第百二十九話:8年後の朝、パパはつらいよ
ー/ー 魔王討伐による世界統一から、八年の歳月が流れた。
かつて戦火に包まれていた大陸は、「優しさと絆」による統治の下、かつてない繁栄と平和を享受していた。
統一王国の首都『調和の座』。その中心にそびえる王城の朝は、今日も今日とて、ある種の「戦争」から始まろうとしていた。
「違うわよ、アクア! 帝王学の基本は『気合』と『情熱』よ! ライオスには、朝から炎の素振りを千回やらせるのが正解なの!」
「非論理的です、レヴィア。筋肉の成長曲線と集中力の持続時間を無視した根性論は、学習効率を著しく低下させます。シズクに必要なのは、朝食前の三十分間の瞑想と、論理パズルの解読です」
「お二人とも、栄養が足りていません! 育ち盛りの子供たちには、まず山盛りの薬草サラダとオーク肉のステーキです! 好き嫌いは許しませんぞ!」
朝のダイニングルームに、紅蓮の激情竜姫レヴィア、蒼玉の理性竜姫アクア、そして磐石の守護龍テラの大声が響き渡る。
上座に座るヒカル・クレイヴ(三十五歳)は、豪華な朝食を前に、深いため息をついてこめかみを押さえた。
かつて「天才軍師」と呼ばれ、魔王すら愛の調律で打ち倒した英雄の顔には、戦場では見せなかった種類の深い疲労が刻まれている。
(平和だ……。確かに世界は平和になった。だが、俺の家庭内は、毎日が『教育方針』という名の宗教戦争だ……。それに、今日はまだ人数が少ない方だというのに……)
八年の歳月は、ヒカルを少年の面影を残す青年から、落ち着きのある壮年の王へと変えていた。しかし、その内面で抱える悩みは、王国の存亡から「子供の教育」へとシフトしていた。
ヒカルの右腕には、今も『調律の剣』の機能が眠っている。しかし、今の彼を悩ませているのは魔力の暴走ではない。愛する妻たちの「教育ママ化」だった。
「パパー! ライオスお兄ちゃんがまたボクのパンを燃やしたー!」
「うっせーなノア! 燃やしたんじゃねえ、火力調整の訓練だ! 父上! 見てくれよ、俺の新しい必殺技『モーニング・バーニング』!」
「論理的に見て、食卓での魔法行使はマナー違反です。減点対象ね」
「まあまあシズクちゃん。ライオスくんも悪気はないんだから……。ほら、私の水壁(ウォーター・シールド)で防いだから大丈夫よ」
食卓の向こうでは、次世代の子供たちが暴れまわっていた。
レヴィアの息子、ライオス(八歳)が炎を放ち、妹のノア(五歳)がそれを煽る。
アクアの娘、シズク(六歳)が冷静に批判する横で、双子の妹マリン(六歳)がおっとりと微笑みながら鉄壁の防御魔法を展開している。
そして、テラの娘ソイル(七歳)が「もう! お行儀よくしなさい!」と注意する足元で、マイペースに食事をしていた弟のグラウンド(三歳)が椅子から転げ落ち、ズドンという音と共に食卓を揺らす局地的な地震を引き起こした。
「……静粛に」
ヒカルがフォークを置く音と共に、王の威厳を込めた声を出す。一瞬だけ場が静まった。
「これでも今日は、セフィラたちがいない分だけ静かなはずなんだがな……」
「ええ。セフィラは『子供たち(リオとリベル)に世界の風を感じさせる冒険に出る!』と言って早朝から飛び出していきましたし、ヴァルキリア姉様はクロノスとミスティを連れて闇の魔力制御の修行へ、ルーナはアルテミスを連れて教団の式典へ行っていますわ」
アクアが紅茶を啜りながら、不在のメンバーについて補足する。半数が不在でこの騒ぎなのだ。全員揃えば王城が揺れるのも無理はない。
「レヴィア、アクア、テラ。お前たちの熱意は分かる。だが、子供たちはまだ制御を学んでいる途中だ。家庭内で個別の英才教育を詰め込みすぎれば、彼らの個性同士が衝突し、不協和音を生むだけだ」
「でも夫よ! ライオスは次期国王候補(自称)なのよ! 強く育てなくてどうするの!」
「王よ、シズクの知性は王国の宝です。早期教育こそが、彼女の才能を最大化する最短ルートです」
妻たちの主張は平行線だ。
ヒカルは、絆の共感者(エンパシー)で彼女たちの感情を読み取る。【レヴィア:息子への過剰な期待(Passion)120%】、【アクア:娘への完璧主義(Logic)99%】。
愛ゆえの暴走。それはかつての戦争と同じ構造だった。
「……分かった。もう、家庭内での個別指導だけでは限界だ」
ヒカルは立ち上がり、全員を見渡して宣言した。
「俺は決めたぞ。子供たちの教育を、親のエゴから切り離し、社会の中で学ばせる場所を作る」
「場所、ですって?」
レヴィアが目を丸くする。
「そうだ。『王立・竜の子学園』を設立する。俺たちの子供だけでなく、六天将の子供や、才ある者たちを集め、集団生活の中で『絆』と『制御』を学ばせるんだ!」
ヒカルの提案に、一瞬の沈黙が流れた後、アクアが眼鏡を光らせた。
「……なるほど。家庭という閉じた環境ではなく、社会的な集団生活の中で競争と協調を学ばせる。論理的に見て、社会性の育成には最適解かもしれません」
「そうだろう? それに……」
ヒカルは苦笑いしながら本音を漏らした。
「俺もたまには、朝くらい静かにコーヒーが飲みたいんだ……」
こうして、ヒカルの「パパとしての安息」を求めた切実な願いと、王国の未来を見据えた教育改革が合致し、王立学園の設立が決定された。
◇◆◇◆◇
数ヶ月後。王城の敷地内に新設された校舎の前で、一人の少年が胃の痛みに耐えるように腹を押さえていた。
シリウス・イグニス、十歳。
爆炎龍将軍フレアと、深海の戦術師シエルの間に生まれた長男であり、この学園の初代生徒会長に任命された少年だ。赤と青が混じった不思議な髪色と、父譲りの精悍さと母譲りの知性を併せ持つ彼は、同年代の中では飛び抜けて大人びていた。
「はぁ……。父上(フレア)は『お前ならできる! 燃えろ!』としか言わないし、母上(シエル)は『生徒会長としてのKPI達成計画書』なんて渡してくるし……」
シリウスは手元の分厚い羊皮紙(母作成のマニュアル)を見て溜息をついた。
「僕に求められているのは、あの個性豊かすぎる異母弟妹たち(ロイヤル・キッズ)をまとめること……。難易度が高すぎるよ」
「おーい! シリウス兄貴ー! 早く模擬戦やろうぜ!」
校門の向こうから、ライオスが炎を噴き上げながら突っ込んでくる。
「待ちなさいライオス! 校則第一条、校内での無許可の魔法使用は禁止です。論理的に考えて、罰則対象よ!」
シズクが水流の鞭でライオスを捕まえようとし、校門前の噴水が爆発した。
「わーい! 水浴びだー!」
風のリオとリベルが歓声を上げて水しぶきの中に飛び込み、テラの娘ソイルが「もう! 風邪ひいちゃうよ!」とタオルを持って追いかける。
開校初日から、学園はカオスだった。
シリウスは天を仰いだ。
「ヒカル様……。貴方が僕を指名した理由が、今わかりました。これは『名誉』じゃなくて、『尻拭い』役なんですね……」
その時、背後から温かい手がシリウスの肩に置かれた。振り返ると、そこには優しい笑みを浮かべたヒカルが立っていた。
「よう、シリウス。胃が痛いか?」
「ヒ、ヒカル様! ……はい、正直に言うと、逃げ出したい気分です。僕には、父上のような強さも、母上のような賢さもまだありません」
ヒカルはシリウスの目線に合わせてしゃがみ込み、かつて自分がリリアや竜姫たちに支えられた日うを思い出すように語りかけた。
「強さや賢さだけがリーダーの条件じゃないさ。シリウス、俺がお前を生徒会長に選んだのは、お前が誰よりも『周りを見ている』からだ」
「周りを……?」
「ああ。フレアの熱さとシエルの冷静さ、その両方を知っているお前なら、あいつら(ライオスたち)のバラバラな個性を、一つの和音(ユニゾン)にできるかもしれない。……俺が、六龍姫たちとそうしてきたようにな」
ヒカルの言葉に、シリウスの瞳に光が宿る。
偉大な王であり、尊敬する「おじ様」からの言葉。それは、シリウスにとって何よりの指針だった。
「……わかりました。やってみます。あいつらが暴走したら、僕が責任を持って止めます」
「頼んだぞ。……あ、それと、ライオスが校舎を燃やしそうになったら、すぐに俺を呼べ。レヴィアに知られる前に消火しないと、俺が怒られるからな」
「あはは……。ヒカル様も、家では大変なんですね」
シリウスは苦笑いしながらも、背筋を伸ばした。
チャイムが鳴る。
「さあ、みんな! 席について! 授業が始まるよ!」
シリウスの声が、喧騒の中に響く。ライオスが「ちぇっ」と言いながら炎を消し、シズクが「委員長に従います」と席に着く。バラバラだった子供たちが、少しだけ同じ方向を向いた。
校舎の窓からその様子を見ていたヒカルは、隣に立つリリアに話しかけた。
「どうだ、リリア。あいつら、うまくやっていけそうか?」
王室メイド長として変わらぬ美しさを保つリリアは、慈愛に満ちた目で子供たちを見守っていた。
「ええ、ヒカル様。皆様、とても良いお顔をされています。……まるで、昔のヒカル様たちを見ているようですわ」
「昔の俺たちか……。なら、前途多難だな」
「ふふ。でも、きっと素晴らしい『絆』が生まれますよ」
ヒカルは空を見上げた。
平和な空。だが、その向こうには、まだ見ぬ脅威や、神の予兆が潜んでいるかもしれない。
(親の心子知らず、か。……まあいい。存分に悩んで、喧嘩して、強くなれ。お前たちの未来は、お前たちが作るんだ)
次世代の物語の幕が、賑やかに、そして少しの火種を含んで切って落とされた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。