「…………あれ?」
自分でも呆れるほど間抜けな声が口から出る。
さっきまで暗い森の中にいたはずなのに、いつの間にか違う場所に立っていた。
穏やかな風が吹き抜ける草原。
足元には、碧い花が咲き誇っていた。
僕は、この場所を知っている。
「保険のために
匣を譲ったが、思ったよりも早かったな」
背後から声が聞こえて振り返ると、そこにいたのは――
「ガーユス……?」
赤い髪と瞳、顔に傷跡。
間違いなく、僕の知るガーユスの姿だった。
なぜ目の前に彼がいるのか。
僕は今どこにいるのか。
この場で何をするべきなのか。
あらゆる疑問が浮かぶ中、彼は一方的に説明をはじめる。
「おそらく、そんなに時間は無い。簡潔に伝えるぞ。あの匣は――」
「え、ちょ、待っ……」
「うるさい、黙れ。ごちゃごちゃぬかすな。このままだと死ぬぞ」
「はいっ!」
あまりの剣幕に背筋をピンと伸ばして元気に返事をしてしまった。
どうやら、ガーユスも焦っているらしい。
「キミに譲ったあの匣は『変換器』だ」
「変換器……?」
「魔力の属性を変換することができる。空と火の属性への魔力変換……この匣が機能を発揮している間に限り、キミは一時的に赫灼の魔術を使うことができる」
「匣に、そんな力が……」
赫灼の魔術は、呪術に対するカウンター。
呪いを燃やし、消滅させる力があるという。
この魔術とガーユスを恐れていたから、呪術師は表舞台に出てこなかった。
「匣に限らず、魔界遺物には使用者を試す意思のようなものがある。今のキミは、匣を使う権利を与えられたと考えていい」
「それはありがたいですが、匣の使い方なんてわからないし……赫灼の魔術なんて僕に扱えるかどうか……もし、コントロールできずにすべて燃やし尽くしてしまったら……」
赫灼の魔術の破壊力は、ガーユスと直接戦った僕自身が身を以って知っている。
今から現実に戻って匣の力を使ったとして、周囲に甚大な被害を出してしまうかもしれない。操られている人たちまで燃やし尽くしてしまうのではないだろうか。
僕のそんな不安を察したのか、ガーユスが呆れた様子で笑った。
「自分が死にそうな状況だっていうのに、キミは筋金入りのお人好しだな」
「いや、だって……」
「まぁ、だからこそ匣の鍵が開いたんだろうがな」
「匣の鍵が、勝手に開いた……?」
「魔界遺物には、意思があると言っただろう。このタイミングで使うべきで、キミになら資格があると匣そのものが判断したんだ。匣の名前を思い浮かべてみろ。今ならわかるだろう」
「…………」
胸に手を当てながら、以前は聞き取れなかった匣の名前を思い浮かべてみる。
たしかに、彼の言う通りだった。
以前はノイズが掛かって聞き取れなかったはずの匣の名前が、今は認識できる。
「わかります」
「上出来だ。最後に、赫灼の魔術の本当の特性を教えておく。あの赫い炎は、万物を燃やす破壊の力じゃない」
「でも、あなたの炎はすべてを燃やしていたじゃないですか」
「あえてそうしていただけだ。赫灼の魔術の本当の真価は『焼却対象の選別』にある。実態は『慈悲の炎』……だからこそ、俺の赫い炎は呪いへのカウンターなっていた。何を言いたいのか、キミならわかるよな?」
「……はい」
ガーユスの言葉に、僕は力強く頷く。
不思議なもので、自然と彼の意図が理解できる。
匣から赫灼の魔術に関する知識が送り込まれているみたいだ。
「それじゃあ、しっかり決着をつけてこい。ここまでアドバイスしてやったんだから、簡単に死ぬなよ」
「ありがとうございます。いつかちゃんとお礼をさせてください」
「結構だ。こちらが受けた恩を返しただけに過ぎない。キミが赤魔氏族の弔いをしてくれたことに比べたら、些細なものだがな」
伝えるべきことを伝えたからなのか、ガーユスの姿が少しずつ見えなくなっていく。視界が白く濁っていき、次第になにも見えなくなっていく。
「お節介かもしれないが、最後にひとつだけアドバイスしてやる。キミは、もっと怒っていい。理不尽に、不公平に、暴力に、怒りや文句をぶつけていい。それは、生きる者として当然の権利だ」
「僕、そういうの苦手なんですよ……」
「知ってるよ。あのとき、キミの記憶を見たから理解している。それでも、我慢しているだけでは守れないものもある。以前も言ったかもしれないが、俺みたいになるなよ。匣の力が使えるときは、迷わずにその力を振るっていい」
白い光に包まれながら、意識が現実に戻っていった。
……………
(戻って、きた?)
足に走る激痛で、自分が現実に引き戻されたことに気付く。
おそらく、僕がとどめを刺されそうになってから1秒も経っていない。
視線の先には、赫い匣が浮かんでいた。
赫灼の匣。
魔力の変換器。
これを使えば、呪いに対抗できる魔術を扱うことができる。
「……バカな。こんな、ことが……」
藤堂 悟道の顔には、先程までの余裕が消えている。
その視線は、僕の目の前にある匣に釘付けになっていた。
赫く輝く匣を見て、明らかに焦っている様子だ。
僕は、頭に浮かんだ名前を口にする。
今までノイズが掛かって認識できなかった匣の名前。
『レーギャルン』
これが赫灼の匣の
真名。
真名は、存在の本質を表し、現すもの。
本当の名を口にしたことで、赫灼の匣は力を発揮できるようになった。
「使わせるものか! やれッ!!」
夜の森に、怒号のような叫びが響く。藤堂 悟道が腕を振り下ろすのを合図にして、操られた人々が結晶の呪術を僕に向けて放った。
こちらに向けて一直線に降り注ぐ結晶の槍。
僕は、それを避けようとしなかった。
その必要がないと、匣から言われているような気がしたから。
赫い炎が、自分の体の内側から溢れてくる。
降り注ぐ赤黒い結晶は、僕の全身を包む火の鎧によって焼き消された。
(なにもしていないのに、勝手に……?)
匣が自動で防御したように思える。
あるいは、これもガーユスの仕込みだろうか。
気になることは山ほどあるが、今はどうでもいい。
今、僕にしかできないことがある。
この赫い炎が呪いを祓える魔術だということは確信できた。
ガーユスが言っていたことが本当なら――
(彼の言っていた通り、焼却対象の選別ができるなら……!)
足元の地面を手のひらで触れて、残りの魔力の半分を送り込む。
使うのは赫灼の魔術ではなく、僕が得意とする自然魔術。
ストックしていた魔力を込めた植物の種をすべて使って、大量の蔦を作り出す。
「ッ……!?……くだらない真似をするな。この程度の拘束で!」
魔術で生成した蔦は、藤堂 悟道以外の操られた人々すべてに絡みつく。
水分が抜け、油分を多く含んだ蔦。
フユヅタやナツヅタなど、油分を含む蔦は乾燥すると非常に燃えやすい。
乾燥時には火災を広げる可燃物になりかねないほどだ。
「いいや、これでいいんだ……!」
この蔦は、植物性の導火線。
同時に、僕の残りの魔力を最大限活かすための着火剤である。
(燃えろ、呪いだけ焼き消えろっ……!)
強く念じながら、蔦を掴んで魔力を流す。赫い炎が、植物を伝って操られた人々に向けて放たれ、夜の森が真っ赤に染まった。
それを見た藤堂 悟道は、一瞬だけ驚愕の表情をしたあと、呆れた様子で笑いはじめる。
「は、ははっ! はははっ! 結局、自分の命が優先か! 罪も無い一般人を焼き殺すしかなかったというわけだ! 所詮は蛮族の――」
「違う。僕は助ける方を選んだ……!」
「……何を言っている?」
炎に包まれた人々は、その場で脱力して倒れていく。彼等の体内に巣食っていた呪いだけを焼き消して、役目を終えた赫い炎は静かに鎮火した。
「…………」
藤堂 悟道は、その光景をただ愕然として見ていた。
そして、僕の方は魔力切れ寸前。
依然として危機的状況に変わりはない。
(今の僕ができることは……)
残りの魔力の大半を指先に集めた。
それを見た藤堂 悟道は、警戒心を丸出しにして身構える。
赫灼の魔術を脅威に感じている証拠だ。
僕は、最後の抵抗として小さな赫い炎を指弾のように飛ばした。
「ひっ……!?」
老人の情けない悲鳴が夜の森に響く。
しかし、放たれた火の玉は空に向かって飛んでいった。
「……く、くはっ……はは……なんだ、魔力切れというやつか? 赫灼の魔術とはいえ、あんな火力では当たったところで大したことはない」
「まったくもってその通りです。今の僕には、あなたと戦えるだけの余力はありません。僕には、ね」
上空まで飛んでいった小さな火の玉は、赫い光を放ちながら炸裂した。
夜の森全体を照らすほどの強い光を放つ信号弾のように。
「だから、選手交代ってことで……」
僕は、その場に座り込む。
自分にできることはしたので、あとは任せることにした。
幸い、僕よりも強い仲間がふたりもいるから。
『オオオオオォォォォォッッッッ!!』
山全体に響きわたるほどの狼の咆哮。
それと同時に、上空から大きな物体が飛んできた。
ズンッ!!と音を立てて地面に転がったのは……巨大な大蛇の首だった。
「……は?」
それを見て、藤堂 悟道は呆然としている。
重々しい足音と共に、巨大な狼男が夜の闇の中から現れた。
『遅れてすみませんっス。意外と手こずって……』
シロー君が、大蛇の式神を仕留めて合流してくれた。
そして、もうひとり。
「わかりやすい合図で助かったよ、トーヤ君。そいつが親玉ってことでいい?」
鮮血に塗れた妖刀を手にした千歳さんも合流した。
紅く染まった瞳は、眼前の老人に狙いを定めていた。
「そうです。人質も解放済みなので……あとはお願いしちゃってもいいでしょうか……?」
「いいよ。あんまりキミに無理をさせると、私がティスタに怒られちゃうし」
苦笑いしながら、妖刀の切っ先を藤堂 悟道に向ける千歳さんと金色に輝く瞳に殺気を込めるシロー君。
正直、呪術師なんかよりもあのふたりのほうが怖いかもしれない……。