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血の池

ー/ー



「グ——ギ……」

 頭の熱が消え去り、同時に、空けられた孔から感覚が死んでいくのを感じる。

 思考が輪郭を取り戻し、状況理解が一瞬で完了する。

 同時に思い出した。
 ずっと感じていた悪寒、聞こえていた警鐘は、全てこの槍に対してのものだったんだ。
 けどもう遅すぎる。
 こんな致命的事態に陥って、今さら思考の自由が戻ってきても、絶望するしかできることがない。

「ガあぁあああぁあああ……あ……ぁ!?!?」

 槍が捻りを加えられながら、乱暴に引き抜かれた。

 カクンと、膝が抜ける。
 気づけば、視界にはまだらに紅くなった地面が広がって……これが全部自分のかと思うと、クラリとした。

「え゛……ぅ……?」

 倒れた感覚すら、なかった。
 孔を開けられたというのに、そこに痛みはない。それがなおのこと不気味で恐ろしい。
 怖くて怖くて、しかたなかった。

「頭、そいつは?」
「屋敷で見つけたってェ“聖具”だ。見た目通りなら聖槍になるんだろうな、こいつァ……」

 “聖具”たる槍の穂先が掲げられる。
 柄と同じく白銀色のその穂先は、ダレカの血に紅く汚れている。

 そして次の瞬間、それは起こった。

「「「————ッ!!」」」

 その現象に、男たちがざわめく。
 掠れた声が、オレの喉から漏れた。

「…………ぅ、そだろ……?」

 白銀の穂先が仄かな光を放つ紋様を浮かべ、付着した血が煙を上げて消えて行く……あれは、オレの血だ……。

「ぁんな……、で……」

 あんなものが身体を貫いたかと思うと、背筋が凍る。体の中を、肉を掻き分けながら貫いたなんて、もう取り返しがつかない。ただただアレが、あの、今目の前で起きたことが、で起こっているのを、そしてその末路を迎えるのを待つしかない。

 恐怖が歯を鳴らす。
 空けられた孔は、今どうなってしまっているのか……感覚の死んでいる状態では分からない。
 
「……っが、グゥ……ギィい——!」

 傷を見ようとしてもうまく力が入らない。
 力の入れ方すら思い出せない。自然にやれたことが、身体の記憶が抜けていく。空いた孔からこぼれ落ちていく。

 その不可逆な喪失。その喪失感は例えようもない。

「“聖印”が……反応して…………!」
「なんでだよ……こいつは“あの”ガキだろぉ?! だったら人間じゃねーか!?」

 ざわめきは広がる。
 目の前で何が起きているのか分からないと、ざわめく中には震えた声も混ざっていた。

「んなもん、決まってんだろォが」

 低い声が響く。
 その声は、槍を持った男のものだ。

「元から魔導具はひとつっきり。人間をバケモンにしちまうって効果でもあったんだろ。だから聖印がこんな反応をしたっつゥわけだ」
「で、でもよう……なんだってそんなモンを聖騎士が……自分の息子に……?」
「聖騎士はバケモンをころすやつらって聞きやすぜ?」
「うるせェなっ! んなもん俺が知るか! だがァそれ以外ねェだろうがっ!」

 手下からの矢継ぎ早の質問に、槍の男が青筋を浮かべて睨み、黙らせる。
 そして、オレを見下ろした。
 
「チッ! ……おう、ガキ。テメェのおかげで俺の手下どももこんだけだ。もう盗賊稼業を続けることもできねェ」
「そ、そんなぁ?! じ、じゃあ、おれたちぃこれからどうすりゃあ……」
「傭兵に戻るのも、これじゃあムリだぁ……」
「——うるっせぇってんだろぉがッ!! こん槍ィ売っぱりゃあどうとでもなんだよ! 『王国』も『帝国』も聖具は欲しくて仕方がねえだろォからな。買い手にはこまらねェ。…………てわけだガキ。聖騎士の息子がバケモンになるなんざァ皮肉だがよ、オヤジの槍で殺されるっつんなら悪くねえだろ?」

 槍が構えられる。

 もうすっかり血を消し去った白銀の槍は、先端を虫のように倒れたオレへ向け、頭部を貫かんと穂先を輝かせていた。その場違いなほどの美しい輝きは、喜色を浮かべてすら感じられた。

「……………………」

 今度こそ、殺される…………。

 身体の感覚はとっくに、完全に消えていた。あるのはただただ、凍てつく様な寒さと、焼けるような渇きだけ。
 視界も、端から暗くなりつつある。唯一十全に機能しているのは、もう聴覚くらいだった。

 サァ……と腕の先が崩れ、灰となり飛んでいった。
 それが自分の死に方なんだと理解した。
 灰になり、朽ちて死ぬ。何の形も残さずに。跡形もなく。


————この身体は、どうしようもなく……バケモノなんだ。
 

「な、なんだァこりゃあ!?!?」

 突如驚愕と怯えの混ざった声が上がった。

 閉ざしたまぶたは重く、視界は闇に閉ざされている。
 ただ、チャプチャプという、水たまりを踏んだような音が聞こえていた。
 気づかないうちに雨でも降ったのかも知れない。いつ降ってもおかしくない空ではあった。灰となったこの身が、雨に溶け込み、地に染み込み、やがて花を咲かせるのだろうか。

 もしもそうなら…………救われる気がした。こんなオレでも、何かを残せるならどんなにいいか。
 
 そんな想像に縋る間にも、男たちの困惑した声はだんだんと大きくなって、それはついには悲鳴へと変わる。

「わ、わわ!」
「うわっ、な、どこから?!」
「ひぃいっ!?」

 バジャバシャという水音が聞こえる。

 流石に違和感を感じた。雨が降ったにしても、水音からして水位の上がり方が異常だ。とんでもない土砂降りでもない限り、あんな音を出す水たまりにはならない。
 そして当然、そんな雨の降り方であれば気づかないわけがない。

 なら、この音は……?

 あまりに場違いな音が気になって、オレはまぶたをもう一度開いた。今のオレは、これにすら苦労を感じた。

「————————っ!?」

 声が出せたなら、きっと男たちと同じ声を上げていただろう。それほどに、目の前の光景は異質で、周囲の景色は余りにも地獄じみている。

「ち、血だぁっ!!」

 男の金切り声。
 そう。まぶたを閉じた間に、辺りはどこからか湧き出た血によって、紅い池のようになっていた。

 なぜかその池は、俺の周りだけは避けている。まるでオレがそうしているように見えるだろうが、オレにこんなマネをした覚えはない。

「まだ広がってやがる!」

 男たちが騒いでいる間にも池は広がり、男たちの足を赤黒く汚して行く。やがて、男たち全てが足を血の色で染めた時——

「チィッ! テメェの仕業かァっ!!」

 頭と呼ばれていた男が、一人だけ汚れていないオレに気が付いた。

 槍が再び振り上げられる。

 今度こそ死を覚悟した、次の瞬間——

「ガプッ————」

————血の池から勢いよく生えた紅い槍が、男たちを一瞬で串刺しにした。

 貫かれた男たちの誰一人として、現状を理解できない。刺されているとすら分かってないかも知れない。
 男たちは自身を貫いた槍と、決定された死を前にして、完全に思考を停止していた。

「ォ、ォぉォ…………」

 急速に、男たちの身体が水分を失い萎んでいく。男たちの流した血が全て、紅い槍と血の池に吸収されていく。

 そして、干からびて枯れ枝の様な死体が出来た時——

「————」

 視覚はここで限界を迎えた。
 視界は暗くなり、もはや目蓋が開いているのかすら分からない。僅かにあった体のの感覚も消え、自分の形すらも思い出せなくなっていく。

 消えていく……。
 オレという存在が消えていく……。

 そうして意識も暗闇に沈んでいく中、誰かが近づいて来るのを、残った聴覚で感じた。

「アトラしっかりして! アトラっ! ……ひどい……灰化が……こんなに……」
 
 それは少女の声だった。記憶にない声。

 なのに、なぜか聞いてホッとした。
 この声をもう聞けないと思っていたのに、それが聞けて安心した。

「アトラ、口を開けて。お願い、飲んでよぅ……」

 声は震えている。泣いているのかもしれない。

 それは……いやだ……。オレは、この子に泣いて欲しくない……。

 少女の声は、次第に聞き取れない音へと変わる。
 聴覚すらも死に始めたんだと、すぐに理解できた。

 ほとんど音の消えた無音の世界で、感覚は閉ざされ、意識は薄れていく。

「……ッ、…………ッ! ……ぅ……なったら…………」

 閉じきった感覚の中、唇になにか暖かいものが触れた気が……した……………………………………。


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「グ——ギ……」
 頭の熱が消え去り、同時に、空けられた孔から感覚が死んでいくのを感じる。
 思考が輪郭を取り戻し、状況理解が一瞬で完了する。
 同時に思い出した。
 ずっと感じていた悪寒、聞こえていた警鐘は、全てこの槍に対してのものだったんだ。
 けどもう遅すぎる。
 こんな致命的事態に陥って、今さら思考の自由が戻ってきても、絶望するしかできることがない。
「ガあぁあああぁあああ……あ……ぁ!?!?」
 槍が捻りを加えられながら、乱暴に引き抜かれた。
 カクンと、膝が抜ける。
 気づけば、視界にはまだらに紅くなった地面が広がって……これが全部自分のかと思うと、クラリとした。
「え゛……ぅ……?」
 倒れた感覚すら、なかった。
 孔を開けられたというのに、そこに痛みはない。それがなおのこと不気味で恐ろしい。
 怖くて怖くて、しかたなかった。
「頭、そいつは?」
「屋敷で見つけたってェ“聖具”だ。見た目通りなら聖槍になるんだろうな、こいつァ……」
 “聖具”たる槍の穂先が掲げられる。
 柄と同じく白銀色のその穂先は、ダレカの血に紅く汚れている。
 そして次の瞬間、それは起こった。
「「「————ッ!!」」」
 その現象に、男たちがざわめく。
 掠れた声が、オレの喉から漏れた。
「…………ぅ、そだろ……?」
 白銀の穂先が仄かな光を放つ紋様を浮かべ、付着した血が煙を上げて消えて行く……あれは、オレの血だ……。
「ぁんな……、で……」
 あんなものが身体を貫いたかと思うと、背筋が凍る。体の中を、肉を掻き分けながら貫いたなんて、もう取り返しがつかない。ただただアレが、あの、今目の前で起きたことが、《《オレの中》》で起こっているのを、そしてその末路を迎えるのを待つしかない。
 恐怖が歯を鳴らす。
 空けられた孔は、今どうなってしまっているのか……感覚の死んでいる状態では分からない。
「……っが、グゥ……ギィい——!」
 傷を見ようとしてもうまく力が入らない。
 力の入れ方すら思い出せない。自然にやれたことが、身体の記憶が抜けていく。空いた孔からこぼれ落ちていく。
 その不可逆な喪失。その喪失感は例えようもない。
「“聖印”が……反応して…………!」
「なんでだよ……こいつは“あの”ガキだろぉ?! だったら人間じゃねーか!?」
 ざわめきは広がる。
 目の前で何が起きているのか分からないと、ざわめく中には震えた声も混ざっていた。
「んなもん、決まってんだろォが」
 低い声が響く。
 その声は、槍を持った男のものだ。
「元から魔導具はひとつっきり。人間をバケモンにしちまうって効果でもあったんだろ。だから聖印がこんな反応をしたっつゥわけだ」
「で、でもよう……なんだってそんなモンを聖騎士が……自分の息子に……?」
「聖騎士はバケモンをころすやつらって聞きやすぜ?」
「うるせェなっ! んなもん俺が知るか! だがァそれ以外ねェだろうがっ!」
 手下からの矢継ぎ早の質問に、槍の男が青筋を浮かべて睨み、黙らせる。
 そして、オレを見下ろした。
「チッ! ……おう、ガキ。テメェのおかげで俺の手下どももこんだけだ。もう盗賊稼業を続けることもできねェ」
「そ、そんなぁ?! じ、じゃあ、おれたちぃこれからどうすりゃあ……」
「傭兵に戻るのも、これじゃあムリだぁ……」
「——うるっせぇってんだろぉがッ!! こん槍ィ売っぱりゃあどうとでもなんだよ! 『王国』も『帝国』も聖具は欲しくて仕方がねえだろォからな。買い手にはこまらねェ。…………てわけだガキ。聖騎士の息子がバケモンになるなんざァ皮肉だがよ、オヤジの槍で殺されるっつんなら悪くねえだろ?」
 槍が構えられる。
 もうすっかり血を消し去った白銀の槍は、先端を虫のように倒れたオレへ向け、頭部を貫かんと穂先を輝かせていた。その場違いなほどの美しい輝きは、喜色を浮かべてすら感じられた。
「……………………」
 今度こそ、殺される…………。
 身体の感覚はとっくに、完全に消えていた。あるのはただただ、凍てつく様な寒さと、焼けるような渇きだけ。
 視界も、端から暗くなりつつある。唯一十全に機能しているのは、もう聴覚くらいだった。
 サァ……と腕の先が崩れ、灰となり飛んでいった。
 それが自分の死に方なんだと理解した。
 灰になり、朽ちて死ぬ。何の形も残さずに。跡形もなく。
————この身体は、どうしようもなく……バケモノなんだ。
「な、なんだァこりゃあ!?!?」
 突如驚愕と怯えの混ざった声が上がった。
 閉ざしたまぶたは重く、視界は闇に閉ざされている。
 ただ、チャプチャプという、水たまりを踏んだような音が聞こえていた。
 気づかないうちに雨でも降ったのかも知れない。いつ降ってもおかしくない空ではあった。灰となったこの身が、雨に溶け込み、地に染み込み、やがて花を咲かせるのだろうか。
 もしもそうなら…………救われる気がした。こんなオレでも、何かを残せるならどんなにいいか。
 そんな想像に縋る間にも、男たちの困惑した声はだんだんと大きくなって、それはついには悲鳴へと変わる。
「わ、わわ!」
「うわっ、な、どこから?!」
「ひぃいっ!?」
 バジャバシャという水音が聞こえる。
 流石に違和感を感じた。雨が降ったにしても、水音からして水位の上がり方が異常だ。とんでもない土砂降りでもない限り、あんな音を出す水たまりにはならない。
 そして当然、そんな雨の降り方であれば気づかないわけがない。
 なら、この音は……?
 あまりに場違いな音が気になって、オレはまぶたをもう一度開いた。今のオレは、これにすら苦労を感じた。
「————————っ!?」
 声が出せたなら、きっと男たちと同じ声を上げていただろう。それほどに、目の前の光景は異質で、周囲の景色は余りにも地獄じみている。
「ち、血だぁっ!!」
 男の金切り声。
 そう。まぶたを閉じた間に、辺りはどこからか湧き出た血によって、紅い池のようになっていた。
 なぜかその池は、俺の周りだけは避けている。まるでオレがそうしているように見えるだろうが、オレにこんなマネをした覚えはない。
「まだ広がってやがる!」
 男たちが騒いでいる間にも池は広がり、男たちの足を赤黒く汚して行く。やがて、男たち全てが足を血の色で染めた時——
「チィッ! テメェの仕業かァっ!!」
 頭と呼ばれていた男が、一人だけ汚れていないオレに気が付いた。
 槍が再び振り上げられる。
 今度こそ死を覚悟した、次の瞬間——
「ガプッ————」
————血の池から勢いよく生えた紅い槍が、男たちを一瞬で串刺しにした。
 貫かれた男たちの誰一人として、現状を理解できない。刺されているとすら分かってないかも知れない。
 男たちは自身を貫いた槍と、決定された死を前にして、完全に思考を停止していた。
「ォ、ォぉォ…………」
 急速に、男たちの身体が水分を失い萎んでいく。男たちの流した血が全て、紅い槍と血の池に吸収されていく。
 そして、干からびて枯れ枝の様な死体が出来た時——
「————」
 視覚はここで限界を迎えた。
 視界は暗くなり、もはや目蓋が開いているのかすら分からない。僅かにあった体の《《中》》の感覚も消え、自分の形すらも思い出せなくなっていく。
 消えていく……。
 オレという存在が消えていく……。
 そうして意識も暗闇に沈んでいく中、誰かが近づいて来るのを、残った聴覚で感じた。
「アトラしっかりして! アトラっ! ……ひどい……灰化が……こんなに……」
 それは少女の声だった。記憶にない声。
 なのに、なぜか聞いてホッとした。
 この声をもう聞けないと思っていたのに、それが聞けて安心した。
「アトラ、口を開けて。お願い、飲んでよぅ……」
 声は震えている。泣いているのかもしれない。
 それは……いやだ……。オレは、この子に泣いて欲しくない……。
 少女の声は、次第に聞き取れない音へと変わる。
 聴覚すらも死に始めたんだと、すぐに理解できた。
 ほとんど音の消えた無音の世界で、感覚は閉ざされ、意識は薄れていく。
「……ッ、…………ッ! ……ぅ……なったら…………」
 閉じきった感覚の中、唇になにか暖かいものが触れた気が……した……………………………………。