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第2回

ー/ー



 隠れて姿はごまかせても、気配を消すことはできない。

 ルチアの確信しきった声に応じるように、おずおずと柱の影から出てきたのは小さな少女だった。
 肩口で切り揃えられた金の髪に、真珠飾りのついた髪留めが光っている。

 やっぱり、と息を()く。

「どうしてそこにいるんです? 今はお勉強の時間でしょう」

 してはいけない事をしたのだから、叱られるのは分かりきっている。いつ怒られるかと身構え、警戒しながらも逃げずにおそるおそる近付いてくる少女に内心感心しながら問いかけた。
 自分の半分ほどしかない少女が喉を伸びきらせて見上げていることに気付いて、しゃがんで目線を同じ高さにする。

「……だって、面白くないんだもの。いやなものはいやだわ。
 なのにみんな、ああしなさい、こうしなさいって、うるさくて」
「全部あなたを思ってのことですよ。教養や作法は立派なレディになるために必要なものです。
 みんな、あなたがとても好きだから、もっともっとたくさんの人にあなたを好いてもらいたくて、いろいろしてくれているんです。
 それともお嬢さんはみんなが嫌いですか?」

  ふるふるふる、と即座に首を振ってきた。

 強がり、つい憎まれ口を口にしたものの、自分のしたことを後悔して反省しているのは明らかだ。
 こぼれそうなほど大きな緑の瞳が潤み始めているのに気付いて抱き上げると、こつんと額を突きあわせた。

「好きな人たちを困らせると悲しいでしょう? そうやって逃げて、楽しくなりましたか?」

 だめ押しの質問に、少女は思ったとおり顔をしかめてしまう。

「じゃあこれ以上困らせてはいけませんね。
 さあ、早く行っておあげなさい」
「……怒らないかしら……?」

 床に足をつける間際、ぽそり、少女が消え入りそうな声で弱音を吐いた。

「そりゃあ怒るでしょうね。でもちゃんと正直に謝れば、許してくださいますよ。
 みんな、そんなあなたも大好きなんですから」

 にっこりほほ笑んで力づけるルチアの言葉に、ぐっとこぶしの中へ勇気を握りこむと、少女はあとを追うように先の中級侍女が消えた廊下へ向き直る。そのまま駆け出して行くと思われたとき、不意に心細気な顔をして振り向いた。

「ルチア……も、怒ってる? あたしのこと、きらいになった?」
「まさか。そんなこと、ありえませんよ」

 自分の機嫌をうかがってくることに少々驚きながら答える。
 そんな彼に、少女は輝かんばかりの笑顔で不安を消して、今度こそ元気よく走り出した。

「走ると転んで危ないですよ」

 ルチアのかけた注意に従って一度は足を止めたものの、やはり気がはやってか、角を曲がった途端、またぱたぱた走る音が始まる。その足音を聞く限り、相当あせっているようだ。

 いつもながらまるで邪気というものがない、素直そのものの少女がかわいらしくてくすくす笑っていると、遠くでだれかの驚く声がした。
 ぶつかったり転んだような音はしなかったので、多分寸前でかわせたのだろう。
 角から現れたのは、同じ退魔剣師のリロイだった。

「おー、ルチア見っけ!」

 まるで世紀の大発見でもしたように水色の瞳を輝かせ、得意満面指差すなり駆け寄ってくる。
 今ごろこんな所にいるということは、こいつも自分と同じく遅刻組ということか。
 そう言ったら、リロイは違うと手を振った。

「おまえを呼びにきたんだよ。おまえんとこの朱廻(しゅかい)が、きっとまた部屋で寝てるんだろうって言ってたから、南館回りでおまえの部屋へ行ってたのさ」

 おかげで遠回りになった、とぼやく。
 朱廻とは、ルチアと感応し、彼を自分の操主と認めた生きた剣・魔断(まだん)(つるぎ)の化身の通称である。

「なら、あいつが呼びにくればいいだろうに。らしくないな」
「行こうとしたよ。そのまま行かせりゃいいのに、うちの黎斗(れいと)のやつが呼び止めたの。朱廻が抜けると困る。反対に、俺が動くと手を入れる箇所が増えて邪魔だから、おまえが行けって。
 せっかくたまには早く行って手伝おうとしたのに……あいつって主従関係をなんだと思ってんのかね。ときどき忘れてるんじゃないかって思うよ」

 ときどきどころか最初から覚えてないやつが今さら何を言うやら。

 長いつきあい、リロイは単に事実を刺されて拗ねているだけで、これはあくまで口先だけの文句だというのは分かっているからルチアもとがめようとしない。むしろ、その容易に想像のつくやりとりを頭に浮かべて苦笑していたら、リロイは元来た廊下を振り返った。

「にしても、かわいーよなあ。子リスかなんかみたいに軽やかで危なっかしくて……ああいうの見ると、足を引っかけてやりたいとゆーか、後ろから突っ転ばせてやりたくなるよな」

 な? なんて、そんなことに同意を求められて同意する者がはたして何人いると思っているのか。

「おまえなあ。それはいじめというんだぞ」

 何か勘違いしてないか? とあきれ声でつっこむ。対し、リロイは全く心外だと言いたげに憤然とした顔を向けてきた。

「何がだ? 純粋な好意からの行動だぞ。そうやって倒れたのを素知らぬふりして助け起こし、木陰にでも連れてってだな、ゆっくり苦労話でも聞いてあげて、きっかけにするんだ!」

 は? きっかけ? 何のだ?

「……もしかして、おまえが言ってるのは先に走った中級侍女のことか?」

 若干6歳の子どもに向けて言っていたわけじゃないと、ここに至ってようやく気付いた。
 リロイは、なんでわざわざ訊いて確かめてくるのか、と少しあきれた様子で大きく口を開ける。

「当然だろ。サティアのほかにだれがいるっていうんだ!」

 サティア、というのはこの場合、あの中級侍女のことだろう。
 サティア。そうか、そういう名前なのか。

「カナンお嬢さんもいたが……」

 星の光のようにきれいな名前だな、とか内心思いつつ、リロイがあんまり強く言い切るもんだから弁解をしてみた。ら。

「俺は視界に入らんやつに用はない!
 大体胸も出てないチビガキやしわくちゃばーさんを女と認められるか!」

 何言ってるんだ、こいつ。
 あげく「ガキに性別があるか」とまで言ってくる。
 はいはい。そうですか。

「そのへんでやめておけ。町長のご息女だぞ」

 すっかり萎えた声で言葉を慎めと注意するルチアに、その言葉で何か思い出したらしく、リロイがぽんと手を打った。

「そうだ、町長だ。早く行かないとあの短気なじーさんの機嫌が悪くなる」

 ほらさっさと行くぞと、まるでルチアが引きとめていたと言わんばかりに手を振り率先して歩き出す。
 吹き抜けの廊下、しかも横は庭園で、どこでだれが聞いているか知れないというのに一向に頓着せず、平然とたたけるその大胆不敵な口に、何やらあきれ半分羨ましさ半分の奇妙な感を受けながら、口元を歪ませると、ルチアも横に並ぶべく足を速めた。


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 隠れて姿はごまかせても、気配を消すことはできない。
 ルチアの確信しきった声に応じるように、おずおずと柱の影から出てきたのは小さな少女だった。
 肩口で切り揃えられた金の髪に、真珠飾りのついた髪留めが光っている。
 やっぱり、と息を|吐《と》く。
「どうしてそこにいるんです? 今はお勉強の時間でしょう」
 してはいけない事をしたのだから、叱られるのは分かりきっている。いつ怒られるかと身構え、警戒しながらも逃げずにおそるおそる近付いてくる少女に内心感心しながら問いかけた。
 自分の半分ほどしかない少女が喉を伸びきらせて見上げていることに気付いて、しゃがんで目線を同じ高さにする。
「……だって、面白くないんだもの。いやなものはいやだわ。
 なのにみんな、ああしなさい、こうしなさいって、うるさくて」
「全部あなたを思ってのことですよ。教養や作法は立派なレディになるために必要なものです。
 みんな、あなたがとても好きだから、もっともっとたくさんの人にあなたを好いてもらいたくて、いろいろしてくれているんです。
 それともお嬢さんはみんなが嫌いですか?」
  ふるふるふる、と即座に首を振ってきた。
 強がり、つい憎まれ口を口にしたものの、自分のしたことを後悔して反省しているのは明らかだ。
 こぼれそうなほど大きな緑の瞳が潤み始めているのに気付いて抱き上げると、こつんと額を突きあわせた。
「好きな人たちを困らせると悲しいでしょう? そうやって逃げて、楽しくなりましたか?」
 だめ押しの質問に、少女は思ったとおり顔をしかめてしまう。
「じゃあこれ以上困らせてはいけませんね。
 さあ、早く行っておあげなさい」
「……怒らないかしら……?」
 床に足をつける間際、ぽそり、少女が消え入りそうな声で弱音を吐いた。
「そりゃあ怒るでしょうね。でもちゃんと正直に謝れば、許してくださいますよ。
 みんな、そんなあなたも大好きなんですから」
 にっこりほほ笑んで力づけるルチアの言葉に、ぐっとこぶしの中へ勇気を握りこむと、少女はあとを追うように先の中級侍女が消えた廊下へ向き直る。そのまま駆け出して行くと思われたとき、不意に心細気な顔をして振り向いた。
「ルチア……も、怒ってる? あたしのこと、きらいになった?」
「まさか。そんなこと、ありえませんよ」
 自分の機嫌をうかがってくることに少々驚きながら答える。
 そんな彼に、少女は輝かんばかりの笑顔で不安を消して、今度こそ元気よく走り出した。
「走ると転んで危ないですよ」
 ルチアのかけた注意に従って一度は足を止めたものの、やはり気がはやってか、角を曲がった途端、またぱたぱた走る音が始まる。その足音を聞く限り、相当あせっているようだ。
 いつもながらまるで邪気というものがない、素直そのものの少女がかわいらしくてくすくす笑っていると、遠くでだれかの驚く声がした。
 ぶつかったり転んだような音はしなかったので、多分寸前でかわせたのだろう。
 角から現れたのは、同じ退魔剣師のリロイだった。
「おー、ルチア見っけ!」
 まるで世紀の大発見でもしたように水色の瞳を輝かせ、得意満面指差すなり駆け寄ってくる。
 今ごろこんな所にいるということは、こいつも自分と同じく遅刻組ということか。
 そう言ったら、リロイは違うと手を振った。
「おまえを呼びにきたんだよ。おまえんとこの|朱廻《しゅかい》が、きっとまた部屋で寝てるんだろうって言ってたから、南館回りでおまえの部屋へ行ってたのさ」
 おかげで遠回りになった、とぼやく。
 朱廻とは、ルチアと感応し、彼を自分の操主と認めた生きた剣・|魔断《まだん》の|剣《つるぎ》の化身の通称である。
「なら、あいつが呼びにくればいいだろうに。らしくないな」
「行こうとしたよ。そのまま行かせりゃいいのに、うちの|黎斗《れいと》のやつが呼び止めたの。朱廻が抜けると困る。反対に、俺が動くと手を入れる箇所が増えて邪魔だから、おまえが行けって。
 せっかくたまには早く行って手伝おうとしたのに……あいつって主従関係をなんだと思ってんのかね。ときどき忘れてるんじゃないかって思うよ」
 ときどきどころか最初から覚えてないやつが今さら何を言うやら。
 長いつきあい、リロイは単に事実を刺されて拗ねているだけで、これはあくまで口先だけの文句だというのは分かっているからルチアもとがめようとしない。むしろ、その容易に想像のつくやりとりを頭に浮かべて苦笑していたら、リロイは元来た廊下を振り返った。
「にしても、かわいーよなあ。子リスかなんかみたいに軽やかで危なっかしくて……ああいうの見ると、足を引っかけてやりたいとゆーか、後ろから突っ転ばせてやりたくなるよな」
 な? なんて、そんなことに同意を求められて同意する者がはたして何人いると思っているのか。
「おまえなあ。それはいじめというんだぞ」
 何か勘違いしてないか? とあきれ声でつっこむ。対し、リロイは全く心外だと言いたげに憤然とした顔を向けてきた。
「何がだ? 純粋な好意からの行動だぞ。そうやって倒れたのを素知らぬふりして助け起こし、木陰にでも連れてってだな、ゆっくり苦労話でも聞いてあげて、きっかけにするんだ!」
 は? きっかけ? 何のだ?
「……もしかして、おまえが言ってるのは先に走った中級侍女のことか?」
 若干6歳の子どもに向けて言っていたわけじゃないと、ここに至ってようやく気付いた。
 リロイは、なんでわざわざ訊いて確かめてくるのか、と少しあきれた様子で大きく口を開ける。
「当然だろ。サティアのほかにだれがいるっていうんだ!」
 サティア、というのはこの場合、あの中級侍女のことだろう。
 サティア。そうか、そういう名前なのか。
「カナンお嬢さんもいたが……」
 星の光のようにきれいな名前だな、とか内心思いつつ、リロイがあんまり強く言い切るもんだから弁解をしてみた。ら。
「俺は視界に入らんやつに用はない!
 大体胸も出てないチビガキやしわくちゃばーさんを女と認められるか!」
 何言ってるんだ、こいつ。
 あげく「ガキに性別があるか」とまで言ってくる。
 はいはい。そうですか。
「そのへんでやめておけ。町長のご息女だぞ」
 すっかり萎えた声で言葉を慎めと注意するルチアに、その言葉で何か思い出したらしく、リロイがぽんと手を打った。
「そうだ、町長だ。早く行かないとあの短気なじーさんの機嫌が悪くなる」
 ほらさっさと行くぞと、まるでルチアが引きとめていたと言わんばかりに手を振り率先して歩き出す。
 吹き抜けの廊下、しかも横は庭園で、どこでだれが聞いているか知れないというのに一向に頓着せず、平然とたたけるその大胆不敵な口に、何やらあきれ半分羨ましさ半分の奇妙な感を受けながら、口元を歪ませると、ルチアも横に並ぶべく足を速めた。