第一話
ー/ー「隊長、皆配置に着いたそうです」
風の精霊が運んでくる言葉を拾うため、聴覚を研ぎ澄ます。
少女のほんの少しだけ長くて尖った耳朶がぴくぴくと動く。
「あの、隊長?」
「もう少し霧を深くしろと伝えろ」
簡単に言うなぁ。
広域に霧を発生させる術は結構難易度が高いのに…
「早くしろ糸伝話」
ぴき。
「あたし、糸伝話じゃなくて、エリィです!」
風の精霊がその言葉を各隊に飛ばすと、隊の緊張がほどよく解けることを、エリィだけが知らなかった。
◇◇◇
山の秋の訪れは早い、吐いた息は白く、火薬の匂いと山の冷気が混ざって鼻をつく。
「ふ、くあぁ……」
少年の面影を残す青年兵が、分隊長に見つかったら拳骨の雨を食らうあくびをなんとか噛み殺し、背伸びをして眠気を誤魔化す。
支給された銃剣付き小銃を肩に預け、物見やぐらに身体をもたれかける。
夜の物見なんていらないだろ……
この“ドワーフの火薬工房”は、帝国でも一握りしか知らぬ機密施設だ。北部の火山で採れた硫黄を使い、前線へ火薬を送り続けている――
だからこそ、外に出ることも許されず、娯楽といえば狩猟くらいのものだった。
猟師の息子である彼はそういう意味では部隊のエースであった。
だが、前線で活躍し得られる栄光も手柄に比べてそれはあまりにささやかだった。
「はぁ……。ヴィルヘルム将軍の元で戦働きしたかったなぁ……」
それは、つい独り言が口を突いたのか、あるいは密かな本音が洩れたのか。
名将ヴィルヘルム。
一介の戦災孤児から、帝国随一の知将と称されるに至った男。
彼の指揮する電撃戦部隊に配属されれば、手柄はすぐ目の前だ。
先だってここに集結した帝国軍山岳猟兵の精鋭達を自ら率い、秋が訪れようとする中央山脈を踏破し敵の後背を突く、前代未聞の作戦…
あれに参加できていれば名誉章だって夢じゃない。故郷へ凱旋すれば──
「親方だって結婚の許可をくれるはずだ…」
脳裏をよぎったのは、故郷のあの娘。
屋根の修理を手伝ってくれた時、恥ずかしそうに笑った横顔が、未だに焼きついて離れない。
似ても似つかない、工房で働いてるドワーフと並んだって区別がつかない彼女の親父さんを説得できるかも
意中の娘との結婚、そして――
「……いや、いかんいかん」
思わず、血の気が下腹に集まっていくのを感じて青年は頭をふる。
女っ気といえばドワーフの女将さんばかりで、後は今日訪れた慰安隊――稀に上層部が手配する商売女たち――くらいなものだ。
しかし故郷の娘に操を立てる彼は彼女らの誘惑を常に振り切っていた。
「はぁ……手柄立てたかったなぁ」
いっそ、あの慰問隊に曲者でも忍び込んでいて?ここの秘密を探ろうとはしていないか?
そんな妄想が脳裏をよぎる、しかし現実は野生動物が食料庫を漁りに来るくらいだ。
猿や猪を追い払って昇進できるなら、軍隊は天国だろう。
去年の冬、穴持たずの灰色熊が襲ってきた時はさすがに肝を冷やしたが――
「ん?」
おかしい。
猟師の感が異常を訴える。フクロウの鳴き声が、渓谷を流れる水の音が――風の音が聞こえない!
「……ぐっ」
次の瞬間、彼の首に真っ黒な革紐が巻き付き、間髪入れずに締め上げる。
曲者!もがくよりも先に―訓練によって染み付いた行動―異常を知らせる銅鑼に銃床を打ち付ける。
しかし――
「(鳴らない!な、ん……で……)」
滑り落ちるように意識が暗闇へと沈んでいく。
死への恐怖と郷里のあの娘の笑顔を思い浮かべながら――
◇ ◇ ◇
脳への血流を遮断され、崩れ落ちた帝国兵を見下ろしながら、音なき侵入者は顔を覆う布をずらした。
フードの隙間から月光を受け、艶やかな銀髪がほのかに輝く。尖った耳、琥珀色の瞳は、夜闇のなかでも翳りなく光をたたえていた。
第三小隊隊長、ダークエルフの【ライラ】──“沈黙の刃”と恐れられたダークエルフの暗殺者団、その中でも手練れの一人。
指先に巻いた革紐が、少年の喉から静かに解かれていく。
(……手こずった)
内心で苦く息を吐く。故郷に想い人でもいるのだろうか。惚気を漏らす歩哨の警戒心をすり抜けるのに、予想以上に骨が折れた。
(沈黙の刃がナマクラになったものだ)
かつての自分なら、あくびを漏らしかけた時点で青年の命を刈り取っていただろう。
そう──殺すのならばすぐに制圧できる。だが、指揮官は言ったのだ。「そこまでしなくて良い」と。
この作戦では極力殺しは避けろ──甘っちょろい命令。
あの男、王都を追われた兵站参謀、アルベルト・クラウゼの。
己の過去を知ったうえで、それでも変わろうとする者を手駒として使うのか。
それとも──本当に信じているのか。自分たちの「変化」を。
忸怩たる思いを奥底に沈め、ライラはそっと右手を掲げる。
張り詰めていた空気が、ふわりと弛緩した。
風の精霊シルフが音の伝達を遮断する“沈黙の結界”が解かれたのだ。
エルフ、あるいはその血に連なる者が行使する、精霊魔法。
解放した風の精霊に別の命令を与える。
「……排除完了。三分遅れだすまない」
ささやくような小さな呟き。
峡谷の向こう、工房全体を見渡す崖を見据えれば、風の精霊がそこへと“言葉”を乗せて運ぶ。
空気を這う声が、数百mの距離を超えて状況を報告する。
◇ ◇ ◇
『了解した。想定の範囲内だ』
風越しの声が返ってくる。
妙に人を苛立たせる声音。しかし、なぜか頼もしさを感じさせる低音──
中隊長、アルベルト・クラウゼ。あるいはアルバート・クラウズ。
帝国の兵站の要を突くため、敵地深くへ潜入した王国軍山岳旅団「灰狼旅団」所属の補給中隊、通称「ヤマイヌ山賊団」の指揮官である。
『遅れは気にするな、こっちにちゃ便利な“糸伝話”がある。状況は全部把握ず――』
軽口めかしたその一言に、すぐさま「誰が“糸伝話”ですかーっ!」という怒声が重なる。
アルの副官、エルフの血を引く幼げな術士少女・エリィの可愛らしい癇癪が爆発した。
無慈悲な元暗殺者の頬が、わずかに緩む。
『隊長はそこでふんぞり返ってだけかもしれませんけど!私はずーっと魔法つかってるんですよー!』
こちらは随時、伝言を風に乗せるだけだが──受け手のエリィは、風の精霊との接続を保ち続けなければならない。
それを“糸伝話”呼ばわりされては、怒るのも無理はない。
「だってお前、それしか使えないだろう」
アルの返しに、エリィが息を飲む気配が伝わってくる。
このやり取りも──もう、何度目だったろうか。
「沈黙の結界を再展開する。緊急時以外は連絡しないでくれ……爆破部隊と無事合流したら連絡を入れる」
返答は、なかった。
ライラは、風の糸をそっと断った。
「動くぞ」
短距離の伝言を飛ばすと、木陰から待機していた小隊員たちが続々と姿を現した。
背にはロープの束やズタ袋、そして小さな荷車。
おおよそ正規の軍隊には見えない、山賊めいた部下たち。
錠前破りの得意な部下――どこで身につけたのやら――はあっさりと倉庫の鍵を開ける。
中には火気厳禁!の張り紙と大量の黒い粉――
帝国の火薬工房から、可能な限りの黒色火薬を奪取する──それが第三小隊の任務だった。
「火薬の搬出班は、優先ルート通って合流地点へ。警戒は二班体制。……三分遅れだ取り戻すぞ」
部下たちが動き出すのを見届け、ライラは再び一人、風へと意識を向けた。
集中。
空気に指先を重ね、音を削ぎ、気配を消す。
風の精霊が螺旋を描くように、周囲へと“静寂”を拡げていく。
完全に音を消すには精霊の力が散りすぎる。だが今夜は「慰問隊」のどんちゃん騒ぎと、その後の“お楽しみ”のせいで、工房の兵たちはほとんどベッドの中。
足許で眠っている坊やのような貧乏くじを引いたごく少数を除いて(皆ライラが気絶させたのだが)
その慰問隊は、本来の本文予定表には無かった。
それを見ないフリをし、鼻の下を伸ばして“サービス”を享受してしまった男達は知るよしもない。
慰問隊を差し向けたのがアルであることなど――
(まさかあの女の経歴が役に立つ日が来るとはな……)
あっという間に偽の慰問部隊を用意してきた(いまいちソリの合わない)元女間諜の笑顔が浮かぶ。
(男には下手な暗殺者より、ああいうのが効くな……)
雑念を振り払い、風の精霊達を呼び寄せ、使役する。
夜の底に、音が、深く、深く沈んでいった。
◇ ◇ ◇
「(寒いなぁ)」
岩陰に身を縮め、膝を抱えながら、エリィは今夜何度目かのため息をついた。
風の精霊との接続を保ったまま、耳を澄ます。
ライラ小隊の報告、爆破班の進捗、慰問部隊の状況確認――各所から届く声を束ね、隊長へと中継し続ける。
それが今夜の自分の仕事だった。
糸伝話。
隊長がそう呼ぶたびに腹が立つのだが、否定できないのが余計に悔しい。
風の精霊と契約しても、ほんの少しエルフの血が混ざってる程度だと、こうやって精霊に声を運ばせて受け取るのが精一杯。
ライラさんのように周囲を無音にしたり、ヴァネッサ姐さんみたいに空を飛んで偵察なんてできない。
糸電話。それしか能のない自分にできることといえば、確かにこれくらいだ。
視線の先、少し離れた岩の上に、隊長――アルベルトの背中がある。
何を考えているのか、いつもさっぱりわからない。
誰かに命令を出す時も、報告を聞く時も、あの背中は微動だにしない。
「 (この人、本当に何者なんだろう)」
補給中隊の隊長。
左遷された兵站将校。
王都を追われた男。
それ以外のことを、エリィはまだ何も知らなかった。
ただ、わかることが一つだけある。
今夜この作戦が成功するかどうか、この人はもう知っている。
最初からずっと、そういう顔をしている。
◇ ◇ ◇
エッホ、エッホ、エッホ──
闇夜の峡谷に、どこか楽しげな掛け声が響く。
肩に火薬樽を担ぎ、荷車を押し、山賊まがいの男たちが大峡谷にかかる鉄道橋のたもとへと続々と集結してくる。
統一感のないくたびれた革鎧に粗雑な布巻き。だがその動きに乱れはない。まるで働きアリの群れのようだった。
「そこだ、バランスに気をつけろ。おい、こっちは過重だ、減らせって言ってるだろうが!」
怒声とともに指示を飛ばすのは、一人の老ドワーフ。
何の因果か山賊中隊に身を寄せる元帝国の工兵。
彼の技術なくして、この爆破作戦は成り立たなかっただろう。
そして現場全体を“指揮”──いや、“支配”しているのは、別のダークエルフだった。
武器すら帯びず、露出した褐色の肌には精霊契約の文様が幾重にも刻まれている。
精霊魔法使い特有の厳格さを纏いながらも、鋭い眼光と銀のピアスが目を引く、姐御肌の女傑。
「姉御、見てくだせぇ! 帝国製の最新鋭大砲ですぜ! こいつも持ってっちまいましょうや!」
それに物怖じもせず陽気に声をかける若者──これでも第二小隊の小隊長だ。
「持ってけるか、バカたれ! こんなもん引きずって逃げられるなら、帝国様も苦労しねぇよ!」
無論、そんな代物が前線に届いては困る。
大砲は次々と谷底へと投げ捨てられていく。
「じゃ、じゃあ鉄砲は? 鉄砲くらいは……!」
「鉄砲ぐらいなら手土産にしな。弾と火薬がなきゃ、ただの鉄の棒だからね! 忘れんじゃないよ!」
「さすが姉御、話がわかる!」
「褒めても何も出ないよ!」
笑い声が上がるが、女の集中は微塵も揺るがない。
峡谷を取り巻く空気は、まるで湖の底のように重苦しかった。
彼女──ヴァネッサは、風の準上級精霊、 風竜を召喚し、現場に“静寂”の結界を展開している。
羽ばたくごとに広がる風は、峡谷全体を包み込み、外界への“音”を完璧に遮断していた。
この現場はまさに、“無音”の領域と化していた。
なんとはなしに自分が絞め落とした兵隊に毛布かけてやってから、工房を後にしたライラは最後の火薬搬送班とともに現場に到着する。
(……見事ね)
ただ音を消すだけではない。
内部では通常通りに声が届き、指示が飛び交っている。
繊細かつ精密な静寂結界──ライラには到底真似できぬ精霊魔法の高みだった。
(さすが、ヴァネッサ姐さん、伊達に何百年も生きてないわ)
小さく漏らした感嘆の吐息が届いたのか、ダークエルフの女指揮官──ヴァネッサは顔だけを向け、ニヤリと笑った。
「ライラ!感心してるヒマがあったら、手ェかしな! 橋の向こうまで声飛ばすの、手間なんだから!」
雷鳴のような一喝。
ライラは彼女の年の功について思いを馳せていたことは元暗殺者の鉄面皮で覆い隠すと妙にハキハキと返事をして応じる。
「なんだい、今日はやけにわかりがいいじゃないか……」
うろんな視線を向けるヴァネッサに背を向け、風の精霊を召喚し、即座に配置へ。
彼女の小隊が加わったことで作業は加速し、予定より五分早く、設置が完了した。
「姉御、全ライン設置完了しました!」
「橋の頑丈さの計算がちと怪しいから、気前よく盛ってやったぞ。問題なく吹っ飛ぶはずじゃ!ほれさっさと逃げるぞ、死にたくなければな!」
「じょ、冗談だろ、じいさん!」
「ドワーフは冗談は言わん!」
とんでもないことを言うドワーフに山賊たちは飛び上がる
「よし……じゃあ、やるかい」
ヴァネッサは顔を上げ、風へと語りかける。
「爆破準備、完了」
◇ ◇ ◇
各隊・各班からの報告が、糸伝話を通じてアルのもとへと続々と届いていた。
『こちら慰問部隊、全員避難準備完了よ』
『ヒャァ……お頭ぁ、まだか? もう我慢の限界だぜぇ』
『峡谷反対側の設置班、撤収完了。これより隊長の護衛に向かいます』
「襲撃班、もう少しだけ待て。──よし爆破だ、やれ」
◇ ◇ ◇
「解除──!」
ヴァネッサの指が鋭く空を切る。
その瞬間、風竜の結界が解け、峡谷に音が戻った。そのわずかな隙を狙って──
彼女の両手が紅蓮の炎を掴み上げる。
火の精霊──準高位精霊火竜ドレイクが召喚される。
森の民たるエルフが忌み嫌い、地下の民たるダークエルフでさえ畏れる、“異端”の力。
「これだけの橋、作るのは大変だったろうねぇ……だけどおさらばだよ!」
火竜の口から放たれた火箭が、火薬へとを駆け抜ける。
――ドン、と大気が唸り、次の瞬間、爆音が峡谷を吹き抜けた。
破裂音、爆炎、岩盤の崩落。
黒煙が鉄道橋を呑み込み、炎が夜空を裂いて踊る。
ギギギギ──
鉄骨が断末魔のような悲鳴を上げながら、谷底へと沈んでいった。
大帝国の補給路を断つべく、牙を研ぎ続けた野良犬たち。
その最初の一噛みが、ついに放たれた。
◇ ◇ ◇
「何事だぁ!」
寝間着を引っ掛けたまま、毛布を肩に巻き付けながら、警備兵たちが飛び起きてくる。
突然の爆発音。帝国軍において火薬庫の爆発は決して珍しくない──だが。
飛び出した彼らの目に飛び込んできたのは、
炎を噴きながら崩れ落ちる橋。
爆炎を抱えた枕木が、悲鳴のような音を立てて谷底に消えていく。
「な、なんということじゃ……あの橋がなければ、まともに材料が入ってこんし、こちらからも送り出せんぞ!」
ドワーフの工房長が呻いた、まさにその時──
「ヒィィィヤッハァァァァ!!!」
大音声の奇声とともに、山賊たちが現れた。
まごうことなき山賊──それも最悪の部類。
粗末な革鎧、布切れで隠した顔、騎乗している馬達すらも全頭が目を血走らせ、歯をむき出しにして嘶いている。
燃え盛る松明を振り回し、火矢をつがえた襲撃犯、山賊団の第一小隊、正真正銘の元山賊達が、飢えた野犬の群れのよう襲いかってきたのだ。
「ひぇぇぇぇぇ!」
帝国側の誰もが死を覚悟した。
「こんばんわぁぁぁ帝国の秘密工房のみなさぁぁぁん!」
何故か山賊達が挨拶してきた。
警備兵達は一瞬、え何事?なにかの余興?と思うが。
「王国軍山岳旅団付き補給中隊…なんだっけ?しゃらくせぇ!我らヤマイヌ山賊団からのお届けモノでぇぇぇぇすっ!」
そして松明と火矢が工房へを放たれた。
「きゃぁぁぁ火事よぉぉぉ」
帝国が用意して慰問部隊──
実はヤマイヌ山賊団の元女間諜が用立てた“ハニートラップ要員”──の悲鳴と喚き声が響き渡る。
ただでさえ――お楽しみ後――だったので碌な迎撃ができない状態に、右往左往する非戦闘員が加わってしまった。
静かな山中は一瞬で地獄のような混乱の渦へと叩き落とされてしまっていた。
「ヒーハー!ゆうべはお楽しみでしたぁ!?それじゃお届け物の代金として……女達をもらってくぜェ!」
実に粗野な山賊の台詞とともに慰問部隊が“攫われて”いく……
「いやぁん!」
「たすけてぇ!」
「やだぁ、へんなとこ触らないでぇ」「あ、すいません」
が、それは“回収”だった。女達と補給中隊の間で事前に仕組まれていた“作戦”だったのだ。
女たちを丁重に攫った山賊達が夜の闇へ消えていく、奇声と嬌声だけが静かな山にこだましながら――
「……なんだったんじゃ……あっつ!あつ、火!火ぃ!」
「消火じゃぁ!とにかく消火じゃぁ!火薬に引火したら木っ端微塵じゃぞー!」
悪夢のような光景がさり、残ったのは燃え盛る工房という悪夢のような現実。
必死の消火作業は夜を通して続いた
そして――
夜がしらみはじめる頃。
消え残る火の粉が風に散り、工房の跡地には、焼け焦げた鉄骨と、
魂の抜けたようにうなだれる帝国兵とドワーフたちが残されていた。
彼らは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
誰一人として、あれが“補給部隊”だったなどと信じられる者はいなかった。
◇ ◇ ◇
王国軍山岳要塞。
ヴィルヘルムの山越え奇襲により陥落し、現在は前線要塞と共に帝国軍の根拠地となっている。
中央山脈の資源確保の為、王国軍を蹴散らし王都を脅かし速やかにこちらに有利な和睦を結ぶ。
そんな当初の帝国軍の作戦は破綻を迎えていた。
今後の作戦を練るべく遠征軍を率いる将軍参謀が招集されたのは
秋が深まる九の月の終わりの頃であった。
まだ朝の冷気が残る石造りの作戦会議室には、湿った硝煙のような緊張が充満していた。
長机の中央にはドナエル河流域の地図が広げられ、そこに小型の駒と黒鉛のメモが書き込まれている。
「なにをしておるのだ!この愚か者どもめがぁっ!!」
帝国第三皇子、この遠征軍の総大将が声を張り上げ、机を殴りつけた。金細工を施したガントレットが地図をめくり上げ、駒を散らした。
「鉄道橋が爆破された?輸送前の砲も全て失っただと。それと慰問部隊が攫われたとはなんだ!?あそこは最高機密の施設だろう!」
激昂する皇子を、卓の反対側に佇むヴィルヘルムが静かに諭す。
「兵にはパンとサーカスを、太祖陛下の教えでございます」
「ヴィルヘルム!お主はすぐにそうやってお祖父様の名前を出す。よくない癖だぞ!もはやお祖父様の頃とは時代が違うのだ!」
「若様」
ドワーフ工兵隊の老司令官、他ならぬ太祖皇帝と轡を並べて戦場駆けた生き残りの一言は重い。
太祖批判はまずい、と皇子方の将軍と参謀も言外に皇子を避難する視線を送る。
舌打ち(これはこの皇子の悪い癖であった)をして親指の爪を神経質そうにガジガジと噛む(これもこの皇子の悪癖であった)と
ぶつぶつとうわ言のように皇子は呪詛の言葉を吐く
「後一押し、後一押しすれば王都の喉元に……」
それは貴方が戦功を求めて先走った結果だろう!
どれだけの兵と矢弾を無駄にしたと思っているのだ!
口に出そうになった非戦派の将軍と参謀をヴィルヘルムが目配せで押し留める。
王国軍の撤退に遅れているようにしか見えなかったしんがりの軍、老将に率いられた老兵達が死兵となり、舌なめずりをするように突っ込んできた帝国軍を受け止める。
そこに撤退したはずの王国軍の騎兵隊が左右から挟撃。
包囲された先鋒軍が壊滅するのは一瞬だった。
釣り野伏せ――他ならぬ太祖皇帝が一敗地に塗れ絶体絶命の撤退戦にて用いたという決死の計略。
それをよりにもよって帝国軍が――
皇子以外の全員が老兵達の殿軍の勇姿に、ああ敵ながらあっぱれ、果たして我らは祖国の為にああまで勇壮に死ぬことができるだろうか。
そう感嘆せざるを得なかった。
「あんな死にぞこない共に……」
勇士への尊敬すら持たぬ皇子の言、そこに冷たい視線を向ける女副官。
(お前らの神輿だろう、なんとかしろ)と訴える目線が皇子以外の皇子派一同身震いして背筋を正しす、これはもはや習慣だった。
「……兵站線が切れかけているのは事実です。ドナエル河に出現したエルフの水軍により、本国からの一番太いルートは遮断されました」
ヴィルヘルムが地図上のドナエル河に大きくバツを書く。
「現在山岳ルートを使って糧食などは補給できていますが、火薬を山越えで運ぶの難しい……ですねおやじさん?」
おやじさん、と親しげに呼びかけられた老ドワーフ黙って頷く。
若い頃から戦場を駆けたヴィルヘルムと建国の元勲の、言外の信頼に皇子が顔を歪ませる。
「重量もありますが、やはり水気が問題です、すでに黄葉の月も終わり、中央山脈は雪が振り始めますから」
厳重に梱包して運ばせて見たが、やはり何割かは使い者にならず難しかった。
鉄道橋があれば、敷設した鉄路で迅速かつ大量に運ぶことができるのだが――
「なぜエルフ共が急に……」
「……我らはエルフの森を焼きすぎました」
製鉄には大量の木炭が必要になる、現在占領地で採れる石炭に置き換えを進めているが過去は消えないのだ。
現に大陸西方に広がる「黒い森」のエルフ達と帝国はほぼ戦争状態に近い。
水の精霊を使役するエルフの水軍、精霊船団に対抗できるのは同じ精霊船団だけ、陸軍国である帝国の河川水軍は太刀打ちできない。
陸上から砲撃が唯一の対抗手段だが、遠征軍には余裕が無いし、本国から対抗可能な軍の編成には時間がかかる。
共和国の援軍が来るのが先だろう。
「既に火薬と砲弾の7割を消耗し、補給基地からの再輸送は極めて困難。現時点での進軍は、兵に死にを命じるのと同義でしょう」
「なにを弱気なことを!」
反論するのは皇子派の若い将軍だった。顔は紅潮し、地図を指さす。
「一会戦分の矢弾はある、それで王国軍を打ち破り王都まで突貫すれば、王国に和睦を迫れる!いま攻めなければ、共和軍が来てしまう!」
「少将殿、それで残存の火薬と弾薬を使い果たし、王国軍を打ち破れなければ、要塞に籠もっての持久戦も不可能になる」
本より火砲は攻めよりも守りの兵器、現状の物資でも要塞を利用しつつ持久戦を展開し、本国からの補給を待つ。
それが過去の作戦会議での結論だった。
問題はその兵站線が脅かされていること――
「今回の会議で確認すべきは、敵が我々の動向を事前に把握していた可能性。補給線への襲撃、それも元山賊と見られる武装集団が――」
「山賊など、放っておけ!」
「若様」
再び重々しく、ドワーフ工兵隊の司令官が口を開いた。
その白髭と煤けた軍服は、血と火薬の臭いを宿している。
「放っておいた結果が、あの工房の炎上でございますじゃ。あの設備を再建するには相当な手間が必要じゃろう……それに、あそこに保管されていた火薬は……」
「全て失われたのか……?」
「根こそぎ持っていかれて使われたとしか考えられん、多少のことではビクともせんあの鉄道橋がなにも残っておらんかった」
おそらく帝国を離反したはぐれが襲撃側にいるのだろう、しかしそれを口にすることはなかった。
老ドワーフは穏やかな目で皇子を見た。
「若様」
しかし、その目は皇子が幼き頃、悪さをした時に彼を叱る老ドワーフの目だった。
「う」
「ハルト様がお味方の裏切りにあって窮地の時、ハルト様は涙を飲んで兵達に死んでくれ。そう言った。そう言った事が三度あった。」
ニ回目の時はわしも死ぬかと思ったわ…遠い目で老ドワーフは言う
「しかしハルト様兵を無駄に死なせたことは一度も無かった……だから“このまま進軍せよ”などという言葉、わしの前では言わんでくだされ」
ハルト様のお孫様である若様が、国の礎になって死んだ者達の顔に泥を塗るようなことは……せんでくだされ、そう老ドワーフが切々と訴える。
「おやじさん…」
ヴィルヘルムがそうつぶやき皇子に目配せをする、皇子はぐっと言葉を詰まらせ、舌打ちする。
会議室に、静寂が戻った。誰もが次の言葉を探している。
その空気を断ち切ったのは、再びヴィルヘルムだった。
「この“ヤマイヌ山賊団”と名乗る補給部隊。動きは極めて迅速で、連携が取れていた。
これは単なる山賊の仕業ではない。明らかに作戦と連携、そして情報に基づいた行動です」
「……敵の精鋭部隊、もしくは……」
「諜報部が、王国軍と接触していた形跡を探っています。慰問部隊の経歴も再調査中。
ひとまず私の責任で、兵站線の防衛と情報封鎖を再構築します」
その声は静かだったが、会議室にいた誰もがその決意の重さを感じていた。
◇ ◇ ◇
会議の重苦しい余韻を引きずったまま執務室へ戻ると、そこには既に副官が静かに立っていた。彼女の手には薬瓶と水。
「ありがとう」
苦い胃薬を飲み下すと、キリキリと指すような胃の痛みが多少マシになる。
ニ代皇帝陛下が病に倒れ、帝国内の後継者争いが本格化してからというもの、これが手放せない体になってしまった。
将軍なぞなるものではないな――
昔は良かった、ただがむしゃらに戦場を駆けていたあの頃は。
これではまるで老兵だ……そんな自嘲の笑みを浮かべながら、新たな胃痛の種――
机の上に毎日少しずつ分厚くなっていく、兵站線を襲撃する山賊の被害報告書をめくる。
「ヤマイヌ……か」
「閣下、私が参ります。――連中には野良犬を好き勝手やらせすぎました」
彼女が居ないのは痛手だが、対策にせよ現状把握にせよ、最も信頼のおける駒は彼女だ。
「そうだな……よろしく頼む」
「はっ。お任せください」
完璧な敬礼のあと、副官は無言で退室する。
「山賊にしては、あまりに的確だとは思っていたが……まさか、あの橋を爆破するとはな」
おそらく、橋を爆破した帰りしなに、ついでとばかりにこちらの兵站を次々と食い破っていったのだろう。
ヴィルヘルムは報告書を閉じると、わずかに笑みを浮かべた。
「面白い。随分と手の込んだ挑発だ……」
わざわざ名を名乗る意図――
「ならばこちらも、礼をもって返そう――知恵比べといこうか、ヤマイヌ共」
◇ ◇ ◇
作戦が終わった頃、ようやくエリィは風の精霊との接続を解いた。
どっと押し寄せる疲労。腕が痺れている。頭が重い。
これが毎回のことだ。
「……お疲れ様でした、みなさん」
誰に言うでもなく、夜風に向かってそっと呟く。
合流地点に戻ると、隊長は既に次の作戦予定表を作り始めていた。
焼いた物資による被害規模の概算、帝国の次の補給ルートの予測、それらを淡々と書き込んでいる。
「隊長、少しは休んでください」
「お前こそ休め、次の作戦でも精霊との接続感覚を鈍らせるな」
「……それ、心配してくれてるんですか?それとも命令ですか?」
「お前はどちらがいい?」
本当に、何を考えているのかわからない人だ。
エリィは外套を引き寄せながら、燃え盛る物資の残骸が夜空を染める方角を見つめた。
帝国の秘密工房が燃やして。鉄道橋が落として。程よく補給隊を襲撃しては深追いせず退く。
そしてヤマイヌ山賊団は、また霧の中に消えていく。
地味で、嫌らしい、真綿で喉を締め上げるような兵站破壊作戦。
この人についていくと決めた理由を、エリィはまだうまく言葉にできない。
ただ――あの背中を見ていると、なぜか、もう少し先を見てみたい気がした。
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