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第20回

ー/ー



「……レン。これは酷かもしれないけれど、あえて忌憚(きたん)なく言わせてもらえば、彼がきみと感応する魔断であったかどうか、分からないんだよ。魔導杖との相性にもよるからね。
 それに、もしそうだとしても、別の魔断と感応できないとは限らない。数は少ないけれど、魔断を失った退魔師が、その後別の魔断と感応した前例もある」

 言いづらそうに組んだ指の下で足を組み替えるが、目はそらさない。
 その姿に、レンはそっと首を振った。

「幼くして孤児となった私のためにいろいろと手を尽くしてくださったご恩は、深く感じています。あの人のためばかりでなく、私自身、退魔師になれたあかつきには何よりもまずこの宮にご恩返しをしなくてはと、ずっと思っていました」
「そんなことは――」

 考えなくていい、と言いかけた蒼駕の言葉を、失礼を承知であえてさえぎってレンは先を続ける。

「大切なことです。とても、うやむやにはできません。
 あの岩の中で消えていてもおかしくなかった命を救っていただき、ここまで育てていただきながら何ひとつお返ししないなんて、あつかましいにもほどがあるでしょう。

 上級退魔剣士であれ、というご期待に沿えない以上、養育費用の返済は当然のことです。また、退魔師がとても貴重な存在であることも、分かっています。魅魎と相対する能力を神より授かり、この世に生まれることが、どれだけの義務を伴っているのかも。分かってはいるんです。
 でも……」

 言葉を止め、すうっと息を吸う。
 目の周辺が熱い。これから告げることがどれだけ彼や翠珂を失望させることになるかと思うと、こらえていた涙が、こぼれてしまいそうだった。

 けれど、告げなくてはいけないのだ。自分の口で、この人に。

 一体勇気はどこへいってしまったのか……(もろ)くなった壁のように、ぼろぼろと胸の中からはがれていきそうな弱さをこらえ、さらに力をこめることで声から震えをとると、ずっと、考え続けてきた言葉を口にした。

「私にはもう、退魔師になることを望む資格すら、ないんです。あの人を失った瞬間に、私は、退魔師であることを捨ててしまいました」
「なにを――」

 驚きのあまり、言葉を発したのは壁に控えていた翠珂だった。
 目を(みは)っている彼とは対照的に、蒼駕は無言で、表情ひとつ変えない。静かにレンを見返すだけだ。
 もしかすると、魔導杖を返すと言ったときから、半ば予想していたのかもしれない。

「私が断ちたいのは、唯一あの魅魎だけです。人々の守護よりも、自分の命よりも、あの魅魎を断つことが1番になってしまいました。
 目的を遂げるためであれば何を犠牲にしてもいい――これは、退魔師の持つものではありません」

 彼女の青白い面に浮かんだ変化――自嘲めいた、ほんのわずかな唇の歪みを、蒼駕は静かな笑みだと見た。
 見せられた自分のほうが胸が苦しくなるほどせつない、もどかしい笑み。それは、もはや笑うしかない哀しみに思えて、翠珂はかける言葉を失った。

 唐突に、彼女がレンの姿をした別人に思えた。
 死よりも辛い絶望に砕けた全てを再びつなぎあわせて目覚めた彼女は、もはやこれまでの彼女とは違う存在になってしまったのではないか? そんな謎めいた緊迫感を感じとる。
 そしてそんな彼女は、まるで断ち切られる寸前の糸のように限界まで張り詰めているようで、とても危うく見えた。

 しばしの沈黙の後、蒼駕が小さく息を()いて立ち上がる。

「分かった。きみの意志として、先の言葉は私から宮母さまに伝えておくよ。でも、それは受けとれない。感応した以上、それはきみが生きている限り、きみだけのものだからね。
 費用のこととか、義務とか、そんなことは考えなくていいから、とにかく今は傷を治すことにだけ気を配りなさい」
「無理を言って、申しわけありません」

 シーツについた指に額が触れるくらい、頭を下げた。

 たとえ時間を置き、いくら考え直せと言ったところで決して変わらないだろう。それは、この部屋にいる3人とも、はっきりと悟っている。
 もう彼女にも、蒼駕にも、何もかわす言葉はない。

 蒼駕が退室しても頭を上げようとしないレンに、翠珂が近づく。彼女の手元には、小さな涙の染みがいくつもできていた……。


◆◆◆


 レンの部屋を出た蒼駕を待っていたのは、紅茶色の髪をした少女だった。

 180近い長身のせいか存在感があり、少女という表現は少々不適切ではないかとも思われるが、女性らしい丸みをおびた肢体はまだ熟しきってはおらず、開花を間近にひかえた蕾のように、時間の与える変化を期待するに足る雰囲気がある。
 すらりと伸びた手足といい、知恵の輝きのある柔和な眼差しといい、とても美しい女性だ。

「操主」

 と蒼駕は彼女を呼んで、この場に居合わせたことに少し驚いた顔をしたものの、すぐに笑みを浮かべて近付いた。

「このような場で会うとは奇遇ですね。彼女に何かご用ですか?」
「ええ、あなたにね」

 少女は肩を竦めて答えると、蒼駕のとった間合いに満足がいかないように、さらに一歩前に踏み出して身を寄せる。

「ついさっき宮母さまとの話を終えたの。どう引き延ばしてもあと4日、何かとんでもないことでも起きない限り、それ以上は無理ですって」
「そうですか……」

 これ以上『とんでもないこと』などあるのかと、少々皮肉気な考えが浮かぶことに、自身でも相当まいっているのを自覚しながらため息をついた。

「あたしたち、3日以内に出立しなくちゃいけないわ。そのことをあなたにも知らせようと執務室に行ったら、あなたはここと言われたの」

 なめらかで光沢のある、繻子を連想させる少女のはきはきとした声の明るさに、安堵を感じて見入る。
 彼にとって何より失いがたいものは、こうしてまだ彼の手の届く位置にあった。

 失ってしまった彼女を見舞った今は、特にその大切さを感じてしまう。後ろめたさを感じながらも。

 おそらくその罪悪感が出てしまったのだろう。少女は、そういうことにとても敏感だから。
 腕を伸ばし、はさみこむようにして彼の頬にそっと両手をあてた。

「冴えない顔してるわね。そんなに傷ついたりするなら、どうしてあんなこと口にしたりしたの」
「操主……」
「ひとは、だれもひとの生き方を指図することはできないのよ。正しいとか、間違ってるとか、そういうのじゃないの。知ってるくせに」

 しようのない人ね、そう言いたげに彼女は苦笑を浮かべる。
 まろやかな光を弾く紅褐色の瞳は、臆することなくまっすぐ彼の心の奥底まで覗きこんでくる。

 感応して、心の一部がつながっているから、ということもあるだろうが、きっとそれだけではない。

 彼女には何ひとつ隠すこともごまかすこともできないのだと、じんわりと伝わってくる、温かないたわりに今さらのように思い知って、蒼駕は当たり障りのないよう浮かべていた笑みを消すと、ほおに触れた彼女の手を外側から包んで、半眼を閉じた。

「……うん。今回の事件はぼくにも責任がある。ぼくは、彼女を元通りにすることで自分のあやまちを少しでも償えたと思い、自己満足したいだけなんだ」

 自嘲もあらわなその言葉に、彼女はそっと彼を肩に抱き寄せた。

「それも違うわ。ばかね。ひとのことならすぐ分かるのに、自分のことになるとてんでだめなんだから……要領の悪いひと」

 400年以上の歳月をすごし、魔断の最高役職である執務補佐長として宮中の者たちから敬意を受けてきた蒼駕も、彼女の前ではかたなしだ。
 ぽんぽんと頭をたたき、彼女は言った。

「ミスティア国王との契約は、あたし1人でもできるわ。あんなの、ただの形式だけのものだし。あなたはここに残って、不安を晴らしてから来るといいわ」
「えっ!? ですが、それでは――」

 上級退魔剣士が魔断も連れずに王の御前に出るなど、皆の手前、格好がつかないでしょうと、申し出にうろたえて身を起こそうとする彼の頭を引き戻して、彼女は何も言う必要はないと言いたげに自信のこもった声で言った。

「出立して、そんなあなたを見ているなんていやよ。
 第一あんなの、魔断の品評会みたいじゃない。そんなふうにあなたを見られるなんて、いやだわ。それくらいならあたし1人で出たほうがよっぽどマシよ。
 向こうは、ずっと宮の外交を仕切っていた敏腕執務補佐長のあなたを品定めする気でいるんでしょうけど、おあいにくさま。鼻で笑ってやるわ」

 少女の強気な言葉に、蒼駕も苦笑を禁じ得ない。

「アスール。それはちょっと意地悪が過ぎるのでは?」

 くつくつと笑う蒼駕の声を聞いて、ようやく少女は彼を放し、一歩下がって彼を見る。
 そして笑顔で告げた。

「いいの。どうせ彼らには、あなたの価直が分かるわけないんだから。
 大丈夫よ。そんな、長い時間離れるわけじゃないわ。彼女は、何が幸いであるか悟れないひとじゃないもの。自分を心配する人たちがいるのに、その気持ちを無視して不幸を選ぶようなことはしないわ。だから、大丈夫」

 と。


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「……レン。これは酷かもしれないけれど、あえて|忌憚《きたん》なく言わせてもらえば、彼がきみと感応する魔断であったかどうか、分からないんだよ。魔導杖との相性にもよるからね。
 それに、もしそうだとしても、別の魔断と感応できないとは限らない。数は少ないけれど、魔断を失った退魔師が、その後別の魔断と感応した前例もある」
 言いづらそうに組んだ指の下で足を組み替えるが、目はそらさない。
 その姿に、レンはそっと首を振った。
「幼くして孤児となった私のためにいろいろと手を尽くしてくださったご恩は、深く感じています。あの人のためばかりでなく、私自身、退魔師になれたあかつきには何よりもまずこの宮にご恩返しをしなくてはと、ずっと思っていました」
「そんなことは――」
 考えなくていい、と言いかけた蒼駕の言葉を、失礼を承知であえてさえぎってレンは先を続ける。
「大切なことです。とても、うやむやにはできません。
 あの岩の中で消えていてもおかしくなかった命を救っていただき、ここまで育てていただきながら何ひとつお返ししないなんて、あつかましいにもほどがあるでしょう。
 上級退魔剣士であれ、というご期待に沿えない以上、養育費用の返済は当然のことです。また、退魔師がとても貴重な存在であることも、分かっています。魅魎と相対する能力を神より授かり、この世に生まれることが、どれだけの義務を伴っているのかも。分かってはいるんです。
 でも……」
 言葉を止め、すうっと息を吸う。
 目の周辺が熱い。これから告げることがどれだけ彼や翠珂を失望させることになるかと思うと、こらえていた涙が、こぼれてしまいそうだった。
 けれど、告げなくてはいけないのだ。自分の口で、この人に。
 一体勇気はどこへいってしまったのか……|脆《もろ》くなった壁のように、ぼろぼろと胸の中からはがれていきそうな弱さをこらえ、さらに力をこめることで声から震えをとると、ずっと、考え続けてきた言葉を口にした。
「私にはもう、退魔師になることを望む資格すら、ないんです。あの人を失った瞬間に、私は、退魔師であることを捨ててしまいました」
「なにを――」
 驚きのあまり、言葉を発したのは壁に控えていた翠珂だった。
 目を|瞠《みは》っている彼とは対照的に、蒼駕は無言で、表情ひとつ変えない。静かにレンを見返すだけだ。
 もしかすると、魔導杖を返すと言ったときから、半ば予想していたのかもしれない。
「私が断ちたいのは、唯一あの魅魎だけです。人々の守護よりも、自分の命よりも、あの魅魎を断つことが1番になってしまいました。
 目的を遂げるためであれば何を犠牲にしてもいい――これは、退魔師の持つものではありません」
 彼女の青白い面に浮かんだ変化――自嘲めいた、ほんのわずかな唇の歪みを、蒼駕は静かな笑みだと見た。
 見せられた自分のほうが胸が苦しくなるほどせつない、もどかしい笑み。それは、もはや笑うしかない哀しみに思えて、翠珂はかける言葉を失った。
 唐突に、彼女がレンの姿をした別人に思えた。
 死よりも辛い絶望に砕けた全てを再びつなぎあわせて目覚めた彼女は、もはやこれまでの彼女とは違う存在になってしまったのではないか? そんな謎めいた緊迫感を感じとる。
 そしてそんな彼女は、まるで断ち切られる寸前の糸のように限界まで張り詰めているようで、とても危うく見えた。
 しばしの沈黙の後、蒼駕が小さく息を|吐《と》いて立ち上がる。
「分かった。きみの意志として、先の言葉は私から宮母さまに伝えておくよ。でも、それは受けとれない。感応した以上、それはきみが生きている限り、きみだけのものだからね。
 費用のこととか、義務とか、そんなことは考えなくていいから、とにかく今は傷を治すことにだけ気を配りなさい」
「無理を言って、申しわけありません」
 シーツについた指に額が触れるくらい、頭を下げた。
 たとえ時間を置き、いくら考え直せと言ったところで決して変わらないだろう。それは、この部屋にいる3人とも、はっきりと悟っている。
 もう彼女にも、蒼駕にも、何もかわす言葉はない。
 蒼駕が退室しても頭を上げようとしないレンに、翠珂が近づく。彼女の手元には、小さな涙の染みがいくつもできていた……。
◆◆◆
 レンの部屋を出た蒼駕を待っていたのは、紅茶色の髪をした少女だった。
 180近い長身のせいか存在感があり、少女という表現は少々不適切ではないかとも思われるが、女性らしい丸みをおびた肢体はまだ熟しきってはおらず、開花を間近にひかえた蕾のように、時間の与える変化を期待するに足る雰囲気がある。
 すらりと伸びた手足といい、知恵の輝きのある柔和な眼差しといい、とても美しい女性だ。
「操主」
 と蒼駕は彼女を呼んで、この場に居合わせたことに少し驚いた顔をしたものの、すぐに笑みを浮かべて近付いた。
「このような場で会うとは奇遇ですね。彼女に何かご用ですか?」
「ええ、あなたにね」
 少女は肩を竦めて答えると、蒼駕のとった間合いに満足がいかないように、さらに一歩前に踏み出して身を寄せる。
「ついさっき宮母さまとの話を終えたの。どう引き延ばしてもあと4日、何かとんでもないことでも起きない限り、それ以上は無理ですって」
「そうですか……」
 これ以上『とんでもないこと』などあるのかと、少々皮肉気な考えが浮かぶことに、自身でも相当まいっているのを自覚しながらため息をついた。
「あたしたち、3日以内に出立しなくちゃいけないわ。そのことをあなたにも知らせようと執務室に行ったら、あなたはここと言われたの」
 なめらかで光沢のある、繻子を連想させる少女のはきはきとした声の明るさに、安堵を感じて見入る。
 彼にとって何より失いがたいものは、こうしてまだ彼の手の届く位置にあった。
 失ってしまった彼女を見舞った今は、特にその大切さを感じてしまう。後ろめたさを感じながらも。
 おそらくその罪悪感が出てしまったのだろう。少女は、そういうことにとても敏感だから。
 腕を伸ばし、はさみこむようにして彼の頬にそっと両手をあてた。
「冴えない顔してるわね。そんなに傷ついたりするなら、どうしてあんなこと口にしたりしたの」
「操主……」
「ひとは、だれもひとの生き方を指図することはできないのよ。正しいとか、間違ってるとか、そういうのじゃないの。知ってるくせに」
 しようのない人ね、そう言いたげに彼女は苦笑を浮かべる。
 まろやかな光を弾く紅褐色の瞳は、臆することなくまっすぐ彼の心の奥底まで覗きこんでくる。
 感応して、心の一部がつながっているから、ということもあるだろうが、きっとそれだけではない。
 彼女には何ひとつ隠すこともごまかすこともできないのだと、じんわりと伝わってくる、温かないたわりに今さらのように思い知って、蒼駕は当たり障りのないよう浮かべていた笑みを消すと、ほおに触れた彼女の手を外側から包んで、半眼を閉じた。
「……うん。今回の事件はぼくにも責任がある。ぼくは、彼女を元通りにすることで自分のあやまちを少しでも償えたと思い、自己満足したいだけなんだ」
 自嘲もあらわなその言葉に、彼女はそっと彼を肩に抱き寄せた。
「それも違うわ。ばかね。ひとのことならすぐ分かるのに、自分のことになるとてんでだめなんだから……要領の悪いひと」
 400年以上の歳月をすごし、魔断の最高役職である執務補佐長として宮中の者たちから敬意を受けてきた蒼駕も、彼女の前ではかたなしだ。
 ぽんぽんと頭をたたき、彼女は言った。
「ミスティア国王との契約は、あたし1人でもできるわ。あんなの、ただの形式だけのものだし。あなたはここに残って、不安を晴らしてから来るといいわ」
「えっ!? ですが、それでは――」
 上級退魔剣士が魔断も連れずに王の御前に出るなど、皆の手前、格好がつかないでしょうと、申し出にうろたえて身を起こそうとする彼の頭を引き戻して、彼女は何も言う必要はないと言いたげに自信のこもった声で言った。
「出立して、そんなあなたを見ているなんていやよ。
 第一あんなの、魔断の品評会みたいじゃない。そんなふうにあなたを見られるなんて、いやだわ。それくらいならあたし1人で出たほうがよっぽどマシよ。
 向こうは、ずっと宮の外交を仕切っていた敏腕執務補佐長のあなたを品定めする気でいるんでしょうけど、おあいにくさま。鼻で笑ってやるわ」
 少女の強気な言葉に、蒼駕も苦笑を禁じ得ない。
「アスール。それはちょっと意地悪が過ぎるのでは?」
 くつくつと笑う蒼駕の声を聞いて、ようやく少女は彼を放し、一歩下がって彼を見る。
 そして笑顔で告げた。
「いいの。どうせ彼らには、あなたの価直が分かるわけないんだから。
 大丈夫よ。そんな、長い時間離れるわけじゃないわ。彼女は、何が幸いであるか悟れないひとじゃないもの。自分を心配する人たちがいるのに、その気持ちを無視して不幸を選ぶようなことはしないわ。だから、大丈夫」
 と。