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第7回

ー/ー



 レンの両親は『流れ』の商隊の一員だった。

 『流れ』とは定置を持たず、大陸中を移動する者たちの総称である。
 彼らのほとんどは砂漠を横断中、どこから現れるともしれない魅魎の襲撃を警戒して、集団で移り歩く。
 その主たる者たちは商人だ。彼らは赴いた先々で商品を買い入れ、仕入れた情報をもとにあらゆる国を訪れる。古い隊であれば、ちょっとした町ほどの規模をもつものまであるという。

 両親の所属していた商隊がはたしてどれほどの規模のものであったか、レンには知りようがなかった。
 比較しようにも当時の自分はまだ5つか6つ。もうはるか昔とさえ呼べる、10年も前にしていた、遠い日々だ。
 あの襲撃のように、衝撃的な出来事があったならまだしも、自分は両親の庇護のもとで愛情に包まれた穏やかな日々を送っていた、ごく普通の少女だった。

 ただ、それほど小さくもなかったとは、思う。
 断片的な記憶の中では日常に必要な物品の大体が自分たちの商隊内でまかなえており、『流れ』の退魔剣士たちも常に雇用していられたから。

 そしてあの運命の夜。

 一体何がどうあったのか、詳しくは知らない。砂漠移動用動物のイマラに乗り、荷車を引きながら、商隊は次の目的地を目指していた。
 思うに多分、それはサキスだったろう。砂漠を移動するのは夕方と明け方が効率がいいとされながら、その日の行軍は夜中にまでおよんだ。

 これはあくまで推測だが、おそらく外門から火の消える朝を防砂壁の側で待って、町に入るつもりだったに違いない。そうしたら朝市から店が開ける。
 サキスの市場は場所によっては位置の定まっていない所もあるし、昼からでは遅すぎる。商隊の停留日数は厳格に管理されているから1日も無駄にはできなかったはずだ。

 夜の砂漠を連なって行く火の群れは遠目にも目立つ。たとえ姿が闇にまぎれていたとしても、それを目にした誰もが『流れ』の行商者たちであると分かっただろう。
 魅魎にも。

「魎鬼だ!」

 恐怖に色濃く縁どられた、張りつめた叫びを聞いたような気がする。母に抱かれて眠っていたのだが、またがったイマラの歩く揺れが突然止まったので、その反動で揺り起こされてしまったのだ。

「魎鬼の群れだ!」

 まぶたをこすりながら再び聞いた声は緊迫感をはらみ、固く、険しかった。
 ざわざわとせわしなく周囲を見回す人たち。闇から気配を嗅ぎとった家畜たちが狂ったように鳴きわめいて箱の中で暴れている。

 カサついた(うろこ)におおわれ、短く太い四足で低重心といった、どっしりとした見た目から受ける印象どおり、物事に動じない、穏やかな性質で主に忠実なイマラたちでさえ、落ち着きなくその場で足踏みをし、身を振るっては弱々しく鳴いていた。

 それから記憶は少し曖昧に途切れる。

 きっと、雇っていた『流れ』の退魔師たちもやられてしまったのだろう。あるいは、魎鬼の数があまりに多すぎて、彼らの手に余っていたのかもしれない。
 とにかくだれもが恐慌状態に陥り、狂ったように意味をなさない悲鳴めいた言葉を四方に発し続けていた。

 やがて、獣の威嚇のようなうなり声と絶望の悲鳴、血臭に埋めつくされ始めた中からだれかが自分と母を連れ出した。
 あれは父だとは思うが、不安定な記憶は詳しく思い出そうとするたび揺れて、どうしても覚たるものとして浮かんできてくれない。

「ここに隠れていろ!」

 逼迫(ひっぱく)した表情で怒鳴り、岩にあいた縦穴に自分たちを降ろした、あの恐ろしげな顔をした男は、本当に父だったのだろうか?
 いつも膝に抱きよせ、母の顔にはない、長いひげが不思議で引っ張る手にも優しく笑って、好きにさせてくれた父。

「お父さんが、すぐに、来てくださるわ……」

 周囲の暗闇と悲鳴と荷車が壊される音におびえる自分を抱きよせてはしぼんでゆく風船のような声で、母は何度となく勇気づけてくれた。だからやはり、あれは父だったと思う。

 だがその母もやがて動かなくなった。逃げる際に傷を負っていたのだ。それは徐々に母から生きる力を奪い、最後には命の灯まで奪っていった。

 どのくらい泣いていたか分からない。朝がきて、夜がきて。少なくともそれを3回はくり返したと思う。胃のきりきりするような空腹はいつしか消え、食欲を失い、膝を抱いてじっとうずくまってばかりいた。

 そうして訪れた夜に、彩煉と出会ったのだ。

 魎鬼に襲われた跡を見つけたとの通報を受けてやってきた西方警備長の1人が、彩煉。
 岩の隙間からもれ聞こえてきた、癇癪(かんしゃく)を起こした自分の泣き声に敏感に気付き、見つけてくれた。

 人ではない。それは岩穴の底から彼を見上げたときから分かっていたこと。

 はたして何と表すべきなのか……うまく符号する言葉は何ひとつ知らなかったけれど、人とは違う存在であるのは幼心にも悟れた。

 こんな()などいるはずがない。町から町へと渡り歩く日々を送ってきた中、さまざまな風体をした人を見た。
 中には子ども心ながらきれいだと見惚れた人たちも大勢いた。けれど違う。根本的に、人間の持つ美しさとは次元の違う、洗練された美貌を当然として身に備えているのだ、この人は。

 人の用いる言葉で表現しようとすること自体が無茶と思えるその目の覚めるような優美な肢体は、現れた一瞬で闇と冷気、死のにおいの満ちたこの岩穴から、孤独と恐怖を消してくれた。
 ひょいと抱き上げて、軽々と外へと連れ出す。

「名前は? 何というの?」
「……レン」

 かさかさに乾ききった唇から割れた声が出る。
 まさかこんなしゃがれた声になるとは思ってなくて、あまりの恥ずかしさにうつむいた頬に唇で触れ、彩煉は顔を上げさせた。

「そう。実は僕もね、レンっていうんだ。彩煉(さいれん)。親しい者たちには、レンってよく呼ばれる。
 おんなじだね、僕たち」

 笑ってそう言って。後ろから駆け寄ってきた仲間たちに紹介した。

「これはレン。かわいいだろ。今日から僕の妹分だよ」

 得意気に告げてくれた、そのときの気持ちを一体どう表せばいいだろう。
 ぐっとこみあげてきた熱いものに胸をふさがれ、彩煉の首にしがみつくと、大声をあげて泣いていた。

「レ、レン、レン? どうしたの? どこか痛いの?」

 彩煉は驚いた様子だったけれど、引き剥がそうとはしなかった。背をさすってくる、この人とずっと一緒にいたいと、心の底から願った。
 そのためならどんなつらいことでも我慢する。あなたに好かれるためなら何でもするから、どうか、どうかあたしのそばにいて、と……。




「レン? どうかした?」

 突然顔を覗きこまれ、反射的、レンはあとずさった。
 いくら何百回となく見てきたものとはいえ、絶世の美貌をいきなり鼻先数センチのところで認識するのは心臓に悪い。しかもついさっきまでこの人のことを考えていたものだから、ますます意識してしまう。

「いや、あの……、べつに、なにも……」

 直視するのを避け、言葉をつまらせながらどぎまぎと返答する彼女に小首を傾げつつ、彩煉は背を正した。

「そう? 驚いたよ、ついてきてるとばかり思っていたのに立ち止まっていたから」

 戻ってきてくれたのか、うっすらと足跡が砂の上に折り返しついている。

「ごめんなさい」

 謝って、それから腕にそっとしがみついた。
 軽々と抱き上げてくれた腕……でももう、横に並んで組むことができるくらい、自分は大きくなったと。

 兄だなんて、呼べるはずがない。彼へと向かうこの気持ちがはたして何と呼ぶべきものか、知ってしまっている今では。

「ほんとにどうしたの。気分悪い?」
「少しだけ、こうさせて」

 首を振って答えると頬を押しつけ、そっと息を詰めてつぶやく。
 そんなレンの言葉に、

「いつまでたっても甘えん坊だなあ、レンは」

 残酷なほど明るく笑ってそう言うと、彩煉はずれていたフードを正してやった。


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 レンの両親は『流れ』の商隊の一員だった。
 『流れ』とは定置を持たず、大陸中を移動する者たちの総称である。
 彼らのほとんどは砂漠を横断中、どこから現れるともしれない魅魎の襲撃を警戒して、集団で移り歩く。
 その主たる者たちは商人だ。彼らは赴いた先々で商品を買い入れ、仕入れた情報をもとにあらゆる国を訪れる。古い隊であれば、ちょっとした町ほどの規模をもつものまであるという。
 両親の所属していた商隊がはたしてどれほどの規模のものであったか、レンには知りようがなかった。
 比較しようにも当時の自分はまだ5つか6つ。もうはるか昔とさえ呼べる、10年も前にしていた、遠い日々だ。
 あの襲撃のように、衝撃的な出来事があったならまだしも、自分は両親の庇護のもとで愛情に包まれた穏やかな日々を送っていた、ごく普通の少女だった。
 ただ、それほど小さくもなかったとは、思う。
 断片的な記憶の中では日常に必要な物品の大体が自分たちの商隊内でまかなえており、『流れ』の退魔剣士たちも常に雇用していられたから。
 そしてあの運命の夜。
 一体何がどうあったのか、詳しくは知らない。砂漠移動用動物のイマラに乗り、荷車を引きながら、商隊は次の目的地を目指していた。
 思うに多分、それはサキスだったろう。砂漠を移動するのは夕方と明け方が効率がいいとされながら、その日の行軍は夜中にまでおよんだ。
 これはあくまで推測だが、おそらく外門から火の消える朝を防砂壁の側で待って、町に入るつもりだったに違いない。そうしたら朝市から店が開ける。
 サキスの市場は場所によっては位置の定まっていない所もあるし、昼からでは遅すぎる。商隊の停留日数は厳格に管理されているから1日も無駄にはできなかったはずだ。
 夜の砂漠を連なって行く火の群れは遠目にも目立つ。たとえ姿が闇にまぎれていたとしても、それを目にした誰もが『流れ』の行商者たちであると分かっただろう。
 魅魎にも。
「魎鬼だ!」
 恐怖に色濃く縁どられた、張りつめた叫びを聞いたような気がする。母に抱かれて眠っていたのだが、またがったイマラの歩く揺れが突然止まったので、その反動で揺り起こされてしまったのだ。
「魎鬼の群れだ!」
 まぶたをこすりながら再び聞いた声は緊迫感をはらみ、固く、険しかった。
 ざわざわとせわしなく周囲を見回す人たち。闇から気配を嗅ぎとった家畜たちが狂ったように鳴きわめいて箱の中で暴れている。
 カサついた|鱗《うろこ》におおわれ、短く太い四足で低重心といった、どっしりとした見た目から受ける印象どおり、物事に動じない、穏やかな性質で主に忠実なイマラたちでさえ、落ち着きなくその場で足踏みをし、身を振るっては弱々しく鳴いていた。
 それから記憶は少し曖昧に途切れる。
 きっと、雇っていた『流れ』の退魔師たちもやられてしまったのだろう。あるいは、魎鬼の数があまりに多すぎて、彼らの手に余っていたのかもしれない。
 とにかくだれもが恐慌状態に陥り、狂ったように意味をなさない悲鳴めいた言葉を四方に発し続けていた。
 やがて、獣の威嚇のようなうなり声と絶望の悲鳴、血臭に埋めつくされ始めた中からだれかが自分と母を連れ出した。
 あれは父だとは思うが、不安定な記憶は詳しく思い出そうとするたび揺れて、どうしても覚たるものとして浮かんできてくれない。
「ここに隠れていろ!」
 |逼迫《ひっぱく》した表情で怒鳴り、岩にあいた縦穴に自分たちを降ろした、あの恐ろしげな顔をした男は、本当に父だったのだろうか?
 いつも膝に抱きよせ、母の顔にはない、長いひげが不思議で引っ張る手にも優しく笑って、好きにさせてくれた父。
「お父さんが、すぐに、来てくださるわ……」
 周囲の暗闇と悲鳴と荷車が壊される音におびえる自分を抱きよせてはしぼんでゆく風船のような声で、母は何度となく勇気づけてくれた。だからやはり、あれは父だったと思う。
 だがその母もやがて動かなくなった。逃げる際に傷を負っていたのだ。それは徐々に母から生きる力を奪い、最後には命の灯まで奪っていった。
 どのくらい泣いていたか分からない。朝がきて、夜がきて。少なくともそれを3回はくり返したと思う。胃のきりきりするような空腹はいつしか消え、食欲を失い、膝を抱いてじっとうずくまってばかりいた。
 そうして訪れた夜に、彩煉と出会ったのだ。
 魎鬼に襲われた跡を見つけたとの通報を受けてやってきた西方警備長の1人が、彩煉。
 岩の隙間からもれ聞こえてきた、|癇癪《かんしゃく》を起こした自分の泣き声に敏感に気付き、見つけてくれた。
 人ではない。それは岩穴の底から彼を見上げたときから分かっていたこと。
 はたして何と表すべきなのか……うまく符号する言葉は何ひとつ知らなかったけれど、人とは違う存在であるのは幼心にも悟れた。
 こんな|人《・》などいるはずがない。町から町へと渡り歩く日々を送ってきた中、さまざまな風体をした人を見た。
 中には子ども心ながらきれいだと見惚れた人たちも大勢いた。けれど違う。根本的に、人間の持つ美しさとは次元の違う、洗練された美貌を当然として身に備えているのだ、この人は。
 人の用いる言葉で表現しようとすること自体が無茶と思えるその目の覚めるような優美な肢体は、現れた一瞬で闇と冷気、死のにおいの満ちたこの岩穴から、孤独と恐怖を消してくれた。
 ひょいと抱き上げて、軽々と外へと連れ出す。
「名前は? 何というの?」
「……レン」
 かさかさに乾ききった唇から割れた声が出る。
 まさかこんなしゃがれた声になるとは思ってなくて、あまりの恥ずかしさにうつむいた頬に唇で触れ、彩煉は顔を上げさせた。
「そう。実は僕もね、レンっていうんだ。|彩煉《さいれん》。親しい者たちには、レンってよく呼ばれる。
 おんなじだね、僕たち」
 笑ってそう言って。後ろから駆け寄ってきた仲間たちに紹介した。
「これはレン。かわいいだろ。今日から僕の妹分だよ」
 得意気に告げてくれた、そのときの気持ちを一体どう表せばいいだろう。
 ぐっとこみあげてきた熱いものに胸をふさがれ、彩煉の首にしがみつくと、大声をあげて泣いていた。
「レ、レン、レン? どうしたの? どこか痛いの?」
 彩煉は驚いた様子だったけれど、引き剥がそうとはしなかった。背をさすってくる、この人とずっと一緒にいたいと、心の底から願った。
 そのためならどんなつらいことでも我慢する。あなたに好かれるためなら何でもするから、どうか、どうかあたしのそばにいて、と……。
「レン? どうかした?」
 突然顔を覗きこまれ、反射的、レンはあとずさった。
 いくら何百回となく見てきたものとはいえ、絶世の美貌をいきなり鼻先数センチのところで認識するのは心臓に悪い。しかもついさっきまでこの人のことを考えていたものだから、ますます意識してしまう。
「いや、あの……、べつに、なにも……」
 直視するのを避け、言葉をつまらせながらどぎまぎと返答する彼女に小首を傾げつつ、彩煉は背を正した。
「そう? 驚いたよ、ついてきてるとばかり思っていたのに立ち止まっていたから」
 戻ってきてくれたのか、うっすらと足跡が砂の上に折り返しついている。
「ごめんなさい」
 謝って、それから腕にそっとしがみついた。
 軽々と抱き上げてくれた腕……でももう、横に並んで組むことができるくらい、自分は大きくなったと。
 兄だなんて、呼べるはずがない。彼へと向かうこの気持ちがはたして何と呼ぶべきものか、知ってしまっている今では。
「ほんとにどうしたの。気分悪い?」
「少しだけ、こうさせて」
 首を振って答えると頬を押しつけ、そっと息を詰めてつぶやく。
 そんなレンの言葉に、
「いつまでたっても甘えん坊だなあ、レンは」
 残酷なほど明るく笑ってそう言うと、彩煉はずれていたフードを正してやった。