第18話 彼女が庇(かば)った彼
ー/ー 日下部さんの独白が終わると、静寂がにわか雨のように小さな矢となって降り注ぎ、オレたちはしばらく声を発することができなかった。
彼の話を聞いて無傷ではいられなかったし、胸の痛みが引くまでの時間が必要だったこともあったが、何より、どんな慰めの言葉をかければいいのか正解が見つからなかったのだ。
真之助も同じように口を閉ざしていたが、辺りの薄暗さも手伝って、前髪の下の表情を窺い知ることはできなかった。同じ守護霊同士深く考えるところがあるのかもしれない。
「拙者が言うのもなんでござるが」
合図もなく静寂が降り止んだ。
「おぬしたちはこんな物騒な所で何をしておったのだ?」
日下部さんが心底不思議そうにオレと真之助を交互に見やった。
「オレたちは通り魔の被害者に会うために事件現場に来たんだ。だけど、被害者はすでに成仏してしまったあとで、途方に暮れていたところ、運よく日下部さんが現れた」
「それは……どういう意味でござるかな?」
「私たちは縁あって通り魔事件を捜査している刑事に協力しているんですよ。日下部さんはお付き人の翔さんに罪を重ねて欲しくない。私たちは事件を解決したい。利害は一致しています。決して、悪いようにはしません。私たちと手を組みませんか」
「そういうことでござれば、協力は惜しみません」
「恩に着ます」
交渉成立! と、ガッツポーズを取ろうとしたとき、オレは日下部さんと真之助の間に不自然な距離があることに気がついた。
距離と言っても物理的なそれではなく、心理的な方だ。
もちろん、二人が敬語を使っているせいもあるだろう。
敬語はパーソナルスペースを侵さずに相手を尊重し、ほどよい距離感を生むものだからだ。
しかし、どうも、ぎこちなさを感じるのはそのせいばかりではない。
二人の間には目に見えない分厚い空気の層が壁を作り、時折、触れ合ってはピリピリとした電流を発しているようなのだ。
それは水と油のように相いれない。
もしかすると二人は生前、ライバル同士だったのではないだろうか。ひとりの女性を巡り、何度も剣を交えているうちに、女性はどこかのお殿様と結婚し、二人とも恋に破れたのだった……と脳内ナレーションが流れ出し、妄想がひとりでに膨れ上がる。
そう考えると、真之助が日下部さんを友人ではなく、古い顔見知りだと紹介したことにも合点がいく。
それならば、とオレはぎくしゃくしている二人の仲を取り持ってやることに決めた。
今は過去のわだかまりをキレイさっぱり水に流し、三人で協力し合って、日下部さんのお付き人の犯行を阻止するのが先決なのだから。
オレは誰に頼まれもしない任務を勝手に引き受け、意気込んだ。
「よし。それじゃあ、まずは日下部さん、あんたのお付き人に会わせてくれ。もう二度と通り魔をしないように三人で説得しようぜ」
「それは無理な願いだ」
一刀両断に切り捨てられ、任務は早くも失敗する。
「はあ? たった今、協力すると言ったばかりなのに、早速無理とはどういうことだよ!」
「まあまあ、最後まで拙者の話を聞くのだ。こっちにも事情というものがある。お若いの、翔は病院におるのだ」
「病院?」
「左様。咎めてくれるなよ。本来ならば、守護霊はお付き人の傍を離れるのは厳禁。しかし、事態が事態であるから致し方ないのだ。何分、拙者には時間がない」
「時間がないって、不成仏霊じゃあるまいし」
死者は三年のうちに成仏しなければ、不成仏霊になってしまう。それは莉帆の件で学んだことだったが、日下部さんのお付き人である五島翔は生者なのだから、その法則は当てはまらないはずだ。
「翔は入院中なのだ。三年前、運転中にとある事故を起こしてからというもの意識がない。所謂、植物状態というやつなのだが、近いうちに意識を取り戻す兆候がある。守護霊である拙者が言うのもなんだが、翔は目を覚ましたら、必ずや罪を重ねるだろう」
「おいおい。『交通事故』に『植物状態』って、なんだか聞いたばかりのワードだな」
まさかとは思いつつ、確認のため真之助を一瞥すると、「ここから先は私に任せて」とでも言うように真之助が進み出た。
「翔さんが事故を起こした現場は浅間坂でしょうか?」
「いかにも。何故それを?」
「実は私たちは昨日、翔さんが車で撥ね死なせてしまった女性に会ってきました。不成仏霊になる寸前でしたが、ギリギリ間に合い、無事に救済することができたんです。彼女の守護霊と一緒に成仏しましたよ」
「なんと……かたじけない」
日下部さんは言葉を詰まらせた。
「そこで、ひとつ確認したいことがあるのですが」
「なんでござるか」
「事故で亡くなった女性は莉帆ちゃんというのですが、莉帆ちゃんは『通り魔に襲われ逃げる途中、車道に飛び出し、撥ねられてしまった』と私たちに話してくれました。しかし、日下部さんは、お付き人である翔さんが通り魔であり、その翔さんが事故を起こしたと言った。その証言に嘘はありませんか?」
「崎山様は拙者を疑っておいでか?」
「あくまでも確認のためです。お応え願えますか」
「なんと失敬な!」
真之助と日下部さんの視線が交わった瞬間、オレは諦めの境地に至った。この海千山千とも言える守護霊たちの仲介役は弱冠17歳の若輩者には務まらないと。
二人の睨み合う視線はまるで、二匹の大蛇が互いの息の根を止めようと絡み合っているかのよう。険悪な雰囲気に飲み込まれないためには、二人の視界の片隅でひっそりと息を潜めて、時をやり過ごすしかない。男の嫉妬は案外根が深いのだ。
「致し方あるまい、拙者の昔の悪行が祟ったのだ」
しばらくしてから先に視線を外したのは日下部さんの方だった。自嘲気味に薄く笑ってから首を左右に振る。
「確かに翔は通り魔でござるが、その莉帆とかいう女子は襲っておりません。その娘が嘘をついておるのです」
「莉帆ちゃんが?」
「左様でござる。あの日、翔はスピードを上げて車を走らせておりました。アクセルをさらに踏み込んだときに女子が急に飛び出して参ったのです。ブレーキを踏みましたが間に合うはずもない。女子の身体がフロントガラスを割り、車は横転。そのまま電柱に衝突して停車いたした次第。翔が莉帆殿に関わっているのはそこまででござる。天地神明に誓って嘘ではござらぬ」
「そ、それじゃあ、莉帆を襲った通り魔は誰だったって言うんだよ?」
日下部さんに訊ねる声が震えた。
「莉帆殿が飛び出し、事故が起こったあと、二人の男を見た。ひとりは三十代の男と」
脳内に藤木さんの顔が浮上する。
「もうひとりは元警察官の男だ」
「元警察官の男だって?」
「初老の男だ」
初老の男。
心の中で呟いてみて、直感した。
じいちゃんだ、と。
じいちゃんが事故現場にいたのだ。
『君のおじいさんは通り魔事件と関わっている』
もしかして、自分の死と、オレのじいちゃんが関わっていると察した莉帆は、嘘の目撃証言をでっち上げたのではないだろうか。
莉帆は藤木さんだけを庇っていたわけではなかった。
オレは莉帆に庇われていたんだ。
じいちゃんが莉帆の死に何らかの形で関わっている──。
通り魔事件を調べるのは諸刃の剣だったようだ。
彼の話を聞いて無傷ではいられなかったし、胸の痛みが引くまでの時間が必要だったこともあったが、何より、どんな慰めの言葉をかければいいのか正解が見つからなかったのだ。
真之助も同じように口を閉ざしていたが、辺りの薄暗さも手伝って、前髪の下の表情を窺い知ることはできなかった。同じ守護霊同士深く考えるところがあるのかもしれない。
「拙者が言うのもなんでござるが」
合図もなく静寂が降り止んだ。
「おぬしたちはこんな物騒な所で何をしておったのだ?」
日下部さんが心底不思議そうにオレと真之助を交互に見やった。
「オレたちは通り魔の被害者に会うために事件現場に来たんだ。だけど、被害者はすでに成仏してしまったあとで、途方に暮れていたところ、運よく日下部さんが現れた」
「それは……どういう意味でござるかな?」
「私たちは縁あって通り魔事件を捜査している刑事に協力しているんですよ。日下部さんはお付き人の翔さんに罪を重ねて欲しくない。私たちは事件を解決したい。利害は一致しています。決して、悪いようにはしません。私たちと手を組みませんか」
「そういうことでござれば、協力は惜しみません」
「恩に着ます」
交渉成立! と、ガッツポーズを取ろうとしたとき、オレは日下部さんと真之助の間に不自然な距離があることに気がついた。
距離と言っても物理的なそれではなく、心理的な方だ。
もちろん、二人が敬語を使っているせいもあるだろう。
敬語はパーソナルスペースを侵さずに相手を尊重し、ほどよい距離感を生むものだからだ。
しかし、どうも、ぎこちなさを感じるのはそのせいばかりではない。
二人の間には目に見えない分厚い空気の層が壁を作り、時折、触れ合ってはピリピリとした電流を発しているようなのだ。
それは水と油のように相いれない。
もしかすると二人は生前、ライバル同士だったのではないだろうか。ひとりの女性を巡り、何度も剣を交えているうちに、女性はどこかのお殿様と結婚し、二人とも恋に破れたのだった……と脳内ナレーションが流れ出し、妄想がひとりでに膨れ上がる。
そう考えると、真之助が日下部さんを友人ではなく、古い顔見知りだと紹介したことにも合点がいく。
それならば、とオレはぎくしゃくしている二人の仲を取り持ってやることに決めた。
今は過去のわだかまりをキレイさっぱり水に流し、三人で協力し合って、日下部さんのお付き人の犯行を阻止するのが先決なのだから。
オレは誰に頼まれもしない任務を勝手に引き受け、意気込んだ。
「よし。それじゃあ、まずは日下部さん、あんたのお付き人に会わせてくれ。もう二度と通り魔をしないように三人で説得しようぜ」
「それは無理な願いだ」
一刀両断に切り捨てられ、任務は早くも失敗する。
「はあ? たった今、協力すると言ったばかりなのに、早速無理とはどういうことだよ!」
「まあまあ、最後まで拙者の話を聞くのだ。こっちにも事情というものがある。お若いの、翔は病院におるのだ」
「病院?」
「左様。咎めてくれるなよ。本来ならば、守護霊はお付き人の傍を離れるのは厳禁。しかし、事態が事態であるから致し方ないのだ。何分、拙者には時間がない」
「時間がないって、不成仏霊じゃあるまいし」
死者は三年のうちに成仏しなければ、不成仏霊になってしまう。それは莉帆の件で学んだことだったが、日下部さんのお付き人である五島翔は生者なのだから、その法則は当てはまらないはずだ。
「翔は入院中なのだ。三年前、運転中にとある事故を起こしてからというもの意識がない。所謂、植物状態というやつなのだが、近いうちに意識を取り戻す兆候がある。守護霊である拙者が言うのもなんだが、翔は目を覚ましたら、必ずや罪を重ねるだろう」
「おいおい。『交通事故』に『植物状態』って、なんだか聞いたばかりのワードだな」
まさかとは思いつつ、確認のため真之助を一瞥すると、「ここから先は私に任せて」とでも言うように真之助が進み出た。
「翔さんが事故を起こした現場は浅間坂でしょうか?」
「いかにも。何故それを?」
「実は私たちは昨日、翔さんが車で撥ね死なせてしまった女性に会ってきました。不成仏霊になる寸前でしたが、ギリギリ間に合い、無事に救済することができたんです。彼女の守護霊と一緒に成仏しましたよ」
「なんと……かたじけない」
日下部さんは言葉を詰まらせた。
「そこで、ひとつ確認したいことがあるのですが」
「なんでござるか」
「事故で亡くなった女性は莉帆ちゃんというのですが、莉帆ちゃんは『通り魔に襲われ逃げる途中、車道に飛び出し、撥ねられてしまった』と私たちに話してくれました。しかし、日下部さんは、お付き人である翔さんが通り魔であり、その翔さんが事故を起こしたと言った。その証言に嘘はありませんか?」
「崎山様は拙者を疑っておいでか?」
「あくまでも確認のためです。お応え願えますか」
「なんと失敬な!」
真之助と日下部さんの視線が交わった瞬間、オレは諦めの境地に至った。この海千山千とも言える守護霊たちの仲介役は弱冠17歳の若輩者には務まらないと。
二人の睨み合う視線はまるで、二匹の大蛇が互いの息の根を止めようと絡み合っているかのよう。険悪な雰囲気に飲み込まれないためには、二人の視界の片隅でひっそりと息を潜めて、時をやり過ごすしかない。男の嫉妬は案外根が深いのだ。
「致し方あるまい、拙者の昔の悪行が祟ったのだ」
しばらくしてから先に視線を外したのは日下部さんの方だった。自嘲気味に薄く笑ってから首を左右に振る。
「確かに翔は通り魔でござるが、その莉帆とかいう女子は襲っておりません。その娘が嘘をついておるのです」
「莉帆ちゃんが?」
「左様でござる。あの日、翔はスピードを上げて車を走らせておりました。アクセルをさらに踏み込んだときに女子が急に飛び出して参ったのです。ブレーキを踏みましたが間に合うはずもない。女子の身体がフロントガラスを割り、車は横転。そのまま電柱に衝突して停車いたした次第。翔が莉帆殿に関わっているのはそこまででござる。天地神明に誓って嘘ではござらぬ」
「そ、それじゃあ、莉帆を襲った通り魔は誰だったって言うんだよ?」
日下部さんに訊ねる声が震えた。
「莉帆殿が飛び出し、事故が起こったあと、二人の男を見た。ひとりは三十代の男と」
脳内に藤木さんの顔が浮上する。
「もうひとりは元警察官の男だ」
「元警察官の男だって?」
「初老の男だ」
初老の男。
心の中で呟いてみて、直感した。
じいちゃんだ、と。
じいちゃんが事故現場にいたのだ。
『君のおじいさんは通り魔事件と関わっている』
もしかして、自分の死と、オレのじいちゃんが関わっていると察した莉帆は、嘘の目撃証言をでっち上げたのではないだろうか。
莉帆は藤木さんだけを庇っていたわけではなかった。
オレは莉帆に庇われていたんだ。
じいちゃんが莉帆の死に何らかの形で関わっている──。
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