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Ep.1 春雨にとけて消えてしまいたい ―― *Ayame

ー/ー



 授業が終わって、ホームルームが終わって、また一人になる。いや、わたしは最初から一人だったか。
 バイトに勤しむ者、部活に励む者、友と語らいながら帰る者が教室を出ていって、残ったのは騒々しくも無為な時間を謳歌する青春愛好者たち。わたしもそれに巻き込まれないようにいそいそと教室を出て、特別残る理由もなく、特別急ぐ理由もなく帰路に就く。


 外は薄暗い灰色の雲が空を覆い、冷たい雨が降り注ぐ。目の前がどんよりと湿気(しけ)て暗く見えるのは、わたしの気の持ちようだけではないのだろう。周りの喧騒はいくらか雨音が消してくれて、少しだけ救われた気がした。耳に入ってくる声はどれも煩わしくて、どうにかなってしまいそうだったから。


 いつも電車で帰る道を、今日は何となくで、歩いて帰ることにした。歩いて帰りたい気分だった。知らない道ではないけれど、気分転換になると思った。知らない道ではないから、あとどれくらいで家に着いてしまうか容易に想像ができて、嫌になった。


 わざと遠回りをしてみようかと、知らない道を通ってみる。住宅街を縦断する川沿いの道。川の両沿いには桜の木が植えられていて、きっと咲いていたら綺麗なのだろう。あいにく、まだ四月だというのにすっかり花は散ってしまい、青々とした緑に彩られていた。
 川沿いの道はお洒落な化粧煉瓦が敷かれた歩道になっていて、点々と屋根のないベンチが並んでいる。わたしはその一つに腰掛けた。スカートと下着に浸透して、じんわりと冷たく湿気た感触が伝わる。傘を閉じれば、降り注ぐ雨が容赦なくわたしを穿つように染み入ってくる。


 ポケットのスマホが振動して、ちらと通知を見てみれば、弟から“早く帰ってきて”というメッセージが届いていた。わたしはそれに既読も付けず、ポケットにしまい込んだ。


 ぼんやりと空を眺めながら、このままずっと、それこそ永遠という時間が流れてしまったらいいのにと思った。
 雨粒が肌を伝い流れていく。冷たい雨に少しずつ体温を奪われていく。ぼうっとしていれば、雨が生み出す雑音(ノイズ)しか耳に入らない。まるで雨の中に溶けてしまったように、わたしはこのまま消えてなくなってしまいたいとすら思った。


 そんな時、黒い影が雨を遮った。空とわたしとを隔てる一枚の膜。それが後ろから差し込まれ、現実に引き戻される。


「ちょっと大丈夫? わっ、ずぶ濡れじゃん、風邪ひくよ!?」


 振り向けば、声の主の姿を拝むこともできずに乱雑に顔を拭き上げられる。ようやくタオルから解放されると、わたしと同じ、高校生くらいの女の子がわたしに傘を差し出してくれていた。


「うち近くだから、シャワー浴びていきなよ。服も貸したげる!」


 外巻きにしたセミロングの髪は明るく染められていて、目元もどこか挑戦的に釣り上がっている。快活な印象とそのままぴったりだ。制服は知らない学校のもので、うちの学校と違って、白いワイシャツの首元には可愛らしいリボンが下げられていた。化粧のせいか、少し大人っぽく見える。わたしよりは年上だろうか。
 それにしても、こんなところで奇行に走る女子高生に声を掛けるなんて、物好きな女子高生もいるものだ。


 わたしに傘を差し出したせいで、今度は彼女が濡れてしまっている。


「……いや、いいです」


 彼女の厚意を突き返すように傘を押し返すと、肩を掴まれてぐいと顔を寄せられた。くりくりとした目がさらに大きく見開かれて、徐々に眉が下がっていく。


「えっ、何で?! どっか具合悪いの? マジで心配だよ……」


 本気で心配そうな表情(かお)をされると、考え無しに奇行に走っていたのが申し訳なく思えて、わたしは彼女と目を合わせていられなくなった。


「……すみません。本当に、大丈夫なので。ご心配おかけしました」


「大丈夫じゃないでしょ! 大丈夫な人はこんなところで傘も差さずに雨に打たれてたりしないよ?!」


 傘を持ってはいても差していないのは、確かに普通じゃない。言い逃れるには苦しいか。心配してくれる人がいるのは嬉しいが、今のわたしは誰かと関わりたい気分ではない。だからこんなところで傘も差さずに雨に打たれていたのに。


「見ちゃったからには見過ごせないって。あたしに見つかったのが運の尽きだと思って大人しくついてきて。ほら立って、行くよ」


 何だか悪役みたいな台詞を吐いて、彼女はわたしの腕を引いて無理矢理に立たせた。身体が冷えていたからか、うまく力が入らず、わたしはされるがままに引っ張り起こされて、彼女に手を引かれてどこかへと連れていかれる。


 彼女に迷惑を掛けてしまった。そんな申し訳なさが半分で、もう半分は、人生の寄り道への好奇心。自分では選ぶことのなかった選択肢を、無理矢理に選ばされる強引さに胸が躍っているのも事実だった。


 わたしは脇に流れていく景色には目もくれず、ただ彼女の後ろ姿だけを眺めていた。素軽い身のこなしでわたしをどんどん遠くへ連れていってくれる。その足が止まれば、そこが目的地なのだとわかる。


「ちょっと待っててね」


 と、彼女は目の前の一軒家の扉に鍵を差し込んで解錠した。白い壁の、二階建ての一軒家。


「さ、入って入って」


 押し込まれるように玄関に入れられて、とりあえず靴を脱ぐと、そのまま脱衣場まで連行された。流れるような作業に抵抗する間もなく、考える間もなく、気付けばわたしは、名前も知らない彼女の家のお風呂場でシャワーを浴びていた。


 冷えた身体に温かい湯が染み渡る。
 どうしてこんなことになったのだろう。本当は断るべきだったんじゃないか。帰りが遅くなってしまうな。色々なことを考えて、それが煩わしくなって、洗い流した。


 すると不意にお風呂場の扉が開かれて、反射的に身を庇う。開けたのは彼女で、さっきまでの様子と変わりなく平然と話しかけてきた。


「タオルと着替え、ここ置いとくから使ってね」


「あ、ありがとうございます……」


 わたしは一言お礼を言って、そっと扉を閉めた。ところがすぐにまた扉が開かれる。


「あのさ、濡れた服、乾燥機にかけとくね。しわになっちゃうと思うから、お(うち)に帰ったらもう一回洗ってね」


「わ、わかりましたから、いちいち開けないでください……!」


 扉を閉めようと手を伸ばすと、彼女がニヤリと口角を上げる。


「何照れてんの? 女同士なのに」


 確かにそれはそう……だけれど、名前も知らない相手に裸を晒すのを避けるのは、もはや防衛本能のようなものだ。わたしを助けようと手を差し伸べてくれた相手であっても、わたしの警戒心はいつも通り正常に働いていた。


「ごめんごめん。ゆっくり温まってね」


 わたしが何も言えなくなっていると、彼女の方から扉を閉めてくれた。その顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、わたしの中に少しばかりの罪悪感があったからだろうか。わたしはどう返してあげられたらよかったのだろう。
 そんなことを考えていると、お湯を浴びてはいても、身体の内側はじんわり冷えていくような気がした。


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 授業が終わって、ホームルームが終わって、また一人になる。いや、わたしは最初から一人だったか。
 バイトに勤しむ者、部活に励む者、友と語らいながら帰る者が教室を出ていって、残ったのは騒々しくも無為な時間を謳歌する青春愛好者たち。わたしもそれに巻き込まれないようにいそいそと教室を出て、特別残る理由もなく、特別急ぐ理由もなく帰路に就く。
 外は薄暗い灰色の雲が空を覆い、冷たい雨が降り注ぐ。目の前がどんよりと|湿気《しけ》て暗く見えるのは、わたしの気の持ちようだけではないのだろう。周りの喧騒はいくらか雨音が消してくれて、少しだけ救われた気がした。耳に入ってくる声はどれも煩わしくて、どうにかなってしまいそうだったから。
 いつも電車で帰る道を、今日は何となくで、歩いて帰ることにした。歩いて帰りたい気分だった。知らない道ではないけれど、気分転換になると思った。知らない道ではないから、あとどれくらいで家に着いてしまうか容易に想像ができて、嫌になった。
 わざと遠回りをしてみようかと、知らない道を通ってみる。住宅街を縦断する川沿いの道。川の両沿いには桜の木が植えられていて、きっと咲いていたら綺麗なのだろう。あいにく、まだ四月だというのにすっかり花は散ってしまい、青々とした緑に彩られていた。
 川沿いの道はお洒落な化粧煉瓦が敷かれた歩道になっていて、点々と屋根のないベンチが並んでいる。わたしはその一つに腰掛けた。スカートと下着に浸透して、じんわりと冷たく湿気た感触が伝わる。傘を閉じれば、降り注ぐ雨が容赦なくわたしを穿つように染み入ってくる。
 ポケットのスマホが振動して、ちらと通知を見てみれば、弟から“早く帰ってきて”というメッセージが届いていた。わたしはそれに既読も付けず、ポケットにしまい込んだ。
 ぼんやりと空を眺めながら、このままずっと、それこそ永遠という時間が流れてしまったらいいのにと思った。
 雨粒が肌を伝い流れていく。冷たい雨に少しずつ体温を奪われていく。ぼうっとしていれば、雨が生み出す|雑音《ノイズ》しか耳に入らない。まるで雨の中に溶けてしまったように、わたしはこのまま消えてなくなってしまいたいとすら思った。
 そんな時、黒い影が雨を遮った。空とわたしとを隔てる一枚の膜。それが後ろから差し込まれ、現実に引き戻される。
「ちょっと大丈夫? わっ、ずぶ濡れじゃん、風邪ひくよ!?」
 振り向けば、声の主の姿を拝むこともできずに乱雑に顔を拭き上げられる。ようやくタオルから解放されると、わたしと同じ、高校生くらいの女の子がわたしに傘を差し出してくれていた。
「うち近くだから、シャワー浴びていきなよ。服も貸したげる!」
 外巻きにしたセミロングの髪は明るく染められていて、目元もどこか挑戦的に釣り上がっている。快活な印象とそのままぴったりだ。制服は知らない学校のもので、うちの学校と違って、白いワイシャツの首元には可愛らしいリボンが下げられていた。化粧のせいか、少し大人っぽく見える。わたしよりは年上だろうか。
 それにしても、こんなところで奇行に走る女子高生に声を掛けるなんて、物好きな女子高生もいるものだ。
 わたしに傘を差し出したせいで、今度は彼女が濡れてしまっている。
「……いや、いいです」
 彼女の厚意を突き返すように傘を押し返すと、肩を掴まれてぐいと顔を寄せられた。くりくりとした目がさらに大きく見開かれて、徐々に眉が下がっていく。
「えっ、何で?! どっか具合悪いの? マジで心配だよ……」
 本気で心配そうな|表情《かお》をされると、考え無しに奇行に走っていたのが申し訳なく思えて、わたしは彼女と目を合わせていられなくなった。
「……すみません。本当に、大丈夫なので。ご心配おかけしました」
「大丈夫じゃないでしょ! 大丈夫な人はこんなところで傘も差さずに雨に打たれてたりしないよ?!」
 傘を持ってはいても差していないのは、確かに普通じゃない。言い逃れるには苦しいか。心配してくれる人がいるのは嬉しいが、今のわたしは誰かと関わりたい気分ではない。だからこんなところで傘も差さずに雨に打たれていたのに。
「見ちゃったからには見過ごせないって。あたしに見つかったのが運の尽きだと思って大人しくついてきて。ほら立って、行くよ」
 何だか悪役みたいな台詞を吐いて、彼女はわたしの腕を引いて無理矢理に立たせた。身体が冷えていたからか、うまく力が入らず、わたしはされるがままに引っ張り起こされて、彼女に手を引かれてどこかへと連れていかれる。
 彼女に迷惑を掛けてしまった。そんな申し訳なさが半分で、もう半分は、人生の寄り道への好奇心。自分では選ぶことのなかった選択肢を、無理矢理に選ばされる強引さに胸が躍っているのも事実だった。
 わたしは脇に流れていく景色には目もくれず、ただ彼女の後ろ姿だけを眺めていた。素軽い身のこなしでわたしをどんどん遠くへ連れていってくれる。その足が止まれば、そこが目的地なのだとわかる。
「ちょっと待っててね」
 と、彼女は目の前の一軒家の扉に鍵を差し込んで解錠した。白い壁の、二階建ての一軒家。
「さ、入って入って」
 押し込まれるように玄関に入れられて、とりあえず靴を脱ぐと、そのまま脱衣場まで連行された。流れるような作業に抵抗する間もなく、考える間もなく、気付けばわたしは、名前も知らない彼女の家のお風呂場でシャワーを浴びていた。
 冷えた身体に温かい湯が染み渡る。
 どうしてこんなことになったのだろう。本当は断るべきだったんじゃないか。帰りが遅くなってしまうな。色々なことを考えて、それが煩わしくなって、洗い流した。
 すると不意にお風呂場の扉が開かれて、反射的に身を庇う。開けたのは彼女で、さっきまでの様子と変わりなく平然と話しかけてきた。
「タオルと着替え、ここ置いとくから使ってね」
「あ、ありがとうございます……」
 わたしは一言お礼を言って、そっと扉を閉めた。ところがすぐにまた扉が開かれる。
「あのさ、濡れた服、乾燥機にかけとくね。しわになっちゃうと思うから、お|家《うち》に帰ったらもう一回洗ってね」
「わ、わかりましたから、いちいち開けないでください……!」
 扉を閉めようと手を伸ばすと、彼女がニヤリと口角を上げる。
「何照れてんの? 女同士なのに」
 確かにそれはそう……だけれど、名前も知らない相手に裸を晒すのを避けるのは、もはや防衛本能のようなものだ。わたしを助けようと手を差し伸べてくれた相手であっても、わたしの警戒心はいつも通り正常に働いていた。
「ごめんごめん。ゆっくり温まってね」
 わたしが何も言えなくなっていると、彼女の方から扉を閉めてくれた。その顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、わたしの中に少しばかりの罪悪感があったからだろうか。わたしはどう返してあげられたらよかったのだろう。
 そんなことを考えていると、お湯を浴びてはいても、身体の内側はじんわり冷えていくような気がした。