13 トークバトル

ー/ー



 洗面所で鏡に向かう。
 熟れすぎたトマトみたいに赤い顔がそこにあった。

「烏丸さんったら。からかってばかり」

 繋がれた手の温もりを思い出しただけで心臓の音が早くなる。

(ダメだ。平常心でいられない)

 とはいえ、ここに立てこもるわけにもいかず。
 よろよろとフロアに戻る。烏丸さんはどこなんだろう。
 このまま、少し離れていようか、なんて思いながら彷徨っていたら、流れてきたピアノの音にはっとする。

(あ、これ、本物だ)

 そう言えば、棘山さんが、今日ここで演奏するって言ってたっけ……。
 どこにピアノがあるんだろう。

 と、背後から腕をとられた。

「こっちだ」

 烏丸さんである。
 近すぎる距離とスキンシップに、性懲りもなく高まる鼓動。

「あの、ですから、もう少し」

 離れて、と言いたいが、背の高い彼の耳は随分遠い場所にあって……。
 そのせいだけじゃないだろうけど、全然聞き入れてくれそうにない。
 また翻弄されるのは勘弁してほしい、なんて思っていたが、彼にはちゃんと目的があったらしい。メインフロアから少し離れたゾーンで立ち止まり囁きかけてきた。

「ほら、君の知りあいだろう」

 ピアノの音はここから聞こえてきてたんだ。

「ええ」

 舞台の上の棘山さんを見つめながら、私は頷く。
 演奏を終えて頭を下げている間も拍手はまばら。仕方ない。誰も演奏を聞きに来たわけじゃないもの。

 それでも。

(綺麗だな……棘山さん)

 態度があれだからなかなかそうは見えないけれど、黙っていたら普通に美人なのだ。
 発表会の時も、スポットライトが一番似合う人だった。
 見とれていると、ふと彼女と目があった。

(あ、駄目だ。気まずい)

 隠れようと思ったが一足遅く、彼女は勝ち誇ったような笑みで舞台を下り、まっすぐ私に駆け寄ってきた。

「あーら。倉田さんじゃないの」

 ねっとりとまとわりつくような声に、タジタジになる私。

「まさか、本当に来るなんて。あなたってマジでプライドないのね」

 周りに人がいると言うのに、普段通りのテンションで棘山さんは話しかけてきた。

「これには……事情がありまして」
「隠さなくていいのよ。予定があったなら、さっきそう言うはずでしょ。私のことが気になってるんでしょ。まあ、そうよね。私って、あなたと違って勝ち組だから。羨ましいわよね」

 普段の私は、思ってもいない事には反論するタイプ。
 しかし今はそれどころじゃない。
 隣で、何故か神妙にしている烏丸さんの動向が気になっていた。

(リベンジなんて不要ですからね!!)

 心の声で訴える。棘山さん。あなたの前にいる人は、血の雨を降らすぜなんて言ってた人ですよ!

「何そのかっこ。おしゃれしちゃって。どこにそんなお金があるの。無職のくせに。まさか借金? そんなにまでして、私に勝ちたいんだ」

 棘山さんは烏丸さんの存在にまだ気づいてないようだ。

「ねえ。勝ち組の私には負け組の気持ちって全然わかんないの。私の晴れ姿を見てどう思った? すごく惨めよね。きっと」
「そ、それは……」

 いや、全然、とは言えなかった。
 私が気にしているのは、横にいるやられたらやり返すを連呼していた何でもありのCEOのみ。
 ここまで一方的に言われたら、私だって一言二言反論したくなるというもの。
 しかし、烏丸さんが気になってそれどころじゃないから、ある意味ラッキーだったのかも。
 棘山さん……命拾いしましたね……。

(私って、なんだかんだ、余裕があるなあ。以前は、少しは落ち込んでたのに)

 何なら、昼間だってそう。
 彼女の放つ毒のある言葉に一瞬とは言え、ヘロヘロになった。

(そうか。あの時、烏丸さん、格が違うって言ってくれたんだ……)

 その時は……さほどでもなかったけれど、じわじわとその言葉が効いてきた気がする。
 遅効性のサプリメントみたいに。

 うん。それに、前向きになれたのは、今、新しい場所で、生きる手立てがあるからなのかも。
 全部烏丸さんのおかげだな……。
 ラッキーガールなんて、言われがちな、ある意味運のいい私。
 それなのに、色々あって、ちょっとした絶望を味わっていた。
 それが、贅沢だったかも、って思えているのは、彼が私を見つけてくれたからだと思う。
 
 ぽ、っと胸が温かくなった。
 あとで、きっちり彼にお礼を言おうと決めた瞬間、胸がドキドキし始める。

「素敵だな、って思ったわ。音色も、そして棘山さんも」

 掛け値無しの本音だ。嫌味なんかじゃない。
 音大を出ていない私には、ピアノはもう趣味どまりでいいかな、なんて。改めて引導を渡された気分。

「そういう所がやだって言ってんの。この偽善者!」

 棘山さんはいきり立つ。

「偽善者……? それ、意味合ってます?」
「きいいいいっ」

 いけない。また余計なツッコミを入れてしまった。
 それまで黙っていた烏丸さんがボソリと呟く。

「また、サファリで唯一の人間になってるな。ま、君らしい」

 突然会場が暗くなった。
 ちょうどピアノの演奏も終わり、しんとなったフロアに生まれたばかりのスポットライトがぽん、と私を照らした。

「えっ?」

 舞台上から栄保社長が言った。

「次の演奏は路上の天使こと、倉田ひかりさんの演奏です。皆様盛大な拍手を!」

「「は???」」

 私と棘山さんが同時に叫ぶ。
 路上の天使は栄保社長が命名したけど、ピアノの情報は知らないはず。
 絶対烏丸さんの差し金だ。
 振り向くと、彼は低い声で言った。

「君には人間らしい戦い方が向いている」
「……リベンジなんてしませんったら。というか、出来ません」

 ピアノの腕なら音大卒の彼女のほうが優れているし、アパートには電子ピアノしかなくて、本物の鍵盤を一ヶ月も叩いていない。

 それに……。

(棘山さんの心を乱したくない!)

 ほら、案の定、目の前で棘山さんがわなわなし始めている。
 あれだけ羨ましいでしょ、と言ってた相手が、自分の後に演奏するとなったら……。
 彼女の気持ちが手に取るようにわかり、この場から逃げ出したくなった。
 私は誰がなんと言おうと平和主義。

 それに……。
 権力者たちにお膳立てされた、華やかな舞台に、何者でもない私が立つなんて……。
 それは、やっぱり違うと思う。

「さあ。烏丸さんを惚れ直させましょう!」

 舞台から下りてきた栄保社長が言う。

「あの、栄保社長、実は」

 準備不足を理由に断ろうとした。

「別にピアノが弾ける程度で見る目を変えたりはしませんね。俺は芸術には疎いので。正直音楽など、録音されたものを流せばいいと思ってます」
「……え?」

 聞き捨てならない言い方に、私の眉は中央に寄っていく。烏丸さんは私の耳元に唇を寄せた。

「ピアノなんてどれだけスキルを突き詰めてもプロになれるのは一握り。音楽講師の年収は低く、少子化と貧困でこれからプレイヤー人口はますます減っていく。君がその世界から追い出されたのはある意味ラッキーだったんだよ」

 彼は極端すぎる説を語る。

「そんな……!」

 流石にムッとした。私だけじゃない。目の前には、現役のピアノ講師がいるのに。どうしてそんな、デリカシーのないセリフを吐けるんだろう。

(もしかして、これが烏丸さんのリベンジ? だとしたら、絶対に間違ってる)

 口で勝ったって、全然嬉しくなんかないのに。

「音楽は……素晴らしいものです……音源もいいけど、生演奏には別な力がありますよ」
「ほう。何だ。じゃあ言ってみろ。君のピアノは、何ができる?」

 試すような目に拳を握る。
 音は、曲は、楽器は……。

「ピアノは……言葉にできない思いを伝えられます」

 烏丸さんの唇がほころんだ。

「ん?」

 なんだか嫌な予感がする。

「よく言った。思う存分叫んでこい。『ざけんな』、と」

 しまった。

 罠にかけられてしまった。

「エスコートします!! 芸術音痴の王子様をギャフンと言わせてやりましょう!

 栄保社長が満面の笑みで舞台に向かって片手を広げる。
 スポットライトは、私を促すように少し前へと揺れて……。

「も、もうっ。知りませんよっ」

 私は烏丸さんに小さく文句を言いながら舞台に向かって歩き出した。


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 熟れすぎたトマトみたいに赤い顔がそこにあった。
「烏丸さんったら。からかってばかり」
 繋がれた手の温もりを思い出しただけで心臓の音が早くなる。
(ダメだ。平常心でいられない)
 とはいえ、ここに立てこもるわけにもいかず。
 よろよろとフロアに戻る。烏丸さんはどこなんだろう。
 このまま、少し離れていようか、なんて思いながら彷徨っていたら、流れてきたピアノの音にはっとする。
(あ、これ、本物だ)
 そう言えば、棘山さんが、今日ここで演奏するって言ってたっけ……。
 どこにピアノがあるんだろう。
 と、背後から腕をとられた。
「こっちだ」
 烏丸さんである。
 近すぎる距離とスキンシップに、性懲りもなく高まる鼓動。
「あの、ですから、もう少し」
 離れて、と言いたいが、背の高い彼の耳は随分遠い場所にあって……。
 そのせいだけじゃないだろうけど、全然聞き入れてくれそうにない。
 また翻弄されるのは勘弁してほしい、なんて思っていたが、彼にはちゃんと目的があったらしい。メインフロアから少し離れたゾーンで立ち止まり囁きかけてきた。
「ほら、君の知りあいだろう」
 ピアノの音はここから聞こえてきてたんだ。
「ええ」
 舞台の上の棘山さんを見つめながら、私は頷く。
 演奏を終えて頭を下げている間も拍手はまばら。仕方ない。誰も演奏を聞きに来たわけじゃないもの。
 それでも。
(綺麗だな……棘山さん)
 態度があれだからなかなかそうは見えないけれど、黙っていたら普通に美人なのだ。
 発表会の時も、スポットライトが一番似合う人だった。
 見とれていると、ふと彼女と目があった。
(あ、駄目だ。気まずい)
 隠れようと思ったが一足遅く、彼女は勝ち誇ったような笑みで舞台を下り、まっすぐ私に駆け寄ってきた。
「あーら。倉田さんじゃないの」
 ねっとりとまとわりつくような声に、タジタジになる私。
「まさか、本当に来るなんて。あなたってマジでプライドないのね」
 周りに人がいると言うのに、普段通りのテンションで棘山さんは話しかけてきた。
「これには……事情がありまして」
「隠さなくていいのよ。予定があったなら、さっきそう言うはずでしょ。私のことが気になってるんでしょ。まあ、そうよね。私って、あなたと違って勝ち組だから。羨ましいわよね」
 普段の私は、思ってもいない事には反論するタイプ。
 しかし今はそれどころじゃない。
 隣で、何故か神妙にしている烏丸さんの動向が気になっていた。
(リベンジなんて不要ですからね!!)
 心の声で訴える。棘山さん。あなたの前にいる人は、血の雨を降らすぜなんて言ってた人ですよ!
「何そのかっこ。おしゃれしちゃって。どこにそんなお金があるの。無職のくせに。まさか借金? そんなにまでして、私に勝ちたいんだ」
 棘山さんは烏丸さんの存在にまだ気づいてないようだ。
「ねえ。勝ち組の私には負け組の気持ちって全然わかんないの。私の晴れ姿を見てどう思った? すごく惨めよね。きっと」
「そ、それは……」
 いや、全然、とは言えなかった。
 私が気にしているのは、横にいるやられたらやり返すを連呼していた何でもありのCEOのみ。
 ここまで一方的に言われたら、私だって一言二言反論したくなるというもの。
 しかし、烏丸さんが気になってそれどころじゃないから、ある意味ラッキーだったのかも。
 棘山さん……命拾いしましたね……。
(私って、なんだかんだ、余裕があるなあ。以前は、少しは落ち込んでたのに)
 何なら、昼間だってそう。
 彼女の放つ毒のある言葉に一瞬とは言え、ヘロヘロになった。
(そうか。あの時、烏丸さん、格が違うって言ってくれたんだ……)
 その時は……さほどでもなかったけれど、じわじわとその言葉が効いてきた気がする。
 遅効性のサプリメントみたいに。
 うん。それに、前向きになれたのは、今、新しい場所で、生きる手立てがあるからなのかも。
 全部烏丸さんのおかげだな……。
 ラッキーガールなんて、言われがちな、ある意味運のいい私。
 それなのに、色々あって、ちょっとした絶望を味わっていた。
 それが、贅沢だったかも、って思えているのは、彼が私を見つけてくれたからだと思う。
 ぽ、っと胸が温かくなった。
 あとで、きっちり彼にお礼を言おうと決めた瞬間、胸がドキドキし始める。
「素敵だな、って思ったわ。音色も、そして棘山さんも」
 掛け値無しの本音だ。嫌味なんかじゃない。
 音大を出ていない私には、ピアノはもう趣味どまりでいいかな、なんて。改めて引導を渡された気分。
「そういう所がやだって言ってんの。この偽善者!」
 棘山さんはいきり立つ。
「偽善者……? それ、意味合ってます?」
「きいいいいっ」
 いけない。また余計なツッコミを入れてしまった。
 それまで黙っていた烏丸さんがボソリと呟く。
「また、サファリで唯一の人間になってるな。ま、君らしい」
 突然会場が暗くなった。
 ちょうどピアノの演奏も終わり、しんとなったフロアに生まれたばかりのスポットライトがぽん、と私を照らした。
「えっ?」
 舞台上から栄保社長が言った。
「次の演奏は路上の天使こと、倉田ひかりさんの演奏です。皆様盛大な拍手を!」
「「は???」」
 私と棘山さんが同時に叫ぶ。
 路上の天使は栄保社長が命名したけど、ピアノの情報は知らないはず。
 絶対烏丸さんの差し金だ。
 振り向くと、彼は低い声で言った。
「君には人間らしい戦い方が向いている」
「……リベンジなんてしませんったら。というか、出来ません」
 ピアノの腕なら音大卒の彼女のほうが優れているし、アパートには電子ピアノしかなくて、本物の鍵盤を一ヶ月も叩いていない。
 それに……。
(棘山さんの心を乱したくない!)
 ほら、案の定、目の前で棘山さんがわなわなし始めている。
 あれだけ羨ましいでしょ、と言ってた相手が、自分の後に演奏するとなったら……。
 彼女の気持ちが手に取るようにわかり、この場から逃げ出したくなった。
 私は誰がなんと言おうと平和主義。
 それに……。
 権力者たちにお膳立てされた、華やかな舞台に、何者でもない私が立つなんて……。
 それは、やっぱり違うと思う。
「さあ。烏丸さんを惚れ直させましょう!」
 舞台から下りてきた栄保社長が言う。
「あの、栄保社長、実は」
 準備不足を理由に断ろうとした。
「別にピアノが弾ける程度で見る目を変えたりはしませんね。俺は芸術には疎いので。正直音楽など、録音されたものを流せばいいと思ってます」
「……え?」
 聞き捨てならない言い方に、私の眉は中央に寄っていく。烏丸さんは私の耳元に唇を寄せた。
「ピアノなんてどれだけスキルを突き詰めてもプロになれるのは一握り。音楽講師の年収は低く、少子化と貧困でこれからプレイヤー人口はますます減っていく。君がその世界から追い出されたのはある意味ラッキーだったんだよ」
 彼は極端すぎる説を語る。
「そんな……!」
 流石にムッとした。私だけじゃない。目の前には、現役のピアノ講師がいるのに。どうしてそんな、デリカシーのないセリフを吐けるんだろう。
(もしかして、これが烏丸さんのリベンジ? だとしたら、絶対に間違ってる)
 口で勝ったって、全然嬉しくなんかないのに。
「音楽は……素晴らしいものです……音源もいいけど、生演奏には別な力がありますよ」
「ほう。何だ。じゃあ言ってみろ。君のピアノは、何ができる?」
 試すような目に拳を握る。
 音は、曲は、楽器は……。
「ピアノは……言葉にできない思いを伝えられます」
 烏丸さんの唇がほころんだ。
「ん?」
 なんだか嫌な予感がする。
「よく言った。思う存分叫んでこい。『ざけんな』、と」
 しまった。
 罠にかけられてしまった。
「エスコートします!! 芸術音痴の王子様をギャフンと言わせてやりましょう!
 栄保社長が満面の笑みで舞台に向かって片手を広げる。
 スポットライトは、私を促すように少し前へと揺れて……。
「も、もうっ。知りませんよっ」
 私は烏丸さんに小さく文句を言いながら舞台に向かって歩き出した。