高度8000メートル。蒼天を征く超大型飛空艇『セレスティア号』。
それは巨大な青色魔導結晶を核とし、左右に計6対の白いエーテル翼を広げた、空飛ぶ宮殿だった。
その展望ラウンジ。贅を尽くした絨毯の上で、カイは窓の外を流れる雲海を眺めていた。
カイは20代半ばの、どこか疲れを知った知的な眼差しを持つ青年だ。無造作な黒髪に、機能性を重視した濃紺の戦術外套(タクティカル・コート)を纏っている。
その隣で、リゼが甲斐甲斐しく、しかし危うい手付きでティーポットを構えている。彼女が座る際、うっかり「加減」を忘れて高級なアンティーク椅子を1着、粗大ゴミ同然に圧壊させたのは、つい数分前のことだ。
見た目は17、18歳。夜の闇をそのまま流したような艶やかな黒のロングヘアを、純白のカチューシャで留めている。クラシックなフリル付きのメイド服は、一見して高級品だが、よく見ればその細部には繊細な銀色の回路が刺繍のように刻まれていた。
「……リゼ。一応確認するが、俺たちは今、優雅な船旅の途中だよな?」
「はい、ご主人様. 旧帝国領を離れ、自由都市同盟へと向かう、穏やかで文化的な休暇でございます」
「そうだな、ギアシティによって、お前のメンテナンスもかねての久々の休暇なんだよな」
「ええ、おっしゃる通りです! リゼが、私がご主人様の最高の休暇を演出いたしますわ!!」
リゼは胸を張り、自信満々に答えた。その直後だ。
彼女が差し出そうとした紅茶のカップが、わずかな船体の揺れで傾く。
「――あ」
リゼの思考速度が、コンマ数秒で戦闘クロックへと跳ね上がる。彼女は「お茶を零さない」という目的を完遂するため、反射的に亜光速の速さで手を動かした。
――バキンッ!
凄まじい衝撃音が響き、ラウンジの床に亀裂が走る。
リゼはカップを死守したが、その際に彼女の脚が踏みしめた床は、強化チタン合金ごと粉砕されていた。さらには、彼女の超高速移動によって生じた衝撃波が、周囲のテーブルのケーキを無残に吹き飛ばす。
「ひえっ!? な、何だ、今の爆発は!?」
被害に遭ったアカデミー教授が椅子から転げ落ち、周囲の貴族たちが悲鳴を上げる。
「……リゼ。お前、今のは『対空迎撃』の加速だろ。ティーカップ1つに音速を超えるなと言ったはずだ」
「申し訳ありません、ご主人様。私の平衡感覚回路が、この船の微細な揺れを敵の攪乱魔法だと誤認しまして」
「ただの乱気流で、動揺しすぎだ! 船員さん、すみません! クリーニング代と修理費です」
カイは胃の痛みを感じながら、金貨を数枚放り投げた。
彼の網膜には、常に世界を数値化する『論理眼(タクティカル・アイ)』のコンソールが展開されている。視界の端で踊る演算ログが、床の損壊率88パーセントという惨状を非情に告げていた。
リゼは『対・事象改変型自動人形(アーティテクト・ドール)』。世界を滅ぼしうる兵器にして、世界一不器用なメイドなのだ。
その時、ラウンジを不吉な振動が襲った。
窓の外、白い雲海を割って、どす黒い鉄の巨躯が現れた。鋼鉄の鱗を纏い、背中に魔導機関を背負った『機甲竜(サイバー・ワイバーン)』の群れだ。その数、およそ50。
「――空賊だぁ! 野郎共、このデカい獲物を食い散らかせ!」
通信回線をジャックした、下卑た野太い声がスピーカーから溢れ出した。
「抵抗する野郎は細切れにして、雲の下までハラワタの雨を降らせてやるよォ! ヒャッハハハ!」
セレスティア号の防御システムが即座に起動する。
船体各所からせり出した2連装魔導砲が火を吹き、警備の魔導師たちが甲板で防御結界を展開した。
「撃て! 奴らを近づけるな!」
船員たちの必死の怒号。しかし、空賊の機甲竜は無慈悲だった。
1機の機甲竜が、船員の展開した結界をその鋭い鉄の爪で引き裂く。
「あ、ああ……! 結界が、紙みたいに……ギャアアアッ!」
悲鳴が上がり、最新鋭の防御兵装が次々と爆炎の中に消えていく。プロの船員たちが血を流し、絶望に顔を歪める中、カイは静かに立ち上がった。
「……リゼ。どうやら、お掃除の時間らしい」
「かしこまりました。……害虫駆除の準備を開始します」
リゼはスカートの裾を優雅につまみ、一礼(カーテシー)をした。
そして、出口へ向かうかと思いきや、彼女は最短距離にある「非常用防圧隔壁」へと歩み寄った。
「リゼ、待て、そこはハッチが――」
「問題ありません。解錠を待つ時間は無駄です」
ドゴォォォォン!!
リゼが軽く突き出した拳が、厚さ30センチの強化魔導鋼を紙細工のようにぶち抜いた。
警報が鳴り響き、気圧差で猛烈な風がラウンジに逆流する。
カイの網膜に『船体損害見積:金貨2000枚相当』という絶望的な数字がポップアップした。
「……っ、リゼぇ! お前、あとで絶対に反省文だからな!」
「ピ、ピーピー♪(と、明らさまに下手な口笛を吹きながら、泳ぐ視線を逸らす)」
「……リゼッ!!」
「い、いってまいります、ご主人様!」
カイの悲鳴を背に、リゼは破壊した穴から虚空へと身を投じた。
自由落下。その最中、彼女の背中から16枚の光の翼が幾何学模様を描いて噴き出した。
「限定解錠(アンロック)――『次元兵装・アステリズム』展開」
彼女のバイザーに青い火花が散る。その姿は、先ほど椅子を壊して落ち込んでいたポンコツメイドとは別人の、冷徹な戦女神そのものだった。
「目標捕捉。……『光子雨のベクトル粉砕(フォトン・カスケード)』!」
リゼが宙で1回転すると、翼から放たれた16条の光線が、空を縦横無尽に切り裂いた。
カイが予測した敵機の回避未来位置を、光の奔流が寸分違わず射抜く。
「な、なんだぁ!? 俺の機甲竜が一瞬で――ぎゃあああ!」
空賊たちの傲慢な叫びは、爆炎と共に消え去った。リゼはマッハ3の速度で飛翔しながら、手にした魔導重粒子砲をパージ。代わりにドレスの裏から「一振りの細剣」を引き抜いた。
「掃除の邪魔です。――『極点貫通・天の逆鉾(ゼロ・ポイント・ブレイク)』!」
彼女が剣を突き出した瞬間、空路の空気が一気に凍りついた。
特異点へと収束した魔力が、正面の機甲竜10機を文字通り「消滅」させる。
甲板で這いつくばっていた船員たちは、天から舞い降りた漆黒のメイドを見て、言葉を失った。
だが、カイの『論理眼』は、雲海の底から浮上するさらなる「絶望」を捉えていた。
全長500メートルを超える、漆黒の魔導戦艦『ゴッド・イーター』。
『……ふん、面白い。1匹、骨のある女が混じっているようだな』
戦艦のブリッジから、冷徹な男の声が響く。
『だが、この次元崩壊砲に耐えられるかな? 船ごと塵になれ!』
漆黒の砲口が、負の魔力を蓄え始める。
「リゼ、引くな! 奴を逃がせばこの船は終わりだ!」
「……心得ております、ご主人様。……約束、してください」
リゼのバイザーの下で、瞳が熱暴走寸前の紅へと染まる。
「帰ったら、お腹いっぱい、美味しいオムライスを食べさせてくださると」
「ああ、約束だ! お前が卵を殻ごと粉砕しても、俺が最高に美味いやつを仕上げてやる!」
「――絶対ですわよ、ご主人さま!」
リゼはバイザーの下で、悪戯っぽく笑った。だが次の瞬間、彼女の纏う空気が凍りつくほどに変貌した。おどけた表情は霧散し、そこには感情を一切排した、兵器としての冷徹な眼差しだけがあった。
「それでは、最終審判、起動します」
漆黒の戦艦から放たれた、世界を削り取る闇。
それに対し、リゼはすべての光翼を一点に束ね、黄金の槍と化した。
(第2話に続く)