15 踊る

ー/ー



 エレベーターの中で2人きり。烏丸さんに渡されたハンカチで、胸元を拭う。

「ったく酷い女だな。いつもああなのか」
「……すみません」
「君じゃない。あのピアノ講師だ」

 烏丸さんはそう言ってくれるけれど、せっかく盛り上がってたのに、退出する羽目になったのは、私のせいだから。
 どうしても、申し訳なく思ってしまう。

「……少しは自分を心配しろ。傷ついてるだろ? 無理するな」

 烏丸さんが、ぽん、と私の頭を叩く。

「傷……つく?」
「おいおい、何をきょとんとしてるんだ。大丈夫か?」

 彼の表情がいたわりから、ぎょっとしたものへと変わっていく。

「いえ、ああ、そうですよね」

 確かに私自身も皆の前で罵倒された。その事でショックを受けるのは当然だと思う。
 怒ると死ぬ呪いでもかけられているのか、という昼間の言葉を思い出し、私は慌てて付け加える。

「いや、それはもう、怒ってますよ。カンカンです!」
「……」

 駄目だ。しっかり疑われている。
 私はため息混じりに白状した。

「ですが……棘山さんの気持ちもわかる気はして……しっかり準備してあの場に立った彼女より、ポッと出の私が目立つなんて……つい、楽しくて調子に乗りました……もっと、やりようがあったかな、と」

 舞台から、鬼のような顔は見えていた。
 それすら、笑ってしまえるほど、私は演奏を楽しんでいた。
 全部、お膳立てされたものだから、ズルいと妬まれるのは、仕方ない気がする。

「君は勘違いをしてる」

 そっと手が握られる。
 恥ずかしくて、思わずビクッとしてしまったけれど、更に強く握り込まれた。

「普段から臨戦態勢だから、いざという時に動けるんだ。盛り上げようとしてただろう。自分の出来る限り。精一杯」
「あ……」
「震えてるくせに、マイクで周りを煽ったよな。君はライトが当たれば、下手でも踊る人間だ。一回転もスカしすぎて笑えた。小学生じゃないんだから。けどな、そういう一生懸命なところが、人の心を奪うんだよ」

 ゆっくりと、言い聞かせるように告げられる言葉が、じわじわと心に染み渡る。
 そうか。確かに、喜んでもらえていた。
 小さな成功体験を、いやな出来事で反省モードに上書きしてしまうところだった。

「以前、街中で、一人の女性をよく見かけた。しょっちゅう誰かを助けていた。横断歩道を渡りきれない年配者や、踏切の中で立ち往生している自転車乗り。そういう人間は、いざという時、すぐに必要な行動が取れるんだ。そう。昨日の君みたいに」

 私は思わず両目を見開く。
 そうか。
 困っている人がいれば、ごく自然に体は動く。
 そんなの、普通の事だと思う。現に、烏丸さん自身、何度も街でそんな誰かを目撃しているのだ。
 だけど、そんな些細な行動を、私が落ち込んでる時に思い出して素敵な解釈で伝えてくれるなんて……。
 何だか、その事実が、凄く嬉しい。
 

「というわけで、君の先輩には明日ドレス代を弁償してもらうように、通告を出そう」
「えっ!!!」

 私は青ざめた。このドレス、いくらしたと思ってるの。

「あ、あの、クリーニング代でどうでしょうか。水ですし、乾かせばダメージは少ないかと」
「……」
「それで良かったら、私が連絡します。せっかく素敵にしてくださったのに、申し訳なかったです」
「……ったく。君は本当にお人好しだな。わかったよ」

 どうやら納得してくれたらしい。良かった。ホッとする私の前でエレベーターの扉が開く。
 と、ホテルみたいな、廊下が目の前にあった。

「あの、どちらへ?」

 そう言えば行き先を聞いてなかった。

「俺の部屋」

 さらり、と言われ、硬直する。
 部屋?
 聞き間違い……じゃない証拠に。

「さ、どうぞ」

 背中を押された私の前に広がっていたのは。
 摩天楼を映し出す美しい窓ガラス。クラシカルな調度類。
 社長室とどこか似た雰囲気を持つ、しかし、明らかにプライベートを感じさせる部屋だった。
 はめ殺しの窓に唖然としている私が映っている。
 その背後から、烏丸さんが覆いかぶさるようにして、話しかけてきた。

「どうする? 着替えの前にシャワー浴びる?」

 私が惚れ込んだバリトンボイスが、鼓膜へとダイレクトに流し込まれ、息が止まる。
 油断しすぎていた。着替えと言われて、ノープランでついてきたけれど、そのまんまタクシーでアパートに帰れば良かったのだ。とはいえ、理由があって誘われたのも事実で、意識しまくってるのがバレたら笑われそうでそれも辛い。
 どうしようどうしよう。

「あのっ。シャワーは流石にっ」

 俯いたままそう言う私の肩にふわり、と何かがかけられて、そっと温かい感触に包まれる。
 顔を上げて振り向くと、烏丸さんが大きめのタオルで私の体を包んでくれていた。

「……そこで待ってろ。いいか。逃げるな」

 何故か私の行動は先読みされて、釘を刺される。

「はい……」

 本当はそうしたいけれど、明日の気まずさを想像すると、実行は無理。
 私はドキドキしながら、恐らくは着替えを用意してくれているのだろう、烏丸さんを待つ。

 そう言えば、なんとなく流してしまったけれど、烏丸さん、街中で同じ人を何度も見たって言ってたなあ。
 どんな人なんだろう。女性かな。
 年齢は? いつのこと?
 わざわざ、思い出したのは何故なんだろう。

(あれ? 何だか、胸がモヤモヤしてきた)

 こうなると、もう棘山さんどころの話じゃない。

(あの顔。絶対女の人だ)

 駄目だ。何だか、嫉妬心さえ芽生えてきて、己の女心に唇を噛む。
 なんだろう。もしかして、独占欲?
 そんなの、迷惑に決まっているのに。
 烏丸さんは、T シャツにスウェットの、部屋着姿で戻ってきた。

「洗面所に君が着られそうなものを出しておいた……ん? どうした?」

 敏感な彼は、私の心のゆらぎをいち早く察知し、顔を覗き込んでくる。

「あのっ。烏丸さん、あのっ……」
「何だ」

 首を傾げる仕草にキュンとして……浅ましい気持ちがムクリと立ち上がってきた。
 もう一度、褒められたい。烏丸さんに。
 勇気を出して尋ねてみた。

「あの、烏丸さん。私のピアノ……少しは烏丸さんの心に響きましたか?」

 言ってしまった。
 さっきパフォーマンスを褒められたから……またきっと、同じようなものをもらえると期待したのだ。
 間髪容れずに烏丸さんは言った。

「音楽の良さはわからない。けど、君のピアノは、好きだ」

 好きだ……。

 変な意味じゃない。私のことじゃない。
 そう何度も思おうとしたのに。
 足がバタバタしそうなほど、全身の細胞が歓喜している。

「ありがとうございます……! 烏丸さん!」

 私は心からそう言って、深く頭を下げたのだった。


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 エレベーターの中で2人きり。烏丸さんに渡されたハンカチで、胸元を拭う。
「ったく酷い女だな。いつもああなのか」
「……すみません」
「君じゃない。あのピアノ講師だ」
 烏丸さんはそう言ってくれるけれど、せっかく盛り上がってたのに、退出する羽目になったのは、私のせいだから。
 どうしても、申し訳なく思ってしまう。
「……少しは自分を心配しろ。傷ついてるだろ? 無理するな」
 烏丸さんが、ぽん、と私の頭を叩く。
「傷……つく?」
「おいおい、何をきょとんとしてるんだ。大丈夫か?」
 彼の表情がいたわりから、ぎょっとしたものへと変わっていく。
「いえ、ああ、そうですよね」
 確かに私自身も皆の前で罵倒された。その事でショックを受けるのは当然だと思う。
 怒ると死ぬ呪いでもかけられているのか、という昼間の言葉を思い出し、私は慌てて付け加える。
「いや、それはもう、怒ってますよ。カンカンです!」
「……」
 駄目だ。しっかり疑われている。
 私はため息混じりに白状した。
「ですが……棘山さんの気持ちもわかる気はして……しっかり準備してあの場に立った彼女より、ポッと出の私が目立つなんて……つい、楽しくて調子に乗りました……もっと、やりようがあったかな、と」
 舞台から、鬼のような顔は見えていた。
 それすら、笑ってしまえるほど、私は演奏を楽しんでいた。
 全部、お膳立てされたものだから、ズルいと妬まれるのは、仕方ない気がする。
「君は勘違いをしてる」
 そっと手が握られる。
 恥ずかしくて、思わずビクッとしてしまったけれど、更に強く握り込まれた。
「普段から臨戦態勢だから、いざという時に動けるんだ。盛り上げようとしてただろう。自分の出来る限り。精一杯」
「あ……」
「震えてるくせに、マイクで周りを煽ったよな。君はライトが当たれば、下手でも踊る人間だ。一回転もスカしすぎて笑えた。小学生じゃないんだから。けどな、そういう一生懸命なところが、人の心を奪うんだよ」
 ゆっくりと、言い聞かせるように告げられる言葉が、じわじわと心に染み渡る。
 そうか。確かに、喜んでもらえていた。
 小さな成功体験を、いやな出来事で反省モードに上書きしてしまうところだった。
「以前、街中で、一人の女性をよく見かけた。しょっちゅう誰かを助けていた。横断歩道を渡りきれない年配者や、踏切の中で立ち往生している自転車乗り。そういう人間は、いざという時、すぐに必要な行動が取れるんだ。そう。昨日の君みたいに」
 私は思わず両目を見開く。
 そうか。
 困っている人がいれば、ごく自然に体は動く。
 そんなの、普通の事だと思う。現に、烏丸さん自身、何度も街でそんな誰かを目撃しているのだ。
 だけど、そんな些細な行動を、私が落ち込んでる時に思い出して素敵な解釈で伝えてくれるなんて……。
 何だか、その事実が、凄く嬉しい。
「というわけで、君の先輩には明日ドレス代を弁償してもらうように、通告を出そう」
「えっ!!!」
 私は青ざめた。このドレス、いくらしたと思ってるの。
「あ、あの、クリーニング代でどうでしょうか。水ですし、乾かせばダメージは少ないかと」
「……」
「それで良かったら、私が連絡します。せっかく素敵にしてくださったのに、申し訳なかったです」
「……ったく。君は本当にお人好しだな。わかったよ」
 どうやら納得してくれたらしい。良かった。ホッとする私の前でエレベーターの扉が開く。
 と、ホテルみたいな、廊下が目の前にあった。
「あの、どちらへ?」
 そう言えば行き先を聞いてなかった。
「俺の部屋」
 さらり、と言われ、硬直する。
 部屋?
 聞き間違い……じゃない証拠に。
「さ、どうぞ」
 背中を押された私の前に広がっていたのは。
 摩天楼を映し出す美しい窓ガラス。クラシカルな調度類。
 社長室とどこか似た雰囲気を持つ、しかし、明らかにプライベートを感じさせる部屋だった。
 はめ殺しの窓に唖然としている私が映っている。
 その背後から、烏丸さんが覆いかぶさるようにして、話しかけてきた。
「どうする? 着替えの前にシャワー浴びる?」
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 油断しすぎていた。着替えと言われて、ノープランでついてきたけれど、そのまんまタクシーでアパートに帰れば良かったのだ。とはいえ、理由があって誘われたのも事実で、意識しまくってるのがバレたら笑われそうでそれも辛い。
 どうしようどうしよう。
「あのっ。シャワーは流石にっ」
 俯いたままそう言う私の肩にふわり、と何かがかけられて、そっと温かい感触に包まれる。
 顔を上げて振り向くと、烏丸さんが大きめのタオルで私の体を包んでくれていた。
「……そこで待ってろ。いいか。逃げるな」
 何故か私の行動は先読みされて、釘を刺される。
「はい……」
 本当はそうしたいけれど、明日の気まずさを想像すると、実行は無理。
 私はドキドキしながら、恐らくは着替えを用意してくれているのだろう、烏丸さんを待つ。
 そう言えば、なんとなく流してしまったけれど、烏丸さん、街中で同じ人を何度も見たって言ってたなあ。
 どんな人なんだろう。女性かな。
 年齢は? いつのこと?
 わざわざ、思い出したのは何故なんだろう。
(あれ? 何だか、胸がモヤモヤしてきた)
 こうなると、もう棘山さんどころの話じゃない。
(あの顔。絶対女の人だ)
 駄目だ。何だか、嫉妬心さえ芽生えてきて、己の女心に唇を噛む。
 なんだろう。もしかして、独占欲?
 そんなの、迷惑に決まっているのに。
 烏丸さんは、T シャツにスウェットの、部屋着姿で戻ってきた。
「洗面所に君が着られそうなものを出しておいた……ん? どうした?」
 敏感な彼は、私の心のゆらぎをいち早く察知し、顔を覗き込んでくる。
「あのっ。烏丸さん、あのっ……」
「何だ」
 首を傾げる仕草にキュンとして……浅ましい気持ちがムクリと立ち上がってきた。
 もう一度、褒められたい。烏丸さんに。
 勇気を出して尋ねてみた。
「あの、烏丸さん。私のピアノ……少しは烏丸さんの心に響きましたか?」
 言ってしまった。
 さっきパフォーマンスを褒められたから……またきっと、同じようなものをもらえると期待したのだ。
 間髪容れずに烏丸さんは言った。
「音楽の良さはわからない。けど、君のピアノは、好きだ」
 好きだ……。
 変な意味じゃない。私のことじゃない。
 そう何度も思おうとしたのに。
 足がバタバタしそうなほど、全身の細胞が歓喜している。
「ありがとうございます……! 烏丸さん!」
 私は心からそう言って、深く頭を下げたのだった。