赤城という王族に仕える有力な一級貴族の一族がある。
赤城一族はいつでも優しい温厚な人格だが一度怒らせると尋常じゃなく恐いと言われる。
執念深くも愛らしい一族で、と人々の畏怖を買っていることもある。
彼ら、赤城家の者は深紅より深い赤色の瞳と髪で肌が一際白いという特徴ももつことから、 朱一族という別名も持っている。
璃美の容姿は赤城一族そのものだった。けれど、気性があまりにも違う。 璃美は大人しい、赤城一族の様な静かな炎とは違い、激しく燃え盛り、最高潮に達した瞬間に消えてなくなってしまいそうな危うさがある。
「私はこの髪と瞳が大嫌い」
ある時、面と向かって、髪を引っ張りながら言ったこの言葉が衝撃的だった。そして、赤城家の人間だったら勘当されかねない言葉だな、とその時思ったのことを緋樹は覚えている。
沢山の寮室の前を歩いた時に一際派手なドアがあるのを覚えている。 それは自分がしたとは思えない落書きの応酬で酷いとさえ思えるものだった。今もドアの状態は変わらないが、その当時の緋樹は興味で立ち止まった。
「山岡璃美、ね……」
ネームプレートの名前を思わず呟く。 その見たネームプレートにも「売女」だの「死ね」だの相手にするのも、面倒そうな言葉たちが書かれている。 消すのも、面倒のだろうか、と緋樹はふと思ったが深く気にもせずに教室へと立ち止まった足を進めた。
山岡璃美は同じクラスだったらしい。
自分自身、周りを気にするタイプではなかったが、転校生を見落とすほど、 適当になっていたことにちょっとしたショックを覚えて、頭をかかえる。
けれど、その山岡璃美は教室には来ず、そのままホームルームが始まり、滞りなく授業が始まった。
山岡璃美は居ないのに、 欠席はなしとされていて、緋樹には意味が分からなかった。
けれど、そんなことの真相はすぐ分かる。
頬杖をついて先生の話を聞いていると、一人の長い紅い髪の女が凛とした姿で堂々とクラスの中に入ってきた。
慎ましさの欠片が無い派手な入り方で、人の目が赤の方にいくが、周りのやつ等はすぐに目をそらす。
緋樹は赤城家の人間かと目で少し追う。 赤城の分家には山岡という姓は無かったので、もしかしたらと思ったがちょっとした間に
抹消された。
そして、誰も居ない後ろの席に着く。
「山岡さん。遅刻ですよ」
男性教師が声を張り上げていった。
ああ、あの部屋の主か、 と排樹は納得した。
しかし、山岡という聴いたこともない姓ということが抹消されたところから引き上げられたことによって消化不良物としてもやもやしている。
山岡璃美は男性教師の言葉を無視して、一度あくびを漏らし、ノートを何冊か出して、書き始める。
「話を聞け!」
男性教師は山岡に近づいていく。
それと共に戦室内がざわめきだした。
耳が痛い会話を今でも緋樹は覚えている。
それで緋樹のなかで、全てが繋がったことも確かな事実だ。
簡単なことほど忘れてしまうものだからだ。
あの子、元人間らしいよ。
ええ? 赤城様の方かとおもったに?
そう、私も最初はそう思ってたんだけど。 私たちのことが消したいから、私たちと同族になったとか。
それって……汚らわしいわね。
根も葉も無い噂は興味本意から広がる。 クラス中の会話はそのことで持ちきりだ。 元人間という言葉は奴隷と同じ意味を成す場合が多い。
吸血鬼が人間を奴隷として使うために吸血鬼にする場合も時折あるからだ。
元人間、それで赤城のように成るといったら、一つしかない。 緋樹の中ですぐに結論は出た。
気付けば、男性教師の説教が始まっていた。 緋樹はこの男性教師の怒鳴り声は聞いたことが無いので初めてだろう。
山岡璃美は気にしない様子でシャーペンをノートにすべらせて、何かを書き続けている。
男性教師はその態度が気に食わなかったらしくノートを取り上げた。
何だこれはという声の音源は目した男性教師。
そのノートの内容は今でも璃美は話さない。
山岡璃美は男性教師からノートを奪い返すと、また何かを書く、書く、書く。男性教師は恐怖するような顔をしてから、戻っていき授業を再開した。
興味がわいた。
何もせず、何も気にせず、そして何よりも赤城一族の容貌をしているということが緋樹の好奇心を掻き立てた。
緋樹自身、王子という身分で色々させられてきたが人間を吸血鬼に変えたことは無い。
璃美は確実に血の交換によって作られた吸血鬼だ。
血の交換というのは、吸血鬼が人間に血を与え、その血と同量の血を提供した人間からもらうという方法からされている。
その吸血鬼は与えた血の分力と寿命をなくし、人間は与えられた血の分、力と寿命をもらうということになるので、貴族階級以上の吸血鬼は好まない方法である。
吸血鬼の王子であるが血を薄める行為などすることは許されるはずもなく、緋樹はした事が無かった。
王の血が途絶えてしまうと多くの重臣達が懸念するからである。
授業後、緋樹は廊下に出ていた山岡璃美を呼び止めた。廊下に居た多くの生徒と教師が、目を見開いて、緋樹に声をかける。
皆言うことは同じだ。
「緋樹様、危険です」
いざとなれば、絶対服従という王族が使える力 を使えばいい。
緋樹はそう思っていたので、何も危険なことなんて無いと思っていた。
だから、周りに馬鹿らしいと思いながらも、笑って言う。
「俺がすることに文句をつける気?」
機嫌取りが何もできる筈が無い。
死んだら学校の恥だから嫌なんだろ、と強気に思ったとおり、彼らは蜘蛛の子が散るように去っていった。
けれど、ある一定の距離で止まり、こちらを見ている。なれたことだが迷惑な話だと緋樹は思う。
「山岡璃美だよな」
いつまでも、自分の方を向いて猫も被らず、真直ぐと見つめていた山岡璃美にもう一度声をかける。
「私なんかに何の用ですか。 王子様」
凄く軽蔑混じりな目とその声は緋樹を軽視する貴族のそれより純粋な敵意で出来ていた。
だから、緋樹は確信こそ無いが山岡璃美という人間が吸血鬼を惨殺すると言う理由で吸血鬼になった訳ではない気がしたが、口からは言葉が滑り出してくる。
「俺らが嫌いなくせに血の分割してもらったって噂は本当なのか?」
山岡璃美は怪訝な顔をして、 緋樹を見る。
王子を王子として見ているようだが、とうとう頭逝ったかコイツくらいに思ってそうだ。
言ってもないことを、何を聴こえても無いことを、何という事だろう。
緋樹は目に見えて感情垂れ流しな璃美を見ながら精神的に遠くを見たくなったが王子によくそんなこと思える事態が璃美の稀有なところであろう。
「俺等を消すために消すために吸血鬼になったって話」
「知らない。 嫌いですらないし」
「にしては噛み付くな」
山岡璃美は、めんどくさそうにため息をつくと、斜め下を向いて、廊下の床を見る。
少しずつ視線を上げて、最後には眉間にしわを寄せた山岡璃美が排樹を睨む。
「貴族が嫌いなの」
「権力を行使したり、人間を勝手に吸血鬼に変えたり・・・」
「人間を道具としか思っていない、あいつらが大嫌いなの」
まぁ、吸血鬼を下に見てる人間もいるから、それも嫌いだけどね。と吐き出すように言った。
「噂?」
吸血鬼に成りたくて成ったのではなくてされたのか、緋樹は頭を掻いて、その真相に気付いたこの状況をどうするかを悩んだ。 けれど、確かなことを言うのなら、貴族だけではない。
「別に、貴族じゃなくてもそういう風にするやつはいるよ」
「そう…けど、だからこそ私は、この髪が大嫌い。 目も抉りたいほど大嫌い」
長い髪を引っ張る山岡璃美は今にも泣きそうな自嘲をして危うく見えた。痛々しい傷が目の端に移る。
何もいえなくて、やけに長すぎる髪を見て、一言。
「嫌いなわりに長いな」
「意味なんて無いよ。 長い方がまとめられて楽でしょ?」
山岡璃美は単純明快な考え方とそれに反する矛盾を抱えている人間で分かりやすくて面白いと思った。
実際、今も話していて楽だ。
気付けば今のような関係に成っていた。 異色同士でウマが合ったが最初の内は教師や周りの人たちが引き剥がそうとしたりもしていた。
それに気付かない璃美はある意味最強だ、とその一連の時に緋樹は実感した。
璃美は学校の中で緋樹について一番知っているといっても良いほど、仲が良い。
回想に耽っていた緋樹は、実に感傷的だった。
命の危機にさらされると人はこれほど感傷的になってしまうのかと寮のベッドに座りながら思う。
まともな友達の存在というのが、美しかいないというのも問題の一因だろう。 まるで恋焦がれているような回想をしてしまっている。
璃美は見てきた女性の中では飛びぬけて綺麗だが、コレといって何も感じたことは無い。
そこには対等な友達という立場しかなく、それが互いに心地よいと思っているのだ。
友達として、 璃美に思う何かがあるとすれば、血を飲めということだ。 吸血鬼は血なしでは生きていけない。 それは理性を保つ為でもある。 元人間というハンデを背負って吸血衝動を5年も保っていることは凄いことだ。 そうとう吸血鬼としても人間としても璃美が強い証である。
「姫か……」
呟きは天上に吸い込まれて消える。
自分が殺されるまでのリミットは1ヶ月あるかないかといった程度。
王は思い病にかかっていて、余命宣告されていることも緋樹は知っているが、王はそもそも、自分勝手をした人だったので、個人的に何かしらの思いは無いが、父が死ぬのだからやはり痛んでいる気持ちはある。
ただ、何を思っていいのか分からないもどかしいこの気持ちを持て余すだを見つけられず、殺される時は王の重臣の人間に血を分け与えなくてはならない。
緋樹はそれだけは絶対いやだった。
だから、見つけなければならない、姫を。
緋樹は立ちあがる姫を見つける方法の最有力なのは、自分の血を撒くこと。 王族の血は、飲んだことのある人と、姫以外は反応できないようになっている。 血の匂いだと分からないのだ。
姫は蜜に寄せられる虫方式で血に寄せられ、吸血鬼の生臭さが無いのが分かるのですぐ見つかるのだ。
土曜日の夜は三日月が綺麗な夜だった。静かで綺麗な黄金色の月だった。寮をでて、 学校の敷地を出たのは1時。
車の通行が少なく、辺りも静かだった。
血を撒くのはいいが、血痕が残るのはとても問題になるので、砂場まで行き、そこで持ってきていたナイフで手首を切った。
血はバタバタと地面をどんどん濡らしていく。
自然治癒力ですぐに傷が消える。 緋樹はそれをみると、砂場の濡れた箇所を踏みにじり、ならしていく。
服のポケットからハンカチを取り出し、手首についた血を拭き、ナイフを包んで、また、服の中に入れる。
すると、この公園近くから声が聴こえた。緋樹はびくりと肩を震わせて、声に耳を傾ける。
男の声。二人。
「懐かしい匂いですね」
「まぁ、そうだね」
緋樹は公園を横切ろうとしている二人の人物にガクリと肩を落とした。 姫ではなく吸血鬼だ。
特有の生臭さがあるからだ。 よかったと思っているか思ってないかといえば、 緋樹は思ってしまった。
緋樹は本当に男色趣味が無いからである。
腕時計はゆっくりと動いていく。 緋樹が見ると時計は三時を指していた。 これ以上待っていても意味が無いと思い、その場から離れていった。
璃美はベッドの中で小さくなっていた。
喧せ返る甘い香りが自分を呼んでいるような気がした。
✳︎
---ガ欲シイ。
喉が渇いて苦しい。
嫌だ。嫌嫌嫌嫌!
仕舞には発狂してしまいそうなほど苦しくなり、シーツを強く握り締めた。
始めのころは水が飲みたいのだと思ってずっと水ばかり飲んでいたが、この感情の正体は時間とともに明らかになった。
私は吸血鬼じゃない。
認めたくない。という意味のこの言葉は精神安定剤になっていた。
……そうだ、と話そう。
まだ起きてるだろ。
これが璃美の失態だった。
だが、彼女が通るべき運命だったともいえよう。
璃美は気をまぎらそう、携帯を取り出して、連絡を取る。4時に。
人間の女子だったとすれば、非常識この上ないが、吸血鬼であるところの連絡を取るのだから問題は無いだろう。
「起きてるか?」
とともに明らかになった。
ブツリと繋がった先の相手にいう。
少々睡魔に打たれる時間帯のようだが、 起きているらしい。
「一夜くらい徹夜しても、アンタ、大丈夫よね。アンタの部屋行くから、有無を言わずにあけろ。」
分かったと言わせるまでの格闘が有ったが、その勝負には頭が覚醒しているぶん、璃美が上手となり、勝てた。
璃美は着替えて、緋樹の部屋へと向かう。そこで、失態に気付いた。
甘い匂いが強くなっていく。
「おーい。 あけろ!」
甘い匂いに飲まれそうでトーンを上げる。同時にドアをトントントントン・・・とノックし続ける。
近隣の何物でもない音である。ドアを開けようとしない緋樹は居留守を使っているらしいが、部屋の前に入る美は立ち往生しているわけにも行かず、ノンストップでノックを続ける。
「ウルセェ」
ドアを開けた樹は眉間にしわを寄せる。
「『開けねぇから』じゃないの?アンタの論法的に」
「まあな」
「歯切れが悪いね。入るよ」
部屋に入ると甘い匂いが狂いそうなほど充満して、くらくらした。
目が虚ろになっていないかが心配で、 緋樹の顔を見ないでズカズカと寮室内に入る。
「ねぇ、 エロ本とか持ってる?」
「持ってない」
小綺麗な自分と同じ間取りの部屋は、やはり気が狂いそうなほど甘かった。
涙目になりながら、正気を保つ。
緋樹は気付いてないだろう。
「つまらないな」
舌打ちをして、使っていないほうのベッドに座る。
すると、緋樹が隣に座り、髪をがっしりと掴んで、自分の方に向かせた。
頭皮がヒリヒリする。
「何で泣いてんの?」
一筋だけ流れた涙をみて緋樹は言った。
別に意味なんて無い。自分でだって分からない。
ただ、甘い。
それか、頭皮の痛みだ。
「甘い匂いがする」
「……」
実直に答えると緋樹は黙ってしまい、机においていた、ナイフを持ち出してきて、自分の手を切った。
璃美は驚愕のあまり声が出なかった。 何をしでかすんだ、コイツは。
「俺の血の匂いだと思う」
「血? お姫様くらいしか分からないって言う、アレ?」
「そう。お前、王族の血飲んだことあるのか?」
緋樹は不思議そうにたずねる。
「ないわよ、だって人間だも......」
頭にガツンと石を当てられた気分だ。
緋樹と居れば紛らわせると思った発作が、強くなって、息をするのも苦しい。
苦しさのあまり胸の中心を掴んで動機が収まるように必死に呼吸しようとするも、息はきちんと入っていってくれない。
ヒューヒュー、 息にならない息をする。
そんな中、 緋樹は言った。
「飲め。 限界なんだよ。 仕舞には理性をなくすぞ」
もしそうだとしても認めない。美は差し出した血が滴る腕を理性で跳ね除けた。
バシンという軽い音が室内に響く。
変な汗が出る。
目が回る。
けれど、頭は持っていかれるわけには行かなかった。
私は人間だ。
血を飲むなんて認められない。
「要らない! 私は人なの! 血なんて要らない!」
それは駄々をこねる子供のように涙を流しながら、拒否をする。
だが、緋樹は暴れる璃美を壁に押し付けて、自分の血が流れている腕をこじ開けた口に含ませた。
噛んだら、また血が出てくる。
だから、この状態で我慢するしかない。 璃美の本能が理性を傾かせ、本能が顔を出した。
璃美は大きく目を見開いて、小さく声を出していやだと言うが、腕が口に突きつけられている。
腕が口に突きつけられている為にきちんとした言葉にならなかった。
ヤバイ。
そう思ったときには遅かった。 自分の意思とは関係ない。
腕を自分から手を取って、血を掬うように嘗めとる。 子猫がミルクを飲むような可愛らしいものではなく、欲望丸出しの吸血鬼らしい暮め方だが、涙を流しながら飲むその様はとても守りたいという保護欲を刺激するものだっただろう。
璃美にとって起こっている事、全ては心とは裏腹な出来事だった。 幼子が好物を食べるように飲んでも要るのに、涙は止まらない。
どんなに嫌がっても抗えない壁が大きく璃美の前にある。
それを突きつけたのは、一番信頼していた親友。
壁が現実にあることを強制的に教えられた。
璃美の体と頭へ明確に叩き付けた。
どんなに喜ぶように飲んでいようと、嫌という言葉しか頭の中には浮かばない。
少しずつ、排樹の手首からは血が止まっていく。 緋樹は血が止まると、腕を引き抜いた。
まだ。
本能としか呼べない言葉が要ることがショックで、涙が出る。 枯れてもいいほどの涙が、次々に流れていく。
けれど、理性では何も言葉は思いつけないくて、美は黙ったまま、緋樹を見上
げた。
何でこんなことしたの。そんな中、一瞬頭によぎった言葉。
罵倒、質問
何でもしたかった。けれど、理由なんて分かりきっている。
それに、言葉がまとまらない。
頭の中を流れている、この全ての音が、言葉が、 何ていっているのか自分には理解できない量だった。
じっと放心状態の璃美は緋樹を見続けていると、緋樹はため息をつき、床に膝を着く。 璃美が少しかがめばすぐそこに首があるような状態で立て膝を突いているのだ。
璃美は動揺した。
緋樹は何をしているのだろう。けれど、5年我慢し続けた本能が分かっていた。
本能が、もっと、もっと、と叫んでいる。 血を、望んでいる。
理性は勝てなかった。5年我慢し続けた理性が、負けた。
「死なない程度にしてくれよ。 お前は容赦ないからな」
綺麗な顔をして緋樹はクスリと笑って言う。
腹が立ったがゴメン、その言葉しか璃美には浮かばない。
璃美は緋樹の首に両腕で抱きつくように絡みつけ、首元に顔を埋めた。
赤い髪がサラサラと首に当たる。
鈍い音と共に牙が刺さった。
甘い血が口いっぱいに入ってきて、喉を沢山通っていく。
おいしい。
そう思う本能が気持ち悪い。 何度も何度も口に含む。
体中の飲み干してしまいたいという願望さえある。
璃美は最後の理性を振り絞って、口を離した。 緋樹は璃美の頭をなでる。
「泣くなよ」
「この馬鹿野郎」
お前の所為だ、この期に及んでそんなことはいえなかった。どうしてしたかも分かる。
どうして強行したかも分かる。
けれど、泣いている自分がどうしても分からない。
何か一つでも文句を付ける所なんて無いことは、認めなくてはいけない事実として存在する。
顔をして腕をはずし、膝の上に拳を作った。
「私…… 吸血鬼じゃないのに」
俯いた真下にあるジーンズの青色が水滴によって濃くなる。 緋樹は立ち上がって、ナイフを包んでいたハンカチで零れた血を拭く。
その血で多少濡れたハンカチを璃美に渡す。
「顔に血ついてる」
ああ、無視か。 そうだろうよ、アンタはそういう人間だ。どんなに悩んでも貶しあう仲。 それが良いとか悪いとかはその時によりけり、璃美は青務をビシッと浮かべて、目のまま、ハンカチを受け取る。
「この鬼畜っ!」
ハンカチの綺麗な面で先に涙を拭いて、血を拭いた。ちょっとした嫌がらせだが、緋樹は気にしない様子で見ている。ビチョビチョになったハンカチを排樹に渡す。
「珍しく、やる事が普通」
「友達の涙見て笑うなんてサイテー」
緋樹は笑って受け取ってゴミ箱に平然と捨てる。あれだけ血まみれなら取れないだろうという決断なのだろうが、あのハンカチは高級品だった。
ハンカチで拭いたのに止まらない涙をそのままにした。
「今さ、俺、誰かさんの所為で貧血だから貧血治った誰かさんから血をもらっていいなら、どっかの漫画みたいに抱きしめてなでてやるよ」
OKしないって分かってるくせに。 璃見は奥歯をかみ締めた。
涙は止まらない。
時々鳴の混ざってついに話せなくなった。
脳みその中をミキサーでかき混ぜたみたいに考えも今の心情も混ざりすぎていて言葉に出来ない。
緋樹は璃美の隣に座って、足を組んだ。
何もせずに、璃美をジッと見る。その行為は璃美に「諦めろ」 そう言い聞かせているような気がして、とても悲しくなった。
私は違うのに、要らないのに。否定しても要する体。
緋樹は情緒不安定な璃美が泣き止むまで隣に座って起きていた。つまらないと思えるほどの長い時間を緋樹は一人の友達として起きていた。
ゆっくりと涙は止まっていく。 涙の前に鳴咽が止んだ。そのお陰で呼吸が一気に楽になる。ぴたりと止んだ涙を拭くと、泣いたことによって熱をもった顔赤みは取れないが、涙は完全に引っこんだ。
「ゴメン」
まだ少し震える声で横を向いて言う。
「別に。血なら貰えるだけ誉れ高いぜ」
「いや、ハンカチ」
ゴミ箱を指差して璃美は心と少々裏腹なことをわざと言う。
「腐るほどあるから気にすんな」
「あのさ、眠い」
「ああ、ゴメン。 今すぐココから出るから」
璃美が立ち上がろうとすると、腕を引かれた。
「今出たら色々疑われるからコレで寝ろ。俺はそっちで寝る」
毛布も掛け布団もシーツも枕もないただのベッドで寝ろと排樹は言う。
璃美はコイツ、眠くて判断鈍ってんなぁと思うも、自分が押し入った過程や、色々してもらった恩義もあるので、黙って承知した。
緋樹はベッドの毛布を被って寝る。璃美はそのまま天上を向いた。 眠りは璃美を導いて、今までにない深い眠りに落ちた。
けれども、眠りに入る前にやはり思った。
いいのか、コレ。
帰っても恐い気がしたので、気にするのはやめようと決め込んで、午前十一時、二人は寝入ったのだった。
「璃美、起きろ。 月曜だ、朝だ、つーよりも、夕方だ」
大音量の声は鼓膜が破れる程、耳に響く。 璃美は音に叩かれるように起こされて、不機嫌なまま、目の前にいる人物を睨んだ。
「煩い」
「低血圧、起きろ。 寝不足してた付けが回ってるぞ」
目の前にいる人物はもちろん、 緋樹である。 しかもあの時来ていた私服ではなく、制服のところを見ると、午後なのだろう。
頭の血がさーっと引く。
「もしかして、寝不足解消しちゃってたりするの?」
「するな」
一日グッスリだ。 と時計を指す。
「ちょっと待って、制服着る時間は、風呂はいる時間はある?」
「…後、一時間半」
「ギリギリ大丈夫」
璃美はいつの間にか被っていた毛布をなげすてて、 立ち上がり、 緋樹の寮室を出る。
疑われるだのって言っていたが、この時間は何も疑われないのだろうかと、自分の寮までの廊下を走りながら璃美は思った。