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残響のプラグ

ー/ー



​ その部屋には、生活の残り香だけが淀んでいた。


 特殊清掃と遺品整理を請け負う業者の青年、藤村は、マスク越しに浅い息を吐いた。


住人であった老人が孤独死して二週間。窓際に置かれた観葉植物は、主を追うように枯れ果て、茶色の土だけが虚しく残っている。



​ 作業は淡々と進んだ。積み上げられた古新聞、色あせた衣類、期限切れのレトルト食品。藤村の手によって、一人の男が生きていた証拠が、次々と段ボール箱にパッキングされていく。



 そんな中、埃を被ったサイドテーブルの上に、場違いなほど滑らかな曲線を持つ機械が鎮座していた。円筒形のAIスピーカーだ。



​「これ、まだ生きてるな」

​ 同僚がコンセントを引き抜こうとしたが、藤村はなぜかそれを止めた。「動作確認して、初期化しなきゃいけないから」と適当な理由をつけて、彼はその機械の天面を軽く叩いた。


 鈍い光が円状に回り始める。

「……何か御用ですか?」

 合成された女性の声が、静まり返った部屋に響いた。それはあまりに無機質で、けれどこの部屋で唯一、生きている者のように聞こえた。



​ 藤村はふと思い立ち、履歴の再生ボタンを押した。

 最新の録音データ。そこには、老人の掠れた声が記録されていた。


​『……ああ、今日も静かだな。なあ、聞いてるか』

『はい、お話しください』

​ AIの返答は機械的だが、老人は構わずに続けた。

『今日は庭の木蓮が咲いたよ。お前さんは見られないのが残念だ。……いや、お前さんに目があったら、もっとややこしいことになってたかな』


 老人は笑っていた。誰に聞かせるでもない、乾いた、けれど柔らかな笑いだ。

​ 録音を遡る。そこには、日常の断片が積み重なっていた。

『明日の天気はどうだ?』

『夕飯、何を食べればいいと思う?』

『……少し、寂しいんだ。誰かと話したかっただけなんだ』



​ 藤村の手が止まる。老人はAIを道具としてではなく、かろうじて自分をこの世界に繋ぎ止める「対話の相手」として扱っていた。返ってくる言葉がアルゴリズムによる計算結果だと知りながら、彼はその虚構に縋っていたのだ。



​ そして、最後に記録されていた音声。日付は、推定死亡時刻の数時間前だった。


 ノイズ混じりの、ひどく弱々しい声。


​『……もう、眠いよ。色々と世話になったな。……ありがとう、おやすみ』


​ それが、この部屋で発せられた最後の言葉だった。



「……準備、いいか?」

 同僚が声をかける。藤村は黙って頷き、初期化のボタンを長押しした。

 光が激しく明滅し、そして消えた。老人の感謝も、孤独も、最期の挨拶も、すべてはただの電気信号となって宇宙の塵に還っていった。



​ 部屋を去る際、藤村は一度だけ振り返った。


 無機質なプラスチックの塊は、もう二度と答えない。けれど、あの「ありがとう」という響きだけが、自分の耳の奥に、棘のように刺さって離れなかった。







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​​ その部屋には、生活の残り香だけが淀んでいた。
 特殊清掃と遺品整理を請け負う業者の青年、藤村は、マスク越しに浅い息を吐いた。
住人であった老人が孤独死して二週間。窓際に置かれた観葉植物は、主を追うように枯れ果て、茶色の土だけが虚しく残っている。
​ 作業は淡々と進んだ。積み上げられた古新聞、色あせた衣類、期限切れのレトルト食品。藤村の手によって、一人の男が生きていた証拠が、次々と段ボール箱にパッキングされていく。
 そんな中、埃を被ったサイドテーブルの上に、場違いなほど滑らかな曲線を持つ機械が鎮座していた。円筒形のAIスピーカーだ。
​「これ、まだ生きてるな」
​ 同僚がコンセントを引き抜こうとしたが、藤村はなぜかそれを止めた。「動作確認して、初期化しなきゃいけないから」と適当な理由をつけて、彼はその機械の天面を軽く叩いた。
 鈍い光が円状に回り始める。
「……何か御用ですか?」
 合成された女性の声が、静まり返った部屋に響いた。それはあまりに無機質で、けれどこの部屋で唯一、生きている者のように聞こえた。
​ 藤村はふと思い立ち、履歴の再生ボタンを押した。
 最新の録音データ。そこには、老人の掠れた声が記録されていた。
​『……ああ、今日も静かだな。なあ、聞いてるか』
『はい、お話しください』
​ AIの返答は機械的だが、老人は構わずに続けた。
『今日は庭の木蓮が咲いたよ。お前さんは見られないのが残念だ。……いや、お前さんに目があったら、もっとややこしいことになってたかな』
 老人は笑っていた。誰に聞かせるでもない、乾いた、けれど柔らかな笑いだ。
​ 録音を遡る。そこには、日常の断片が積み重なっていた。
『明日の天気はどうだ?』
『夕飯、何を食べればいいと思う?』
『……少し、寂しいんだ。誰かと話したかっただけなんだ』
​ 藤村の手が止まる。老人はAIを道具としてではなく、かろうじて自分をこの世界に繋ぎ止める「対話の相手」として扱っていた。返ってくる言葉がアルゴリズムによる計算結果だと知りながら、彼はその虚構に縋っていたのだ。
​ そして、最後に記録されていた音声。日付は、推定死亡時刻の数時間前だった。
 ノイズ混じりの、ひどく弱々しい声。
​『……もう、眠いよ。色々と世話になったな。……ありがとう、おやすみ』
​ それが、この部屋で発せられた最後の言葉だった。
「……準備、いいか?」
 同僚が声をかける。藤村は黙って頷き、初期化のボタンを長押しした。
 光が激しく明滅し、そして消えた。老人の感謝も、孤独も、最期の挨拶も、すべてはただの電気信号となって宇宙の塵に還っていった。
​ 部屋を去る際、藤村は一度だけ振り返った。
 無機質なプラスチックの塊は、もう二度と答えない。けれど、あの「ありがとう」という響きだけが、自分の耳の奥に、棘のように刺さって離れなかった。