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第10回

ー/ー



●魔  剣

 空気中を流れてくる負の気に敏感に反応し、声が途切れるよりも早く体の向きをそちらへ向ける。

 そこに存在するのは、肉食獣のようなしたたかさで抑えられた濃い闇の気配だった。
 それと嗅ぎとり、怖れ、拒むように月は雲間へと入り、その儚い光は地上までは届かない。

 立ち枯れた木々の影にまぎれるように、銀の装身具をふんだんにあしらった黒衣で身を包んだ長身痩躯の男がそこにいた。
 だがそれは()ではなかった。

 その容姿は確かに人であるのだが、決定的に人たり得ないものが男にはあるのだ。
 おそらくこの者を目にしただれであれ、彼が人であるなどと思いもしないだろう。

 真実の闇そのものから切り取ったと思えるほどみごとな漆黒の髪は長く、腰まで。
 一切の光の流入を拒む、底がないと思えるほどどこまでも昏い双眸は、タガーを見ているはずなのに何も映していない。

 不敵にも、抑えようとしている先からにじみ出ている負の気、強大な力による、見えざる圧。
 いや、むしろそうやって抑えていても漏れてしまうのだということで己の持つ力の巨大さを誇示しているのだろう。
 見下しの目、鼻につく自信。
 だがそれを当然のこととしてあまりあるほどの、事実。

 いくらあがき、(もだ)えようが――たとえ地に這いつくばって神に哀願しようとも、絶対に持つことのできない人間の前に、その姿を顕現するのははなはだ傲慢であるとさえ思えるほど、莫大な力にあふれた美貌をまとって()()はいた。

「ふん。生け贄というわけか。
 何を血迷ったのか、町の者め。またずいぶんと古風な手段に出たものだ」

 東天を仰ぎ、さながら琴の第一弦を爪弾いたかの如き高く澄んだ声が朗々と夜の冷気に響きわたる。だがその中にあるのは嘲りのみ。このような策にすがるしかなかった者たちに対する情けや哀れみはただの一片たりともなく、ただただ氷のように冷たいだけの言葉だった。

「俗なことを。効果があるからこそ多用される手とはいえ、この私をおまえたち人ごときと同等位ではかり、私に何の断りもなく場を決め、あまつさえ供物を選び、交渉しようとするとはな。しかもそれで私の気が足りるとまでみたか。たかが小娘一人で。
 これはまた、ひどく見くびられたものだ」

 鼻で笑い、男は組んでいた手を解いた。
 その手元で、巻いた銀の飾りがしゃらしゃらと鳴る。

 また実に鼻持ちならない色男だ。

 深くかぶった布の下で、タガーはそう毒づいた。
 これまで様々な魅魎と相対してきたが、今だかつて別のタイプの魅魎というものにお目にかかったためしがなかった。皆、どれも判を押したようにこれだ。傍若無人、唯我独尊、傲慢無礼。どこまでも主我的で果てなく驕慢、自尊心高くそれでいて毒華のように美しい。

 いや、美しさはまだ分かる。人には到底持ち得ない、恐るべき力を用いて外面すら容易に作りかえることのできる彼らにとって、美しく飾りたてることは己の持つ力を他に誇示するものともなるからだ。
 より美しい者ほど内包する力は大きいとして、こうして魅魎退治を生業にする自分にもある程度の目安になるから丁度いい。
 だがこのいやらしさは何だ。人を虫ケラとも思っていない、見下しきった目! 皮肉気に歪んだ口元!
 自分は何をしても許されると心の底から思っている、尊大さときたら!

 あまりの嫌悪感に吐き気までこみあげ、剣を握る手の力を強める。だが町での姿が信じられないほどの自制心でもって、タガーは男の暴言を遮ろうとはしなかった。
 すると、魅魎はおかしなことをつぶやいた。

「町の者どもめ、あくまで()()は渡さぬというわけだ。こんな生け贄ごときでごまかそうとするとはな。仲間の半数を殺されていながら、まだ足りなかったとみえる。
 制裁が必要だな」

 雲間より現れた月を見上げ、男は優雅に手を横へ振り分けた。

「人などの分際でおこがましくもこの私の意を探ろうとした、それだけでも十分罰を受けるに値するというのに、あろうことか私に指図しようとは。
 まったく。いつもながら人とは始末におえぬ輩だ。己の分もわきまえず、恥というものを知らぬのだからな。
 せっかく生かしてやったというのに、猶予を与えてやれば、私が何を欲しているか知りながら、すぐ裏切ろうとする。
 ずいぶんと見くびられたものだ、こんなちっぽけな娘ごときで私が満足して、()()をあきらめると思ったか。
 まったく、思い上がりもはなはだしい。いくら温情ある私とはいえ、さすがにそんな身勝手さまで許してやるわけにはいくまい。それこそ彼らのためにもならぬことだ」

 芝居がかった仕草でため息をつき、首を振る。

 よくもまあいけしゃあしゃあと、この魅魎は。気まぐれに町を襲い、破壊し、泣き叫んで哀願する無力な人々を惨殺するという行為は身勝手ではないのか。
 図にのっているのはきさまのほうだろう。
 目前、命を命とも思わない、己に都合のいいことばかり並べたてては嘲けてそしり続けるこの魅魎の高慢な姿にはさすがにタガーも閉口する。
 その身勝手な言葉に腹は立つが――しかし『あれ』とは何だ?

「……あいつら。シャンリルめ。まだ何か隠してやがったな」

 布の下でぎりりと奥歯をかみ締める。

 町の者を一度で殺しきらなかったのは、複数回に分けることで楽しみを長引かせるつもりだと思っていた。
 力ある魅魎ほど、よくそういうことをする。そうして最大限、人の恐怖をあおり、おびえを引き出して、なぶり殺すのだ。動物が、獲物をさんざんいたぶってから殺すように。
 そう思えば、それは生き物としての本能なのかもしれない。弱者を相手に自分の為したことによって優位性を最大限得ようとする。

 だが今回は少し違うようだ。
 この魅魎は何かを求めて、その交渉として、町の者を生き残らせた。これ以上殺されたくなければそれを渡せと迫ったのだ。あるいは、彼らがそれを交渉材料として出してくると考えた。

 ところが町長のあの男はそれを出ししぶり、渡さずに済む方法として、10名の生け贄を考えたわけだ。これで魅魎が満足して立ち去ってくれればいいと。

「……ふざけんなよ、ばか町長め」

 べつに、それはいい。彼らが判断したことだ、人の命10名よりも『あれ』とやらは大切な存在で、その『あれ』をこの魅魎に渡すことはできないと考えたのだろう。
 『あれ』が何かは知らないが、町の者でないタガーがそこに口を挟む権利はない。

 ただ、教えなかったことがシャクに障る。

 ただの魅魎退治として、俺に知らせることはないと考えたか。それはそうかもしれないが、隠し事をされていたということはムカつくぞ。

「こりゃ、成功報酬はもっと上げてもらわなくちゃな……」

 そうつぶやいたときだ。

「先ほどから布の下で何をぶつぶつと。私の言いうことを、ちゃんと聞いていたのか?」

 無視されていると思ったか。憤慨した魅魎が、しゃがんで俯いたままのタガーの顎に手をかけて、上を向かせる。

 右に比べて浅めにかぶっていた左の目に、かすかに月光が触れた。その柔らかな光を吸いこみ、それよりももっと強い光として、タガーの目は不敵に男を見返す。

 ほんの数日前、己の町を突如襲って仲間を惨殺した魅魎を目前にしながらおびえて視線をそらそうともせず、臆することなく強い意志のこめられた瞳でにらみつけてくるふてぶてしさに、男は口端を上げた。

「ほう、これはこれは。
 おまえ、またずいぶんと面白い気をしているな」

 牙を覗かせ、楽しむように告げる。

「闇のにおいがする。さてはどこそのものがたわむれに契った人との混血か。生きながらはぎ取った皮をかぶれば、数日の間は人と同化できると聞く。
 薄汚い、人などに化けるなどそんな酔狂なものはまさかおるまいと今まで思っていたが、大陸は広い。どうやら物好きもいたとみえるな。

 そうか。だからおまえ、ここへやられたか。同じ血を持つ人にすら疎まれ、追い払われたか。
 同族を殺害することをもっとも忌むべき大罪とし、裁きながら、その危機が自らに及べばたやすく破る。もっともらしいことを口にしながら、することは同じであるということに気付きもしないとは。
 ハハッ、いかにも人などのやりそうなことだ。

 どうした? ロもきけないか。ここまで1人で来るだけの度胸を持ちながら、それでも私におびえるか」
「……いいかげんにしやがれっ!」

 隙を伺ってはいたものの、男のどこまでも傲慢な物言いについに我慢も限界まで達したか。そんな言葉と同時に抜き身の剣が振り切られた。


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●魔  剣
 空気中を流れてくる負の気に敏感に反応し、声が途切れるよりも早く体の向きをそちらへ向ける。
 そこに存在するのは、肉食獣のようなしたたかさで抑えられた濃い闇の気配だった。
 それと嗅ぎとり、怖れ、拒むように月は雲間へと入り、その儚い光は地上までは届かない。
 立ち枯れた木々の影にまぎれるように、銀の装身具をふんだんにあしらった黒衣で身を包んだ長身痩躯の男がそこにいた。
 だがそれは|人《・》ではなかった。
 その容姿は確かに人であるのだが、決定的に人たり得ないものが男にはあるのだ。
 おそらくこの者を目にしただれであれ、彼が人であるなどと思いもしないだろう。
 真実の闇そのものから切り取ったと思えるほどみごとな漆黒の髪は長く、腰まで。
 一切の光の流入を拒む、底がないと思えるほどどこまでも昏い双眸は、タガーを見ているはずなのに何も映していない。
 不敵にも、抑えようとしている先からにじみ出ている負の気、強大な力による、見えざる圧。
 いや、むしろそうやって抑えていても漏れてしまうのだということで己の持つ力の巨大さを誇示しているのだろう。
 見下しの目、鼻につく自信。
 だがそれを当然のこととしてあまりあるほどの、事実。
 いくらあがき、|悶《もだ》えようが――たとえ地に這いつくばって神に哀願しようとも、絶対に持つことのできない人間の前に、その姿を顕現するのははなはだ傲慢であるとさえ思えるほど、莫大な力にあふれた美貌をまとって|そ《・》|れ《・》はいた。
「ふん。生け贄というわけか。
 何を血迷ったのか、町の者め。またずいぶんと古風な手段に出たものだ」
 東天を仰ぎ、さながら琴の第一弦を爪弾いたかの如き高く澄んだ声が朗々と夜の冷気に響きわたる。だがその中にあるのは嘲りのみ。このような策にすがるしかなかった者たちに対する情けや哀れみはただの一片たりともなく、ただただ氷のように冷たいだけの言葉だった。
「俗なことを。効果があるからこそ多用される手とはいえ、この私をおまえたち人ごときと同等位ではかり、私に何の断りもなく場を決め、あまつさえ供物を選び、交渉しようとするとはな。しかもそれで私の気が足りるとまでみたか。たかが小娘一人で。
 これはまた、ひどく見くびられたものだ」
 鼻で笑い、男は組んでいた手を解いた。
 その手元で、巻いた銀の飾りがしゃらしゃらと鳴る。
 また実に鼻持ちならない色男だ。
 深くかぶった布の下で、タガーはそう毒づいた。
 これまで様々な魅魎と相対してきたが、今だかつて別のタイプの魅魎というものにお目にかかったためしがなかった。皆、どれも判を押したようにこれだ。傍若無人、唯我独尊、傲慢無礼。どこまでも主我的で果てなく驕慢、自尊心高くそれでいて毒華のように美しい。
 いや、美しさはまだ分かる。人には到底持ち得ない、恐るべき力を用いて外面すら容易に作りかえることのできる彼らにとって、美しく飾りたてることは己の持つ力を他に誇示するものともなるからだ。
 より美しい者ほど内包する力は大きいとして、こうして魅魎退治を生業にする自分にもある程度の目安になるから丁度いい。
 だがこのいやらしさは何だ。人を虫ケラとも思っていない、見下しきった目! 皮肉気に歪んだ口元!
 自分は何をしても許されると心の底から思っている、尊大さときたら!
 あまりの嫌悪感に吐き気までこみあげ、剣を握る手の力を強める。だが町での姿が信じられないほどの自制心でもって、タガーは男の暴言を遮ろうとはしなかった。
 すると、魅魎はおかしなことをつぶやいた。
「町の者どもめ、あくまで|あ《・》|れ《・》は渡さぬというわけだ。こんな生け贄ごときでごまかそうとするとはな。仲間の半数を殺されていながら、まだ足りなかったとみえる。
 制裁が必要だな」
 雲間より現れた月を見上げ、男は優雅に手を横へ振り分けた。
「人などの分際でおこがましくもこの私の意を探ろうとした、それだけでも十分罰を受けるに値するというのに、あろうことか私に指図しようとは。
 まったく。いつもながら人とは始末におえぬ輩だ。己の分もわきまえず、恥というものを知らぬのだからな。
 せっかく生かしてやったというのに、猶予を与えてやれば、私が何を欲しているか知りながら、すぐ裏切ろうとする。
 ずいぶんと見くびられたものだ、こんなちっぽけな娘ごときで私が満足して、|あ《・》|れ《・》をあきらめると思ったか。
 まったく、思い上がりもはなはだしい。いくら温情ある私とはいえ、さすがにそんな身勝手さまで許してやるわけにはいくまい。それこそ彼らのためにもならぬことだ」
 芝居がかった仕草でため息をつき、首を振る。
 よくもまあいけしゃあしゃあと、この魅魎は。気まぐれに町を襲い、破壊し、泣き叫んで哀願する無力な人々を惨殺するという行為は身勝手ではないのか。
 図にのっているのはきさまのほうだろう。
 目前、命を命とも思わない、己に都合のいいことばかり並べたてては嘲けてそしり続けるこの魅魎の高慢な姿にはさすがにタガーも閉口する。
 その身勝手な言葉に腹は立つが――しかし『あれ』とは何だ?
「……あいつら。シャンリルめ。まだ何か隠してやがったな」
 布の下でぎりりと奥歯をかみ締める。
 町の者を一度で殺しきらなかったのは、複数回に分けることで楽しみを長引かせるつもりだと思っていた。
 力ある魅魎ほど、よくそういうことをする。そうして最大限、人の恐怖をあおり、おびえを引き出して、なぶり殺すのだ。動物が、獲物をさんざんいたぶってから殺すように。
 そう思えば、それは生き物としての本能なのかもしれない。弱者を相手に自分の為したことによって優位性を最大限得ようとする。
 だが今回は少し違うようだ。
 この魅魎は何かを求めて、その交渉として、町の者を生き残らせた。これ以上殺されたくなければそれを渡せと迫ったのだ。あるいは、彼らがそれを交渉材料として出してくると考えた。
 ところが町長のあの男はそれを出ししぶり、渡さずに済む方法として、10名の生け贄を考えたわけだ。これで魅魎が満足して立ち去ってくれればいいと。
「……ふざけんなよ、ばか町長め」
 べつに、それはいい。彼らが判断したことだ、人の命10名よりも『あれ』とやらは大切な存在で、その『あれ』をこの魅魎に渡すことはできないと考えたのだろう。
 『あれ』が何かは知らないが、町の者でないタガーがそこに口を挟む権利はない。
 ただ、教えなかったことがシャクに障る。
 ただの魅魎退治として、俺に知らせることはないと考えたか。それはそうかもしれないが、隠し事をされていたということはムカつくぞ。
「こりゃ、成功報酬はもっと上げてもらわなくちゃな……」
 そうつぶやいたときだ。
「先ほどから布の下で何をぶつぶつと。私の言いうことを、ちゃんと聞いていたのか?」
 無視されていると思ったか。憤慨した魅魎が、しゃがんで俯いたままのタガーの顎に手をかけて、上を向かせる。
 右に比べて浅めにかぶっていた左の目に、かすかに月光が触れた。その柔らかな光を吸いこみ、それよりももっと強い光として、タガーの目は不敵に男を見返す。
 ほんの数日前、己の町を突如襲って仲間を惨殺した魅魎を目前にしながらおびえて視線をそらそうともせず、臆することなく強い意志のこめられた瞳でにらみつけてくるふてぶてしさに、男は口端を上げた。
「ほう、これはこれは。
 おまえ、またずいぶんと面白い気をしているな」
 牙を覗かせ、楽しむように告げる。
「闇のにおいがする。さてはどこそのものがたわむれに契った人との混血か。生きながらはぎ取った皮をかぶれば、数日の間は人と同化できると聞く。
 薄汚い、人などに化けるなどそんな酔狂なものはまさかおるまいと今まで思っていたが、大陸は広い。どうやら物好きもいたとみえるな。
 そうか。だからおまえ、ここへやられたか。同じ血を持つ人にすら疎まれ、追い払われたか。
 同族を殺害することをもっとも忌むべき大罪とし、裁きながら、その危機が自らに及べばたやすく破る。もっともらしいことを口にしながら、することは同じであるということに気付きもしないとは。
 ハハッ、いかにも人などのやりそうなことだ。
 どうした? ロもきけないか。ここまで1人で来るだけの度胸を持ちながら、それでも私におびえるか」
「……いいかげんにしやがれっ!」
 隙を伺ってはいたものの、男のどこまでも傲慢な物言いについに我慢も限界まで達したか。そんな言葉と同時に抜き身の剣が振り切られた。