Ep.1 焼き付いた雨の精は君のせい ―― *Shion
ー/ー
――――美しい。
一目見て、最初に思ったのがそれだった。
家に帰る途中で見かけた女の子。初めて見る子だ。あたしとは違う制服に身を包み、持っている傘を何故か差さずに呆然と雨に打たれている。
長い黒髪がじっとりと濡れて、白い肌に張り付いている。天を仰ぐ彼女の額からお尻の先まで、すとん、と雨が彼女を真っすぐ穿っているかのように見える。呆然としているようなのに、妙に姿勢が綺麗だ。
景色の中に完璧に調和して、まるで彼女自体が自然の一部のようにすら見えた。もしそうだとしたら、彼女は雨の精なのだろうか――そんなバカげたことすら考えてしまうほど、あたしはその横顔から目が離せなかった。
雨粒の一滴一滴が、彼女の存在を少しずつ雫の中に溶かしていってしまう――そんな危うさを感じるほど、あたしには彼女の横顔は儚く、脆く、繊細に映った。
その姿をずっと見ていたいとも思ったけど、彼女が一度鼻をすすったことで、夢想世界に入りかけていたあたしは一気に現実に引き戻された。
こんな儚げな子をこのまま雨ざらしにするわけにはいかない。あたしは考えるよりも先に、そんな使命感で彼女の頭上に傘を差し入れていた。
「ちょっと大丈夫? わっ、ずぶ濡れじゃん、風邪ひくよ!?」
近くで見てみると、彼女は想像以上にびしょ濡れになっていて、何かできないかとタオルで濡れた顔を拭いてやった。
触れたら壊れてしまいそうだと思っていたのに、いざ触れてみると、ちゃんと形を持った人間で少しホッとする。
黒々とした目はどこかどんよりとしているが、睫毛は長くて、鼻筋も綺麗。瑞々しく可愛らしい丸みを帯びた唇は微動だにしない。
遠目で見ていた時は気が付かなかったけど、この制服、西修高校のものだ。西修といえば偏差値が六十を超える進学校で、あたしなんて手も届かなかったエリート校。そこに通うような子が、どうしてこんなことを……? 頭の良い奴の考えることはさっぱりわからない。
「うち近くだから、シャワー浴びていきなよ。服も貸したげる!」
心の底から誓って、下心も何もなくそう申し出た。ただただ心配だったから、その一心だけで申し出た。はずなのに……。
「……いや、いいです」
何故か断られてしまった。
いや、待って、この状況で断られることってある? 下心が透けて見える以前に、下心なんてそもそもなかったのに。いやちょっとくらいは、可愛い子だなとは思ったけど、それ以上の邪な心をこんな儚げな美少女に抱いてはいけないというあたしの良心の奥底に、無意識下で渦巻く下心に気付かれたってこと……? 頭の良い奴の考えることは、マジでさっぱりわからない。
「えっ、何で?! どっか具合悪いの? マジで心配だよ……」
思わずあたしは彼女の肩に掴みかかってしまった。そんなに強く掴んだつもりはなかったけど、一瞬少し驚いたように見開かれた彼女の目を見て、強引なことをしていると自覚した。
それでも彼女は、申し訳なさそうにあたしの申し出を断り続ける。何か理由があるのだろうか。いや、理由があったって、普通はわざわざ雨に濡れるような真似はしないはずだ。少なくとも、良い理由でないのは明らかだ。
「……すみません。本当に、大丈夫なので。ご心配おかけしました」
「大丈夫じゃないでしょ! 大丈夫な人はこんなところで傘も差さずに雨に打たれてたりしないよ?!」
あたしにそう言われて、返しに苦しくなったように彼女は押し黙ってしまった。そんな苦々しそうな表情さえ、芸術作品の一つのように見える。綺麗な顔立ちには、どんな表情を浮かべても絵になる。
「見ちゃったからには見過ごせないって。あたしに見つかったのが運の尽きだと思って大人しくついてきて。ほら立って、行くよ」
強引に彼女の手を引いて、あたしの家へ連れていく。あれだけ尻込みしていたくせに、いざ連れられると抵抗一つしない。本当は誰かにこうして連れ出されたかったんじゃないだろうか。雨の精だと思っていたが、どうやら王子さまを待ち焦がれるお姫さまだったようだ。
しかし冷たくなってしまった彼女の手を握っていると、そんなことはすぐにどうでもよくなった。とにかく早くこの子を温めてあげないと。あたしはマジで下心なく、その一心で家に向かっていた。
「ちょっと待っててね」
家に着いてそっと窓の方を覗いてみる。この薄暗い雨空なのに、部屋の窓から明かりが漏れてこない。誰もいないのか。
「さ、入って入って」
あたしは鍵を開けて、彼女を先に玄関に通した。せっかくここまで来たのに、やっぱりいいですなんて言われるわけにもいかない。だが家に上げてしまえばこっちのもの。
あたしは強引に彼女を脱衣場に押し込んで、ちゃんと温まるんだよ、と脱衣場のドアを閉めた。ドアを閉めた後で少しの間だけ、こっそりと聞き耳を立てて中の様子を窺ってみる。すると、小さく衣擦れの音が聞こえてきて、ちゃんと入ってくれそうで安心した。それと同時に、少しずつ速くなる鼓動。どうしてだろう。ドア一枚隔てた向こうに彼女がいる、それだけのことなのに。
あたしはそっと脱衣場から離れ、彼女が使えそうなタオルと着替えを見繕うことにした。
背はあたしより少し低いし、体型もあたしに比べればすらりとしている。あたしの服が着られるかはわからないけど、彼女に似合いそうなものを見繕ってやろうと思った。そこに、あわよくばあたしがこれを着た彼女の姿を見たいという欲望も、ちょっとくらいは混在していたかもしれない。
そういえば、タオルや着替えを用意しておくことを彼女に伝えそびれていた。それを気にして、今度は風呂場から出てきてくれないかもしれない。そうなっては困る。
そう思ったあたしは、しかし次の瞬間には何を思ったか、がらりと風呂場のドアを開けていた。
ひゃっとか細い悲鳴が聞こえて、彼女がさっと身体を庇う。白磁器のように美しくなめらかな白い肌は、しっかり温まっているのか仄かに桃色が差して、ゆらりゆらりと湯気が立ち上っていた。
その艶やかな姿に見惚れてしまいそうになったが、それを表に出すわけにもいかないと思って、平常心を装いここに来た目的を果たすことにする。
「タオルと着替え、ここ置いとくから使ってね」
「あ、ありがとうございます……」
控えめなお礼を言われてそっとドアを閉められる。しかし平常心を装うのに必死で言い忘れていたことがあったのを思い出し、脱衣場を出ていこうとしたあたしは踵を返してまた風呂場のドアを開けた。
「あのさ、濡れた服、乾燥機にかけとくね。しわになっちゃうと思うから、お家に帰ったらもう一回洗ってね」
「わ、わかりましたから、いちいち開けないでください……!」
二回目は、さっきよりも上手く平常心を作れていたと思う。だから、彼女の顔が恥ずかしさで歪み、口を震わせていることにも気付けた。そんな初心な反応が可愛らしくて、もしかしたら本当にこの子は雨の精だったのかもしれないな、なんて思ってしまった。
だからちょっとだけ意地悪をして、その顔にさらに羞恥のスパイスを加えてやりたくなってしまった。
「何照れてんの? 女同士なのに」
案の定、彼女は顔を赤くして口を閉ざしてしまう。お湯でのぼせてしまったわけではないだろう。なんだ、頭の良い奴の考えることも、案外わかるもんだ。
「ごめんごめん。ゆっくり温まってね」
そうしてあたしの方からドアを閉めてあげて、あたしは上機嫌で彼女が戻ってくるのを待っていた。あたしが見繕った服を着て、居間の扉を開けてくるのを、今か今かと待ち侘びていた。
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――――美しい。
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家に帰る途中で見かけた女の子。初めて見る子だ。あたしとは違う制服に身を包み、持っている傘を何故か差さずに呆然と雨に打たれている。
長い黒髪がじっとりと濡れて、白い肌に張り付いている。天を仰ぐ彼女の額からお尻の先まで、すとん、と雨が彼女を真っすぐ穿っているかのように見える。呆然としているようなのに、妙に姿勢が綺麗だ。
景色の中に完璧に調和して、まるで彼女自体が自然の一部のようにすら見えた。もしそうだとしたら、彼女は雨の精なのだろうか――そんなバカげたことすら考えてしまうほど、あたしはその横顔から目が離せなかった。
雨粒の一滴一滴が、彼女の存在を少しずつ雫の中に溶かしていってしまう――そんな危うさを感じるほど、あたしには彼女の横顔は儚く、脆く、繊細に映った。
その姿をずっと見ていたいとも思ったけど、彼女が一度鼻をすすったことで、夢想世界に入りかけていたあたしは一気に現実に引き戻された。
こんな儚げな子をこのまま雨ざらしにするわけにはいかない。あたしは考えるよりも先に、そんな使命感で彼女の頭上に傘を差し入れていた。
「ちょっと大丈夫? わっ、ずぶ濡れじゃん、風邪ひくよ!?」
近くで見てみると、彼女は想像以上にびしょ濡れになっていて、何かできないかとタオルで濡れた顔を拭いてやった。
触れたら壊れてしまいそうだと思っていたのに、いざ触れてみると、ちゃんと形を持った人間で少しホッとする。
黒々とした目はどこかどんよりとしているが、睫毛は長くて、鼻筋も綺麗。瑞々しく可愛らしい丸みを帯びた唇は微動だにしない。
遠目で見ていた時は気が付かなかったけど、この制服、|西修《せいしゅう》高校のものだ。西修といえば偏差値が六十を超える進学校で、あたしなんて手も届かなかったエリート校。そこに通うような子が、どうしてこんなことを……? 頭の良い奴の考えることはさっぱりわからない。
「うち近くだから、シャワー浴びていきなよ。服も貸したげる!」
心の底から誓って、下心も何もなくそう申し出た。ただただ心配だったから、その一心だけで申し出た。はずなのに……。
「……いや、いいです」
何故か断られてしまった。
いや、待って、この状況で断られることってある? 下心が透けて見える以前に、下心なんてそもそもなかったのに。いやちょっとくらいは、可愛い子だなとは思ったけど、それ以上の邪な心をこんな儚げな美少女に抱いてはいけないというあたしの良心の奥底に、無意識下で渦巻く下心に気付かれたってこと……? 頭の良い奴の考えることは、マジでさっぱりわからない。
「えっ、何で?! どっか具合悪いの? マジで心配だよ……」
思わずあたしは彼女の肩に掴みかかってしまった。そんなに強く掴んだつもりはなかったけど、一瞬少し驚いたように見開かれた彼女の目を見て、強引なことをしていると自覚した。
それでも彼女は、申し訳なさそうにあたしの申し出を断り続ける。何か理由があるのだろうか。いや、理由があったって、普通はわざわざ雨に濡れるような真似はしないはずだ。少なくとも、良い理由でないのは明らかだ。
「……すみません。本当に、大丈夫なので。ご心配おかけしました」
「大丈夫じゃないでしょ! 大丈夫な人はこんなところで傘も差さずに雨に打たれてたりしないよ?!」
あたしにそう言われて、返しに苦しくなったように彼女は押し黙ってしまった。そんな苦々しそうな表情さえ、芸術作品の一つのように見える。綺麗な顔立ちには、どんな表情を浮かべても絵になる。
「見ちゃったからには見過ごせないって。あたしに見つかったのが運の尽きだと思って大人しくついてきて。ほら立って、行くよ」
強引に彼女の手を引いて、あたしの家へ連れていく。あれだけ尻込みしていたくせに、いざ連れられると抵抗一つしない。本当は誰かにこうして連れ出されたかったんじゃないだろうか。雨の精だと思っていたが、どうやら王子さまを待ち焦がれるお姫さまだったようだ。
しかし冷たくなってしまった彼女の手を握っていると、そんなことはすぐにどうでもよくなった。とにかく早くこの子を温めてあげないと。あたしはマジで下心なく、その一心で家に向かっていた。
「ちょっと待っててね」
家に着いてそっと窓の方を覗いてみる。この薄暗い雨空なのに、部屋の窓から明かりが漏れてこない。誰もいないのか。
「さ、入って入って」
あたしは鍵を開けて、彼女を先に玄関に通した。せっかくここまで来たのに、やっぱりいいですなんて言われるわけにもいかない。だが家に上げてしまえばこっちのもの。
あたしは強引に彼女を脱衣場に押し込んで、ちゃんと温まるんだよ、と脱衣場のドアを閉めた。ドアを閉めた後で少しの間だけ、こっそりと聞き耳を立てて中の様子を窺ってみる。すると、小さく衣擦れの音が聞こえてきて、ちゃんと入ってくれそうで安心した。それと同時に、少しずつ速くなる鼓動。どうしてだろう。ドア一枚隔てた向こうに彼女がいる、それだけのことなのに。
あたしはそっと脱衣場から離れ、彼女が使えそうなタオルと着替えを見繕うことにした。
背はあたしより少し低いし、体型もあたしに比べればすらりとしている。あたしの服が着られるかはわからないけど、彼女に似合いそうなものを見繕ってやろうと思った。そこに、あわよくばあたしがこれを着た彼女の姿を見たいという欲望も、ちょっとくらいは混在していたかもしれない。
そういえば、タオルや着替えを用意しておくことを彼女に伝えそびれていた。それを気にして、今度は風呂場から出てきてくれないかもしれない。そうなっては困る。
そう思ったあたしは、しかし次の瞬間には何を思ったか、がらりと風呂場のドアを開けていた。
ひゃっとか細い悲鳴が聞こえて、彼女がさっと身体を庇う。白磁器のように美しくなめらかな白い肌は、しっかり温まっているのか仄かに桃色が差して、ゆらりゆらりと湯気が立ち上っていた。
その艶やかな姿に|見惚《みと》れてしまいそうになったが、それを表に出すわけにもいかないと思って、平常心を装いここに来た目的を果たすことにする。
「タオルと着替え、ここ置いとくから使ってね」
「あ、ありがとうございます……」
控えめなお礼を言われてそっとドアを閉められる。しかし平常心を装うのに必死で言い忘れていたことがあったのを思い出し、脱衣場を出ていこうとしたあたしは踵を返してまた風呂場のドアを開けた。
「あのさ、濡れた服、乾燥機にかけとくね。しわになっちゃうと思うから、お|家《うち》に帰ったらもう一回洗ってね」
「わ、わかりましたから、いちいち開けないでください……!」
二回目は、さっきよりも上手く平常心を作れていたと思う。だから、彼女の顔が恥ずかしさで歪み、口を震わせていることにも気付けた。そんな|初心《うぶ》な反応が可愛らしくて、もしかしたら本当にこの子は雨の精だったのかもしれないな、なんて思ってしまった。
だからちょっとだけ意地悪をして、その顔にさらに羞恥のスパイスを加えてやりたくなってしまった。
「何照れてんの? 女同士なのに」
案の定、彼女は顔を赤くして口を閉ざしてしまう。お湯でのぼせてしまったわけではないだろう。なんだ、頭の良い奴の考えることも、案外わかるもんだ。
「ごめんごめん。ゆっくり温まってね」
そうしてあたしの方からドアを閉めてあげて、あたしは上機嫌で彼女が戻ってくるのを待っていた。あたしが見繕った服を着て、居間の扉を開けてくるのを、今か今かと待ち侘びていた。