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ep.58 落ち込んじゃってもいいよね

ー/ー



 言葉が出なかった。それはあまりにも想像とかけ離れていて、すぐ目の前で聴こえて耳に届いていたはずなのに、どこか遠くの出来事のように感じられた。
 しかし、どう取り繕おうと事実である。嘘は一切なかった。だから、タクミは口にしてから千寿流のその表情を見て、やっぱり言うべきじゃなかったと目を背けるしかできなかった。

 あたしには記憶がない。
 正確に言えば記憶がない部分がある。
 クラマちゃんという人物像も、シャルちゃんから聴いた話で勝手にイメージして組み立てているだけだ。
 一度夢で見たあのメイドドレスで着飾った少女。あの少女はクラマと呼ばれていた。けれど、夢の中はあたしがつくり上げた妄想の世界に過ぎない。
 だから、あの少女がクラマちゃんである確証はない。
 “殺されかけたんだよ”
 頭の中で言葉を反芻する。けれど、その言葉はどう捉えようとも良い意味に捉えることはできなかった。
 あたしの悪い癖がまた出てきたみたいだ。
 いつもはポジティブのはずなんだ。いつでも前向きでいたいと思ってる。だから、楽しく、面白おかしくしていこうって考えてる。
 けれど、それは不安の裏返しだ。自分の記憶も定かではないのに何を信じられるというのだろうか。記憶を疑い、正しさを証明しようと頑張ってみても、その記憶にすら疑われているのなら“近衛千寿流(あたし)”は何を信じればいいというのだろうか。
 “会えば解決できる”
 落ち込んだ時、夜深ちゃんにそう言われた。それでいい。それ以外は今は考えなくていいはずだ。なのに、この弱い心はまだ怯えているのだろうか。気が付いたら下を向いて押し黙ってしまっていた。
 記憶がないことはこんなにも苦しいことなのだろうか。

「もういいよ! さっきからタクミ こわがらせるような ことばっかり! シャルルは べつに きにしないけど ちずるは こわがっちゃうから そんなはなし しないでよ!」

 鬱屈とした空気を裂くような少女の声が部屋中に響く。正面から強くタクミに向かって向けられた声。

 それは不用意な一言を発して、ばつの悪そうな顔をしていたタクミの目を見開かせる。

「それにクラマは そんなことしないし シャルルの ともだちなんだもん! もし そうだったとしても クラマは わるくない! ほかになにか あったんだよ!」

「まあそうだよね。それが大口に潜む気に当てられたのか、はたまた導の仕業なのか、僕たちがここで話し合ってても永遠に分かりっこない話だよね。突然の訪問すみません、そろそろお暇させていただきますね」

 答えのない話ほど無駄なものは存在しない。無駄を楽しむのは余裕ができてからでいい。今はその時ではない。「もちろん無駄話も僕は好きですから、事が終わったらゆっくりとね」、と付け足すように言うと背を向けて出口へと向かう。

「ちずる いくよ! ちずるには シャルルが ひつようでしょ? だいじょうぶ シャルルは どこにもいかないよ!」

「え、わわっ」

 そう言いながら千寿流の手首を握ると、夜深に続いて出口に向かって駆けていく。千寿流は体勢を崩しながらもシャルに引っ張られるままについていくのだった。

 まだまだちょっとしたことで落ち込むときもある。
 何が正しいかわからなくて周りを困らせることもある。
 けれど、あたしの隣にはシャルちゃんがいて、夜深ちゃんがいる。
 なら、落ち込んじゃってもいいよね。
 きっと、二人が励ましてくれる。

「そ、そのっ! ありがとうございました!」

 クラマの居場所を、次の道しるべを示してくれたタクミにお礼を言った。
 入口の段差に躓きそうになりながらも、その顔には小さいけれど笑みが浮かんでいた。

「やれやれ、無駄に歳だけ取って日和っちまって、野暮ったいことは言うもんじゃねえな」

 千寿流たちが出て行った方向を暫く呆然と眺めていたタクミはぼそりと呟く。
 タクミは荒んでいく世界とその日々に疲弊し、夢や希望を見失っていたのかもしれない。親との死別、恋人の失踪。辛さや挫折も味わってきた。この荒れ果てた大地と自身の心情をどこか重ねていたのだろう。

(別に腐っちまう必要なんかないんだわな。あいつらがメイドの嬢ちゃんを連れて次に来た時は、パーッと盛大に祝ってやるかな)


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 言葉が出なかった。それはあまりにも想像とかけ離れていて、すぐ目の前で聴こえて耳に届いていたはずなのに、どこか遠くの出来事のように感じられた。
 しかし、どう取り繕おうと事実である。嘘は一切なかった。だから、タクミは口にしてから千寿流のその表情を見て、やっぱり言うべきじゃなかったと目を背けるしかできなかった。
 あたしには記憶がない。
 正確に言えば記憶がない部分がある。
 クラマちゃんという人物像も、シャルちゃんから聴いた話で勝手にイメージして組み立てているだけだ。
 一度夢で見たあのメイドドレスで着飾った少女。あの少女はクラマと呼ばれていた。けれど、夢の中はあたしがつくり上げた妄想の世界に過ぎない。
 だから、あの少女がクラマちゃんである確証はない。
 “殺されかけたんだよ”
 頭の中で言葉を反芻する。けれど、その言葉はどう捉えようとも良い意味に捉えることはできなかった。
 あたしの悪い癖がまた出てきたみたいだ。
 いつもはポジティブのはずなんだ。いつでも前向きでいたいと思ってる。だから、楽しく、面白おかしくしていこうって考えてる。
 けれど、それは不安の裏返しだ。自分の記憶も定かではないのに何を信じられるというのだろうか。記憶を疑い、正しさを証明しようと頑張ってみても、その記憶にすら疑われているのなら“|近衛千寿流《あたし》”は何を信じればいいというのだろうか。
 “会えば解決できる”
 落ち込んだ時、夜深ちゃんにそう言われた。それでいい。それ以外は今は考えなくていいはずだ。なのに、この弱い心はまだ怯えているのだろうか。気が付いたら下を向いて押し黙ってしまっていた。
 記憶がないことはこんなにも苦しいことなのだろうか。
「もういいよ! さっきからタクミ こわがらせるような ことばっかり! シャルルは べつに きにしないけど ちずるは こわがっちゃうから そんなはなし しないでよ!」
 鬱屈とした空気を裂くような少女の声が部屋中に響く。正面から強くタクミに向かって向けられた声。
 それは不用意な一言を発して、ばつの悪そうな顔をしていたタクミの目を見開かせる。
「それにクラマは そんなことしないし シャルルの ともだちなんだもん! もし そうだったとしても クラマは わるくない! ほかになにか あったんだよ!」
「まあそうだよね。それが大口に潜む気に当てられたのか、はたまた導の仕業なのか、僕たちがここで話し合ってても永遠に分かりっこない話だよね。突然の訪問すみません、そろそろお暇させていただきますね」
 答えのない話ほど無駄なものは存在しない。無駄を楽しむのは余裕ができてからでいい。今はその時ではない。「もちろん無駄話も僕は好きですから、事が終わったらゆっくりとね」、と付け足すように言うと背を向けて出口へと向かう。
「ちずる いくよ! ちずるには シャルルが ひつようでしょ? だいじょうぶ シャルルは どこにもいかないよ!」
「え、わわっ」
 そう言いながら千寿流の手首を握ると、夜深に続いて出口に向かって駆けていく。千寿流は体勢を崩しながらもシャルに引っ張られるままについていくのだった。
 まだまだちょっとしたことで落ち込むときもある。
 何が正しいかわからなくて周りを困らせることもある。
 けれど、あたしの隣にはシャルちゃんがいて、夜深ちゃんがいる。
 なら、落ち込んじゃってもいいよね。
 きっと、二人が励ましてくれる。
「そ、そのっ! ありがとうございました!」
 クラマの居場所を、次の道しるべを示してくれたタクミにお礼を言った。
 入口の段差に躓きそうになりながらも、その顔には小さいけれど笑みが浮かんでいた。
「やれやれ、無駄に歳だけ取って日和っちまって、野暮ったいことは言うもんじゃねえな」
 千寿流たちが出て行った方向を暫く呆然と眺めていたタクミはぼそりと呟く。
 タクミは荒んでいく世界とその日々に疲弊し、夢や希望を見失っていたのかもしれない。親との死別、恋人の失踪。辛さや挫折も味わってきた。この荒れ果てた大地と自身の心情をどこか重ねていたのだろう。
(別に腐っちまう必要なんかないんだわな。あいつらがメイドの嬢ちゃんを連れて次に来た時は、パーッと盛大に祝ってやるかな)