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第72話 ステゴロ

ー/ー



 新宿駅周辺の足元を覆う浅瀬の海は実体感を増していく。

 始めは触ることのできなかった幻影のような海も、時間が経つにつれ駅周辺の人々の足を濡らし始めていた。

 現実世界をヴァルハラが侵食しつつあった。それは「ウロボロス」についた魔女モルガン・ル・フェの協力によるものだ。

「これが『ウロボロス』? の言ってたこと? 海じゃん」

「靴ん中びちゃびちゃなんだけど。最悪」

 群衆は足を止め思い思いのことをつぶやく。

 そんな中、テレビ放送に映っていた『ウロボロス』の主席ベオウルフが駅前の広場に降り立った。

「あれってベオウルフ? テレビよりイケメンじゃん」

「剣持ってるよ。離れようよ」

「コスプレじゃない?」

 足を止め彼を撮影する者、足早に立ち去る者に人々が二分される中、突如として黒い影がベオウルフの背後から襲い掛かる。その手には黒曜石のナイフ。

 ヴァルキリーの死神である。

 標的が新宿駅と明言されていたこともあり、即座にヴァルキリーが配置した死神だった。

 刹那。ベオウルフは引き抜いたフルンティングで死神を一刀両断する。彼の近くに集まっている人々には何が起こったか理解できない。

 死神の両断された上半身がナイフをベオウルフに投擲するが、素手で掴み取られる。その手に傷はない。

 ベオウルフが黒衣の死神の心臓に剣を突き立て止めを刺すと、状況をようやく理解できた人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。

「やはりこの程度。僕の考える通りだ」

 次々と襲い掛かる死神を返り討ちにしつつ、死神の現状を再確認し落胆するベオウルフ。

「悪いがこの手の戦闘はしばらく続くよ、避難してくれ」

 そう言ったベオウルフが次なる殺気を感じた瞬間、パニック状態に陥った民衆たちが一斉に倒れた。彼らの手足が切断されたからだ。

 その血は浅瀬の海を赤く汚し、鳴り止まない悲鳴がベオウルフの鼓膜に響く。

「殺殺殺殺殺殺殺」

 中国風の華美な鎧を纏い、褐色の馬に乗った人物。

 張献忠。ヘルムヴィーゲですら取り立てなかったシュヴェルトライテの子飼いであり、殺傷能力だけならヴァルキリー側で随一の存在であった。

 そして四肢の切断。彼が生前好んだ虐殺方法である。

 この現象は何らかの権能により為されたことだとベオウルフは考えた。弾き切った彼への斬撃は全て彼の四肢に向けられていたからだ。

 つまりこの場にいる人間全てに同じ現象が起こったということになる。

 ベオウルフは守護すべきである人間を簡単に巻き込むヴァルキリーと、目算の甘かった自身に怒りを感じた。

 彼は一発自分の顔に拳を叩き込むと、毅然とした態度で臨む。

「名乗れ。僕はイェーアト族の勇士ベオウルフ。汝の名は?」

「……殺」

 血で染まる足元を見たその死神は、意味を為さない言葉を発して笑うだけだった。

「獣か。ならば容赦は無用」

 彼がフルンティングを固く握りしめ斬りかかろうとしたその瞬間。

 騎乗した男が横殴りに吹き飛ばされた。殴り飛ばしたのは後から転移した死神、レグネル・ロートブログ。

「テメエ、なんのつもりだ張献忠。儂らの仕事は人間を殺すことじゃない。『ウロボロス』と戦うことだろうが」

「殺! 殺殺!」

「貴様の行いは万死に値する。これは騎士としてではなく、人としての言葉だ。故に──」

 レグネルと同時に転移してきたパーシバルが背後から聖槍ロンギヌスを突き刺す。

「騎士道は捨てる」

 咄嗟に心臓への直撃を回避した張献忠。

「殺殺殺殺殺殺殺!」

 彼は怒りに顔を歪め第二権能を発動させる。

 第二権能。それは一部の優れた死神とヴァルキリーに選ばれた死神だけが持つことを許される特権。

 張献忠は泣き叫ぶ人間と既に死んだ人間の「死」の全てを取り込む。生きていた人間は死に、死体は塵となった。

「殺!」

 彼はほくそ笑む。彼の第二権能は殺したものと同種族のものを同じ数だけ追加で殺すもの。発動すれば発動するだけ指数関数的に犠牲者が増える。

 その上限は三百万。彼が生前指揮し、虐殺した数である。

 既に張献忠の頭からシュヴェルトライテの命令は抜けている。

 ベオウルフたちが守ろうとする人間を一人でも多く殺すことで、自らに手向かう彼らに報復することだけが彼を突き動かしている。

 ベオウルフにとって張献忠の権能の詳細は不明だったが発動を阻止すべく動く。

 だが第一の権能である四肢を狙う斬撃に狙われ、一気に間合いに入りきれない。

 百人以上の四肢を同時に切断せしめた数百の斬撃が同時に迫り来るが、それら全て捌き切って進み続ける。

「ああ本当にこの『役立たずの剣』(フルンティング)は!」

 彼の剣は生前「勇士が持てば戦に負けることのない逸品」として持たされたものだが、何の能力も無く怪物との戦いではまるで役に立たなかった。

 その逸話からヴァルキリーはベオウルフの力を抑える目的で、彼の普段使いの武器を弱いフルンティングに決定したのである。

 故に毎秒数百回を超える斬撃を捌いているのは全て彼の技量によるものだ。

「殺殺殺殺殺殺殺!」

 張献忠が今にも権能を発動しようとした瞬間、ベオウルフとパーシバルが前後から迫る。

「モルガン! 頼む!」

 ベオウルフが叫ぶと彼をサポートする魔女の手で張献忠の権能発動が止まった。だが一時的なものだ。フルンティングではヴァルキリーに特別な力を授けられたこの男にどれだけ効くのかわからない。

「私が止めを刺す」

 パーシバルが二撃目の攻撃を繰り出した。張献忠は片手でそれを防いで見せる。「造作もない」と言うように。彼は今この場にいた百人以上の人間の霊力を身に宿している。

「殺・殺・殺・殺・殺・殺・殺!」

 勝ち誇る張献忠。

 刺された者の死を確認する為の槍、聖槍ロンギヌス。

 一度目の攻撃はこの槍でなくてもいい、とにかく二撃目をこの槍で刺せばどんな攻撃でも相手を死に至らしめることができる。

 だがそれは攻撃が通用すればの話だ。

 しかしその隙に剣を放り捨てたベオウルフが既に攻撃の間合いに入っている。

 つまりは彼の得意分野は素手だった。

 ベオウルフの鋭い拳が、一撃で張献忠の頭をザクロのように割る。

 最悪の死神、張献忠はあっけなく死んだ。

 彼を殺すだけならパーシバルと挟撃する必要はなかった。だが余計な犠牲を出さないためにパーシバルを利用し最速で張献忠を殺したのだった。

 そして張献忠が新宿に派遣された理由。それは「ウロボロス」に虐殺の責任をなすり付け、「ウロボロス」討伐の大義名分を得ようとしたシュヴェルトライテの策略だった。

「どうする? このまま二対一でも構わないけどね」

 それを聞いたレグネルとパーシバルは無言で撤退を開始する。

 二人ともベオウルフの剣の技量は見切ったが、張献忠を殺した突きはまだ本気の一撃でないことを察したからだ。

 両名の見解は話さずとも一致した。「伝承通り彼は素手の方が強い。そして底が知れない」ということを。


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次のエピソードへ進む 第73話 不必要な犠牲


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 始めは触ることのできなかった幻影のような海も、時間が経つにつれ駅周辺の人々の足を濡らし始めていた。
 現実世界をヴァルハラが侵食しつつあった。それは「ウロボロス」についた魔女モルガン・ル・フェの協力によるものだ。
「これが『ウロボロス』? の言ってたこと? 海じゃん」
「靴ん中びちゃびちゃなんだけど。最悪」
 群衆は足を止め思い思いのことをつぶやく。
 そんな中、テレビ放送に映っていた『ウロボロス』の主席ベオウルフが駅前の広場に降り立った。
「あれってベオウルフ? テレビよりイケメンじゃん」
「剣持ってるよ。離れようよ」
「コスプレじゃない?」
 足を止め彼を撮影する者、足早に立ち去る者に人々が二分される中、突如として黒い影がベオウルフの背後から襲い掛かる。その手には黒曜石のナイフ。
 ヴァルキリーの死神である。
 標的が新宿駅と明言されていたこともあり、即座にヴァルキリーが配置した死神だった。
 刹那。ベオウルフは引き抜いたフルンティングで死神を一刀両断する。彼の近くに集まっている人々には何が起こったか理解できない。
 死神の両断された上半身がナイフをベオウルフに投擲するが、素手で掴み取られる。その手に傷はない。
 ベオウルフが黒衣の死神の心臓に剣を突き立て止めを刺すと、状況をようやく理解できた人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。
「やはりこの程度。僕の考える通りだ」
 次々と襲い掛かる死神を返り討ちにしつつ、死神の現状を再確認し落胆するベオウルフ。
「悪いがこの手の戦闘はしばらく続くよ、避難してくれ」
 そう言ったベオウルフが次なる殺気を感じた瞬間、パニック状態に陥った民衆たちが一斉に倒れた。彼らの手足が切断されたからだ。
 その血は浅瀬の海を赤く汚し、鳴り止まない悲鳴がベオウルフの鼓膜に響く。
「殺殺殺殺殺殺殺」
 中国風の華美な鎧を纏い、褐色の馬に乗った人物。
 張献忠。ヘルムヴィーゲですら取り立てなかったシュヴェルトライテの子飼いであり、殺傷能力だけならヴァルキリー側で随一の存在であった。
 そして四肢の切断。彼が生前好んだ虐殺方法である。
 この現象は何らかの権能により為されたことだとベオウルフは考えた。弾き切った彼への斬撃は全て彼の四肢に向けられていたからだ。
 つまりこの場にいる人間全てに同じ現象が起こったということになる。
 ベオウルフは守護すべきである人間を簡単に巻き込むヴァルキリーと、目算の甘かった自身に怒りを感じた。
 彼は一発自分の顔に拳を叩き込むと、毅然とした態度で臨む。
「名乗れ。僕はイェーアト族の勇士ベオウルフ。汝の名は?」
「……殺」
 血で染まる足元を見たその死神は、意味を為さない言葉を発して笑うだけだった。
「獣か。ならば容赦は無用」
 彼がフルンティングを固く握りしめ斬りかかろうとしたその瞬間。
 騎乗した男が横殴りに吹き飛ばされた。殴り飛ばしたのは後から転移した死神、レグネル・ロートブログ。
「テメエ、なんのつもりだ張献忠。儂らの仕事は人間を殺すことじゃない。『ウロボロス』と戦うことだろうが」
「殺! 殺殺!」
「貴様の行いは万死に値する。これは騎士としてではなく、人としての言葉だ。故に──」
 レグネルと同時に転移してきたパーシバルが背後から聖槍ロンギヌスを突き刺す。
「騎士道は捨てる」
 咄嗟に心臓への直撃を回避した張献忠。
「殺殺殺殺殺殺殺!」
 彼は怒りに顔を歪め第二権能を発動させる。
 第二権能。それは一部の優れた死神とヴァルキリーに選ばれた死神だけが持つことを許される特権。
 張献忠は泣き叫ぶ人間と既に死んだ人間の「死」の全てを取り込む。生きていた人間は死に、死体は塵となった。
「殺!」
 彼はほくそ笑む。彼の第二権能は殺したものと同種族のものを同じ数だけ追加で殺すもの。発動すれば発動するだけ指数関数的に犠牲者が増える。
 その上限は三百万。彼が生前指揮し、虐殺した数である。
 既に張献忠の頭からシュヴェルトライテの命令は抜けている。
 ベオウルフたちが守ろうとする人間を一人でも多く殺すことで、自らに手向かう彼らに報復することだけが彼を突き動かしている。
 ベオウルフにとって張献忠の権能の詳細は不明だったが発動を阻止すべく動く。
 だが第一の権能である四肢を狙う斬撃に狙われ、一気に間合いに入りきれない。
 百人以上の四肢を同時に切断せしめた数百の斬撃が同時に迫り来るが、それら全て捌き切って進み続ける。
「ああ本当にこの|『役立たずの剣』《フルンティング》は!」
 彼の剣は生前「勇士が持てば戦に負けることのない逸品」として持たされたものだが、何の能力も無く怪物との戦いではまるで役に立たなかった。
 その逸話からヴァルキリーはベオウルフの力を抑える目的で、彼の普段使いの武器を弱いフルンティングに決定したのである。
 故に毎秒数百回を超える斬撃を捌いているのは全て彼の技量によるものだ。
「殺殺殺殺殺殺殺!」
 張献忠が今にも権能を発動しようとした瞬間、ベオウルフとパーシバルが前後から迫る。
「モルガン! 頼む!」
 ベオウルフが叫ぶと彼をサポートする魔女の手で張献忠の権能発動が止まった。だが一時的なものだ。フルンティングではヴァルキリーに特別な力を授けられたこの男にどれだけ効くのかわからない。
「私が止めを刺す」
 パーシバルが二撃目の攻撃を繰り出した。張献忠は片手でそれを防いで見せる。「造作もない」と言うように。彼は今この場にいた百人以上の人間の霊力を身に宿している。
「殺・殺・殺・殺・殺・殺・殺!」
 勝ち誇る張献忠。
 刺された者の死を確認する為の槍、聖槍ロンギヌス。
 一度目の攻撃はこの槍でなくてもいい、とにかく二撃目をこの槍で刺せばどんな攻撃でも相手を死に至らしめることができる。
 だがそれは攻撃が通用すればの話だ。
 しかしその隙に剣を放り捨てたベオウルフが既に攻撃の間合いに入っている。
 つまりは彼の得意分野は素手だった。
 ベオウルフの鋭い拳が、一撃で張献忠の頭をザクロのように割る。
 最悪の死神、張献忠はあっけなく死んだ。
 彼を殺すだけならパーシバルと挟撃する必要はなかった。だが余計な犠牲を出さないためにパーシバルを利用し最速で張献忠を殺したのだった。
 そして張献忠が新宿に派遣された理由。それは「ウロボロス」に虐殺の責任をなすり付け、「ウロボロス」討伐の大義名分を得ようとしたシュヴェルトライテの策略だった。
「どうする? このまま二対一でも構わないけどね」
 それを聞いたレグネルとパーシバルは無言で撤退を開始する。
 二人ともベオウルフの剣の技量は見切ったが、張献忠を殺した突きはまだ本気の一撃でないことを察したからだ。
 両名の見解は話さずとも一致した。「伝承通り彼は素手の方が強い。そして底が知れない」ということを。