奈美は隣で眠っている息子の都を、五時半に起こした。遺伝子学研究所の副所長として働いていた。事実が気持ちを重くさせる。重くのしかかる。今も地下では、デザインズ・ベイビーの開発実験が行われていた。
皮肉なことにデザインズ・ベイビーの定義は孝と生み出した。定義としては、瞳・髪色を自由に変える設定ができる。体力・知力も一般人に比べて高い方だった。
体力・知力も一般人に比べて高い方だった。身体・知能以外では、断片的とはいえ精神世界の扉を開けられる能力もあった。遺伝子操作の中に、組み込まれたプログラムだった。そのプログラムの開発中に、奈美は人工授精で都を授かったのである。
誕生してからは、都は培養調整されたバイオマス水槽で外にだす区切りの六歳まで、ほとんどを過ごしていた。
当然、このバイオマス水槽には、デザインズ・ベイビーたちの体力や知力を向上させる薬も投入してある。バイオマス水槽に閉じ込められて、疲れてぐったりしている日もあった。
時には、身寄りや親もいない子供を、デザインズ・ベイビーの実験台にしていた。子供たちは、次々に亡くなっていく。
遺骨と骨つぼだけが増えていった。
奈美は増えていく遺骨と骨つぼに、歯がゆさしかなかった。
一生分の涙を使い果たした。
実験が残酷すぎると反対しても、反論しても聞き入れてはもらえない。承認できずにやめてと、すがりついても振りはらわれたのである。
そんな異様な空間の中、奈美の目の前では孝の気分の悪い場合は、パシンパシンと鞭が床にしなった。全部の光景は奈美の脳裏に焼き付いている。
今後、デザインズ・ベイビーの高い能力を、畏怖してくる者もでてきてはおかしくはない。
戦争にもなりかねない。奈美は戦争になることを恐れていた。戦争をせず、お互いが共存できる世界を作る。
それは本望だった。
本望だとしても、実際では実の息子を実験台にするとは許せないし、夫の原田隆との間に溝ができていった。
気持ちはすれ違ったままである。 本当なら自然に授かった奈美の第一子である原田湊も、連れていきたかった。そんな余裕はなかったのである。仲の良い二人を引き離すのは心苦しい。
それに、湊はまだ十歳だ。けれど優秀な湊なら、自分で生き残る術を見つけてくれる。湊も都も兄弟とは知らない。
話してしまえば、湊も都も動けなくなってしまうはずである。都と湊の血のつながりは何があっても、切れはしない。
奈美は信じていた。
春とはいえまだ肌寒い。寝巻き用のシャツの上に、上着を着せた。奈美を都の金色の瞳は、何事かと見上げてくる。
金色の髪をなでた。都の手を握りしめながら、研究室に接続されている寝室にしている部屋を出る。
リビングやお風呂、キッチン、トイレもあって生活に支障はなかった。 しかし、現実は奈美にとって厳しい。
逃げるために、昨日、研究所につながっているこの建物のセキュリティを、書き換えておいたのである。徹夜プログラムを変更した。自分には ありきたりな方法しか思いつかなかった。
一刻も早く窮屈な場所から逃げ出したい。 逃げ出さなければ「自分」が「自分」ではなくなりそうだった。自分はもしかしたら、壊れてしまう一歩手前なのかもしれない。
ふ、と思い返すのは逃げる前の孝とのやり取りだった。
「やめて……私の子供を返して。普通の生活に戻して」
「研究が進んでいるのに、嬉しくないのか?」
「嬉しくないわ。実験は間違いだったのよ」
二人の感情を表すかのごとく、リビングから見える外は薄暗くて大雨が降っていた。時間は実験の合間で、午後の四時。
「忘れるなよ。おまえも共犯者だ」
奈美は孝が机を叩く音に、びくり、と体を硬直させた。奈美を無視して、出入り口のセキュリティプログラムを解除すると、隆は乱暴にリビングを出て行く。
夫婦としての修復は不可能だと奈美は思った。出会った時の楽しかった日々には戻れない。
自分の声は届かない。都の命を守るには、逃げるしかなかった。全部を投げ打ってでも、研究所から逃げ出す決意をした。
奈美は都の手を引いて必死に逃げる。
「おい……いたぞ」
「逃げ切れると思うなよ」
二人を追っているのは、夫の部下たちだった。出入り口のパスワード書き換えに、気づいたみたいだった。
奈美は追われる立場となり、反逆者となる覚悟はしていた。 連れている都にも、無理をさせていると分かっている。
デザインズ・ベイビーとして生まれてきた限り、長生きは無理である。 今のうちに外の世界を見てほしかった。 知ってほしかった。
もしかしたら、自己満足なのかもしれない。 都を連れて逃げたのも、自己満足だと言われてもいいし、思われてもいい。
嫌われてもよかった。
母親失格だと言われても、最後まで都と湊の思い出と一緒にいたかった。 奈美がまいた種は、いつか芽吹く時がくる。
はかなくもあり、奇麗な大輪の花を咲かせるはずである。 大輪の花でなくてもよかった。野原に咲く名もなき花でも咲いてくれれば満足だった。
銃弾が奈美と都の横を通り抜けていく。相手は隆の部下である。相手が家族であろうと、容赦はしない。奈美は足を撃たれ、衝撃で握りしめている手が離れる。
銃弾が奈美の体を貫通していった。