王都セント・フォンの冬は、石畳を銀世界に変える。
午前六時。大聖堂の鐘が鳴る中、新人騎士ジルは凍てつく広場で一人、天を仰いでいた。
「……ツイてない。なぜ僕の給料日に限って、マフラーが下水に落ち、代わりに飛んできたカラスに銀貨を奪われるんだ……」
ジルの人生は「不運」の二文字で構成されている。彼が歩けば落とし穴があり、彼が休めば鳥のフンが降る。今日も予備の、短すぎて喉を絞める紺色のマフラーを巻き、彼はパトロールを開始した。
「……あ、あのっ! 騎士様、マッチはいりませんかぁ!」
噴水の影から、赤いフードを被った少女が飛び出してきた。プラチナブロンドの髪を火花のように輝かせたその美少女――リネは、今にも泣き出しそうなルビー色の瞳でジルを見上げた。
(……絶対に、今日中に十本は売らないと、本当にお父様に魔力を封印されちゃう!)
リネの正体は、魔法界の名門フェリス家の令嬢。だが、あまりに強大で制御不能な魔力を持って生まれた彼女は、一族から「歩く災害」と呼ばれていた。
『王都で千本のマッチを売り、人々に「静かな癒やし」を提供せよ。失敗すれば、お前の魔力は一生封印し、一族から追放する』
それが父から突きつけられた、人生を賭けた最終試練。リネにとって、このマッチ売りは文字通りの死活問題だった。
「マッチか……。一つもらおう。君、そんな格好じゃ凍え死ぬぞ」
ジルのさりげない優しさ。それが、地獄の蓋を開ける第一の鍵となった。
リネは「かっこいい……!」と胸を高鳴らせ、真っ赤な顔で一本目のマッチを擦った。
「お礼に、とびきり温かくなるマッチを擦りますねっ!」
シュッ!
本来なら『カップ一杯のスープの幻』が出るはずだった。
だが、リネの制御不能な魔力は、物理法則を無視して膨張。マイナス五度の広場が一瞬にして真っ白な蒸気に包まれ、石畳の隙間から巨大なヤシの木やシダ植物が爆発的に生い茂った。
「あ、暑いっ!? なんだこれ、サウナか!?」
「ひゃあああ! 幻のつもりが、現実を南国に上書きしちゃいましたぁ!」
ジルの重い鉄の甲冑は、一瞬で「着るオーブン」へと変貌した。あまりの熱気に、ジルは意識が遠のきかける。
「騎士様、今涼しくしてあげます! えいっ!」
リネは慌てて二本目のマッチを擦った。彼女がイメージしたのは『涼やかな高原の風』。だが、今の広場は熱帯。熱気と冷気が魔力によって衝突した結果、広場には**「氷点下五十度の局地的ブリザード」**が発生した。
「ぐ、ふぉっ……!? 今度は凍る! 鎧の中の汗が……一瞬で氷の針に……っ!」
ジャングルの熱気と吹雪が混ざり合い、広場は視界ゼロのホワイトアウト状態。ジルは「熱帯のヤシの木に氷漬けにされた騎士」という、前代未聞のオブジェと化した。
「ど、どうしましょう! こうなったら、最高の『癒やしの晩餐』で体力を回復させてあげないと!」
パニックに陥ったリネが、ヤケクソで三本目のマッチを擦る。
彼女がイメージしたのは『温かな七面鳥の丸焼き』。だが、暴走する魔力は「生きる力」を具現化しすぎた。
ドォォォォォォォン!!
空から降ってきたのは、料理ではなく、**「体長三メートルの、火を噴く巨大七面鳥(生体)」**だった。
「ギョオォォォー!!」
「七面鳥が……戦いを挑んできた!? しかも、僕をエサだと思ってる!」
氷漬けの鎧の中でガタガタ震えるジルに、火を噴く七面鳥が突進してくる。ジルは氷を砕きながら、丸腰で巨大怪鳥と格闘する羽目になった。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい騎士様ぁーっ!」
雪と炎と羽毛が舞い散る中、ジルはボロボロになりながらも、泣きじゃくるリネを反射的に背中に隠した。
「……いい。君が、無事なら……。でも、もうマッチは擦るな。頼むから……」
滝のような汗と全身の痛みに耐えながら、ジルは天を仰いだ。
「あと……君、本当にただのマッチ売りか?」
「えっと、えへへ……実はちょっとだけ、魔法が使えちゃうマッチ売りです……」
冬の王都、朝七時。
彼の「不運な一日」と、一人の魔法少女との騒々しい十日間は、こうして幕を開けたのだった。
熱帯植物が氷漬けになり、巨大な鳥が走り回る地獄絵図の真ん中で、不運な騎士ジルは四度目の溜息を吐いた。
これが、彼と魔法少女リネの、あまりに騒がしすぎる十日間の始まりだった。