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「しあわせを灯すひと」

ー/ー



 帝都の一角にある、喫茶室「朝月亭」――

 この喫茶店では、日が昇る前に店を開け、早朝から働く人向けに朝食を出す。そして、夜は酒場となり、ほぼ一日中灯りの消えない店だ。

 その日の早朝から、店の様子はいつもと違っていた。
 朝月亭を訪れた人は、店に入った瞬間ぎょっとして、しかし最後には幸せそうな、蕩けそうな笑顔で店を後にしていく。

「コーヒーお待たせいたしましたぁ」

 エプロンドレスに身をまとった女性がふわり、とほほ笑んで、コーヒーの入ったカップを置く。
 客はコーヒーではなく彼女の仕草ばかり追っている。
 老若男女問わず、皆がその笑顔に吸い寄せられていた。

「うぅ、なんだか注目されてません?」

 彼女――ユウが頬を赤くしておぼんで顔を隠す。

「気のせいだ! 大丈夫!」

 ライオンのたてがみを思わせるような髭の顔に、筋骨隆々の店主が、なぜか親指を立てて励ます。
 そして残った左手で氷の入った水を彼女に渡した。

「ぐっと飲んでがんばってくれたまえ!」

 だが客は増えるばかりで、ついに店の外には行列ができてしまう。

 どう見てもユウ目当ての客ばかりで、朝月亭は軽いお祭り騒ぎになっていた。

*

 いつも朝月亭に朝食を食べにくる男性は、店に入るなり、何かいつもと違う雰囲気を感じ取ったという。

「いらっしゃいませー」

 マスターの声ではない、そして彼の奥さんの声でもない。
 若くて、よく通る女性の声だ。
 振り向くと、そこにいたのはどこにでもいそうな普通の娘だった。

 だが――

 男は本能で悟る。これ以上彼女を見ていてはいけない、と。

「こちらへどうぞ」

 彼女がゆっくりとほほ笑む。

 ――その瞬間、世界がやけにゆっくりと動いた。

 そして――

 その後のことはよく覚えていない。
 
 いつのまにか、ふらふらと職場にたどり着いた彼に、同僚が心配そうに声をかけた。
 その声に、彼はただ、勇者がいた、としか答えられなかった。

*

「むぅ、今日は忙しいな」

 朝月亭の店主が零す。
 店主は汗を拭いながら、ホールで動き回るユウを見る。
 彼女が言葉を発するたびに客の間からため息が洩れ、料理に手もつけず帰っていく客さえいた

「これは……異常な事態だぞ」

 せっせと、コーヒーを淹れたり、食べ物を作りながら、いつもとはまるで違う自分の店の様子をみてため息をついた。
 そもそも彼女を雇い入れたのは、身重の妻が産気づいたので、子供が生まれるまでの短期の仕事としてギルドに出した依頼に応募してきたのが彼女だったからだ。
 勇者であることはギルドからの話で聞いていた。
 勇者とはいえ、何の変哲もない村娘のようで、その実、女神のような笑顔は店主ですらもたじろいでしまうほどではあったが、この人気っぷりは予想外だった。

 あまりに客が来るものだから、朝月亭はこの日開店以来初めて、早仕舞いをすることとなった。
 いや、閉めざるを得なかった。

「ありがとう……今日の、給金だ」

 店主が額に汗を浮かべて、硬貨の入った袋をユウに手渡す。

「ありがとうございます!」

 それを受け取ったユウがぺこりとお辞儀をし、微笑んだ。
 思わずたじろぐ店主に気付かずユウは続ける。

「朝月亭さんはすごいですね。素敵な店構えもそうですけど、こんなにお客さんが入るなんて。それにしても、やっぱりいつもの女将さんじゃないから、変に思われたのかなぁ……皆さん、私の事、じろじろみてたような気がしますし……」

 給金の入った袋を口元に寄せて、天井を見るようにして今日の事を思い起こしているユウ。

  ちがう、ちがうんだ!
  いつもはこんなんじゃないんだ!
  もっとその笑顔の凶悪さを自覚しろ!ちくしょう!

 そんなユウに、店主は声を大にして叫びたかった。
 はたして、良いのか悪いのか。もはやその判断がつかないほどに店主は疲れきっていた。

「いつか私もこういう喫茶店を持ちたいなって思ってたので、すごく勉強になります!また明日もよろしくお願いします」
「はは、あはは、明日も?……うん、そうだね、よろしくね……」

 ユウが出て行った後で、誰もいなくなった店のカウンターに腰かけ、店主はがっくりと肩を落として大きなため息をついた。

「もうわけがわからん……」

*

翌日には騒ぎはすっかり収束していた。
噂によれば、複数の“ユウ笑顔ファンクラブ”なるものが即日結成され、来店日を分散させる協定を組んだとかなんとか。
ギルドも手を回したのだろう。

 ユウは帝都に来て間もなかったし、そんな事になっていると知る由もない。
 
 朝月亭や帝都のお店というのはこんなにも流行るものなのか、と感心するばかりで。

 ――ユウが朝月亭で働き始めてから何日かたった。

 相変わらず客の数は多い。
 ほとんどの客がユウの笑顔目当てだったし、常連の客にもユウの笑顔は大好評だった。

 ユウは、身重の女将さんの様子を見に行ったり、コーヒーの淹れ方を覚えたり、料理の仕込を手伝ったりと、
もしかしたら自分よりも働いているのでは、と店主が思うほどに良く働いていた。

 たった数日の間だったが、店主もその妻も、ユウに対してまるで自分の娘であるかの様な親近感すら覚えていた。
 子供が無事に生まれた後も、夫婦はユウにずっとここにいないかとさえ持ちかけるのだった。

 しかし、彼女は勇者であった。

 朝月亭で働いていたある日、魔族の使者と名乗る者が帝都に現れ、魔王が失踪したことを皇帝に告げていったという。
 そしてユウに皇帝より勅命が下る。

『魔王を探し出す事』

 それはユウにとっては使命でもあった。勇者としての使命。
 
 夫婦に無事子供が生まれた次の日、朝月亭の三人に見送られて、ユウは魔王探索へと旅立っていった。

*

「その時の経験が、この店作りにいきているんだなぁ」

ユウがにっこりとリンに微笑み掛けた。

「おかしい」

「?」

その話を黙って聞いていたリンが、複雑な表情でぼそりと言う。

「朝月亭……お客様、いっぱい?」

「うん、すごかったよぉ、行列までできてたからね」

「小道、は?」

「……」

ユウは一瞬黙って、明後日の方向を向き、えへへと頭をかいた。

「ごまかした」
「すいません」

相変わらず『小道』に客の姿はない。

朝月亭の盛況ぶりを聞いたリンには、そのお客たちを自分の作った料理で笑顔にしたい、という気持ちが芽吹き始めていた。

「リンは、フーディさんにお菓子褒められたとき、うれしかった?」

「ん? ……うん、うれしい」

「だよね、照れてたもんね」

「ふつう」

大げさに、けれど手放しで褒めてくれたフーディの言葉を思い出したのか、リンは少し顔を紅潮させていた。

「朝月亭にいた時のことなんだけどね」

*

 ある時、朝月亭の女将さんが言った。

「なんだか、すまないね。ユウちゃんに、いえ、勇者さまにこんなに良くしてもらってるのに……」

と、お腹をさする。

「今はどうしても不安でしょうし、どうでもいい事が気になってしまうのかもしれませんね。元気なお子さんの顔をみたら、不安もきっと吹き飛びますよ」

「そうだねぇ、ありがとう」

 二人は笑顔を交し合った。
 店主もまた、女房のお産という不安に押しつぶされそうになっていたところに、ユウという存在が現れて、そのせいで店が忙しくなってしまったものだから、へとへとになるまで働かざるを得ない。気がつけば不安になる時間などなくなっていた。

 無事子供は生まれて、ユウは旅立つ事になった。
 その時に夫婦がかけてくれた言葉がユウは未だに忘れられない。

「ユウちゃんは、幸せを持っていて、それを皆に分けてくれるっていうのかな? 幸せを運んできて、皆を笑顔にさせてくれるっていうか……ユウちゃんの何気ない行動とか一言に何度も助けられたんだ。きっとそういう人だから勇者に選ばれたのかもしれないね」

そしてこの先も、色んな人から同じような言葉をかけられることになる。

「あぅ、えと、私は、できる事をしているだけで、誰にでもできることっていうか…」

 自分がしている事で人を幸せにしている、なんてそんな自覚はなかったし、本当にできることをやっているだけで、自分の行動が人を幸せにしているなんて、思っても見なかった。
 カーッと頬が熱を帯びて、赤くなっているのがわかった。

「そういわれて、すごくうれしいんです。私みたいなのが人を幸せにできるっていってもらえてるみたいで、すごく、うれしいんです」

 そのユウの真っ赤に染まった笑顔を見たものは口をそろえて言う。
 女神の微笑みのようだったと。


「うれしいんですけど、照れちゃいますよぅ」



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 帝都の一角にある、喫茶室「朝月亭」――
 この喫茶店では、日が昇る前に店を開け、早朝から働く人向けに朝食を出す。そして、夜は酒場となり、ほぼ一日中灯りの消えない店だ。
 その日の早朝から、店の様子はいつもと違っていた。
 朝月亭を訪れた人は、店に入った瞬間ぎょっとして、しかし最後には幸せそうな、蕩けそうな笑顔で店を後にしていく。
「コーヒーお待たせいたしましたぁ」
 エプロンドレスに身をまとった女性がふわり、とほほ笑んで、コーヒーの入ったカップを置く。
 客はコーヒーではなく彼女の仕草ばかり追っている。
 老若男女問わず、皆がその笑顔に吸い寄せられていた。
「うぅ、なんだか注目されてません?」
 彼女――ユウが頬を赤くしておぼんで顔を隠す。
「気のせいだ! 大丈夫!」
 ライオンのたてがみを思わせるような髭の顔に、筋骨隆々の店主が、なぜか親指を立てて励ます。
 そして残った左手で氷の入った水を彼女に渡した。
「ぐっと飲んでがんばってくれたまえ!」
 だが客は増えるばかりで、ついに店の外には行列ができてしまう。
 どう見てもユウ目当ての客ばかりで、朝月亭は軽いお祭り騒ぎになっていた。
*
 いつも朝月亭に朝食を食べにくる男性は、店に入るなり、何かいつもと違う雰囲気を感じ取ったという。
「いらっしゃいませー」
 マスターの声ではない、そして彼の奥さんの声でもない。
 若くて、よく通る女性の声だ。
 振り向くと、そこにいたのはどこにでもいそうな普通の娘だった。
 だが――
 男は本能で悟る。これ以上彼女を見ていてはいけない、と。
「こちらへどうぞ」
 彼女がゆっくりとほほ笑む。
 ――その瞬間、世界がやけにゆっくりと動いた。
 そして――
 その後のことはよく覚えていない。
 いつのまにか、ふらふらと職場にたどり着いた彼に、同僚が心配そうに声をかけた。
 その声に、彼はただ、勇者がいた、としか答えられなかった。
*
「むぅ、今日は忙しいな」
 朝月亭の店主が零す。
 店主は汗を拭いながら、ホールで動き回るユウを見る。
 彼女が言葉を発するたびに客の間からため息が洩れ、料理に手もつけず帰っていく客さえいた
「これは……異常な事態だぞ」
 せっせと、コーヒーを淹れたり、食べ物を作りながら、いつもとはまるで違う自分の店の様子をみてため息をついた。
 そもそも彼女を雇い入れたのは、身重の妻が産気づいたので、子供が生まれるまでの短期の仕事としてギルドに出した依頼に応募してきたのが彼女だったからだ。
 勇者であることはギルドからの話で聞いていた。
 勇者とはいえ、何の変哲もない村娘のようで、その実、女神のような笑顔は店主ですらもたじろいでしまうほどではあったが、この人気っぷりは予想外だった。
 あまりに客が来るものだから、朝月亭はこの日開店以来初めて、早仕舞いをすることとなった。
 いや、閉めざるを得なかった。
「ありがとう……今日の、給金だ」
 店主が額に汗を浮かべて、硬貨の入った袋をユウに手渡す。
「ありがとうございます!」
 それを受け取ったユウがぺこりとお辞儀をし、微笑んだ。
 思わずたじろぐ店主に気付かずユウは続ける。
「朝月亭さんはすごいですね。素敵な店構えもそうですけど、こんなにお客さんが入るなんて。それにしても、やっぱりいつもの女将さんじゃないから、変に思われたのかなぁ……皆さん、私の事、じろじろみてたような気がしますし……」
 給金の入った袋を口元に寄せて、天井を見るようにして今日の事を思い起こしているユウ。
  ちがう、ちがうんだ!
  いつもはこんなんじゃないんだ!
  もっとその笑顔の凶悪さを自覚しろ!ちくしょう!
 そんなユウに、店主は声を大にして叫びたかった。
 はたして、良いのか悪いのか。もはやその判断がつかないほどに店主は疲れきっていた。
「いつか私もこういう喫茶店を持ちたいなって思ってたので、すごく勉強になります!また明日もよろしくお願いします」
「はは、あはは、明日も?……うん、そうだね、よろしくね……」
 ユウが出て行った後で、誰もいなくなった店のカウンターに腰かけ、店主はがっくりと肩を落として大きなため息をついた。
「もうわけがわからん……」
*
翌日には騒ぎはすっかり収束していた。
噂によれば、複数の“ユウ笑顔ファンクラブ”なるものが即日結成され、来店日を分散させる協定を組んだとかなんとか。
ギルドも手を回したのだろう。
 ユウは帝都に来て間もなかったし、そんな事になっていると知る由もない。
 朝月亭や帝都のお店というのはこんなにも流行るものなのか、と感心するばかりで。
 ――ユウが朝月亭で働き始めてから何日かたった。
 相変わらず客の数は多い。
 ほとんどの客がユウの笑顔目当てだったし、常連の客にもユウの笑顔は大好評だった。
 ユウは、身重の女将さんの様子を見に行ったり、コーヒーの淹れ方を覚えたり、料理の仕込を手伝ったりと、
もしかしたら自分よりも働いているのでは、と店主が思うほどに良く働いていた。
 たった数日の間だったが、店主もその妻も、ユウに対してまるで自分の娘であるかの様な親近感すら覚えていた。
 子供が無事に生まれた後も、夫婦はユウにずっとここにいないかとさえ持ちかけるのだった。
 しかし、彼女は勇者であった。
 朝月亭で働いていたある日、魔族の使者と名乗る者が帝都に現れ、魔王が失踪したことを皇帝に告げていったという。
 そしてユウに皇帝より勅命が下る。
『魔王を探し出す事』
 それはユウにとっては使命でもあった。勇者としての使命。
 夫婦に無事子供が生まれた次の日、朝月亭の三人に見送られて、ユウは魔王探索へと旅立っていった。
*
「その時の経験が、この店作りにいきているんだなぁ」
ユウがにっこりとリンに微笑み掛けた。
「おかしい」
「?」
その話を黙って聞いていたリンが、複雑な表情でぼそりと言う。
「朝月亭……お客様、いっぱい?」
「うん、すごかったよぉ、行列までできてたからね」
「小道、は?」
「……」
ユウは一瞬黙って、明後日の方向を向き、えへへと頭をかいた。
「ごまかした」
「すいません」
相変わらず『小道』に客の姿はない。
朝月亭の盛況ぶりを聞いたリンには、そのお客たちを自分の作った料理で笑顔にしたい、という気持ちが芽吹き始めていた。
「リンは、フーディさんにお菓子褒められたとき、うれしかった?」
「ん? ……うん、うれしい」
「だよね、照れてたもんね」
「ふつう」
大げさに、けれど手放しで褒めてくれたフーディの言葉を思い出したのか、リンは少し顔を紅潮させていた。
「朝月亭にいた時のことなんだけどね」
*
 ある時、朝月亭の女将さんが言った。
「なんだか、すまないね。ユウちゃんに、いえ、勇者さまにこんなに良くしてもらってるのに……」
と、お腹をさする。
「今はどうしても不安でしょうし、どうでもいい事が気になってしまうのかもしれませんね。元気なお子さんの顔をみたら、不安もきっと吹き飛びますよ」
「そうだねぇ、ありがとう」
 二人は笑顔を交し合った。
 店主もまた、女房のお産という不安に押しつぶされそうになっていたところに、ユウという存在が現れて、そのせいで店が忙しくなってしまったものだから、へとへとになるまで働かざるを得ない。気がつけば不安になる時間などなくなっていた。
 無事子供は生まれて、ユウは旅立つ事になった。
 その時に夫婦がかけてくれた言葉がユウは未だに忘れられない。
「ユウちゃんは、幸せを持っていて、それを皆に分けてくれるっていうのかな? 幸せを運んできて、皆を笑顔にさせてくれるっていうか……ユウちゃんの何気ない行動とか一言に何度も助けられたんだ。きっとそういう人だから勇者に選ばれたのかもしれないね」
そしてこの先も、色んな人から同じような言葉をかけられることになる。
「あぅ、えと、私は、できる事をしているだけで、誰にでもできることっていうか…」
 自分がしている事で人を幸せにしている、なんてそんな自覚はなかったし、本当にできることをやっているだけで、自分の行動が人を幸せにしているなんて、思っても見なかった。
 カーッと頬が熱を帯びて、赤くなっているのがわかった。
「そういわれて、すごくうれしいんです。私みたいなのが人を幸せにできるっていってもらえてるみたいで、すごく、うれしいんです」
 そのユウの真っ赤に染まった笑顔を見たものは口をそろえて言う。
 女神の微笑みのようだったと。
「うれしいんですけど、照れちゃいますよぅ」