第2話:天空の玉座の真理

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「師匠、今度の話は沈黙の誓いとは比べ物にならない、純粋な英雄譚です!」

 ティムは興奮冷めやらぬ様子で、古びた羊皮紙を広げた。前回の「ハムスター騒動」で達観の初歩を学んだ彼は、今回はまだ汚されていない「偉大な伝説」の真実を知りたいと意気込んでいた。

「『大賢者サイラスは、魔王が支配する闇の地に立ち向かうため、天空に城砦を築き、その玉座を奪い取った。彼の魔法は、天の理を掌握するほど偉大であった』!どうです、師匠!」

 ティムは拳を握りしめた。これが、世界史における『天空の玉座事件』だ。サイラスが魔王の支配領域を初めて突き崩した、戦略的勝利の象徴とされている。

「天の理を掌握する魔法とは、具体的にどのようなものだったのでしょう?そして、なぜ魔王から『玉座』を奪う必要があったのですか?城砦を築く魔法は、やはり究極の建築魔法だったのですね!」

 窓辺で相変わらず猫と日向ぼっこをしていたフィリアンは、静かに目を細めた。今回は、前回よりもさらに長い溜息をついたように見えた。

「ティム。その話は私も嫌いじゃないんだ」

「ええ、やはりこれは真の偉業ですよね!」

「いや、違う。この話は、真実がくだらなすぎて、訂正するのも面倒になった最初の話だからさ」

 フィリアンはゆっくりと体を起こした。

「…本当に、『本当の理由』を聞きたいのかね?今回は、お前の憧れが前回よりも深く底を抜けるかもしれんぞ」

 ティムは一瞬ひるんだが、研究者としての意地と、ほんの少しの慣れが彼を突き動かした。

「構いません!私は真実のサイラス様と向き合いたいんです。どんなに些細な動機であろうと、その結果が偉大なら、それは真理のはずです!」

 フィリアンは笑った。

「そうか。では教えてやろう。あれは『天の理を掌握する魔法』でも『究極の建築魔法』でもない。あれはただの『大規模な日光消毒と乾燥魔法』だ」

 ティムは、頭の中で何かが崩れる音を聞いた。

「にっ……日光消毒……?」

 フィリアンは語り始めた。サイラスが魔王と対峙していた頃、彼は長期間、ある山奥の地下室を拠点にしていた。しかしサイラスは、極度の潔癖症とカビ嫌いだった。

「地下室というのは、どうしても湿気がこもる。そして、彼の一番大切な、先代賢者から受け継いだ唯一の記念品である毛布が、ひどいカビの被害に遭ったのだ」

「カビた毛布……」

「その時、サイラスの頭の中は魔王との戦いどころではなかった。あの毛布をどうにかしなければ、と。彼はカビを根絶やしにするため、最大級の『強制乾燥・大日照り魔法』を発動させた」

 その魔法は、文字通り地下室の湿気を一瞬で蒸発させ、毛布を最高の状態に戻すためのものだった。しかし、その強大すぎる魔力は、地下室全体を巻き込み、その上の山頂を突き破った。

「巻き上がった山頂の岩と、残留したサイラスの魔力、そしてカビ菌の死骸が空中で冷やされ、そのまま固まった」

 それが、歴史書に書かれた「天空の城砦」の正体だった。

「で、玉座は?」とティムはかすれた声で尋ねた。

「ああ、あれかい?それは、カビだらけになった毛布を、一番日光の当たるその城砦の一番高い場所に広げて乾かすために、岩を組み上げて作った、ただの物干し台だよ。サイラスはそこに座り込んで、毛布の乾き具合をチェックしていた。それが、玉座だ」

 ティムは呆然とし、持っていた羊皮紙を床に落とした。前回と同じ衝撃ではない。今回は、「壮大さ」と「くだらなさ」の落差が深すぎて、理解が追いつかない種類の混乱だった。

「……ま、待ってください、師匠!しかし、その城砦と玉座が、結果的に魔王軍の偵察を混乱させ、戦局を一気に有利にしたと記録されています。サイラス様は、あの時、日光消毒という手段を借りて、戦略的な意図を隠していたのではありませんか?毛布は単なるカモフラージュで、実際は魔王軍の士気を挫くための……」

 ティムは必死に、そのポンコツな真実に高尚な意味付けをしようと足掻く。

 フィリアンは、諦めが効いた眼差しでティムを見返した。

「ティム。あの時のサイラスが考えていたのは、カビた毛布を誰にも見られずに乾かし、無事に回収することだけだ。そして、玉座に座っていたのは、単に毛布を回収するのを邪魔されたくなかったからだよ」

 究極の魔術の動機は、カビた毛布。
 戦略的玉座の理由は、物干し台と回収拒否。

 ティムは、その圧倒的な現実の軽さに、二度目の敗北を喫した。

「……師匠、歴史の虚構性、というものが少しずつ分かってきた気がします」

 ティムは落ちた羊皮紙を拾い上げ、優しく畳んだ。

「おとぎ話というものは、真実がくだらなければくだらないほど、聴衆の都合の良いように美しく編み上げられるんですね」

 フィリアンは満足そうに微笑んだ。

「そうだ。そして、そのくだらない真実を知ってなお、お前がその伝説から何かを学ぼうとするなら、それがお前の『達観』だ。天の理も、玉座も、すべては湿気とカビ。それを知って生きるのが、長寿というものだよ」

「……次は何について知りたくなった?」

 ティムは少し考えて、言った。

「次の話は、魔王封印の儀式……ですね。命と引き換えに禁断の魔法陣に封印したという、最高に壮大な話です。今度こそ、壮大さの裏にある、想像を絶するポンコツさを、この研究者ティムが、真正面から受け止めてみせます!」




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「師匠、今度の話は沈黙の誓いとは比べ物にならない、純粋な英雄譚です!」
 ティムは興奮冷めやらぬ様子で、古びた羊皮紙を広げた。前回の「ハムスター騒動」で達観の初歩を学んだ彼は、今回はまだ汚されていない「偉大な伝説」の真実を知りたいと意気込んでいた。
「『大賢者サイラスは、魔王が支配する闇の地に立ち向かうため、天空に城砦を築き、その玉座を奪い取った。彼の魔法は、天の理を掌握するほど偉大であった』!どうです、師匠!」
 ティムは拳を握りしめた。これが、世界史における『天空の玉座事件』だ。サイラスが魔王の支配領域を初めて突き崩した、戦略的勝利の象徴とされている。
「天の理を掌握する魔法とは、具体的にどのようなものだったのでしょう?そして、なぜ魔王から『玉座』を奪う必要があったのですか?城砦を築く魔法は、やはり究極の建築魔法だったのですね!」
 窓辺で相変わらず猫と日向ぼっこをしていたフィリアンは、静かに目を細めた。今回は、前回よりもさらに長い溜息をついたように見えた。
「ティム。その話は私も嫌いじゃないんだ」
「ええ、やはりこれは真の偉業ですよね!」
「いや、違う。この話は、真実がくだらなすぎて、訂正するのも面倒になった最初の話だからさ」
 フィリアンはゆっくりと体を起こした。
「…本当に、『本当の理由』を聞きたいのかね?今回は、お前の憧れが前回よりも深く底を抜けるかもしれんぞ」
 ティムは一瞬ひるんだが、研究者としての意地と、ほんの少しの慣れが彼を突き動かした。
「構いません!私は真実のサイラス様と向き合いたいんです。どんなに些細な動機であろうと、その結果が偉大なら、それは真理のはずです!」
 フィリアンは笑った。
「そうか。では教えてやろう。あれは『天の理を掌握する魔法』でも『究極の建築魔法』でもない。あれはただの『大規模な日光消毒と乾燥魔法』だ」
 ティムは、頭の中で何かが崩れる音を聞いた。
「にっ……日光消毒……?」
 フィリアンは語り始めた。サイラスが魔王と対峙していた頃、彼は長期間、ある山奥の地下室を拠点にしていた。しかしサイラスは、極度の潔癖症とカビ嫌いだった。
「地下室というのは、どうしても湿気がこもる。そして、彼の一番大切な、先代賢者から受け継いだ唯一の記念品である毛布が、ひどいカビの被害に遭ったのだ」
「カビた毛布……」
「その時、サイラスの頭の中は魔王との戦いどころではなかった。あの毛布をどうにかしなければ、と。彼はカビを根絶やしにするため、最大級の『強制乾燥・大日照り魔法』を発動させた」
 その魔法は、文字通り地下室の湿気を一瞬で蒸発させ、毛布を最高の状態に戻すためのものだった。しかし、その強大すぎる魔力は、地下室全体を巻き込み、その上の山頂を突き破った。
「巻き上がった山頂の岩と、残留したサイラスの魔力、そしてカビ菌の死骸が空中で冷やされ、そのまま固まった」
 それが、歴史書に書かれた「天空の城砦」の正体だった。
「で、玉座は?」とティムはかすれた声で尋ねた。
「ああ、あれかい?それは、カビだらけになった毛布を、一番日光の当たるその城砦の一番高い場所に広げて乾かすために、岩を組み上げて作った、ただの物干し台だよ。サイラスはそこに座り込んで、毛布の乾き具合をチェックしていた。それが、玉座だ」
 ティムは呆然とし、持っていた羊皮紙を床に落とした。前回と同じ衝撃ではない。今回は、「壮大さ」と「くだらなさ」の落差が深すぎて、理解が追いつかない種類の混乱だった。
「……ま、待ってください、師匠!しかし、その城砦と玉座が、結果的に魔王軍の偵察を混乱させ、戦局を一気に有利にしたと記録されています。サイラス様は、あの時、日光消毒という手段を借りて、戦略的な意図を隠していたのではありませんか?毛布は単なるカモフラージュで、実際は魔王軍の士気を挫くための……」
 ティムは必死に、そのポンコツな真実に高尚な意味付けをしようと足掻く。
 フィリアンは、諦めが効いた眼差しでティムを見返した。
「ティム。あの時のサイラスが考えていたのは、カビた毛布を誰にも見られずに乾かし、無事に回収することだけだ。そして、玉座に座っていたのは、単に毛布を回収するのを邪魔されたくなかったからだよ」
 究極の魔術の動機は、カビた毛布。
 戦略的玉座の理由は、物干し台と回収拒否。
 ティムは、その圧倒的な現実の軽さに、二度目の敗北を喫した。
「……師匠、歴史の虚構性、というものが少しずつ分かってきた気がします」
 ティムは落ちた羊皮紙を拾い上げ、優しく畳んだ。
「おとぎ話というものは、真実がくだらなければくだらないほど、聴衆の都合の良いように美しく編み上げられるんですね」
 フィリアンは満足そうに微笑んだ。
「そうだ。そして、そのくだらない真実を知ってなお、お前がその伝説から何かを学ぼうとするなら、それがお前の『達観』だ。天の理も、玉座も、すべては湿気とカビ。それを知って生きるのが、長寿というものだよ」
「……次は何について知りたくなった?」
 ティムは少し考えて、言った。
「次の話は、魔王封印の儀式……ですね。命と引き換えに禁断の魔法陣に封印したという、最高に壮大な話です。今度こそ、壮大さの裏にある、想像を絶するポンコツさを、この研究者ティムが、真正面から受け止めてみせます!」