた。
 突然の出来事で混乱するものだが、この一年気が張りつめることが多く、精神的には成熟していたのだと思う。
 とはいえ村の義父母が心配だった。
 人攫いにあったということは、
 村の中でも自分を引き取ってくれた人たちだ。
 逃げる手段を鉄格子の内側で観察していたが、到底子供でどうにかすることはできない。だから売られるタイミングを見計らい逃げ出そうと漠然と考えていた。
 その落ち着きっぷりを買われたのか、人攫いの男たちはリーレニカを高値で売れるだろうと値踏みをし、この数日は特段乱暴はされなかった。
 ある日の夜だった。
 いつもの男達の酒に焼けた笑い声と子どものすすり泣く声ばかりのアジトに、襲撃があったのだ。
 その襲撃者はたった一人の男だった。
 全身を包帯で巻いた黒衣の男は、子供の悲鳴に構わず人攫いの男達をいとも容易く制圧してみせた。
 後に彼は、奴隷解放団体の構成員なのだと説明した。子どもたちを解放した後は外に控える運び屋を使って安全な場所へ送り返し、それぞれの家族や、身寄りのない子供のための孤児院へ送るらしい。
 ただし、リーレニカだけは包帯の男に預けられることになった。

「わたし、村に帰らないと」
「村の心配をしているのか?」

 そういう訳では無いが、口実がないと家に返してくれないような気がして頷いた。

「村は大丈夫だろう。服が乱れていないのが良い証拠だ」
「うん? ……うん」
「やけに身奇麗だが、どこから来た?」

 その男はロウエンと名乗った。
 胸に小さな蝶の宝石を提げた男だった。


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「ここは」
 リーレニカが目覚めた時、灰色一色の風景以外、周囲には何も無かった。
 黒い津波に呑まれ、ここにたどり着くまでの記憶がない。
 陽の光もなく、大地や草木もない。ここがリーレニカの知らない異空間であることは容易に理解できた。
 ――知らない?
 否。知っている。
 精神世界。
 スタクの時と同じだ。機人化後の意識の深層で、誰もが持ち得る心象風景。それがこの世界の正体だ。
 だからわかる。
 あの時心を失って、何もかもを捨て去った自分には。
 この心象風景に何も残っていなかったのだということくらい。
 だけどどうしてだろう。
 懐かしい感じがする。
「|ロ《・》|ウ《・》|エ《・》|ン《・》」
 自分でつぶやいて目を見開いた。
 ――そうだ。
 二年前、月の谷でフランジェリエッタと初めてあった時、つい気を許して話していたことだ。
『包帯で体を隠した男』
『なぞなぞみたい』
 組織に入った理由。
 〝あの人〟をずっと捜していたんだ。
 〝あの人〟――組織のエージェント。ベルロッサ。
 どうしてずっと忘れていた。
 人に縋ることが無かったリーレニカが、心の支えにしてきた目的。
 恩人のベルロッサを見つけ出し、この世から機人を滅する。
 そのためだけにここまで戦い続けてきた。
 ここに――彼の気配を感じる。
「――ロウエン!」
 名を叫んでも虚しく反響するだけ。
 そう思っていた矢先、リーレニカの精神世界に変化が生じた。
 灰色の世界が、夕日色の塗料を流し込まれるように塗り替えられていく。すぐに懐かしい景色へ切り替わった。
 シュテインリッヒ国とは程遠い、アナログな文化で生活する集落。
 自分の生まれ故郷。
 目の前に自分の家がある。
「お……かあ、さん」
 扉から出てきた女性は、リーレニカとは似ても似つかない黒髪の女性だった。
 こちらに近づいて来る。顔が引き攣り思わず目を背けると、彼女はリーレニカの体を幽霊のように通り抜けた。
「……はッ、……は」
 荒くなる呼吸を抑える。
 落ち着け。ここは精神世界だ。この人が自分に干渉することはありえない。
 混乱した頭を落ち着かせ、状況を整理すると、先ほどエリザヴェーテの生み出した黒い津波の正体を理解した。
 これは夜狐が使ったような記憶を掘り起こすデバイスと原理が似ている。
 エリザヴェーテの目的は、黒い津波を利用して人々のマシーナを汚染すること。
 この最悪な記憶――トラウマで自殺する者が、彼女にとって不要な弱者ということだ。
     ****
 リーレニカが十二の頃、本当の両親はこの世を去っていた。
 集落は割と村人の仲が良く、助け合って生きる風習がある。実際、化け物の蔓延るあの時代は人間が手を取り合い助け合わなければ、到底生きてはいけなかった。
 その環境下で、リーレニカの家族は迫害を受けていた。
 狩りをするにも、作物を育てるにも最低限機人を退けるコミュニティが要る。
 集落にはその環境が整っていたが、子供であるリーレニカも含め、一家は集落の外れに追いやられていた。まだ別のどこかに追い出されないだけマシだったが。
 そんな厳しい環境も重なり、両親はあっという間に衰弱死した。
 つまり、機人になる前に自殺したのだ。
「この子はうちで引き取る」
 そう言ったのは、迫害された一家に対して唯一優しくしてくれたユーステリア家だった。
 その一家は子供に恵まれない身体だったらしく、迫害の対象であるリーレニカであっても関係なく愛してくれた。
 そもそも迫害される理由も理解していないリーレニカは、村から三時間も歩く家まで顔を出しては、新鮮な野菜を分け与えてくれる黒髪の彼女が聖人に見えた。
「今日から私のことはママって呼んでくれていいからね」
 本当の両親が死んだ後、自分を抱きしめてそう言ってくれた彼女にリーレニカは泣いてしがみついた。顔見知りとはいえ、ママは流石に恥ずかしくてお義母さんと呼んだ。
 そこからひと月は居心地が悪かった。
 行儀良くしないと捨てられるのではないかとか、気を遣えない子は見限られるのではだとか、とにかく気が張り詰める毎日だった。
 別にユーステリア一家が厳しかったわけじゃない。単純に、この一家からも見捨てられれば生きていくことは絶望的だと思っていた。
 毎朝、自分の家とは違う天井を見て「両親が死んだ」現実を思い出しては泣き。
 毎晩、本当の両親を思い出しては自室のベッドで声を殺して泣いた。
 それでもユーステリア一家の前では、貴族の真似事をするように立ち居振る舞いに全神経を集中させ、家事でやることはないか必死に探した。それこそ、家政婦を演じるように。
 義父母の前では笑顔を絶やさず、自分ではない何者かを常に演じ続けた。彼女たちもそんなリーレニカに「気をつかわなくていいんだよ」と心配してくれていたが、とてもそんな気にはなれなかった。
 そんな生活を続けていると、消化器系が異常をきたし、隠れて吐くこともあった。
 勝手に自らを追い詰めていたが、生きるために演じることは止めなかった。
 一年も経つと、演じる自分に慣れ始め、王都の客人に気に入られるようになった。
 ユーステリア一家は商人の家系らしく、時折王都から商談をしに客人が来訪する。リーレニカはお茶汲みを進んでするような子供だったので、客間の席につくことを許されるまでになっていた。
 とにかく、村人の冷めた視線が恐ろしくて、気に入られることだけに従事した結果だった。
 リーレニカはあまりこの商人が好きではなかった。
 じろじろと人の胸や顔を品定めするように見ては、自分と同じように気に入られるための作り笑いをする。ユーステリア家で過ごす中で、この商談の時間が苦痛だった。
「そろそろリーレニカも王都を見てみないか?」
 高そうな衣服を着た商人の男が、何度目かの来訪で提案した。
 王都。
 この集落までは馬車でも半月はかかる。興味はあるが、この商人と一緒に半月も旅をするのは御免だった。
 加えて義父母は顔を見合わせて困惑したような態度だったから、リーレニカも丁重にお断りした。
 やけに食い下がる商人だったが、今まで良くしてくれていた義父母から離れるつもりはなかった。
 そこから三日ほど過ぎた朝。
 冷たい石畳の上で目覚めると、見知らぬ男が数名いた。
「え?」
 日の光も届かない部屋。布切れの布団。通路とここを隔てる鉄格子。
 急なことで、十三の娘の頭ではすぐに理解が追いつかなかった。
 薄汚い革製の鎧に刃こぼれした刀剣。周りでは子供のすすり泣く声。
 自分の手足に繋がれた、鎖の長い枷。
 リーレニカは人攫いにあったのだ。
  ◇
 リーレニカは幼いながらに落ち着いていた。
 突然の出来事で混乱するものだが、この一年気が張りつめることが多く、精神的には成熟していたのだと思う。
 とはいえ村の義父母が心配だった。
 人攫いにあったということは、
 村の中でも自分を引き取ってくれた人たちだ。
 逃げる手段を鉄格子の内側で観察していたが、到底子供でどうにかすることはできない。だから売られるタイミングを見計らい逃げ出そうと漠然と考えていた。
 その落ち着きっぷりを買われたのか、人攫いの男たちはリーレニカを高値で売れるだろうと値踏みをし、この数日は特段乱暴はされなかった。
 ある日の夜だった。
 いつもの男達の酒に焼けた笑い声と子どものすすり泣く声ばかりのアジトに、襲撃があったのだ。
 その襲撃者はたった一人の男だった。
 全身を包帯で巻いた黒衣の男は、子供の悲鳴に構わず人攫いの男達をいとも容易く制圧してみせた。
 後に彼は、奴隷解放団体の構成員なのだと説明した。子どもたちを解放した後は外に控える運び屋を使って安全な場所へ送り返し、それぞれの家族や、身寄りのない子供のための孤児院へ送るらしい。
 ただし、リーレニカだけは包帯の男に預けられることになった。
「わたし、村に帰らないと」
「村の心配をしているのか?」
 そういう訳では無いが、口実がないと家に返してくれないような気がして頷いた。
「村は大丈夫だろう。服が乱れていないのが良い証拠だ」
「うん? ……うん」
「やけに身奇麗だが、どこから来た?」
 その男はロウエンと名乗った。
 胸に小さな蝶の宝石を提げた男だった。